第38話「イリスとエルフィーナ、あるいは似た者同士の話」
三学期が始まって二週間が経った。
イリスは毎日道場に来ていた。
四人も毎日来ていた。
道場の空気が変わっていた。ヴァルハイムの剣術とこの国の剣術が混ざり合って、新しい何かが生まれ始めていた。
イリスはそれを感じていた。
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イリスの内心を、誰も知らなかった。
高圧的で、プライドが高くて、自分より弱い人間には興味がない。
それがイリスの外側だった。
しかし内側には、別のものがあった。
孤独だった。
ヴァルハイムでは、誰もイリスに本気で向かってこなかった。
王女だから、手加減された。
強すぎるから、避けられた。
本気で向かってきた人間は、一人もいなかった。
四人は例外だった。しかし四人はイリスを「お姉様」と呼んで慕っていた。対等ではなかった。
だからイリスは婿を探しに来た。
自分より強い人間を探しに来た。
その人間なら、対等に向かってくるはずだった。
しかしこの学院で、イリスが出会ったのは婿候補ではなかった。
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エルフィーナだった。
イリスより強い女性だった。
婿の条件は「自分より強い男」だった。
だからエルフィーナは婿候補ではなかった。
しかしイリスは、エルフィーナのことを考える時間が長かった。
なぜか。
イリスは自分に問いかけていた。
答えは、少しずつわかってきていた。
エルフィーナは初めて、本気でイリスに向かってきた人間だった。
手加減なく、計算なく、ただ正面から。
それが、イリスには新鮮だった。
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その日の午後、道場でエルフィーナとイリスが向かい合っていた。
今日で十五回目の手合わせだった。
イリスは数えていた。
十五回、全部負けていた。
しかし合数が増えていた。
最初は二十合だった。今日は三十合を超えた。
「三十二合か」エルフィーナが言った。
「ええ」
「前回より五合増えた」
「わかっています」
「どこが変わったか、自分でわかるか」
イリスはしばらく考えた。
「左の対応が少し速くなりました」
「そうだ。白露への対応が改善した」
「しかしまだ足りません」
「足りない。しかし変わっている」
「毎日変わっています」
「それでいい」
エルフィーナは木刀を下げた。
イリスも下げた。
しばらく沈黙があった。
「エルフィーナ」
「何だ」
「一つ聞いていいですか」
「言え」
「あなたは稽古が楽しいですか」
エルフィーナはしばらく考えた。
「楽しい」
「なぜ楽しいのですか」
「強くなるからだ」
「それだけですか」
「それだけではない。しかしそれが一番だ」
「他には何がありますか」
エルフィーナはイリスを見た。
「強い相手と向かい合えるからだ」
「強い相手と向かい合うことが楽しいということですか」
「ああ」
「私もそうです」
「そうか」
「私がヴァルハイムでつまらなかったのは、本気で向かってくる相手がいなかったからだと思います」
「わかる」
「あなたはどうだったのですか。この学院に来る前」
エルフィーナは少し考えた。
「学院に来る前から、稽古相手はいた。ゴドフリーや騎士団がいた。しかし」
「しかし?」
「物足りなかった。ジークハルトに会うまでは」
「ジークハルトというのは剣聖の」
「ああ。百合以上打ち合った」
「百合以上」
「それが今まで一番長い手合わせだった。あの時初めて、物足りなさが消えた」
イリスはその言葉を聞いた。
「……私が来て、どうですか」
「面白い」
「物足りなくはありませんか」
「物足りなくない。まだ伸びているから」
「伸びているから面白い、ということですか」
「ああ。毎日変わる相手と稽古するのは、楽しい」
イリスはしばらく黙った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
「いいえ、これは礼を言います」
「なぜだ」
「本気で向かい合ってくれる人間に、ヴァルハイムでは出会えなかったので」
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イリスの内心は、その言葉を言った後、少し落ち着いた。
言葉にしたことで、整理できた気がした。
孤独だった。
強すぎるから孤独だった。
しかしここでは違った。
エルフィーナは強さを理由に距離を置かなかった。
強いから本気で向かってきた。
それがイリスには初めての経験だった。
好きか嫌いかでいえば、好きだった。
しかしそれは稽古相手としての好きだった。
レオンが言っていた言葉を思い出した。
エルフィーナは刀と同じくらい好き、と王太子に言った。
イリスには、その感情がわかる気がした。
強い相手を好きになる感情は、武器を好きになる感情と似ているかもしれない。
しかしレオンは「本当の意味はまだわかっていないかもしれない」と言っていた。
では本当の意味とは何か。
イリスにもまだわからなかった。
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夕方、ミレーユがイリスに声をかけた。
「イリス殿下、今日の手合わせ、三十二合でしたね」
「見ていましたか」
「見ていました。先週より長くなっています」
「毎日変わっています」
「殿下の顔も変わっていますね」
イリスは少し間を置いた。
「どう変わっていますか」
「最初より、柔らかいです」
「柔らかい」
「ええ。学院に来た初日は、誰も寄せ付けない顔をしていました。今はそれがありません」
「……気づいていたのですか」
「エルフィーナ様の周りにいると、人の変化に気づきやすくなります」
イリスはミレーユを見た。
「あなたはエルフィーナのことが好きなのですね」
「はい」
「昨日も聞きましたが、改めて確認しました」
「変わっていません」
「変わらないものですか」
「六歳から変わっていません。ただ、深くなっています」
イリスはしばらく考えた。
「私にはそういう感情がありません。しかし」
「しかし?」
「エルフィーナのことを考える時間が長くなっています」
「それはどういう感情ですか」
「わかりません。稽古相手として面白いという感情だと思っていました。しかし」
「しかし?」
「稽古以外の時間も考えています」
ミレーユは少し間を置いた。
「それは、好きということかもしれません」
「稽古相手として好き、ということですか」
「それだけかどうかは、イリス殿下自身が決めることです」
「……わかりません」
「わからなくていいと思います」
「エルフィーナも同じことを言っていました」
「そうですね。エルフィーナ様はよくそう言います」
イリスは少し笑った。
「あなたとエルフィーナは似ていますね」
「似ていますか」
「言葉が似ています。わからなくていい、強くなれ、それだけ言えばいい」
「エルフィーナ様の影響だと思います」
「そうでしょうね」
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夜、イリスは自室に戻った。
窓を開けた。
道場から素振りの音が聞こえた。
エルフィーナの音だった。
イリスはその音を聞いた。
ヴァルハイムにいた時、夜に聞こえる音はなかった。
王宮は静かだった。
しかしここは違った。
夜になっても、稽古の音が聞こえた。
エルフィーナは毎晩素振りをしていた。
それが当然のように続いていた。
イリスはその音を聞きながら、考えた。
自分がヴァルハイムに帰った後、この音が聞こえなくなる。
その時、どう思うだろうか。
今はまだわからなかった。
しかしわかる日が来るかもしれない。
ミレーユが言っていた言葉を思い出した。
言葉は後から来る。
いつかわかる日が来るかもしれない。
イリスはそう思った。
素振りの音が続いていた。
夜が静かだった。




