嵐の予感 ③
ここはオートロックもない、セキュリティ皆無のオンボロアパート。だが、僕にとっては唯一の安息の地──攻略ダンジョンで言うところのセーフティゾーンだったはずだ。
それがどうして、凶悪なモンスターたちが蠢く、キルゾーンと変貌してしまったのか。
……明らかに非常事態である。
しかも、魔物たちが僕を巡って縄張り争いをしているような……?
(ヤバい、剣崎……いや、宇佐美はともかく、東雲は存在そのものがニトログリセリン(⚠衝撃を加えると爆発する)みたいな奴だ。……にしても、今回は一段と毒が濃くないか?)
兎にも角にも、今すぐ殺し合いバトルが勃発しそう。迷惑なのでどこか別の次元でやってほしいのだが。
(……うん。巻き添えを食う前に、ここはコンビニでも行くふりして逃げよ)
「──あれれ〜? そう言えば飲み物が足りないよね、ちょっと近所のコンビニまで行ってくるよ」
極めて自然な動作で畳の上(座布団なし)から立ち上がったら。
「だったらさ、オレも一緒に行くぜ」
「あら奇遇ね、ちょうど私もコンビニに用があったところよ」
……なぜだろう。左右から、僕の両腕がガッチリとホールドされている。
「あぁん? お前は一人寂しく、そこらのピザの耳でも齧ってろよ」
「は? 貴方こそ頭の空っぽな鶏らしく、そのへんの畳でもつつき回してなさい」
がんじがらめになった僕の頭上で、再び睨み合いが勃発している件。
やはり、底辺声優(♂)を巡っての修羅場展開……だったりするのか?
……んな、アホな。
◇
(……ここはひとつ、唯川さんに連絡して、東雲だけでも連れて帰ってもらい……って、それは流石に悪手だろ!? これ以上話をややこしくしてどうする──)
ちなみに東雲姉ことトップアイドル声優、唯川雫さんは、紛うなく腐っている。
そんなこんなで逃走を諦めた僕は、凍てついた絶対零度の空気の中、為すすべもなく台所に立ち、バシャバシャと洗い物をしながら自問自答を繰り返していた。
今さらながら、身の危険を本能が察知している。
──その時、だった。
「神坂」
不意に背後から、低音ボイスが鼓膜を震わせ。
「……これ、お前に似合うと思って、さ」
はにかみながら僕の首元へ、キラリと光る「何か」を掲げられた。逃さないと言わんばかりに、優しく、抗えない力で包み込むように。
はて……?
これって、もしかして……アクセサリー……ネックレス、とか?
「ええっと……」
突然の出来事に脳内処理が追いつかないまま、首元で揺れる鎖を感じて振り向く。目線を上げれば、十五センチの身長差を見せつける宇佐美健太こと剣崎翔の憂いた表情。
(……って、待て。今の自分、メイクもしてないし、普通に《《男》》だよな……?)
「すごく似合ってる。……ふっ、思い切ってプレゼントした甲斐があったな」
「プ、プププ、プレゼントだぁあああ!?」
──メキッ!
乾いた破壊音が響いた。恐る恐る視線を動かすと。
ビシバシ、ビシバシ、ビシバシ──
全ての感情を虚無へ放り投げたような顔の東雲が、いつの間にか手にしていた悪役令嬢御用達、強化プラスチック製の扇子を掌に打ち付け、首を斜め四十五度に傾けていた。怖い。
バキッ!
──そこから先の記憶は、あまり定かではない。
たしか、東雲と宇佐美が激しい(ピー)を繰り広げ、いつの間にか二人揃って嵐のように、アパートから消え去った……ような気がする。
うん、これで万事解決だ。
あの後、二人がどうなったかなんて、知らんし、知りたくもない。
「……はあ。さてと、この呪いのアイテム……どうしたもんかな……」
真夜中。見るも無残に荒れ果てた部屋で、僕は宇佐美から贈られたハートのネックレスをマジマジと見つめた。
「──次の仕事にでも着けていくか。これからは、こういうアクセサリーも必要かもだし」
ぞわり。
「……ぁ、そそそ、そういえば、収録時には貴金属類、厳禁だったよな、あはは……」
「ええ。マイクの前でジャラジャラ音を立てる不届き者は……そうね。万死に値するわ」
「──はは、だ、だよな……」
僕は背後を振り向かない。いや、振り向けない。
「ふふ、ふふふ、フふ……」
本当の嵐は、これから、かもしれない──。




