第28話「孤児院慰問、あるいは慰問とはそういうものではない」
学院の掲示板に告知が出たのは、二学期も終わりに差し掛かった頃だった。
「王都孤児院慰問活動参加者募集。希望者は担任教官まで。食料や衣料の寄付も受け付ける。」
エルフィーナはその掲示を読んだ。
「慰問か」
「ええ」レオンが言った。「毎年学院が行っている活動です。希望者が参加して、孤児院に食料や物資を届けて、子供たちと交流します」
「行く」
「参加しますか」
「ああ」
レオンは少し間を置いた。
「……姉上が慰問に、ですか」
「何か問題があるか」
「いいえ。ただ」
「ただ?」
「普通の慰問をしてください」
「普通の慰問とは何か」
「食料を届けて、子供たちと話して、帰ってくることです」
「わかった」
レオンは少し不安だった。
わかった、という言葉が、全くわかっていない顔で言われた気がしたからだった。
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参加者はエルフィーナ、レオン、ミレーユ、カイ、アロイスだった。
エルヴィンも来た。
「殿下も参加するんですか」レオンが言った。
「孤児院には行ったことがなかった。行ってみたい」
「そうですか」
「兄上は」
「シグルト殿下は王太子なので、参加すると大事になります」
「そうか。では俺だけ行く」
当日の朝、食料と衣料の荷物を積んだ馬車で王都の孤児院に向かった。
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王都孤児院は王都の外縁部にあった。
古い石造りの建物で、広い庭があった。庭に子供たちが集まっていた。年齢は様々だった。小さな子は四、五歳、大きな子は十二、三歳くらいだった。
院長の女性が出迎えた。四十代、穏やかな顔をしていた。
「ようこそいらっしゃいました。子供たちも楽しみにしていました」
「お世話になります」レオンが代表して挨拶した。
子供たちが近づいてきた。珍しそうに学院の生徒たちを見ていた。
ミレーユが笑顔で子供たちに話しかけた。カイが膝をついて目線を合わせた。アロイスは少し戸惑いながらも、子供に話しかけられると真面目に答えていた。エルヴィンは子供たちに囲まれて、少し嬉しそうだった。
レオンは荷物の整理をしながら、エルフィーナを確認した。
エルフィーナは庭の中央に立って、子供たちを見ていた。
観察する目だった。
レオンは嫌な予感がした。
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荷物を届けた後、交流の時間が始まった。
ミレーユが子供たちに簡単な魔法を見せた。子供たちが歓声を上げた。カイが手品のように魔力を使って光を作り、子供たちが喜んだ。
エルフィーナは庭の隅で、一人の少年と話していた。
十歳くらいの少年だった。他の子供たちと少し離れて、柱に寄りかかっていた。
「お前、さっきから動きを見ていたな」エルフィーナが言った。
「……見ていただけです」
「ミレーユとカイの動きを見て、何を考えていた」
「……体の使い方が面白いと思って」
「どこが面白かった」
「重心の移動が、普通の人と違うと思って」
エルフィーナは少し考えた。
「名前は」
「テオです」
「テオ、重心の移動に気づいたということは、目がいい。体を動かしたことがあるか」
「院長先生に走り回るなと言われているので、あまり」
「外で走ったことは」
「たまに」
「速いか」
テオは少し間を置いた。
「……院の中では一番速いです」
エルフィーナは頷いた。
「来い」
「え」
「構えを見せてやる。やってみたいか」
テオはしばらくエルフィーナを見た。
「……やってみたいです」
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レオンはその会話を遠くから見ていた。
ミレーユが隣に来た。
「エルフィーナ様、早速ですね」
「……ええ」
「何人見つけるつもりなんでしょう」
「姉上に聞いていないですが、おそらく」
「おそらく?」
「目がいいと思った子全員だと思います」
ミレーユは庭を見渡した。
「子供が三十人くらいいますね」
「そうですね」
「全員見ていたら大変ですね」
「そうですね」
二人は同時に少し遠い目をした。
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交流の時間が進むにつれ、エルフィーナの周りに子供が集まり始めた。
テオが友達を連れてきた。
「この子も速いです」
「見せろ」エルフィーナが言った。
別の子が来た。
「エルフィーナさん、この子は手の力が強いです」
「見せろ」
また別の子が来た。
「この子は平衡感覚がいいです。細い塀の上を歩けます」
「見せろ」
気づくと、エルフィーナの周りに十二、三人の子供が集まっていた。
エルフィーナは一人ずつ動きを見て、何かを言っていた。
院長が不思議そうな顔でレオンに近づいた。
「あの方は……何をされているんですか」
「……才能の発掘をしていると思います」
「才能の」
「はい」
「慰問に来て」
「はい」
院長はエルフィーナを見た。
エルフィーナは子供に構えを教えていた。子供が真剣な顔で真似をしていた。
「……楽しそうですね、子供たちが」
「それはそうなんですが」
「問題がありますか」
「このままでは、全員連れて帰ろうとします」
院長は少し間を置いた。
「全員、ですか」
「姉上は才能がある人間を見ると、すぐに来いと言います」
「……そうですか」
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昼過ぎ、エルフィーナがレオンに来た。
「レオン」
「はい」
「才能がある子が何人かいる」
「何人ですか」
「七人だ」
「七人」
「うち三人は特に筋がいい。残りの四人も伸びしろがある」
「……姉上」
「何だ」
「慰問に来たんですよ」
「ああ、来た」
「普通の慰問をするとおっしゃっていました」
「食料と衣料を届けた。交流もした。普通の慰問だ」
「子供を観察して才能を発掘するのは慰問ではありません」
「そうか?」
「そうです」
エルフィーナはしばらく考えた。
「では才能がある子に声をかけるのは慰問ではないということか」
「慰問ではありません」
「しかしこのまま帰るのは」
「帰るんですよ、今日は」
「もったいない」
レオンは少し間を置いた。
「……もったいないとは」
「テオは目がいい。あと二人、体幹が優れている子がいる。このまま何もしないのは」
「院長先生に相談しましたか」
「していない」
「まずそこからです」
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レオンは院長に話した。
アルカディア侯爵家の道場のこと。道場生として学びながら使用人として働く仕組みのこと。希望する子供がいれば、という前提での話だということ。
院長はしばらく黙って聞いていた。
「……アルカディア侯爵家の道場というのは」
「王都の侯爵邸にあります。武術を教えていただきながら、生活の場も提供しています」
「以前から孤児を引き取っていると聞きましたが」
「はい。姉が街で見かけた子を連れてくることがあって、それが続いています」
「今も屋敷に住んでいる子が」
「五人います。一番上が十四歳、一番下が九歳です」
院長はしばらく考えた。
「子供たちの意思が前提ですね」
「もちろんです。強制は一切しません」
「……わかりました。希望する子には話を聞かせてあげてください」
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エルフィーナが七人の子供たちに話した。
「道場で武術を学べる。生活の場もある。来たい者は来い」
シンプルだった。
七人が顔を見合わせた。
テオが言った。
「武術を学べるんですか」
「ああ」
「強くなれますか」
「稽古次第だ」
「行きたいです」
次々と手が上がった。
七人全員だった。
院長が少し驚いた顔をした。
「……全員ですか」
「全員です」
「今日すぐ、というわけにはいきませんので、手続きをしてから、ということになりますが」
「わかった。手続きを頼む、レオン」
「……わかりました」
レオンは手帳を取り出した。
七人分の名前と年齢を書き始めた。
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帰りの馬車の中、全員が少し疲れていた。
カイが言った。
「今日の慰問、普通じゃなかったですね」
「そうですね」レオンが言った。
「エルフィーナさん、慰問で七人スカウトしました」
「してしまいました」
「孤児院の子供たちは嬉しそうでしたね」
「それはよかったんですが」
アロイスが言った。
「レオン、手続きはどのくらいかかる」
「侯爵家と孤児院の間で書類を交わす必要があります。一週間ほどかと」
「七人か」
「七人です」
「屋敷に五人いるから、合わせて十二人になるな」
「なりますね」
「ゴドフリーは喜ぶだろうな」
「覚書の門人録の章が増えます」
エルヴィンが静かに言った。
「……エルフィーナの周りには、本当に人が集まるんだな」
「ええ」レオンが言った。
「今日の子供たちの顔を見ていた。エルフィーナに声をかけてもらった時、みんな目が輝いていた」
「そうですね」
「あの人は何もしていないつもりなのに」
「それがエルフィーナ様です」
エルヴィンは窓の外を見た。
「俺もそうだったな、最初に稽古をつけてもらった時」
「目が輝いていましたか」
「輝いていたと思う。自分ではわからないが」
レオンは少し笑った。
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翌朝、ゴドフリーに手紙を書いた。
エルフィーナが書いた内容をレオンが確認した。
「ゴドフリー、王都孤児院の慰問に行った。才能がある子が七人いた。手続きが終わり次第、王都道場に来る。名前は別紙の通り。テオ、十歳、目がいい。ヴィクト、九歳、体幹が優れている。以下略。稽古の計画を立てておいてくれ。エルフィーナ」
「……別紙に七人分の詳細が書いてあります」
「そうだ」
「姉上、ゴドフリーはどんな反応をすると思いますか」
「喜ぶだろう」
「覚書を書きますね」
「そうだろう」
レオンは手紙を封筒に入れた。
翌日、ゴドフリーから返事が来た。
「エルフィーナお嬢様。七名のご報告、確かに受け取りました。王都道場の稽古計画、早速準備いたします。別紙にて各自の課題と稽古内容をお送りします。なお覚書の門人録に七名を追加しました。現在の道場生総数は王都と侯爵領合わせて三十一名となりました。感謝申し上げます。敬具 ゴドフリー・ハルト 追伸:本日の覚書は過去最多のページ数となりました」
エルフィーナはその手紙を読んで満足そうな顔をした。
「ゴドフリーが喜んでいる」
「覚書が過去最多だそうです」
「そうか。よかった」
レオンは返事を手に、少し間を置いた。
「姉上、一つだけ確認させてください」
「何だ」
「次の慰問活動がある時も参加しますか」
「もちろんだ」
「……次回も才能のある子を探しますか」
「当然だ。才能がある子がいれば声をかける」
「道場生はどこまで増やすつもりですか」
「上限は決めていない」
「……わかりました」
レオンは手帳を開いた。
次回の慰問の前に、院長への事前説明の文書を用意しておく必要があると思った。
そして侯爵家の財政についても、ゴドフリーと相談する必要があった。
道場生が増えるということは、食費も、稽古用具も、すべて増えるということだった。
しかしアルカディア侯爵家の財政は問題ない、とゴドフリーが言っていた。
問題ないのであれば、いいのかもしれなかった。
レオンは少し遠い目をした。
仕方ない。
今日の「仕方ない」は、少し呆れた色を含んでいた。
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その夜、イゾルデから手紙が来た。
エルフィーナ宛だった。
エルフィーナが読んだ。
「母上から」
「何と書いてありますか」
「『孤児院慰問で七人を道場に連れてくることにしたと聞きました。ゴドフリーから報告が来ました。一つだけ確認します。子供たちの意思を確認しましたか。イゾルデ』」
「確認しましたか」
「した。全員が自分で来ると言った」
「では返事を書いてください」
「わかった」
エルフィーナは返事を書いた。
「母上、全員が自分で来ると言いました。テオは目がいい。ヴィクトは体幹が優れています。強くなれると思います。エルフィーナ」
レオンはその返事を見た。
「……子供の才能の話しか書いていませんね」
「事実を報告した」
「母上が聞きたいのはそれだけではないと思いますが」
「他に何がある」
「子供たちへの気持ちとか」
「才能がある。伸びる。それが気持ちだ」
レオンは少し考えた。
「姉上は、屋敷にいるソフィアたちのことをどう思っていますか」
「よく動く。稽古が真面目だ」
「それだけですか」
「……それだけではないかもしれないが、言葉にできない」
「言葉にできない、というのは」
「傍にいると当然の気がする。いなくなると困る気がする」
レオンはその言葉を聞いた。
「それが、好きということだと思います」
「そうか」
「はい」
エルフィーナは少し間を置いた。
「では返事に付け加える」
返事に一行追加した。
「子供たちのことが好きです。エルフィーナ」
レオンはその一行を見た。
シンプルだった。
しかし本物だった。
「……よい返事だと思います」
「そうか」
エルフィーナは封筒に入れた。
夜が静かだった。
道場生が三十一人になった夜だった。




