第27話「修行の旅、あるいは全員が頭を抱えた日」
ゴドフリーからの手紙が届いたのは、試験が終わって三日後の朝だった。
いつもより分厚かった。
エルフィーナは封を開けた。朝食の席で声に出して読んだ。
「『エルフィーナお嬢様。巻藁の断面報告、確かに受け取りました。木の芯まで一刀とのこと、黒嵐の出来栄えをクラウス殿に感謝申し上げます。覚書に詳細を記録いたしました。さて、本題に入ります。先日、侯爵様より伺ったのですが、お嬢様は卒業後に修行の旅に出るご意向があるとのこと。誠に僭越ながら、確認させていただきたく存じます。修行の旅の行程、期間、目的地についてお教えいただければ、準備を進めることができます。なお奥様は現在、遠い目をしておられます。敬具 ゴドフリー・ハルト』」
食堂が静まり返った。
レオンが口を開いた。
「……姉上」
「何だ」
「修行の旅に出るつもりがあったんですか」
「ある」
「いつ決めたんですか」
「ずっと前から」
「ずっと前から」
「ジークハルト殿に会ってから、より強くなった」
レオンはゆっくりと手紙を置いた。
「……父上に話したんですか」
「先日話した」
「母上には」
「まだだ」
「……順番が逆ではないですか」
「父上が一番賛成してくれると思った」
「『さすがだ』と言いましたか」
「言った」
レオンは天井を見た。
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その日の昼、話が広まった。
速かった。
昼食の時間にはカイが知っていた。
「エルフィーナさん、卒業後に旅に出るんですか」
「ああ」
「どのくらいの期間ですか」
「決めていない。強くなるまでだ」
「行き先は」
「決めていない。強い相手がいると聞いたところへ行く」
「一人でですか」
「そのつもりだ」
カイはしばらく黙った。
「……俺も行っていいですか」
「強くなってからなら来い」
「それまでに強くなります」
エルフィーナは頷いた。当然だという顔で。
レオンはその会話を聞いて、額に手を当てた。
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午後、ミレーユがレオンを呼んだ。
「レオン様、聞きましたか」
「聞きました」
「修行の旅」
「ええ」
「エルフィーナ様、本当に行くつもりなんですね」
「本気だと思います」
「婚約はどうなるんですか」
「姉上に聞いたところ、両立すると思っているそうです」
ミレーユは少し間を置いた。
「両立……どうやって」
「そこまで考えていないと思います」
「殿下に伝えてあるんですか」
「……まだだと思います」
ミレーユは少し遠い目をした。
「殿下のお顔が心配です」
「私もです」
「レオン様、殿下には先に伝えておいた方がいいんじゃないですか」
「……そうですね」
「エルフィーナ様が直接伝えるより、レオン様が先に文脈を整理してから」
「そうします」
レオンは立ち上がった。
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シグルトを廊下で捕まえた。
「殿下、少しよろしいですか」
「何だ」
「シグルト殿下は姉上から聞いていないことがあります」
「何を」
「卒業後の話です」
シグルトは少し目が細くなった。
「……聞かせろ」
「エルフィーナ様は卒業後、修行の旅に出るつもりです」
「修行の旅」
「はい。行き先未定、期間未定、強い相手がいる場所を目指すそうです」
シグルトはしばらく黙っていた。
「婚約は」
「両立すると思っているそうです」
「両立、というのはどういう意味だ」
「旅をしながら婚約者でもある、という認識だと思います。詳細は考えていないかと」
シグルトは少し間を置いた。
「……なるほど」
「殿下、どう思いますか」
「エルフィーナらしい」
「それだけですか」
「それだけではない。しかし」
シグルトは静かに笑った。
今日は困ったような笑いではなかった。少し、遠くを見るような笑いだった。
「正直に言えば、予想していた」
「予想していたんですか」
「あの人が卒業後に王宮に大人しく収まると思っていなかった。いつかこういう話が出ると思っていた」
「対策は考えていましたか」
「一つだけ考えている」
「何ですか」
シグルトはレオンを見た。
「俺も一緒に行く」
レオンは少し止まった。
「……王太子が修行の旅に」
「王太子である前に、エルフィーナの婚約者だ。あの人が行くなら、俺も行く」
「国王陛下が許可しますか」
「説得する。父上はエルフィーナのことを評価している。あの人と一緒なら許可が下りる可能性がある」
「……それは本気ですか」
「最初から本気だ」
シグルトは歩き出した。
「レオン、一つだけ聞いていいか」
「はい」
「エルフィーナは、俺が一緒に行くことを歓迎すると思うか」
レオンは少し考えた。
「強い稽古相手が来ると思って喜ぶと思います」
「それだけか」
「……それ以上かどうかは、まだわかりません」
「そうか」
シグルトは振り返らずに言った。
「十分だ」
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夕食の席で、エルフィーナがイゾルデから手紙を受け取った。
開けると一言だけ書いてあった。
「帰省した時に話し合いましょう。イゾルデ」
エルフィーナはその手紙を読んだ。
「母上が話し合いたいそうだ」
「当然です」レオンが言った。
「何を話し合うのか」
「修行の旅のことです」
「問題があるか」
「あると思います」
「なぜ」
「婚約者がいる身で、行き先も期間も未定の旅に出ると言えば、普通は問題になります」
「婚約は続く」
「それをどう続けるかが問題です」
エルフィーナはしばらく考えた。
「シグルト殿下に相談するべきか」
「先に相談すべきでした」
「そうか。では今夜話す」
「話すんですか」
「婚約者なのだから、こういうことは伝えるべきだろう」
「……それは正しいです」
「レオン、場を作ってくれ」
「……わかりました」
レオンは書類を手に取った。
今夜も、場を作ることになった。
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夜、中庭でエルフィーナとシグルトが向かい合った。
レオンは遠くから見ていた。
「殿下、修行の旅の話をしたい」
「聞いている」
「もう知っていたのか」
「レオンから聞いた」
「そうか。では単刀直入に言う。卒業後、修行の旅に出たい」
「ああ」
「期間は未定。行き先は未定。強い相手がいる場所を目指す」
「わかった」
「婚約は続ける。両立できると思っている」
シグルトは少し間を置いた。
「エルフィーナ」
「はい」
「俺も一緒に行く」
エルフィーナは少し止まった。
「殿下が修行の旅に」
「ああ」
「王太子が旅に出ることは簡単ではないのでは」
「父上を説得する」
「なぜそこまでする」
シグルトはエルフィーナを見た。
「お前が行くからだ」
「稽古相手として来るのか」
「それも含めて、だ」
エルフィーナはしばらく考えた。
「殿下が来るなら、稽古相手が増えて助かる」
「……それだけか」
「それだけではないかもしれないが、今は言葉にできない」
「そうか」
「しかし、来るなら歓迎する」
シグルトは静かに笑った。
今夜は困ったような笑いだった。
エルフィーナはその笑いを見た。
見ていたい、と思った。
「殿下」
「何だ」
「その笑いを見るとまた見ていたいと思う」
「……知っている」
「今日で何回目か数えていないが、よく見る」
「それは嬉しい」
「嬉しいのか」
「ああ」
エルフィーナは少し考えた。
「殿下と一緒に旅をすれば、その笑いをもっと見られるかもしれない」
シグルトは空を見た。
「……それは俺にとって、十分な理由だ」
「何の理由だ」
「父上を説得する理由だ」
エルフィーナは少し首を傾げた。
意味がよくわからなかった。
しかしシグルトが嬉しそうだったので、良いことなのだろうと思った。
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遠くから見ていたレオンの隣に、ミレーユが来た。
「どんな話をしていると思いますか」
「修行の旅の話です。殿下も一緒に行くとおっしゃったようです」
「殿下が」
「ええ」
「エルフィーナ様は」
「稽古相手が増えて助かると言ったと思います」
「そうですか」
ミレーユは中庭を見た。
エルフィーナとシグルトが並んで夜空を見ていた。
「……きれいですね」
「ええ」
「二人が並んでいる姿が」
「ええ」
ミレーユは少し間を置いた。
「レオン様」
「はい」
「修行の旅、私も行ってもいいですか」
「エルフィーナ様に聞けば」
「断りませんよね」
「強くなりたいなら来いと言うと思います」
「じゃあ行きます」
「……みんな行くんですね」
「カイさんも行くでしょうし、アロイス様も行くかもしれません」
「そうですね」
「レオン様は」
レオンは少し間を置いた。
「……行きます」
「姉上のそばにいる、ということですか」
「それが私の役目ですから」
ミレーユは静かに笑った。
「役目だけじゃないと思いますが」
「……今夜はそういうことにしておきます」
夜が更けていた。
中庭でエルフィーナが何かを言い、シグルトが笑った。
遠くからでも、困ったような笑いだとわかった。
エルフィーナが見ていたいと思っているだろうと、レオンは思った。
仕方ない。
今夜の「仕方ない」は、穏やかだった。




