文字を知りたい!
誰かに何かをお願いするときは、いつもどう言おうかじっくり考えてしまう。その場で思いついたお願いでなかったら、なおさらそうだ。
ナウラと森に行った翌朝。ミトは、朝食の粥を作りながらタリオになんと切り出そうか考えていた。
バル婆はすでに朝の畑仕事に向かっていて、台所には自分一人。
タリオはまだ寝室にいるはずだ。昨日の夜の食べられなかった分を取り戻そうと、いつもよりも米もダルドも山菜も盛りに盛った粥を混ぜながら、独り言ちる。
「――七歳の弟に頭を下げるのはなんとなくしゃくなのよね」
「なんか言った?」
ミトは飛び上がって、台所の入口を振り向いた。ぼさぼさの髪をそのまま頭頂で一本にまとめた弟が、眠そうに目を擦っている。
胸のどきどきがおさまらないまま、質問に質問で返した。
「いつから居たのよ」
「ミトが鍋を混ぜながら独り言を話してる時から」
一体、自分はいつから口に出していたのだろう。
「ぼくに言うのが、しゃくってなに?」
ミトは、かまどに蓋をして、火を消した。まだぐつぐつ言っている鍋を食卓に運びながら、なんと言ったものか考えていた。
「昨日夜にぶつぶつ言ってたこと?」
聞かれていたみたいだ。
「そうよ」
「昨日はよく聞こえなかった」
「あんたに――字を教えてほしいの!」
タリオが、台所から自分用の小さな器を持ってきて食卓についた。そして、首を傾げる。
「ミトが? 字を?」
「そうよ。――いけない?」
「いけなくはないけど。でも、文字は興味ないでしょう?」
「今だって興味ないけど」
「だったらどうして?」
「必要になったのよ」
「なにに?」
タリオに全部伝えたほうが良いのだろうか。
「――言ってくれないと教えてあげないから」
こんなに、意地悪な子だっただろうか?
「――分かった! 言うわよ! 言えばいいんでしょ?」
「最初っから言ってくれたらいいのに」
「――また、お腹が気持ち悪い時があるの」
タリオは匙を落とした。
言ってしまってから、やっぱり言わなければ良かったと思った。
けれども、もうどうしようもない。ミトは、匙を拾ってやって、台所に洗いにいく。そして、戻ってまた、タリオの器に匙をもどした。
タリオは、戻された匙で何度か粥をすくっては、戻す。
「いつから?」
「すこし前からだけど、いつからかちゃんとは覚えてないわ」
「痛いの?」
「ううん。――痛くないの。ほんとよ。ただ、ぞわぞわするっていうか。何か変なの」
「変?」
「うん。難しいんだけど、むずむずするっていうか。背中がすごいかゆいのに、そこをかいてみたらぜんぜん違う場所がかゆいみたいな。そして本当にかゆい場所は分からないみたいな」
「どういうこと? お腹がかゆいの」
「例えばなしだってば」
タリオは、粥を口に入れた。ミトも、話しながら、どんどん器の中身を減らしていく。
「だからね。書こうと思ったの。――病気のことを、しっかり残しておいたらあとで何かに役に立つかもしれないでしょ?」
「それでぼくに字を教えてほしいの」
「そ。――話したんだから、教えてくれる?」
「教えるのはいいんだけど……」
「なに? 頭を下げないと駄目?」
「違う。――まずはお腹が変なことバル婆に言った方がいいんじゃないの? あと、字を教えてもらうならおじいさんにも相談してみたほうが良いと思う」
夕方、畑仕事から帰って来たバル婆は、食卓に座ってお湯をゆっくりすすっていた。
二人の話をはじめは静かに聞いていたのに段々と眉間にしわが寄って行って、話し終えるころには腕を組んでミトを睨んでいた。
「それで全部かい」
ミトは頷いた。頷くと次の瞬間、ほっぺを思いっきり引っ張られた。
「いた!」
「なんで、またお腹が痛くなったこと黙ってたんだい」
引っ張られた頬をそっとなでながら謝る。
「痛くはなかったんだもん!」
「変だなって思った時には、すぐに言わないと、後になってからじゃ遅いかもしれないだろ?」
でも、本当に痛くはなかったのだ。
「バル婆は、ムル……ムルグ、って知ってるんでしょ」
「名前くらいは」
「みんなにあるもの?」
「そうみたいだ。魔法が使えるかどうかは別として、みんなにあるみたいさ」
ミトは少しだけ肩を落とした。
家族の中で自分だけが魔法が使えると思っていたのに、みんなにあるんじゃ特別じゃない。
「ムルグの病気になる人って、聞いたことある?」
「年寄りにはたまにいるね」
年寄りの病気なのだろうか。
「――本当に、痛くないのかい」
「うん。たまに気持ち悪いけど痛くはないの」
「馬鹿だねえ。どうしてすぐに言わないんだい」
また、母さんを呼ばれてはたまらない。
「――明日薬師様のとこに行くよ」
ミトは大人しく頷いた。もう、”しばらくはな”の言葉の意味について考えるのは嫌だった。
ついでに魔法使いになることができるのかも聞いておこうと、前向きに考えることにした。
バル婆が大きく伸びをして、体からぽきぽきと音が聞こえてくる。
「まだこないだの治療費についても聞けていないしね」
「やっぱりお金をとられるのかな」
「おそらくね」
二人のやり取りを見ていたタリオがバル婆に言った。
「ぼくは? ぼくも一緒に行っていい?」
「明日は朔の日だろ?」
おじいさんが来る日だ。そもそも、森を長時間歩いたことがないタリオとは一緒に行けない。
タリオは少しだけ唇を尖らせていたけど、二人とも首を縦に振らなかったのを見て、しぶしぶ納得したみたいだった。
ミトは、朝にタリオに相談したことをバル婆にも聞いてみた。
「わたしもオンじいに字を習ってもいい?」
「オンじい? ――オンさんのことかい」
「うん。オンさんだから、オンじい! 呼びやすくて良いでしょう?」
「良いかどうかは本人に聞きな。それにさ、お前が字を習いたいなんてどういう風の吹き回しだい?」
全部言おうか迷ったけど、面倒になってやめた。
「ただ字を学んでみたくなっただけ。いけない?」
バル婆は目を細めて、ミトを見る。タリオが手を、ぱちん、と叩いた。
「いいじゃない! おじいさんも喜ぶよ!」
「オンさんが良いって言うならね」
「良かったね! ミト!」
またオンじいから、良い、と言われてもないのにタリオがはしゃいだ。
「バル婆。――ムルグの病気って、わたしみたいな子どもがなるのは、珍しい?」
「あたしは、聞いたことないね」




