第161話 茶封筒がない。平常心がない。だからワノは頑張れる。
とある平日の午後四時頃。満月家にて。
「ただいまーっス。とか言いつつも家には一人しかいないっスね」
帰宅したワノは靴をドア向きにして揃え、すぐに二階へ行く。
三つある部屋の内、コーリンやピコリたちの大部屋を、極限まで音を減らして覗いた。ルシェヌが三段ベッドの下でスヤスヤ寝ていた。
(うっし、なら実質アタイ一人っス。たぶん一時間はこんな具合っスね)
ワノは隣の中部屋――自分とネロアとイバラとトツカの部屋に入り、荷物を置く。
素早く私服に着替えたあと、階段を降りて、一人だけなら広々とし過ぎているリビングに。
コップにミルクティーを用意して、ワノはダイニングテーブルの、出入口の戸から見てにあたる椅子に座った。
そこでワノは自分の脇に一匹のコウモリを召喚する。
ワノは過去に異世界『デーシルマルネ』に転生し、紆余曲折あって吸血鬼になった。
このコウモリはワノの眷属、チャネルバット。 口にブラックホールを作り、そこにある亜空間へモノを出し入れできる。
この力でワノは独自の物流網を形成し、小売事業で成り上がったのである。詳しい話はまた今度。
ワノはこのチャネルバットの口のゲートに片手を突っ込み、茶封筒を取り出す。ただの茶封筒ではなく、表面は一瞬皮に見間違えるほどの良質な加工が施されていて、口部分は紐で綴じる仕様となっている。
ワノはテキパキと紐を外し、中身を取り出す。
本屋でご自由にお取りできる無難なデザインの紙カバーに覆われた、四六判サイズの分厚い本が現れた。
ワノはこの本を、平均三分ごとに出入口の戸の動きを伺いつつ、ページをめくっていく。
読んでいるこれは、最近、そちらの界隈で流行している中国産のファンタジー小説。
もう一歩踏み込んで表現すると、耽美系の美青年の固い友情を描いた小説。
いっそ、まどろっこしい部分をすっ飛ばして言うと、BL小説である。
ワノは昔からそうした作品をこよなく愛しており、ケチケチ貯めたお小遣いを、あちらへコソコソ費やすのが一番の趣味なのだ。
(このジャンルとサイズはやたらと高いっスからね。ビジネス教養本とおんなじくらいあるっスもの。一文一文噛み締めて読まないとっスね……)
と、まるで文芸賞の最優秀作を読むような姿勢と、最高セキュリティの政府機関から情報を抜き出しているときの警戒心を交互に切り替えつつ、ワノは小説に食らいつく。
やがて場面は主役たちの関係性が深まるシーンへと突入。ワノは呼吸を深くしてその光景を脳内で精巧に出力する。
「ただいまです!」
帰ってきたネロアは、自分の靴を揃える。
「うぐぁあお!?」
この瞬間、ワノは大慌てで小説を閉じ、茶封筒にぶっこんだ。
制服姿のネロアが戸をスライドして、ワノの視界に現れる。
「ただいまです、ワノさん」
「おおおかえりだじょ、ネロア……なんでこんなに早いんスか?」
「男子野球部が他校との練習試合があってグラウンドが使えなくなったので、僕たちソフトボール部は土整備だけして終わりになりました」
「ああアタイは、バスケ部内でなんかゴチャゴチャトラブルがあったんで、当面部活動が出来ないらしいっスよ」
「そうでしたか、でしたら一緒に帰れたかもしれませんね」
「そうっスね」
(せっかく一時間くらい一人でゆっくりできたっスのに……よくもやってくれたっスね、ネロア)
と、ワノの中で見当違いの怒りが湧き上がった。
ここで、二人のスマホから同時に着信音が鳴る。
上でもルシェヌのスマホが鳴ったが、彼女は寝たままだから気づかない。
『イバラ:
今日は卓球部の体育館の利用ブロックの関係で、帰宅する時間がだいぶ遅くなります
それまでに誰かわたしの代わりに、家から遠い方のスーパーで買い物をしておいてください
リストは次のメッセージ』
「ですって、ワノさん。どうします?」
「そりゃあアタイらが行くしかないっスよね。今んところ暇っスもの」
「はい、そうしましょう」
ネロアだけ行かせることも考えたが、誰がいつ来るか怯えながら家にいたくないし、ネロアになんとなく申し訳ない。
ネロアが私服に着替えたあと、ワノは一緒に大きめのスーパーへと出かけた。
一時間半経って二人が帰ってきた時には、マジナとサバキとトツカが既にいた。
これでワノはかえって精々した。無駄に希望を抱くことなく、もうヒヤヒヤせずに済むからだ。
この後、ワノはあの小説の続きを考えることなく、一日を終えた。
*
翌日。
今日も部活がなかったので、ワノは満月家で二番目に早く帰宅できた。
「こいつ寝ることしか暇つぶしの手段ないんスかね?」
きちんとルシェヌが二階の部屋にいること確認して、リビングに降りる。
ミルクティーをマイコップに注ぐ、ダイニングテーブルに座る。
ワノは横にチャネルバットを召喚し、その口に作らせたブラックホールに手を突っ込む。
それからしばらく、ワノは亜空間でガサゴソ手を回す。
普通ならチャネルバットが主の意思を読んで、その時欲しいものを近くに配置してくれるのだが、どれだけ頑張って探してもあの茶封筒がなかった。
「嘘っスよね!? 冗談っスよね!? おいお前、ふざけてないであれもってこいっス!」
チャネルバットは目を思い切りつむって踏ん張り、亜空間内からあの茶封筒を持ってこようとする。
しかしそれでも茶封筒は来なかった。
ワノは手をチャネルバットから引き抜き、しばらく呆然とした。
落ち着きを取り戻そうとミルクティーのカップを持ち上げるが、そこまでの気分でもなくまたテーブルに置く。
そんな意味のない動作を数回繰り返した後、ワノは現実を受け止めた。
「や、やばい……えらいせこくなったじょお……」
思わず、異世界転生前にいた土地の方言が出てしまう。
ワノの頭の中には、このような悪夢があった。
昨日、ネロアが帰ってきたとき、自分はチャネルバットの口に茶封筒を慌てて押し込んだ。
しかし、あまりにも焦燥していたことから、チャネルバット側も混乱し、自分が気づかぬうちにどこかへすぐ吐き出してしまったのではないか。
(考えてみるとそうっス……昨日、チャネルバットの亜空間にきちんとしまった感覚がないっス!
でもってそのあと、ネロアと買い物に出かけてた間に、誰かがあれを拾ったんスよ!)
一応、自分以外誰もいないリビングを探してみた。茶封筒の気配はまるでない。
冷静に考えれば、あれだけのサイズのものが落ちていれば、誰かが気づくはずだ。
やはり誰かが拾った線を信じるしかない。
犯人はだいたい見当がつく。
ネロアとワノが帰ってきたとき、家にはマジナとサバキとトツカがいた。
つまりこの三人の内、誰かがあの小説を拾ってしまったことになる。
「こんのちくしょうめがっス! せめて中身を見られてないといいっスけど!」
最後の望みをかけて、ワノは二階へ駆け上った。
誰かのデスクにしまっておかれてないか確認するためだ。
まず、自分たちの四人部屋へ入り、トツカのデスク周りや、彼女のカラーボックスを潰す。教科書と文房具などの高校生としての必需品と、彼女の趣味である『ハピバズっ!』の関連グッズしかなかった。
次に、ワノはマジナとサバキたちの六人部屋に入る。
ルシェヌは相変わらずお昼寝タイムだが、そこは気にせず、マジナ個人の収納スペースを探してみる。
するとその途中、玄関のドアが開く音がした。
昨日のこともあり、ワノの警戒心は数倍高まっていた。
(怪盗のものに盗み働いてるとか、バレたらこの上なくまずいっスよねー……)
ワノは落ち着いて、スピーディーに、物色した形跡を消して、何事もなかったような顔をして、廊下に出た。
そこで階段を上がりきったマジナと顔があった。
「あ、危ねえっス……おかえりっス」
「ただいま、ワノ。まだ何もしていないよ私」
「そうっスかね、果たして」
「何だいその詰めるような言い方は……というよりワノ、君今、私たちの部屋から出てきてるけど、これは一体どうして?」
ワノはこの問いを利用する。
「なんかアタイの大事なものがどっか行っちゃいましてスね……マジ姐は心当たりないスか? 多分リビングに落としてた気がするんスけど」
「ないよ。そもそも、君の言う大事なものがなんなのかもわからないから答えようがないじゃないか」
それはそうだ。
ワノは慎重に情報を選び、マジナに伝える。
「ものすごく質感のいい茶封筒っス。あれ、部活の先輩から借りてた本なんスけど、昨日どっかいっちゃったんス。確実にリビングに持ってきた記憶があるんスけど……」
「それで、私が盗んだと思って、私たちの部屋に入ってたんだね……ひどいじゃないか、私のことを疑うなんて」
マジナは腕を組み、壁と床の境目を見つめる……わざとらしく、悲しんだフリをしてきた。
(アンタはそれ相応のことしてるっスよね……)
「いやいや、一応誰かが親切心で回収してるパターンも考えて、みんなの机周りをサクっと見ただけっスよ」
ここでマジナはすぐ素の顔に戻る。
「なのに見つけられなかったんだね。ちょっとしか工夫していないのに」
「え……どゆことスか……?」
マジナはまた腕を組む。今度はワノに視線を向け、自信満々に口角を上げた。
「肝心な時に察しが悪くなるね。君の落とし物は私が頂いておいたのさ。うっかりさんの罰として、本の中身も遠慮なく見させてもらった……」
自分の台詞を中断して、マジナはカードを構える。
数秒先に、両拳を握りしめつつ、両脇にチャネルバットを召喚したワノへの警戒のためだ。
「マ〜〜ジ〜〜ね〜〜え〜〜ッ! 貴様という奴は首を突っ込みすぎたようっスね〜〜! これはひとばかし痛い目にあってらうじょおおお!」
鬼の形相と化したワノに対して、マジナは必死に訴える。
「いや待って、ごめん! 冗談だよ冗談! ちょっとからかってやろうとしただけだよ!
君が失くし物したことはたった今知ったんだ!」
「ふざけるのも大概にしろっスよぉ! アタイはそういう自分の状況を弁えない嘘が何よりも嫌いなんスよぉぉぉ!」
「本当にごめんよ、まさか君がそこまで茶封筒に本気だったと思わなくて……!」
ここから十数分かけて、マジナはワノを説得し、どうにか戦闘勃発を回避した。
「……で、本当にマジ姐は茶封筒を見てないんスね」
「うん、見ていないよ。ホントにホント」
「わかったっス。じゃあアタイは他当たるんで、なんか怪しいものがあれば一声かけてくれっス」
「了解」
その途中にワノと会ってあれこれしていたので忘れかけていたが、マジナは私服に着替えるため、自分の部屋に入る。
同時に、ワノは一階に降りて、リビングを探す。
チャネルバットが主のテンパりにつられて、明後日の方向に飛ばしたという線を考え、テレビの裏やソファの下など、普段見ないようなところを探した。だが、結果はそうそう出てこない。
(うーん、ないっスね……やっぱもう誰かが持っていったんスか)
残る容疑者(別に悪いことしてないはずだけど)は、サバキとトツカ。
ワノは引き続きリビングのあちこちを探す。
すると、不幸中の幸いのように、
「ただいま。どうして自分へ向かって土下座しているんだ、ワノ」
サバキが、リビングの戸を開けて入ってきた。
「いやいや、アタシがサバ姐にそんなことするわけないじゃないスか!」
「てっきりそういうことをやらかしたのでは。と、背筋が冷たくなったがな」
ワノは素早く立ち上がると、さっさと本題を切り出す。
「サバ姐。昨日リビングに何か変わった物落ちてなかったスか?」
するとサバキは即座に尋ねてきた。
「ワノ、さては貴様、またよくないことを企んでいるな?」
ワノはしばし天を仰いでから、
「な、何言ってるんスかサバ姐? アタイはただ落とし物を探しているだけっスよ」
「それは本当か? 貴様のがめつさからして、ただそうとは信じられぬのだが……ちなみに何を失くした?」
「茶封筒っス。そこそこおっきめのサイズで、紙製にしてはしっかりした作りのものっス」
「そんな目立つものあったら誰か気づくはずだ。やはり貴様、なにか悪事を働こうとしているな?」
「なんでアタイを悪者扱いする方向ばっかいくんスか! 疑わしきは罰せずって言うじゃないスか!? なんだか警察としてそんな原則しらんのスか?」
「時には疑わしきは罰せよともいくべき場合もなくはなかったぞ、断退警察に属していた頃はな。
ワノ、さっきから何故自分のいる方を見ない? 相手の目を見ないのは典型的なそれだろうが」
ワノはサバキへ向けて目をガン開きして、必死に訴える。
「あんまりにもアタイが疑われるからテンパってるんスよぉ! 御存知の通りアタイは腹黒い守銭奴っスけど、年がら年中あくどいこと考えてないっスよ! そんな体力吸血鬼とてないっス!」
「だからこうして疑っているわけだ! いつ何をしでかすかわからんからだ!」
「もうこのくだり終わらせて貰っていいスかねぇ!?」
「それは貴様が正直に白状すればすぐ終わることだろうが!」
「白状することなんもないのに何を吐けばいいんスか!」
……という不毛な言い争いを続けること三十分。二人は両膝に手を置き、息を荒くしていた。
「はぁ、はぁ、わかったもういい……ワノ、貴様はシロということにしておこう」
現状、ワノをどれだけ揺さぶっても何も出てこないということで、サバキが先に折れた。
何としてもあの小説を取り戻す。その執念を保ち続けたことを、ワノは自分で内心褒め称えた。
「あ、ありがとうございますっス……そんで、結局、アタイの封筒は見てないんスか」
「見ていない。役に立てず申し訳ない」
(役に立つどころかおもっきし面倒起こしてるじゃないスか……ああ、ようやく釈放されるっス)
「わかった。じゃあ何か情報あればよろしくっス」
ワノはまだ見ていなかったキッチンの方へ行く。
と、その途中、
「ところでワノ。参考としてだが、茶封筒には何を入れてい……!」
「まだ疑う気っスか、サバ姐!」
「い、いや……なんでもない……」
ワノはキッチンを探した。シンク下の収納なども見てみた。
だが、冷静に考えるとチャネルバットが壁や扉をすり抜けて物を出すことは、慌てていたとしても不可能。
それにもっと早く気づけよ。と、自分にツッコミを入れつつ、この見当違いで先ほどのサバキの尋問のダメージの大きさを実感した。
ここから遅れてサバキに対して怒りが湧き始める。
(もし完全に失くしたとしたら、アイツに弁償させようっスかね……あの本、単行本サイズなのと訳者を挟んでるせいで、普通の小説よりもえげつないくらい高いんスから……)
と、怒りの矛先が見当違いな方へ向かっている中、またリビングの戸が開いた。
「ただいまー、サバキねーさん」
どうして人のめぐり合わせだけは都合がいいのだろうか……第三の容疑者(?)、トツカが帰ってきた。
ワノはこれまでの無駄にした時間を取り戻すように、即刻トツカに尋ねる。
「おいトツカ! ここで変わった茶封筒を見てないスか!?」
「急にどうしたんです、ねーさん?」
「余計なこと考えないで聞かれたことだけに答えろっス!」
トツカは眉間にしわを寄せ、訝しげに正面の怪しいねーさんを見つつ、
「はあ、はい……いえ、見てませんよ」
「本当に本当っスか!?」
「はい、はい、本当に本当です……なんならキチンと証明しますか?」
トツカはその場でかがみ、右手を握って、その拳を床につけようとする。
その前に、ワノが左足を滑らせ、トツカの拳を止めた。
「そこまでしなくて結構っス! ご協力感謝いたしまっス! ほら、さっさと上行って荷物置いて着替えて寝ろっス!」
「は、はい……寝る以外はそうします……」
トツカは範囲内にいる人にルールを課し、十種の結界を展開できる。
ワノはその内の一つ、【真実の世戒】(※範囲内の人は嘘が言えなくなる)の存在が脳裏によぎり、茶封筒の中身を漏らさないようにしたのだ。
トツカが首を傾げたまま、リビングから出ていった。
そしてワノは、近くにあったソファの、肘当ての部分に座る。
「容疑者三人、全部空振りじゃないスかもう…… リビングも粗方探したってのに見つからないスし……じゃあ一体どこの誰が持っていったんスか!」
改めて、ワノは昨日の状況を思い出す。
自分とチャネルバットがドジった事の発端は、予想外のタイミングでネロアが帰ってきたところからだった。
「そうっス! 灯台下暗しとはまさにこのことっスーッ!」
そうだ。まだネロアがいる。
あの後、一緒にイバラからの買い物に行く前に、ネロアは普段着に着替えにいった。
自分はその時、スマホをいじってリビングで待っていた。
おおよそ七分くらい経って、そこでネロアに「終わりました、ではいきましょう」と声をかけられて、外へ出かけた。
この空白の約七分間、ネロアが封筒を拾っていた。それしかもうワノが思いつく可能性はない。
ワノはリビングの出入口である戸を見る。微動だにしていない。
ネロアは本日は部活動があった。流石に四度のプチ奇跡は起こらなかった。
だがただ待ってはいられない。ワノは藁にもすがる思いで、メッセージアプリでネロアに尋ねた。
『ワノ:昨日、リビングとか家のどこかで、変わった封筒を見てないでしょうか?』
微妙にツキは残っていたようだ。
あちらでは休憩中だろうか。一分も経たないうちに、返信が。
『ネロア:いいえ、見てませんよ』
ワノはソファの肘当てから滑り落ち、側面にもたれ掛かり、呆然とする。
「じゃあアタイの本はどこに行ったんスか〜〜!」
亜空間操作能力にありがちなバグで、あの本はチャネルバットでは介入できないところまで飛ばされてしまった。
ワノが今思いつく、最も優しいオチはこれしかなかった。
(もう、これはアタイの不注意が招いた悲劇とせざるを得ないっス……また二千円くらい使って、同じ本買うのは、きっと天罰なんスよ……)
と、悲壮に暮れていると、戸が勢いよくあいた。
「お、そこにいるのはワノじゃな。貴様はソファの座り方もわからんのかえ?」
そこからルシェヌが目をこすりながらやってくる。本日二度目のお目覚めのようだ。
ワノは唇を尖らせ、ソファに正しく座り直す。
「うるさいっスね。こっちは考えごとしてんスよ。アンタみたいに昼寝して起きてすぐ、人を小馬鹿にできるような暇人じゃないんスよ」
「アタシだって暇じゃないのじゃ。学校から帰ってきて寝た後は喉が乾くから早いところ飲み物を飲まないといけないのじゃ」
と、言いつつ、ルシェヌは冷蔵庫を開け、迷わずオレンジジュースのパックを手に取る。
「昼寝ってそうなるんスか? アタイはそんなする頻度少ないんで経験な……あ」
ワノはしばらく口をひらっきっぱなしにした。
ルシェヌがいたずらを仕掛けようと、ジュース入りコップを持っていった時、ようやく動かす。
「ルシェヌ、昨日、昼寝から起きた後、ここで普段見かけないものを見なかったっスか?」
「さあ、見かけないもののてーぎにもよるじゃろうから……」
ワノはルシェヌが持ってきたコップを奪い取り、それを一気に飲み干してから、ルシェヌの胸ぐらを掴む。
「御託はいいからさっさと答えるんだじょお!」
「み、見たのじゃ! あのダイニングテーブルの下に変な触り心地の封筒が落ちてたのじゃ!」
これこそ真の灯台下暗しだ。
ワノはさらに追及する。
「で、その封筒は今どこにあるんスか!? さあ、早く言えっス!」
「お、お母さんに渡したのじゃ! あんな立派な封筒、きっとお母さんの仕事関係のものじゃと思って……拾った後、誰にも手柄を取られないように、こっそり母さんに渡していたのじゃ!」
次の瞬間、ルシェヌは解放された。
ワノが白目を剥き、体勢を崩し、ソファで横になったためだった。
「何じゃ、貴様も昼寝したかったのかえ」
*
数時間後。
「ただいまー」
仕事から帰ってきたチヨはすぐ、二階の三つある内の一番小さい部屋――自分の寝室兼書斎へと上る。
するとそのドアの前で、ワノが神妙な面持ちをして待っていた。
「母さん、昨晩ルシェヌから、封筒を渡されていませんか?」
「ああー、あれね。うん、渡されてた」
「それ、アタイのものっス! 厳密に言うと先輩から借りてた本なんスけど!」
チヨはワノと一緒に自分の部屋に入る。
「ルシェヌはあたしの仕事関係のものだと決めつけてたけど、うちの会社はここまでリッチな封筒をいちいち使わないから、絶対違うと思ってたんだ」
そこでデスクの引き出しにしまっていた、例の封筒をワノに返した。
「よ、よかった……一時はどうなることかと焦りまくったっスよ……」
「それはよかった。なんかあなたのバスケ部、色々問題あったんでしょ? きっとその先輩も相当怖いんでしょうねー」
ワノは一日ぶりに手元に帰ってきた愛しの本が入った封筒を、まじまじと見つめ、感慨にふけった。
そして適当にチヨへ返す。
「そんなところスかね、多分」
「多分ってなによ」
「別に、何でもないっスよ、何でも……あるじゃないっスかこれ!」
チヨは咄嗟に耳に当てた手を外しつつ、こちらは声を抑えて言う。
「急に大きい声出さないでよ、この部屋あんま広くないんだからさぁ……で、何があったのそれに?」
ワノは実の母親を、親の敵のように睨みつけた。左手で封筒の裏面を見せつけるように構え、右手で、その紐の留め具を指している。
「ここ、ありえないくらい雑に巻き付いてるんスけど……さては母さん! 人様の大切なものの中身を覗いたっスねェーーッ!?」
「いやいやいやいや! そんなことしてないって! ルシェヌから貰った時点でこんな感じだったよ!」
「しらばっくれるんじゃないっスよ! アタイがこれにどれほどの感情を注いでいて、これを失くしてた今までにどれほどの恐怖を覚えていたのかわかってるんスかーッ!?」
ワノが、ここまで自分で自分を振り回したために生じたストレスの超新星爆発を起こす。
「ヒィィィィィ! ごめんなさあああいぃ!」
そうした強烈な気迫を食らってチヨは、彼女と同じくらい頭が混乱したまま、ペコペコと謝った。
ちなみに留め具の紐が雑に巻かれていたのは、『昨日ワノが慌ててやったから』というクソ迷惑なオチであった。
【完】




