重い袋
ミトは、村の石畳の上をのっそりと歩いていた。
うちに居るときも、私塾が休みの今日も、薬師様に言われた銀貨を集めるための方法を一生懸命考えているのに全くどうしたらいいかが分からない。
だから、今日も一人で、うんうん唸りながら方法をあれこれ考えていたら、唸るのがうるさいからと、バル婆にうちを追い出された。
その時たまたま手元にあったのが、タリオとオンじいに教えてもらった文字の見本だったから、それだけをお供にのっそりと歩く。
紙に書いてある文字の上を指でなぞった。でも、目が文字を素通りしてしまう。
自分にもできるお金を稼ぐ方法……。
指を折って今まで考え付いた方法を頭の中で繰り返す。
母さんたちみたいに働く。今の時期なら穀物や野菜の種まきとその管理だって言ってた。でも、十の子どもを雇ってくれるまともな働き先があるとはとても思えない。
屋台でものを売る。なにか売り物があれば話は別だけど、それもないし。そもそも自分に物を売る才能があるとも思えなかった。
次は……字を学んで中央の役人になる。目の前にある、易しい文字で書かれた文章を読むのにも苦労しているのだから、これは時間がかかりすぎる。そもそも試験に合格できるか、そんな道が自分にも用意されているのかも分からない。
「五月なんて、すぐ来ちゃうもの」
それに運よくコルティス銀貨が準備できても、今度はムルグが破れるかも、という期限があるのだ。そうしたらソレーヴ金貨が必要になる。
――やっぱり。
「全部だめ……」
声に出した瞬間、ただ歩いているだけなのにどっと疲れた。薬師様へ払う必要がある銀貨十枚が両親の月の半分のお給金だと知ってしまってからは、余計に考えることを放棄したいのに、頭はそれをさせてくれなかった。
堂々巡りする考えごとをしながら、近所をただぐるぐる回っている。
歩いていたら、ナウラにどこに行くのかと声をかけられたが、答えないでいると、隣に並んで歩き始めた。
だから、答えが返ってくるはずもないのに聞いてしまう。
「お金を稼ぐにはどうしたらいいと思う」
「お金?」
「そう。あんたはお金が欲しいって思ったことない?」
「ないけど」
ミトはお金が必要になるまでの自分を思い出して、それもそうだ、と納得する。
「じゃあ、何か売り物になるものが欲しいって思ったことはない? 屋台とか、何でもいいから」
「屋台ねえ。――あんたもしかして、お菓子が欲しいの? あ! バル婆が作ってくれる木の実饅頭は大好き」
ナウラはおばさんの木の実饅頭とバル婆の木の実饅頭の違いをあげていく。ミトも大好きなお菓子だった。考えが木の実饅頭に行きかけて、元に戻す。
「いい働き先を知ってるとか……」
ナウラは、何それ、と言ったあとなにかを思い出したように言った。
「めんどくさい仕事を代わりにやったら、お小遣いをもらったことはあるけど」
「めんどくさい仕事?」
ナウラは目を細めてどこかを見つめるように言う。
「うん。誰もやりたがらないやつ」
「誰もやりたがらないの?」
「わたしのおじさんが、農作業の人手が足りないって言ってたかな……」
「どんな仕事?」
聞いてみたら、といたずらっぽく言われる。ナウラと別れて早速ミトはおじさんに仕事をもらいにいくことにした。
ナウラのおじさんは、畑の脇で野菜の泥をはらっていた。
「あるにはあるけどな。給金は安いし、汚いぞ」
本当にできるのか、と聞かれているようでミトはむきになって、やる、と答えた。
やると言ったあと聞いたのは、畑まで桶を担いで肥料を運ぶという仕事だった。
「あの糞小屋から、桶で……担いで?」
思わずミトは白目をむきかける。やっぱりあの時、誰になんと言われたとしても糞小屋の掃除を諦めなければよかったと思った。
だけど、ミトはもう一度おじさんに言った。
「やるわ……」
言ってしまった。
翌朝、ミトは日の出とともに糞小屋の前に立っていた。
臭い。重い。遠い。この三拍子が揃った仕事を、黙々とこなしていく。何度か往復するうちに鼻は麻痺して匂いをそれほど感じなくなったことは良かった。
体は疲れて来たけど、それはどんな仕事でも一緒だと思えたからとにかく早く運ぶことを頑張った。もしかしたら、たくさん運んだらそれだけお給金をはずんでくれるかもしれない。
途中、畑までの道すがらナウラが通りかかって、冗談だったのに、と目を丸くしていたけど、ミトには、ナウラに構っている余裕も暇もなかった。
言われた畑に肥料を全て運んだ後、ミトは少しだけ誇らし気におじさんに肥料運びを終えたことを伝えた。
「お疲れさん。頼んでたより二つも多く運んでくれたって? 頑張ったな!」
そう言っておじさんから手渡されたのは……テノー銅貨、二枚。
夏まではまだ少しあるのに、汗が滝のように流れる中朝から晩まで働いて、たったの、銅貨二枚。
コルティス銀貨十枚まで、あと何枚必要かは分からないけどきっととてつもない数の銅貨が必要なはずだ。この調子で働いてたら、きっと十年もかかってしまうだろう。
「無理……」
帰り道、夕日を背に呟いた。おじさんの前ではとても言えなかったけど、どう考えても少なすぎる。
おじさんには粘られたけど、ミトはその日で、辞めますと伝えた。
家までの帰り道、この臭いが何日も取れない予感がした。
家に帰ってから、またバル婆の目を盗んでモタンの汁を絞った布で体を拭く。多少ましになった気がしたけど、ミトの気分は晴れなかった。
夕飯を食べながら、さりげなくタリオにお金のことを聞いたら、あと九百九十八枚のテノー銅貨が必要だと教えてくれた。
計算方法はよく分からなかったけど、銀貨十枚までは一年半かかると言われてどちらにしても仕事をやめたことにミトの後悔はなくなった。
そして夜、布団に入ってからもミトの頭は止まらなかった。汗で湿った手のひらで銅貨二枚を転がす。それは小さくて、すごく軽い。これだけのために、一日使ってしまったことが悔しかった。
「少なすぎだよ……」
暗闇の中で、タリオが動く音がした。ミトは、すぐに銅貨を隠した。すでに寝ているものと思っていたのに、起こしてしまったのかもしれない。
「ミト?」
「なに? 早く寝なよ」
タリオが、起き上がる気配がした。ごそごそと何かを探している音がする。
しばらくしてから、背中越しにこれ、と言って暗闇の中で何かが差し出された。背を向けたまま受け取ると、少し重みがある小さな袋だった。
「なに?」
「いいから、開けてみて」
ミトは袋の口を開けた。袋に手を突っ込むと指先に、硬い感触が当たる。
「数えてみて?」
テノー銅貨だ。
さっきまでずっと手にしていたから見なくても分かった。それも、一枚や二枚じゃない。つるつるとした銅貨は、タリオがお金を貰うたびに磨いていた証。
暗闇の中で、ゆっくりと一枚ずつ取り出して数える。全部で――三十六枚。
「これ……」
「代筆と代読で稼いだの」
「全部?」
タリオが頷くのが気配で分かる。
「ミトにあげる」
ミトは取り出した銅貨をすぐ袋に戻す。あげると言われた時にすぐに頭に血がのぼった。
こんなことを弟に言わせたいわけじゃない!
「もらえないよ」
「なんで?」
「なんでって。――あんたの大事なものでしょ」
「あげるって言ってるでしょう」
「でも……」
ミトは袋をタリオに突き返す。もらえない。それなのに、タリオは袋を受け取らなかった。
「絶対すぐによくなるね」
押し付けられる袋が、重い。暗闇の中で、言葉が出てこないでいたら、タリオはもう反対側を向いてしまった。
ミトは、しばらく重い袋を抱え込んだ後、布団の下にしまった。




