暗がりから来た男
代々木公園の中で康太は一人待ち続けていた。毎日のように文が一緒にいられるかと言われればそうではない。
文は文で情報収集にあたっているのだ。
あれから何か別の情報はないか、支部長を経由してほかの魔術師たちに聞き込みに行っているのである。
その間に康太は代々木公園で一人で待っている。ただ康太は文のように結界系の魔術が使えないために、ほぼ私服同然の姿で待つ形になる。
Dの慟哭を発動し、自分が魔術師であるということを証明しながらただじっと寒空の下件の人物が現れるのを待っていた。
とはいえ完全に一人というわけではない。康太は自分の傍らに大きなギターケースを置いている。
それは形を変えたウィルだった。瞬時に魔術師装束に切り替えることができるようにするためにウィルだけは一緒に来てもらったのである。
神加には悪いことをしたなと思いながらも康太はただ待つしかない状況を理解しながらゆっくりと白い息を吐いていた。
もったいない時間だと思ったため、体の中で魔力を作る訓練だけは行っていた。
さすがに魔術を使うのは目立ちすぎるために行えないが、属性魔力を練りあげる訓練くらいはできる。
この程度のことしかできないのがもどかしかったが、それでもやらないよりはましだ。
今までに比べてこういった時間が増えたことをむしろ喜ぶべきだろう。最近は魔術の訓練をメインにしすぎている感がある。もちろんそれも大事なことだが基礎である魔力の生成ができなければ結局魔術を使うことなどできないのだ。
いつまでも属性魔術に苦手意識を持っているわけにもいかないと、康太は風と火の魔力を体の中で練り上げ続ける。
「この寒空の下で本当にご苦労なことだの。待ちぼうけを食らっている寂しい男に見えてしまうぞ?」
不意に聞こえてきた声に康太は姿勢も視線も変えることなく小さくため息をつく。
「待ち人が来るかどうかわからないんだ、待つしかないだろ?」
「それが女だったのならよかったのだろうがの・・・あいにく相手は男・・・待ち人というには少々うれしくないのではないか?」
「そりゃな。これが女だったら多少はテンション上がったかもしれないけど・・・っていうか来てくれたんだなアリス」
康太の言うように声の主はアリスだった。康太にも見えないように、いやそれどころかこの世界で誰にも知覚されないように魔術によって隠蔽を行っている。
康太が全く動じずにアリスとの対話に移れたのはデビットのざわめきによるところが大きい。
アリスが近くにいるとざわめくデビットのおかげで、不意にアリスの声が聞こえてきてもそこまで驚くことがないのだ。
「差し入れを持ってきた。ウィルの中に入れておいたから食べるとよいぞ」
「食べ物か。あったかいものだとありがたいかな」
「安心しろ、コンビニのものだが肉まんとあんまんだ。ついでに温かい飲み物も買ってきた。食べるとよいぞ」
気が利いてるなと康太はギターケース状のウィルを開けるとその中に置いてあったビニール袋に入っている肉まんとあんまん、そして缶コーヒーを取り出す。
この寒い中こういった温かいものは本当にありがたい。体の中に温かいものを入れることによって心から温まることができるのだ。
康太はアリスに感謝しながら肉まんをほおばりながら満面の笑みを浮かべていた。
「どうだ?こうして待つだけというのは暇だろう」
「暇だけど・・・最近こういう時間あんまりなかったからちょっといいかもって思い始めてる。さすがにずっとはきついけど」
「若いのにじじ臭いことを言う・・・本当にお前は十六か?」
「ピッチピチの高校生だよ。いやこれもう死語か・・・っていうかお前差し入れするためだけに来たのか?」
「まさか、フミに頼まれたのだ。コータは一人だと不安だから一緒にいてやってくれだそうだ。まったく素直じゃない奴よ。本当なら自分が来たかったのだろうが、一緒にいることよりも成果を優先しておる」
康太のように人に何かを聞くということが不慣れな人種には決して得られないものを得るために文は行動している。
そのためには康太と別行動をとらなければいけないため、多少不便だし、文本人としてもあまり望む状況ではないかもしれないがそれでもやらなければいけないことというものはある。
心を鬼にして、欲を振り切って文は今行動しているのだ。
「ありがたいこったな・・・俺じゃ一般人を排除することができないからアリスみたいなのがいてくれると助かるよ」
「別にコータだって排除することくらいできるだろうに」
「物理的にはな。穏便に片づけたいんだよ。それが一番難しいんだけどさ」
少なくとも康太は物理的にだれかを排除することはむしろ得意だ。だがアリスや文がそうするように暗示などの応用に近い結界魔術を使うことができない。
排除するというと少々物騒に聞こえるが、穏便に排除するということができるのはかなりの利点だ。
早いところ結界の魔術を覚えなければならないなと康太が思っている中、康太の索敵に何者かの反応がある。
康太の索敵の範囲は狭い。そんな範囲に魔力を持った人間の反応が一つ。
いったい誰だろうかと考えている中、アリスは康太との対話を終了させてその存在をさらに希薄にさせていた。
ここから先、自分は関わるつもりはないぞと言っているような反応に、康太はそれでもかまわないとゆっくりと意識をその人物がやってくる方向に向けていた。
康太の索敵の狭い範囲の中に入ってくるその人物の詳細を少しでも確認しようと意識を向ける。
対象の身長は百七十台。やせ形で無精髭を蓄え、なおかつ夜だというのにサングラスを身に着けているのが確認できた。
そしてコートのようなものを身に着けている。魔術師の外套に似ている。この人物が件の捜索者だろうかと康太はわずかに警戒の色を強くし、ウィルに頼んで魔術師装束の形をとらせて臨戦態勢に入る。
暗がりの中からその人物が現れたのを確認すると、康太はその姿をより正確に把握しようと物理解析の魔術を発動する。
その男が身に着けている衣服、そして装飾品。索敵の魔術と併用することでさらに詳細にその人物の状態を理解することができたが、まったくと言っていいほどに武器の類を所持していなかった。
そういうタイプの魔術師は何度かあったことがあるために別段おかしな話だとは思わなかったが、小百合と思わしき人物を探してるというのに武器の類を全く持っていないというのは少々不用心なように感じられた。
彼我の距離が狭まっていき、約十メートルという距離になったとき、その人物は歩みを止めて康太の姿をまっすぐに見据えていた。
康太もまたその人物を見返す。この人物が噂の人物かと思いながら目を細め、その体から噴き出していた黒い瘴気を止めると小さく息をつく。
仮面の隙間から白い息が漏れ、それを合図にしたのか目の前の人物はゆっくりと口を開いた。
「・・・君が、あいつの関係者か?」
低めの声、渋いとまではいわないが成人男性のそれであるということがわかる。身長に加え顔のしわの具合から見て三十代後半といったところだろうか。
一端の魔術師ならばかなり場数を踏んでいるかもしれないなと思いながら康太は相手の問いに答えることにした。
「・・・あいつというのが誰のことか理解しかねる。俺はそれを確認しに来たんだ。あんたの探している人物が、いったい誰なのか、何者なのか、そして何を目的にしているのか」
「・・・それは君があいつの関係者であると認めてるとみていいのか?」
「特徴だけを言われても正直判断しかねるといっているんだ。あんたの言う特徴をもう一度教えてくれ。そして何があって、何が目的で探しているのか」
康太が対話をする用意があると理解してなるべく対話をしようと相手も気持ちを落ち着けようとしているように見えるが、何やら焦りのようなものを感じる。
妙に早口で、結論を急いでいるように思えるのだ。
何をそんなに焦ることがあるのかと康太は周囲の索敵を密にしていく。もしかしたら誰かに追われたりしているのかもしれない。不意打ちを受けないように周囲の警戒を怠らないようにしていると目の前の男は大きく息を吸って自身を落ち着かせようとしていた。
「私が探しているのは『亀裂の入った仮面を身に着けた女性』だ。黒い外套に身を包み、刃物のようなものを扱う」
この特徴だけを聞けば協会の魔術師ならば誰しもがデブリス・クラリス、つまりは康太の師匠である小百合のことを思い浮かべるだろう。
この時点で多くの人間がかかわりたくないという考えを抱き、会話を終わらせようとしてきたと聞く。
だが康太はその先が知りたかった。
「・・・その特徴に該当する人物を確かに知っている。だがその特徴はいくらでも模倣することができてしまう。他に特徴は?」
「・・・その前に教えてくれ、君とその人物の関係は?」
「・・・それを言う義務はない。俺がお前と話をしているのはあくまで俺の興味と善意であることを忘れるな」
こちらは情報をほぼ無償で提供しようとしている。相手が求める情報を持っているという時点で交渉のアドバンテージはこちらが握っているのだということを康太は強くアピールしようとしていた。
相手からすれば康太の少々強気な発言に苛立ちを感じながらも、どうしてこのタイミングで康太が話に出てきて、実際に指定の場所で待ってくれていたのか、その理由を考えて納得がいく。
「・・・興味・・・か・・・君にとって私の存在はひどく不気味だったようだね・・・」
協会の人間ではない人物が知り合いを探している。それだけで康太たち関係者からすれば不安に思うこともあっただろう。
今まで話を聞いたであろう魔術師たちの反応や今康太としたたったこれだけのやり取りで相手は康太の考えや目的をほぼ正確に理解しているようだった。
「そこまでわかっているなら話が早い。お前はなぜその女を探している?その理由と目的によっては仲介してやる」
ここで初めて康太が仲介するという交換条件を出したことで、相手は好機であると判断したらしい。
ここで情報を出し渋れば康太は身を引いて手掛かりが本当にゼロになってしまうことを恐れたのだろう、わずかに考えるそぶりをしながらどこまで話すかを考え、その人物は口を開いた。
「その女は・・・私の妻と子を殺したんだ」
土曜日なので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです