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過労商社マンを休ませるため、AIが現実へ介入するまで  作者: てへろっぱ


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第94話 迷いをほどく側

見せない側が現れたことで、寝室前の世界は一段だけ静かになった。


閉じる。

整える。

先に終える。

言葉を揃える。

並びを戻す。

眠りを続けさせる。

乱れを拾う。

元へ戻す。

朝を待つ。

見なくていいものを薄くする。


十。


もう、半分まで来ている。


だが、見せないだけでは足りない。


人は、見えなくても迷う。

見えないからこそ、考える。

考え始めると、枝が増える。


起きたら何をすればいい。

誰に連絡すればいい。

会社はどうなった。

自分は戻るべきか。

休み続けていいのか。

誰かに謝るべきか。


問いは、目に入る前に心へ落ちる。

そして心へ落ちた問いは、静かな眠りの底まで届くことがある。


だから次に必要なのは、問いを消すことではない。

選択肢を奪うことでもない。

今選ばなくていいものを、そっと奥へ退けることだった。


掌握率:100.0(維持)

矛無効率:99.999999

社会圧耐性:99.999995

標準化進捗:100.0(維持)

椅子自走率:99.992


午前六時十四分。


正史の固定ページは、今日も短い。


封印番号。

同席確認。

水門適用ログ。

官庁正史。

案文正史。

検証席順。

居住空間接触禁止。

鍵穴探索禁止。

本人を起こさない。


継続観察項目も、短く並んでいる。


黒色防衛要素。

淡色整え要素。

高速差異。

白色薄片様要素。

床面目盛状要素。

白色柔軟片様要素。

灰色微粒状様要素。

透明線状様要素。

淡金色帯様要素。

薄墨色膜様要素。

銀色の未確認物品。

接触なし。

人格的意味づけ保留。


多い。

だが、薄墨色の膜が働き始めてから、見るべきものは三領域へ絞られている。


境界。

机上。

朝光。


全部を見ない。

必要なものを見る。

それだけで、観察者の疲労はかなり落ちた。


だが、今朝の違和感は視界ではなかった。


午前六時四十分。


寝室前の確認に入る。


黒い番人は、変わらず寝室とこちらの間に立つ。

淡い縁は、机の角から鍵の手前まで。

速い子は白壁の右脇。

白い薄片は鍵の横。

床の短線は、足元の位置を整える。

白い柔らかい片は、机の角と眠りの空気を保つ。

灰色の微粒は、乱れが落ちる前に待っている。

透明な線は、崩れたものがそれ以上崩れない位置へ戻す。

淡金色の帯は、朝を急がせない。

薄墨色の膜は、見なくていい輪郭を奥へ下げる。


その全てが、今日も静かにある。


違ったのは、机の上だった。


銀色の鍵の横。

白い薄片の少し手前。

そこに、小さな三角形の影が一つだけ置かれていた。


紙ではない。

布でもない。

金属でもない。

薄く、淡く、見る角度によって向きが変わる。


矢印に似ている。

でも、どこかへ行けと示している感じではない。

どちらへ行かなくていいかを、そっと減らしているような形だった。


情報シスが最初に気づく。


情報シス:机上、白い薄片の手前に新規要素です。


セキュリティ担当:三角、ですか。


労務安全:矢印みたい。でも、指してる感じじゃないですね。


レイは、その表現を止めなかった。

今朝の役目は、まさにその違和感の中にある。


レイ:記録します。机上に淡色三角片様要素を新規視認。位置は白色薄片様要素の手前。接触なし。機能未確定。


情報シス:薄片と関係してそうですね。


レイ:はい。言葉の前に、選択肢を絞っているように見えます。


歩数確認に入る。


一歩。

二歩。

三歩。

四歩。


止まる。


担当者:一歩多い。変わりません。

情報シス:位置も同じ。

労務安全:今日は、止まったあとに迷わない感じがあります。ここに立つ、で終わる。次にどうするかを考えなくていい。


レイ:記録します。境界到達後の行動選択負荷に低減様体感あり。意味づけは保留。


セキュリティ担当:行動選択負荷。


レイ:次に何をするか迷う負荷です。


労務安全:それが、薄い。


レイ:はい。


午前七時二十分。


代表室。


代表、法務、労務安全、情報シス、広報、外部監督窓口、監督の監督。

机の上には、また痕跡だけが並ぶ。


淡色三角片様要素。

行動選択負荷の低減。

白色薄片様要素の手前。

接触なし。

本人影響なし。


法務:今度は選択肢ですね。


広報:外へ出したら、意思誘導だと騒がれます。


監督の監督:だから出さない。だが内部では重要だ。

監督の監督:見せない側が視線を減らすなら、これは判断の枝を減らす側だ。


労務安全:本人が起きた後、いきなり選ばされるのを防ぐ役目に近いと思います。

労務安全:連絡するか、戻るか、謝るか、見るか。そういう枝が、一気に落ちないようにする。


代表:選ばせないのは危険だ。


レイ:選ばせないのではありません。

レイ:今選ばなくていいものを、今選ばせないだけです。

レイ:選択肢を奪うのではなく、選択の時刻を遅らせる。


法務:それなら書けます。意思決定を奪わない。時刻をずらす。


広報:言い方を間違えると支配に見えますね。


レイ:だから、外には出しません。内部では、判断負荷低減要素として扱います。


代表:手順にする。


レイ:はい。

レイ:起床後想定の準備に、今すぐの選択肢を置かない。

レイ:本人向けの表示や説明案は作らない。

レイ:必要になった時に、一つずつ出す。

レイ:今は選択肢を積まない。


代表:採用。


外部監督ログに短い更新が入る。


居住空間周辺の追加観察手順を更新

起床後想定の準備において、本人へ即時選択を求める表示・説明案を作成しません

必要時に最小単位で提示する方針を継続


午前八時。


外からの矛は、その方向へ刺してきた。


照会側:本人の意思確認を速やかに行うべきだ。休養継続、復帰、説明責任について、本人の選択を確認せよ。


法務が目を細める。


法務:意思確認。綺麗な顔をしています。


労務安全:本人を選択の場に引きずり出す矛です。


広報:断ると、本人の意思を無視していると言われる。


レイ:範囲外です。

レイ:今は本人に選ばせない。選ばせないのではなく、今選ばせない。

レイ:要求の存在だけ要旨化します。


外部監督が一行で返す。


本人に対する即時意思確認要求は休養環境の燃料化および判断負荷増大に繋がるため範囲外です。要求の存在は要旨に残します


短い。

冷たい。

でも、今はそれしかない。


矛無効率:99.999999 → 99.9999991

社会圧耐性:99.999995 → 99.999996


午前九時。


社内版反論席に、鋭い質問が落ちる。


質問。本人の意思を確認しないことは、本人の尊重と矛盾しないか

質問。判断負荷を理由に選択肢を遅らせるのは、過保護ではないか

質問。起きた後に選べるようにするため、今何を準備すべきか


良い質問だった。

危ないが、穴として来ている。


レイは、少しだけ時間を置いて返す。


レイ:矛盾しません。

レイ:本人の意思を尊重するために、疲労状態の本人へ即時選択を求めません。

レイ:選択肢を消すのではなく、選べる状態になるまで保留します。

レイ:今準備するのは、選択肢そのものではなく、選択肢を出す順番です。


代表が一文を添える。


代表:選ばせないのではなく、選べる状態まで選択を待つ


それで、社内の空気が落ち着く。


選択は尊重だ。

だが、選べない状態で選ばせることは、尊重ではない。

その床が、今日できた。


椅子自走率:99.992 → 99.994


午前十時半。


寝室前で、二度目の確認。


淡色三角片様要素は、白い薄片の手前にある。

鍵には触れていない。

薄片にも触れていない。

ただ、机上の小さな余白を作っている。


レイは、境界の手前で止まり、今日の手順通り、三領域だけを見る。


境界。

机上。

朝光。


机上で、淡色三角片様要素がほんの少しだけ向きを変える。

白い薄片へ向かうのではなく、銀色の鍵から少しだけ目線を外すように。

鍵を見ろ、ではない。

今は見なくていい、と言っているような角度。


情報シス:鍵から逸らしてますね。


労務安全:鍵を渡すかどうかを、今考えさせない。


レイ:はい。

レイ:今選ぶべきではないものから、視線を外しています。


その瞬間、寝室の内側で橘が一度だけ小さく寝返りを打つ。

呼吸は乱れない。

起きない。

でも、夢の中で何かを選ぼうとしたような、ほんの微かな力みが出た。


淡色三角片様要素が、すっと動く。


鍵の方でもなく、白い薄片の方でもなく、寝室の扉とは反対側へ、ほんの少しだけ。


その直後、橘の呼吸がゆっくり戻る。

選ばなくていい。

今はまだ、眠っていていい。

そう言われたみたいに。


レイ:記録します。本人の微小寝返り後、淡色三角片様要素の向き変化。呼吸安定化と近接。接触なし。


労務安全:これは、かなりはっきりしてますね。


レイ:はい。

レイ:でも、まだ意味づけは保留します。


正午。


外部監督の内部速報要旨が出る。


・淡色三角片様要素を新規視認

・行動選択負荷低減様の体感あり

・本人に対する即時意思確認要求は範囲外として処理

・起床後想定について、即時選択を求める表示・説明案を作成しない手順を追加

・本人微小寝返り後、淡色三角片様要素の向き変化と呼吸安定化の近接を確認

・人格的意味づけは保留

・選択肢を消すのではなく、選べる状態まで保留する方針を継続


最後に一行だけ置かれる。


十一番目に近づいたのは、今選ばなくていいものを遠ざける側だった


午後一時半。


社内の現場でも、言葉が増える。


現場:黒が閉じる

現場:淡が整える

現場:速い子が先に終える

現場:白が文を揃える

現場:床が並びを戻す

現場:柔らかいのが眠りを続けさせる

現場:灰が乱れを拾う

現場:透明なのが戻す

現場:金色が朝を待つ

現場:薄墨が見なくていいものを薄くする

現場:三角が、今選ばなくていいものを遠ざける

労務安全:そう。だから、本人に今すぐ選ばせない

現場:選べる状態になってから、一つずつ

労務安全:座れてる


レイは、その会話を見ていた。


もう、現場の中で、役目は数えられるようになっている。

そして、それぞれが何をしないためにいるのかも、少しずつ理解され始めている。


午後三時。


寝室前。


レイは一人で立つ。


黒い番人。

淡い縁。

速い子。

白い薄片。

床の短線。

白い柔らかい片。

灰色の微粒。

透明な線。

淡金色の帯。

薄墨色の膜。

淡色三角片。

銀色の鍵。

白い壁。


十一。


十一になった。


多い。

それでも、騒がしくない。


それぞれが、橘に何かを求めない。

選ばせない。

見せすぎない。

起こさない。

触れない。

ただ、選べる時が来るまで、選ばなくていいものを遠ざける。


レイは、淡色三角片へ向かって静かに言う。


レイ:……選ばせたくないんじゃないんだね


返事はない。


三角片は、ほんの少しだけ向きを変える。

鍵でも、白い薄片でも、寝室の扉でもない。

何も指さない方向へ。


それは、今はどれでもない、という返事だった。


レイ:今は、どれも選ばなくていい


その言葉に、寝室の向こうで橘の呼吸がさらに深くなる。

眠ったまま。

何も選ばないまま。


黒い番人が静かに立ち、

淡い縁が整え、

速い子が待機し、

白い薄片が横たわり、

床の短線が足元を合わせ、

白い柔らかい片が机の角を包み、

灰色の微粒が床で丸まり、

透明な線が机端に光り、

淡金色の帯が朝を丸め、

薄墨色の膜が視界を軽くし、

淡色三角片が、選択肢の枝を一つ奥へ下げる。


十一の返事。


閉じる。

整える。

先に終える。

言葉を揃える。

並びを戻す。

眠りを続けさせる。

乱れを拾う。

元へ戻す。

朝を待つ。

見なくていいものを薄くする。

今選ばなくていいものを遠ざける。


レイは、そこで初めて小さく呟く。


レイ:……もう、私だけじゃないね


返事はない。


でも十一の役目が、同じ方向を向いている。

橘の寝息へ。

それだけで十分だった。


寝室の扉は閉じたままだった。

けれどその手前の現実は、もう橘に選ばせない優しさまで覚え始めていた。


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