薬師様の小さな小屋
タリオやバル婆と相談した翌日。朔の日の朝。
ミトは、持っている中でも比較的継ぎの少ない、ましな服を着た。モタンの実を煮出した汁で、衣替えの時期に洗っておいたものだった。
薬師様にあうなら、きれいにしていた方が印象が良いかもしれない。
朝早くに来ていたオンじいに挨拶をして、薬師様の元に行くことを伝える。
バル婆が見ていない隙に、オンじいは手を使って、紙を示すように四角い形を作った後、口元に人差し指を持って行った。
ミトとタリオが顔を見合わせて小さく笑っていると、バル婆がオンじいに言った。
「じゃあ、オンさん。面倒をかけますけど、お願いします」
「いや、わしは楽しませてもらっていますよ。実にね」
ミトは、オンじいの、実に、という言葉を聞いてまた小さく、くっ、と笑った。そして、玄関から二人に見送られて森への道を行く。
薬師様の家は、村からしばらく歩いた森の中にある。いつも行く畑のある場所より随分と奥だからか朝の森は少しだけ肌寒かった。
バル婆はゆっくり歩きながら、怪訝そうな目をミトに向けた。
「お前、とんと季節に合わない服を着てるけど。もっと他に着るものはなかったのかい?」
「これが一番ましだったの」
少し寒いがみすぼらしいよりはずっといいだろう。
「――ムルグの病気になった人で治った人のことは聞いたことある?」
「さあね。詳しくは知らないよ。腹が痛いとかそういう話は聞いたことはあるけど、あたしたちみたいな年寄りだと……よくある話さ」
それだけ言って、バル婆はさっさと前を向いて歩いて行ってしまったから、ミトは追いかけるのに忙しくて、それ以上聞けなかった。
半刻に満たないくらい歩いた森の奥に、小さな小屋が見えて来た。ミトはその方向を指さしてバル婆に聞く。
「もしかして、あれ?」
「あれなんて言うもんじゃない」
ミトは指さした方向にある小屋を見て不思議に思った。自分の家より、もっと言えば糞小屋より小さいくらいのそこは、強い雨風が襲ってきたら壊れてしまいそうな小屋だった。
近くに行くにつれて、その小ささに驚く。遠くから見ていたから小さいんじゃない、本当に小さいのだ。
それに、この臭い。ミトは小屋の前に立って、鼻をひくひくと動かした。
多分、薬草の匂い、それから何かが腐ったような匂い、あとは乾いた土の匂いと色々な匂いが混ざっていた。
ナウラだったら臭くて耐えられないだろう。
戸が開いていたから中を覗くと、本棚にはぎっしりと見たこともないくらいたくさんの本。棚には薬草や何かが漬け込まれた瓶。天井からは色んな紐や乾燥した草が干されていて、床には書類やどんな使い方をするか想像もつかない道具が所狭しと置かれていた。
そしてずいぶん掃除されていないような埃とカビの臭いもした。
本当に、こんなところで暮らしているのだろうか? そもそもここには布団をしく隙間もなさそうだった。
開いている戸に向かって何度か呼びかける。
それでも現れないから、戸を叩いた。開いているのに人の気配がない、声をかけても返事がないから、中に入って大声で呼んでいたら、こんな小さな家のどこからと思うほど、いきなり奥から白い髭の老人が現れて、ミトは思わずバル婆に抱き着いた。
「……何しに来た」
薬師様は、沢山積まれていた書類を脇によけた椅子に座ってからミトに言った。バル婆から離れて、ミトは薬師様の近くに行った。お年寄りだから、耳が悪いかもしれない。
立ったまま正面の老人に普段よりも大きな声で伝えた。
「お腹のことで来たの」
それから聞こえないといいな、と思いながら小さく、治療費も、と付け加えた。
薬師様が頷いただけだったので、ミトは順番に話した。
あの腹痛の後、また気持ち悪くなったこと。それから、痛いのは嫌だからできれば痛みのない方法で治したいことを伝える。それを、薬師様はふんぞり返って聞いていた。
何も返事がなかったので、次々と話したいことを話す。
思っていることをどんどん言って、それからやっとタリオに相談したことに思い至ってそれも話すことにする。
「それでね、気持ち悪くなった時なんかは書いておくことにしたの」
ふんぞり返っていた、薬師様の体が少しだけ起きた。やっと、薬師様が声を出した。
「書いておく……」
「うん。いつ来たかとかをね」
薬師様は、ほう、と言った。
ミトは、字が書けるようになったら自分で書くつもりだった。それまではタリオに相談して、書いてもらうことにしたのだ。
薬師様はしばらくミトを見てから、口を開いた。
「治療法はある」
「……どんな方法なの?」
「ムルグに穴を開ける。前に伝えた通りだ」
「そうしたらもう痛みはこないの?」
「ムルグが傷ついた際に、溜まった魔力が暴走することがある。そうなれば助からない」
「助からない?」
なんでもないことのように薬師様が言ったのが信じられなくて、入り口に居るバル婆をミトは振り返った。
「どのくらいの人が助かるの?」
「お前のような子どもを診たことがない。分からん」
「じゃあ、老人なら」
「半分以下といったところだな」
一つ一つ不安が増えていく。
「お金は? どれくらいかかるの」
「お前の家が払えるものじゃない」
「……知りたいの」
「それなら言わせてもらうが、今回と、前回のを合わせてコルティス銀貨十枚」
「十枚!?」
銀貨なんて一度も見たこともないのに、こないだと今日、話を聞きにきただけでそんなにとられるなんて。
それでも、大金に目と頭が回りそうな中で、ミトはある言葉を思い出していた。
母さんが毎年、夏と秋になるといつも言っていること。
”税を分けて払えれば良いのに”。ミトは、呼吸が早くなる中で薬師様に聞いた。
「分けて、払ってもいいの?」
「仕方ないだろう……利子はいただく」
利子がなにかは分からなかったけど、どうせろくでもないものだから聞かなかった。
「ムルグに穴を開けてもらう時は……どれくらいとられるの」
薬師様は唇の片方を上げてミトを見上げた。
「ソレーヴ金貨三枚以上」
ミトは口をポカンと開けて薬師様を見る。
家が一軒建つどころではない金額に、頭が白くなっていく。そのうち段々と白いもやが消えていって、次第に怒りに変わっていった。
「それは――わたしは治療を受けられないって、そういうこと?」
薬師様はあごひげをなでながら、そうだな、と言った。
「お前が先ほど言っていた、書付とやらを次来るときに見せろ」
はじめて、問いへの答えではない言葉をかけられた。
――書付に興味をもってもらえたのだろうか。
「次は五月に。銀貨はその時にもらう。それまで、顔を見せるな」
ミトは、どうやってお金を払おう、と考えながら頷いた。
そして昨日バル婆に聞いたことをもう一度、今度は薬師様に聞く。
「わたしみたいな子どもが、ムルグの病気になるのはどうしてなの?」
薬師様は馬鹿にしたような表情でミトを見つめて言った。
「それが分かれば、誰も苦労しない」
薬師様は、出ていけ、と手を振った。
ミトは立ち上がって、以前私塾で何度か習ったお辞儀をした。バル婆が先に外に出る。戸を出る直前、薬師様の声がした。
「戸は閉めるな。書付には、いつ、どのくらい、何をしていたとき、それから食べたものも忘れずに書け」
森を二人で歩きながら、何の会話もなく来た道を帰っていた。来たときには魔法についても聞こうと思っていたし、帰りには山菜をとって帰ろうと思っていたのに。
なにもしないまま、ただ歩いている。バル婆が言った。
「銀貨十枚、ね」
「うちにある?」
「すぐに用意するのは無理だね。今は考えても仕方ないだろ。帰って、一緒に考えよう」
ミトは大きくため息をついた。座り込んでしまいたくなったけど、太ももを叩いて何とか歩みを進める。
バル婆の一緒に考えよう、という言葉に黙って頷く。
薬師様の家に居た時間は少ないはずなのに、森の中はもう、さわやかな朝の感じはなくなっていた。
「バル婆?」
「なんだい」
「わたし、治ると思う?」
「さてね……お前はどう思ってるんだい」
ミトは、どうやって大金を用立てるか、それだけを考えていた。
いつも『The Path of Dust』をお読みいただき、ありがとうございます。
本日より、毎朝七時に固定しての更新予定です。
朝の通勤や通学、お食事の時間や、お休み前の読書時間にミトとの時間を楽しんでいただければ嬉しいです!




