43話 及己の激情
杳は掘り返された墓の周囲の土に、そっと手のひらを当てる。
この地の声、ここに残された思念、そのすべてに意識を沈め犯人の痕跡を探るために。
その隣で及己もまた静かに索敵を始めていた。
何かを感じ取り、先に動いたのは及己だった。
すっと立ち上がったかと思うと、その視線は土地の南東――結界の境界線がある方角を真っ直ぐに見据えている。
杳がその気配の変化に気づき顔を上げたその瞬間、及己の姿は陽炎のように消えた。
犯人の許へ向かったのだと直感的に悟る。
杳はもどかしさに唇を噛み締めながら、再び意識を土地へと集中させた。
及己が最後に見ていた方角、そこへ至る最短の道を土地の記憶の中から探し出すために。
一方、及己は結界の境界線近く、草むらの影で倒れ伏す二人の男を発見していた。
深手を負い、呼吸は浅く細い。彼らの衣服に染み付いた土の匂いは槐の座棺から漏れ出したものと同じ香りがした。
――間違いない。
――こいつらが墓を荒らした者だ。
夥しい量の血が地面に黒い染みを作っている。このまま放置すれば確実に息絶えるだろうことは容易に想像できた。
――それでいい。
――槐さんを辱めた、当然の報いだ。
一瞬、冷たい怒りが彼女の思考を完全に支配する。
だがその直後、脳裏をよぎったのは生前の槐の姿だった。
友人だと何のてらいもなく言い、茶を勧め、人の世を楽しそうに語ったあの顔。
――彼なら、どうしただろうか。
「……っ!」
及己は感情を押し殺すように歯を食いしばると、倒れ伏す二人に手のひらをかざした。
淡い光が広がり、裂けた傷口を塞ぎ血を止めていく。
命の危険がなくなったことを確認すると、もはや二人に一瞥もくれることなく、その場に残された痕跡へと意識を向けた。匂い、足跡、そしてこの先に続く、明らかに異質な気配の残滓。
それらすべてを手繰り寄せるように、索敵の精度をさらに上げる。
槐の手首が、どこへ持ち去られたのか――その場所を特定するために。
そして辿り着いたのは、結界を抜けた先に広がる荒涼とした岩山だった。
乾いた風に削られた岩肌の中腹に、不自然な洞穴が口を開け、その周囲をかつてアイドランが作り出したものと同質の小鬼たちがうろついている。
岩山に現れた及己の姿を認めるや否や、小鬼たちは一斉に獣じみた奇声を発しながら襲いかかってきた。
だが、及己は、その全てを無視した。
彼女の周囲に張られた見えない力の壁が、小鬼たちの爪や牙を、触れることすら許さずに弾き飛ばしていく。
その歩みには一切の躊躇も殺意すらない。一つの目的のためだけに、障害を排除していく機械のような冷徹さだけがあった。
まっすぐに、洞の奥へ。やがて、最奥のひときわ広い空間へと辿り着く。
その中央、祭壇のように設えられた大岩の上に――それはあった。
無造作に、まるで何の価値もないガラクタのように置かれた、槐の右手首。
及己は何も言わず、大岩へと歩み寄る。
そして魔法とも言える力で編み上げた柔らかな風呂敷を作り出すと、壊れものを扱うように、そっと丁寧に包んでいった。
その静かな所作に、周囲を囲んでいた小鬼たちはただ呆気に取られていた。
やがて我に返った一体が狂ったような叫び声を上げ、及己へと躍りかかる。
及己は見向きもせず、ただ空いている方の手のひらを静かに向け、小鬼がその手のひらを認識した、その瞬間――声もなく、小鬼は消し炭へと変わった。
「オノレ!」「ヨクモ!」
一瞬とも言える出来事に、小鬼たちが状況を飲み込めず動きが止まる。しかし、すぐに怒号とも悲鳴ともつかぬ声を上げ、周囲の小鬼たちが一斉に殺到した。
だが、及己はもはやそれに応じることすらしない。両腕に槐の手首を大事そうに抱えたまま、その身を中心に灼熱の光を放つ。
放射状に広がった閃光は近くにいた小鬼たちを、洞そのものを、そして岩山全体を一瞬で飲み込み、焼き尽くし、爆ぜさせた。
岩の天井を貫いた熱線が、天へと一直線に伸びていく。
その頃、杳は墓を荒らした犯人たちが倒れていた場所へようやく辿り着いていた。
どちらへ進むべきか土地の声を探りながら迷っていたその時、空に一筋の光の柱が立ち上るのが見えた。
――あそこか。
場所を定めると、彼は迷いを断ち切るように、その光を目指して再び駆け出した。
焼け焦げ、崩れ落ちた岩山の中、穴にいた小鬼の生き残りは一体だけとなっていた。完全に怯え、地に伏して震えるその姿を及己は温度のない瞳で見下ろす。
「話を聞くのは一人でいい」
静かな声が、瓦礫の隙間に落ちる。
「……何が狙いだ」
「……! ……!!」
恐怖に喉を締め付けられ、小鬼は意味のある言葉を発せない。
「……質問に答えろ」
「シラナイ……!」
「……そうか」
及己は、それ以上何も問わなかった。
「……じゃあマーキングさせてもらおう」
指先を、小鬼の額に当てる。
「主が戻ったら伝えろ。――決して逃さない、と」
それだけを告げると、及己はもはや一瞥もくれず、風呂敷包みを胸に抱え、踵を返した。
岩山の麓へ辿り着いた杳は目の前の光景に言葉を失っていた。
そこにあったはずの岩山が半分ほど消し飛んでいる。崩れた岩と土が広範囲に散乱し、まだ熱を帯びた煙があちこちから立ち上っていた。
その破壊の中心から、及己が静かに歩み出てくる。腕に、風呂敷包みを大切そうに抱えて。
杳は駆け寄り、その包みと瓦礫の山を交互に見やる。
「……おまえがやったのか……?」
「……我を忘れた」
あまりにも短い肯定に、杳は思わず天を仰いだ。
「そりゃ、おれも腹は立ったけど……これはやりすぎだ」
「……かもね」
「でも、これくらいやったら牽制にはなるんじゃないかとも思っている」
そのどこか挑発するような響きに、杳の声が強まる。
「そんなやり方おれは望まない。……祖父さんだって望まなかったはずだ」
「……」
「やりすぎだ」
「……そうだね」
しばしの沈黙。
やがて、及己がぽつりと、杳の名を呼んだ。
「杳」
「なんだ?」
「――私が怖くなった?」
その問いに、杳は一瞬だけ息を詰め、そしてゆっくりと首を横に振る。
「……いいや。ただ、これまで『おまえを持て余す』とか言われた意味が分かった気がする」
「……」
「まあ、その言い方も腹立つんだけどな。なんだその『モノ』みたいな扱い」
杳は続ける。
「おれは、おまえのやりたいようにやればいいと思ってる。……でもな」
一度言葉を切り、きまりの悪そうに俯く及己の目を、真っ直ぐに見据える。
「バツが悪そうにするくらいなら最初からすんな。控え目にしとけ」
「……うん」
「でも、あの墓を荒らした奴らをそのまま放置しなかったのは……よく堪えたと思う」
「……うん」
杳のその静かな肯定に、及己の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。




