第160話 末娘魔王ルシェヌはおちつきがない
これはとある金曜日の夜のこと。
他の姉妹が明日は休みという安心感を得たり、翌朝の部活練習に備えてゆったり英気を養ってる間、ルシェヌはダイニングテーブルを前にして座り、血眼で自分のノートと向き合っていた。
その隣にはトツカがいて、自分の理科のノートをルシェヌのもののすぐ左に置いてあげている。
そこに風呂上がりのチヨがやってきて、二人の横側から尋ねる。
「今度は学校でどんなことがあったの、ルシェヌ」
「うう、お母さん、助けて欲し……」
ルシェヌの懇願を遮って、トツカが答える。
「来週の月曜日、抜き打ち気味に理科の先生が全員のノートをチェックすると言い出しましてね。俺は一応真面目に受けてますからどうってことないですけど、どうもルシェヌが怪しいと思って見てみたら……シャーペンで魔導書を書いてたんですよ」
トツカはルシェヌが向き合っていたノートを、チヨに見せる。
左側はトツカのものを参考にし、綺麗な字とカラーボールペンも交えて清書し直したようだが、右側は架空の古代言語をシャープペン一本で一筆書きしたような有様になっていた。
ルシェヌはトツカの頬をグイッと押しつつ割り込む。ついでにノートも奪う。
「魔導書など書いておらんのじゃ! アタシはちゃんと先生が黒板に書いたことをちゃあんと書いていたのじゃ!」
チヨは軽くふざけてみる。
「ああ、ウトウトしながら板書してたんだ」
「寝はしてないのじゃ母さん! アタシよりダメっぽい奴が雷落とされてるの見ておるから、そこだけは気をつけているのじゃ! お願い、信じてほしいのじゃ〜!」
「わかったわかった。じゃあ早くノート仕上げちゃってよ」
チヨはルシェヌの頭にポンと手を置き、
「ですってよ、ルシェヌ。ほら」
トツカはルシェヌが奪ったノートを、正しい位置に置き直させた。
ルシェヌはトツカを恨めしく睨みつけたが、大好きな母親が眉尻を下げてきたので、
「はい、わかりましたのじゃ」
しぶしぶペンを取ってあげた。
ルシェヌは満月姉妹の中で最も母親のチヨが大好き。だから彼女が言ったことは基本、ワガママなしで従ってくれるのだ。
ところが、四分後。
「うわー! もうやってられんのじゃー!」
さっき仕上がっていなかった右側ページの清書を始めようとするところで、ルシェヌのストレス許容量は限界に達し、落書きじみたそこにさらなる落書きを書き足し始めた。
同じリビングにあるソファに座り、ドラマの消化をしていたチヨは、
(やっぱり)
と、思いつつ、スムーズにリモコンを取って一時停止し、ダイニングテーブルの方へ歩く。
「ルシェヌー、もうちょっと静かにお勉強してよ。いやお勉強というより、これはノート写す作業でしょ。どうしてわめく必要あるの」
「そうだろルシェヌ。まだこれ初めてから三十分も経ってないし、まだ一ページしか終わってないぞ」
「え、それってあたしがお風呂入ったのとだいたい同じ? それで……一ページしか済んでないの」
落ち着きを取り戻したルシェヌは、ノートを閉じ、筆記用具をケースに押し込みながら、
「だってアタシ、もう疲れたのじゃ。目はパキパキ、右手はガチガチ、頭はパンパンだぞい。これは身体からの『本日は営業終了しました』の合図に決まっておる。だから残りは明日か明後日にするのじゃ」
シームレスにトツカが台詞を重ねる。
「……っていうことを繰り返して、月曜日に理科の先生をブチギレさせないようにするために、俺は三十分前にルシェヌをここに連行しました」
「賢明な判断ね、トツカ……」
これもまた、チヨにとっては予想通りだった。
ルシェヌは異世界に行く前から母親に甘えてばかりで、反対に周りの姉妹にはいばりんぼであった。
その傾向は、一度異世界に転生したことでますますひどくなっている。
あろうことか魔王に転生して、いくつもの強力な魔法を使ってあちらでブイブイ言わせて、そのプライドがますます肥大化したのだ。
だが、それをわかった上で、チヨはルシェヌに、多少厳しく当たる。
「……ルシェヌ。もっと真剣に集中してやれば、さっさと終わって楽になると思うよ」
「それはわかってるのじゃ。けどもうアタシは限界なのじゃ。キャパオーバーってやつなのじゃ」
勉強道具はすべて片付けた。もうルシェヌは本気で本日の営業を終了する気だ。
その仕上げに、ルシェヌは家全体に響くくらい、大きな声で呼ぶ。
「おーい、サバキやーい!」
「そんなデカい声で呼ばれても困る!」
と、描写こそしてなかったが、ずっと同じリビングにいて、スマホを見ていたサバキは返した。
「まあまあ、それはちょっとしたミスとして……サバキ、そろそろ貴様の大好きな消灯時間じゃろう。ほれ、時計を見よ」
サバキはチヨの隣に移りつつ、トツカは部屋に掛けられた時計を見る。現在時刻は八時二十二分だ。
「ああ、あと三十八分も余裕があるな。これならもう一ページは今日中に清書できるな」
サバキもルシェヌの不真面目さを重々承知している。見事なカウンターを食らって、ルシェヌは針に対して『倍速で進め』と訴えるように、そちらを睨みながら、苦笑いする。
「ええ……でも自信ないのじゃそれ……」
「集中してやれば出来るだろうが」
このサバキの一蹴に、チヨとトツカはうんうんうなずいた。
「イヤじゃイヤじゃ! もうアタシは疲れたと言っとるじゃろうが! 今日はもう遊んで寝たいのじゃ〜!」
ルシェヌは、右手に自分のノート、左手にペンケースを持って、それをブンブン上下に振る。
こうしたルシェヌの見苦しい姿は、他一同もう見飽きてる。
トツカはチヨに向かって言った。
「母さん、コイツ本当に魔王だったんですか? 俺のイメージだと、魔王って自分の城でどっしり落ち着いて構えてるヤツなんですけど」
「確かに、あんまそういうゲームやったことないけど、魔王としてはちょっとどうかなあ。とか思っちゃうよね。じっとしてなさすぎるというか」
この時、ルシェヌはポーズメニューになったようにビタッと止まる。
全世界で誰よりも愛している母親に、自分の最大の強みである魔王であることを否定された。
その悲しさから、ルシェヌは急激に冷静になり、現実を見始めたのだ。
「そ、そんな……アタシは魔王に相応しくないじゃと」
思わぬところでルシェヌを傷つけたことに気づき、チヨは事後のフォローに入る。
「いや、まあ、あくまであたしのイメージだけどね。別に最近だと、魔王がどっしり待ってるラスボスだとも限らないらしいし……」
この優しさがますますルシェヌをガッカリさせた。大好きなお母さんに、無用な心配をさせてしまった。と。
だから、ルシェヌは決心した。
「なら、わかったのじゃ! アタシは魔王にふさわしい忍耐力を伸ばしてみせるぞい!」
「じゃあ今からもう一ページやって下さい」
ルシェヌはトツカ……ではなくサバキを指さして、
「というわけで貴様ァ! 明日、このアタシに忍耐力の訓練をするのじゃ!」
「いや、俺じゃなくて? てか、こっちも今日じゃダメなのか?」
急に指名されたサバキは、しばし逡巡する。
(勝手に面倒なことに巻き込んでくれたな……だが、ルシェヌが落ち着いてくれるようになれば、家庭内の治安維持の観点からすれば、メリットしかない)
「わかった。では明日、自分から貴様に忍耐力のトレーニングを課す! 約束は絶対だ! 心しておけ!」
「はい、なのじゃ!」
「ほんとありがとね、サバキ。あたしは明日ちょっと仕事があるから付き合えないけど、頑張ってね」
「これくらいのことは引き受けて当然だ……あ、そうだ。明日、自分は午前中、生徒会のボランティア活動があるから、トレーニングは午後な」
「わかった! じゃあ明日はゆっくり遅い時間に……」
機を見計らって、トツカが前に出る。
「では午前中は、また俺がルシェヌのノート清書を手伝います。サバキねーさんが帰ってくるまでには何とかしておきます」
「気が利くな、トツカ」
「抜け目ないのじゃ、トツカめが」
*
翌日のお昼すぎ。
ボランティアを終えて帰宅し、ランチを済ませてすぐ、サバキはルシェヌに言った。
「では、昨日の約束を守ってもらおうか」
「あれ、やっぱキャンセルにしようなのじゃ……」
ルシェヌはソファでうつ伏せになったまま返事した。
午前中も午前中で、昨日の約束通りトツカとノートの清書作業を強制で完了させられており、頭と右手が疲れ切っているのだ。
それを承知の上で、サバキはルシェヌを抱えてダイニングテーブルに座らせる。
そして彼女の前に、A4プリントと鉛筆と消しゴムを置いた。
プリントには、九×九のマスが入った正方形が印刷されてある。
「ま、また勉強させられるのかえ……」
「違う。ナンプレというパズルだ。ルールはわかるか」
「わかるはずがなかろう」
「……だろうな」
ここで一つ解説を入れるとしよう。
ナンプレとは、ルールに従い九×九の正方形の枠内に、一から九までの数字を入れていくパズルである。
従うべきルールは以下の三つ。
一、縦一列に同じ数字を入れてはいけない。
二、横一列に同じ数字を入れてはいけない。
三、三×三で区切られた小枠に同じ数字を入れてはいけない。
あらかじめ書かれてある数字と、上記のルールを元に、全てのマスを埋めていくのが、基本的な遊び方だ。
「……わかったか。ルシェヌ」
「ま、まあ、なんとなくわかったのじゃ。とにかく同じ数字がダメなんじゃろ」
「それだけわかってくれればよろしい。インチキ防止のために自分が見張っているから、聞きたいことがあれば聞け」
「じゃあこの答……」
「答えや解き方のヒント以外でな!」
「は、はい……なのじゃ」
実のところ、サバキがルシェヌにナンプレのルールを説明したのは今回が初めてではない(※第82話参照)。
以前は五回繰り返してようやくルールをなんとなく理解してくれた。
それと比べて今回は、一回の説明でなんとなく理解してくれた。
ワガママで生意気なことでおなじみのルシェヌでも、幾分かは成長してくれているんだ。と、サバキは姉として少し嬉しくなった。
(いや、前のこと覚えてないのだから、やはりルシェヌか……)
まもなく、サバキは自分を恥じた。
それはそれとして、ルシェヌは鉛筆を握ったまま、動かなくなっていた。
「わ、わからんのじゃ……これ……」
「もっと考えろ。数字一つ埋められればなんとかなる」
いつぞやルシェヌにやらせたのは、新聞に掲載されていた難易度が高めの問題。
今回、サバキが用意したのは、百均で買った初心者向けの問題集の第一問のコピーだ。
パズルをやり慣れているサバキにとっては、いちいち数字を書き込む煩わしさのほうが強いくらいの難易度である。
しかし、ルシェヌはずっと頭を抱えていた。
(どこが悩むところあるんだ……?)
サバキはそれが不思議でたまらなかった。なんならいくつか数字を書いてあげたいくらいだったが、そこは我慢した。
するとここで、コーリンがふらっとやってきた。
「おうサバキとルシェヌ、なんか面白そうなことやってんな」
「二人がテーブル挟んで座ってるだけだろう。コーリン殿」
「このパズルに言ってんだよ。暇だからちょっとオレにやらせてみろ」
「どうぞどうぞなのじゃ」
サバキはルシェヌが譲ろうとしたプリントをテーブルに押し戻す。
「ならこちらを使ってくれ。くれぐれもルシェヌに見えないようにな」
コーリンには、ルシェヌが八つ当たりをしてもいいように作っておいた予備プリントを渡した。
「おう、気が利くぜ」
サバキから簡単にルール説明を受けたあと、コーリンはソファ前のローテーブルで、ルシェヌに背を向けて問題に取り掛かった。
……五分後。
「できた、ほらどうだ」
コーリンはサバキのみに、全てのマスを埋めきったプリントを見せた。
「……うん、問題ない」
「だろうな、十個くらい埋めたらあとはルールを活かして連鎖で解けたぞ、こんなの」
「そう、なんだがなぁ……」
一方のルシェヌは、二マスにしか数字を書き込めていなかった。
それも、他七マスが埋まっている、あとの二択を考えればいい、初心者のための小枠中の部分だ。
コーリンはカンニング防止として、自分が解いたプリントを折りたたむ。
「ルシェヌ、もっと全体を見ろ。縦横に何があるか考えればどうにかなるだろ」
「わ、わかっておるのじゃ! 先に解いたからといって調子に乗るでない!」
「乗ってねえよ」
ルシェヌは鉛筆を持ってない左手でこめかみに手を当てる。ここから頭をフル回転させつつ、九×九マス全体をよく見る。
それからほどなく、ルシェヌは額をプリントに打ち付けた。
「も、もうダメじゃあ……サバキ、コーリン……どちらでもよい、ヒントをくれなのじゃ……」
このままだとルシェヌが爆発するかも知れない。と、コーリンはうっすら危機感を覚えた。
一つくらいだったら教えてやろうかと思い、いくつかの自分のプリントを見ようとした。
それをすばやくはたき落として、サバキは毅然としてルシェヌに言った。
「ダメだ。これはお前のためを思ってやらせている修行だ。少しでも甘えたら母さんが悲しむぞ。『やっぱり所詮ルシェヌだよね』とか」
ルシェヌは顔を上げて怒鳴る。
「そ、そんなひどいこと、お母さんは言わないのじゃ!」
対するサバキは、ルシェヌに風圧がかかるほど、両手を強くテーブルに叩きつけた。
「今の貴様はそれくらいのことをしているということだ! すべこべいわず取り組め! そういうところも集中力が足りていない証拠だ! もういっそこのことを母さんに報告してやろうか!」
「は、はいなのじゃ!」
この気迫で母親を出されては、魔王でもビビってしょうがなかった。
ルシェヌはもう一度鉛筆を取った。
それから三十分後……
「いやー、やってみればどうにかなったのじゃなー」
さっきの悩みはどこへやら、ルシェヌは満面の笑みで、完成したプリントをサバキに渡した。
コーリンが言っていたように、十個ほど数字を割り出せば、あとは考えずに連鎖的に解ける問題だったのだ。
「うん……問題はないな。おめでとう、やればできるじゃないか」
「やればできるとは地味に失礼じゃな。アタシは魔王だから大抵のことは何でもすんなりできるのじゃぞ」
(じゃあ、ナンプレごときが大抵の範疇から抜けているのか……)
というツッコミを喉で留めておくサバキであった。
「では、次はどうする。もう一段難しい問題で」
「いーやいやいや、もうナンプレは勘弁してくれなのじゃ!」
「けど同じことを繰り返すのも集中力の訓練になるぞ」
「だけどもう結構なのじゃ! せめて他のにしてくれんか!?」
「わかった、じゃあなんとかする」
ナンプレ以外のパズルは用意していない。
なのでサバキは、後でやろうと溜めてある、新聞から切り取ったパズル各種を持ってくるため、二階へ行こうとする。
と、いつのまにかリビングから消えていたコーリンが、本を一冊持ってやってきた。
「おいサバキ、オレからもちょいと修行させてやってもいいか?」
「急にどうした」
コーリンは持ってきた本を、ルシェヌの視界の中央に来るよう、テーブルに置いた。
単行本規格のライトノベルで、中央には遠近法で小さくなった和風鎧の男性がいて、その周りに六人の魔物(内四人は美少女タイプ、他は完璧な人外)がいる表紙のものだ。
「な、なんじゃあこれ……『亡国の武将、新生魔王軍を束ねる 〜はぐれ魔物を改心させまくったら、最強軍団できました〜』」
「いつだかどっかで、そういう本も読んでおこうかと思って、パッと表紙だけで選んで買ったやつだ。今からお前はこれを読め。厚さからしてルシェヌじゃなくても全部読破するのは無理だろうから、一章まで読んでみろ」
勝手に参入してくるな。と、サバキはコーリンの横からやや恨めしめに思った。
「ほう、それだけでいいのじゃな。じゃあやってやるぞい」
しかし、ルシェヌがパズルよりかはこれをする気があったようなので、円滑さを重視して、ここはコーリンの追加修行を許すことにした。
ルシェヌがページに釘付けになっている間、サバキはヒソヒソ声でコーリンに問いかける。
「ちなみに、これは本当に読ませるだけなのか? ルシェヌなら活字に負けて、途中から斜め読みする可能性があるぞ」
「それはご心配なく」
コーリンはズボンのポケットから、折りたたんだルーズリーフをちらつかせる。
「内容を覚えてるかどうか問う、簡単なテストを作った。さっきのナンプレやってる間にこっそりとな」
「抜かりないな。コーリン殿……ちなみにだが、これは面白いのか?」
「……さあ? 最初あたりのダラダラした説明と、幹部キャラの加入までの話が長いとこさえ許せればおもしれーんじゃねえの? 個人的には主人公が侍なのが見た目だけで、実質インチキ魔法を使いまくってるのが残念だった」
「……自分はそういうものを読まないから、具体的な返事は出さないでおく」
八分後。
「ええいもうつまらんのじゃあこれ!」
と、ルシェヌは絶叫しつつ、本を閉じて乱雑に放り投げた。
コーリンは咄嗟に走り、両手で挟んでキャッチする。
「おいそれ人のもんだぞ一応!」
ルシェヌは目を三角にして返す。
「コーリン、貴様よくもこんな退屈な本をよこしてくれたのじゃ! この主人公め、ずっと自分の嫌だった思い出話を、もう二度と出てこない奴のフルネームを使いまくってダラダラ説明してるのじゃ!
それが終わったと思ったら、表紙に出てくる子分どもと出会うまで、王様がどうだの、最近の流行りの戦闘スキルはどうだのと、ブツブツ街中歩いて独り言ばっかりいいやがるのじゃ。
そのくせ子分を仲間にするとこは理由がわからんくらい超スピードで済ませおって……貴様、よくもこんな上等な拷問を思いついたな!」
これを聞いたサバキは、思わず目を丸くする。
「思いのほか内容を理解しているではないか、ルシェヌ殿」
「あったりまえじゃ、アタシは魔王の先輩みたいなもんじゃぞ! 後追いどもの醜態などポンポン見つけられるのじゃ!」
「ほう、じゃあ本当に内容を理解しているかどうか、確かめさせてもらうぞ」
待ってました。と、言わんばかりに、コーリンはルシェヌの前に、手作りの小テストを広げて見せた。
「……な、なんじゃこれ。またまたお勉強かえ」
「前のナンプレはお勉強ではないと言っただろうが、ルシェヌ殿」
「ちゃんと一章の内容を覚えていれば、簡単に解けるテストだ。ほら、後輩の面倒見てやれ」
ふと目を離した隙に、ルシェヌは顔を青くしていた。目も焦点が合ってるようで合ってない。
「……わ、わかったのじゃ」
コーリンが作った問題は、『主要キャラの名前』や『主人公の技名』など、教科書の太字の用語部分をそのまま抜き出すような、普通に読んでいれば解ける問題だった。
しかしルシェヌは案の定、一つ一つの言葉を深く理解せず、話の雰囲気だけをかいつまんで斜め読みしていたようであり、解答枠がスカスカ、あるいは微妙に間違えた文字列が入ったまま、固まってしまった。
五分後。これ以上の進展がないと判断したコーリンは、強引にプリントを奪い取った。
「はいここまで……なんだよ、さっき読んだばっかのもん覚えてないじゃんかよ!」
「だって、一回読んだくらいでわからんじゃろ! しゃれた外国人の名前ばっか使ってるのも微妙に覚えづらいしのう!」
サバキは暇つぶしにペラペラめくっていた本をパタンと閉じ、問いかける。
「じゃあ貴様はなぜ山程魔法を使いこなせるのだ? あれもなかなか覚えづらい横文字ばかりだろうが」
「それとこれとは話が別じゃろうが! アタシオリジナルの魔法をアタシが覚えてなくてどうするのかえ!?」
「まあ、つまるところ……オレからのチャレンジは失敗ってことだな」
「じゃあ次はどうするルシェヌ。コーリン殿のテストに再チャレンジするか? 自分のパズルを解くか?」
「それともボクからの集中力トレーニングに付き合う」
サバキとコーリンはそれぞれ左右にそれて軽くのけぞった。
ルシェヌ目線だと、その間からユノスが姿を現した。
「貴様までも介入するのか、ユノス」
「ボク、昨日のお母さんとのやり取り聞いてたんだ。それでボクからも何かできないかな、と思って……あ、サバキお姉ちゃんが余計なお世話だっていうなら素直に退くよ、ボク」
(そう言えば昨日、確かに自分たちがやり取りしている間、横のシンクにユノスがいた気がするような、しないような……よくユノス(とイバラ)がやってるので、よく覚えてないな)
ということを考えても、あまり意味はないので、サバキは本筋に意識を戻して、
「ああ、別に構わないぞ。貴様も貴様でルシェヌには迷惑しているだろうからな」
「うん。じゃあルシェヌ、ボクからの試練にも付き合ってもらうよ」
ユノスは顔全体の雰囲気を微笑に保ちつつも、目だけ輝かせる。
ルシェヌは後ろに手を回して、ダイニングチェアの背もたれをガッチリ掴んだ。
「いや拒否権はないのかえ〜!?」
「お母さんにもっと好かれるためだよ。二時間くらい我慢しなよ。
お姉ちゃんズ、ルシェヌをテレビ前に持っていってくれない?」
「おう、いいぞ」
「無駄な抵抗せず来い!」
コーリンとサバキはルシェヌを椅子ごと、テレビの前に持っていった。
結局、観念したルシェヌがソファに移って座った。
その隣に、ユノスが座り、リモコンを操作して、サブスクのメニューを開く。
「な、何をする気なのじゃ貴様!」
「かなりヒント出してたのに察しが悪いよ、ルシェヌ。今から映画を観てもらうの。それだけ。
テストとかしないけど、ちゃんとよそ見したり寝たりしないで観てね」
ソファの後ろに立った姉二人は、似たようなことを思う。
よっぽど有名で面白いものでない限り、自分たちでも二時間も画面に向かうのはかなりの負担がある。
これをルシェヌにただ観させるとなれば、紛れもなく試練となりうる。
創作の勉強としてよく映画を観ているユノスによる、逆転の発想から生まれた、いいトレーニングだ。
「えー……いが……なのじゃあ? どうせ貴様のことだから小難しいかったりするヤツなんじゃろう?」
「大丈夫、ボクとしては簡単なほうの映画だもん。『グランド・イリュージョン』っていうの」
ここで一つ解説を入れるとしよう。
映画『グランド・イリュージョン』とは、四人のマジシャンが、チーム『フォー・ホースメン』を結成し、それぞれの得意分野を活かして、悪い富豪から大金を奪う映画だ。
他のクライムアクションと大きく違う点としては、現実でもどうにか実現可能なマジックを交えつつ、華麗に盗みを行うところだ。
詳しくはみんなも各種サブスクで観てね。面白いから。
閑話休題。
再生ボタンを押してから、十数分が経ち、この作品の主要人物が全員お披露目し終えたところで、ルシェヌが肘当てに頬杖をついてぼやく。
「味方サイドでも四人と多いのに、なんか敵っぽい連中もゴチャゴチャいて分かりづらいのじゃ……」
そんな彼女をユノスは、手を回して姿勢を正させて、
「最後まで観ておけばわかるよ。ほら、集中、集中」
「はーいなのじゃ……」
それからもルシェヌは、本作の見どころである気持ちよく騙されるマジックに対して、
「こんなのアタシならもっとすごいこと出来るのじゃ」
と、文句をつけたり、主人公たちを追い回すキャラに対して、
「アタシならその場でやっつけるのじゃがなー」
と、うざったくつぶやいたりした。
しかしユノスは注意しないでいた。
両手は身体の横で固定し、拳を握ったまま。瞳にはほぼ画面の様子が反射したまま。
なんだかんだいいつつも、ルシェヌは映画に集中していたからである。
かつては魔王、今は学校で本物の魔法を種としたマジシャンとして人気を集めているルシェヌとして、この映画は心惹かれるものだったのだ。
ルシェヌの様子を、コーリンとサバキはダイニングテーブルに座って見ていた。
「興味のあることなら集中できんのか、アイツ」
「ルシェヌは、単なる短気ではないってことか……あるいは、奴も奴なりに成長しているのだろうか」
そして二時間後。
ルシェヌは飽きたり、ソファの上で暴れたりせず、きっちり映画を観終えたのだった。
「やーっと終わったのじゃー!」
ルシェヌは達成感に座面の弾性を活かして身体を上下させつつ、両腕を伸ばして大あくびする。
ユノスは両手の指先をルシェヌに向けて、やさしめにパチパチする。
「よくやったねルシェヌ。どう、今の気分?」
「ふん……まあ、奴らにとっては上出来なトリックじゃったのう。なかなか意外な展開が多くて、ちょびっとビビったのじゃ」
「そう……それで、二時間集中できたほうの感想は?」
「そっちもかえ」
ルシェヌは口角を上げ、悪役然とした笑みを作って答える。
「そんなことわざわざ聞くでない。アタシはどこぞの誰かのように意地悪しなければ二時間くらい余裕で大人しくできるのじゃ!」
「そうなんだ。じゃあ」
ユノスは再びリモコンを取り、メニュー画面を動かして、
「続編の『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』もまとめて観る?」
ルシェヌはびっくり箱めいてソファから前のめりに転げ落ちて叫ぶ。
「いやじゃ、もうずっとこんな地味なことするのは飽きたのじゃ〜!」
ダイニングテーブルの二人は、同時に思った。
((やはりルシェヌはルシェヌか……))
というわけで、続編は翌日観ることになった。
ルシェヌはまたうだうだ言いつつも、楽しんでくれたようだった。
【完】




