40話 二人の魔族
「おれ、話せば分かるって……これまでずっと思ってたけど、無理そうな奴もいるって学んだよ」
「それはいいことを学んだね」
及己はどこかひどく疲れた声でそう答え、隣の廉もまた、深く何度も頷いていた。
杳はこれまで出会った魔族の性質を振り返りながら、心底辟易したように続ける。
「本に閉じ込められた奴はこんなのしかいないのか」
「こんなだから封印されたんだよ」
「うわぁ、説得力しかないなぁ」
達観したようにどこか遠い目をして答える及己に、杳は心底イヤそうな顔をして残り二体もあんなんか、しんどいな、と杳はぼやく。
だが、その三人のひそやかなやり取りをアイドランはまったく別のものとして受け取ったらしい。
自らの威光に圧倒され、言葉を失っているのだとでも思ったのだろう。顎を尊大に持ち上げ、満足げな笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
杳の呟きすらも、彼の中では『魔族という存在は、かくも偉大なのか』という感嘆へと変換されているようだった。
ただし『魔族』という呼称だけは、彼の肥大した自尊心に触れたらしい。
「魔族だと? その呼称は人間どもが勝手に言い始めたものよ」
「……?」
「超常の力を、人間どもは『魔力』と言った。そして、その力を持つ我らを『魔族』と呼ぶようになったのだ」
――そういえば、及己も、そんなことを言っていた気がする。
ふと、以前聞いた話が記憶に蘇る。
「超常の力とは、すなわち神の力のこと。そう、我らは神に等しい存在なのだ!」
「……神……?」
――じゃあ、及己も……?
「余が神と同等と知って慄いたか? 我が威光の前に自らの存在が塵芥に等しいとようやく覚ったか? ならば跪け! 矮小な人間よ!」
そのあまりにも独りよがりな結論に、それまで黙っていた及己が心底呆れ果てたというように、深く、長いため息を吐いた。
「……色々、違う」
呆れの滲んだ及己の声にアイドランがすかさず反応した。
「違うだと……!? 貴様ごときが何を知っているというのだ!」
話の腰を折られたのがよほど癇に障ったのだろう。アイドランの顔に露骨な青筋が浮かぶ。
「神と同等じゃない。神界の民が人間界に降りて、魔族と呼ばれる者になるんだ。むしろ使者と同等の力とでも言え。誇張するな」
子供に言い聞かせるような淡々とした口調。
その温度差が、かえって残酷に響いた。
「すまん……ちょっと、考えきれない……」
「考えなくていいよ」
あまりにも次元の違うやり取りに思索が限界を超えたらしく、混乱のあまり頭を抱えた杳にきっぱりと及己は言い切った。
「人間より強いから、人間が知らないからと適当なことを言って驕っているだけだ」
「なんだと……!? 貴様、この余を誰だと思っている!」
「誰って……」
及己は心底から憐れむように答えた。
「――蛙だろ。井の中の」
そして、彼女は裁定者として隣の杳に視線を向ける。その金の瞳にはもはやアイドランという存在すら映っていなかった。
「杳。こいつをどうする?」
杳の視線をまっすぐに射抜く。
「――斎主の杳が決めろ。封印か、滅殺か」
その問いに、杳は一切の迷いなく答えた。
「――封印」
「……わかった」
及己は異を唱えることもなく静かに頷いた。
「――封印、だと……?」
その一言が、アイドランの理性の楔を引き抜いたらしい。
「この余をッ封じるだと……!? 身の程を知れ!塵芥がァッ!!」
咆哮と同時に、アイドランの全身から黒紫色の魔力が噴き上がり、奔流となって周囲へと溢れ出した。
空気そのものが悲鳴を上げるように震え、森を覆う木々は見えない圧力に押し潰され、根元から軋む不快な音を立て始める。
廉が反射的に杳の前へと躍り出た。懐から抜き放った短刀で地面に一息に円を描くと、その軌跡は淡い光を帯び、不可視の壁となって杳の身体を包み込む。
直後、アイドランから放たれた魔力の衝撃波が嵐のような勢いで森を薙ぎ払った。
枝は折れ、葉は舞い、地表はえぐられるが、そのすべては壁の手前で押し止められ、杳の衣の裾はわずかにも揺らぐことすらなかった。
「……ルイ・ブライン! そして小賢しい人間どもよ!」
「我が王国の礎となる栄誉を与えてやろう!」
天から見下ろす絶対的な捕食者のように、アイドランはゆっくりと両腕を広げる。
その掌の内側で、圧縮された魔力が空間そのものを歪ませながら凝集し、やがて二つの黒い太陽のような塊となって姿を現した。
先ほど小鬼が放った光弾などとは比べものにならない、純粋な破壊そのもの。
だが、その圧倒的な力の顕現を前にしても、及己はただ静かにそこに立っているだけだった。
嵐が訪れる直前の凪のように、森が悲鳴を上げる中で、及己の周囲だけが不自然なほど静まり返っている。
アイドランの咆哮と共に凝縮された魔力が解き放たれ、光の槍となって及己へと殺到する。
岩を砕き、鉄を溶かし、触れたものすべてを消し飛ばす純粋な破壊の奔流。
だが――。
及己はそれを、ただ差し出した手のひらで受け止めた。
轟音も衝撃波もなく、激流が深淵へと吸い込まれるように、光の槍はその小さな手のひらに触れた瞬間、跡形もなく消滅した。
「……な……」
アイドランの瞳が、生まれて初めて見る理解不能な光景を前にしたかのように大きく見開かれる。
「……随分と大袈裟だな」
ぽつりと零れた呟きは、場違いとも言えるほど冷め切っていた。
「なんだと……?」
「その程度の力でよくも神だの王だのと名乗れたもんだ」
及己はゆっくりと天を仰ぐ。その金の瞳には、憐憫と、それ以上の純粋な失望が滲んでいた。
次の瞬間、アイドランは気づく。
いつの間にか、及己が上空、己の眼前に立っていることに。
飛行でも跳躍でもない。まるで、最初からそこに存在していたかのように。
及己は静かに指先を伸ばし、逃げ場のない距離でアイドランの額へと近づけていく。
「――おまえは王などではない。ただの矛盾と虚勢の塊だ」
その言葉と共に指先が眉間に触れた。
それだけでアイドランが身に纏っていた魔力の鎧はガラスのように砕け散り、その体は天から地へと鞠をつくように勢いをもって叩きつけられた。何本もの木々をなぎ倒しながら、アイドランは土煙の中から体勢を立て直す。
そして、憎悪に歪んだ瞳で、ゆっくりとこちらへ歩を進める及己を睨みつけた。
「……おのれ……魔女め……!」
及己の表情には、怒りすらなかった。あるのは、心底からの呆れだけ。
「おまえの下僕など、せいぜい己から切り出した分身程度だろう」
一歩、また一歩と距離を詰めるその足取りは、断頭台へと向かう罪人を見送る執行人のように、どこまでも静かで冷徹だった。
「私にはおまえは王を演じたいだけの子供に見える」
魂の根幹を否定されたその言葉に、アイドランの理性は完全に弾け飛ぶ。
「黙れ黙れ黙れェッ!!」
残されたすべての魔力を解き放ち、その身体はより巨大で、禍々しい異形へと変貌していく。だが、その光景を前にしても、及己の瞳は一切揺らがない。
「――王と言うなら、ただの矛盾と虚勢の王だ」
それは誰に向けたでもない、不毛な遊戯の終わりを告げる静かな宣告だった。
巨大な異形が、天を衝くほどの魔力を完全に解き放つその刹那――及己はただ、その中心へ指先を向け、
「――砕けろ」
と、静かに呟いただけだった。
内側から弾けるような甲高い音と共に、アイドランの絶叫は言葉になることなく霧散し、その身は無様に地へと崩れ落ちる。
倒れ伏すその姿を見下ろしながら、及己は淡々と封印の句を読み上げた。
「――『アイドラン。その傲慢故に個とその価値を破壊し尽くした偽りの王。その罪により、汝が拠り所とする『威』と『飾』を封じる。孤独の中で空虚を知れ』」
読み終えると同時にアイドランの身体は意味を失った文字の羅列へと砕け散り、やがて一枚の古びた羊皮紙となって、静かに地へと落ちた。
先行投稿分に追いついたのとストックが尽きたため、明日から1〜2日に1回、21:20分更新になります。
ペースを崩さないようにがんばります。




