怖い目
五月に入ってすぐ、ミトはバル婆と共に再度薬師様の家を訪ねた。
今度もタリオが付いていきたいと言ったため、またオンじいが字を教えに来る朔の日に行くことになった。
タリオはどんどん元気になってきてはいるけれど、山を歩くのはまだ早い。
薬師様の診察を終えた帰り道、ミトは昼前の日差しが木々の隙間から差し込む中で、小枝を拾いながら帰途についていた。
バル婆はミトが拾う小枝を受け取りながら、ゆっくりと森の中を歩いていく。
「今度の診察は八月って言ってたね?」
「うん」
「忘れないようにするんだよ。あたしだって、あんたとタリオに言われないと五月に診察だってことも思い出さなかったんだから」
「大丈夫よ。わたしだって五月に診察があることをすっかり忘れてたけどタリオが覚えててくれたんだし。――だからわたしは、八月に診察があることを帰るまでに忘れないで、それからタリオに伝えたらいいの。そうしたら、またその時にタリオが思い出させてくれるでしょ?」
そういえば、次回はタリオも連れてくるように薬師様に言われたのだった。
「八月になったら、タリオは一緒に来れるかしら」
「どうかねえ。このまま、順調にいって、熱を出したり腹を壊さなけりゃ来れるかもしれないけど」
「――また、悪くなることもあるってこと?」
バル婆はミトが集めた小枝をよく見てから、その何本かを道に捨てて、残りを常に持ち歩いている袋に入れた。
「そうならないことだけを願おう」
「うん」
「――あの食事にするようになった理由は、やっぱり話しちゃくれないのかい?」
ミトは、拾っていた枝を取り損ねてもう一度屈んで拾いなおす。
「だから! 言ったでしょ、バル婆。あれは、わたしたちの思いつきだって!」
「そうだったね……」
ミトは小枝拾いをやめてバル婆の前に立つ。そして、人差し指を立ててから大げさに笑顔を作った。
「でも! 薬師様がお金を待ってくれたのにはほっとしちゃった」
「よく思い出してみなよ。待ってくれるなんて一言も言われてないだろ? ――お前が馬鹿な質問なんてするから追い出されただけじゃないか」
「だって、ムルグって魔力を貯められる場所なんでしょ? そしたら魔法を使ってみたいじゃない! だから、魔法ってどうやって使うの? って聞いただけなのに――急に怒って追い出すなんてひどいわよ」
「――あたしら平民は魔法を使えないし、そもそも使ってはいけないんだから」
「使えないんだったら、使っちゃ駄目なんて言う必要もないと思わない?」
バル婆は、眉毛を上げただけで答えもせずミトの横からすり抜けて先を歩きだしてしまった。それでもミトは構わずに後ろから続けた。
「でも、なんであんなにタリオが書いた紙に興味津々だったんだろ」
「タリオが書いた紙?」
ミトは、そう、と言って、腰に下げた袋から一枚の紙を取り出した。タリオに伝えて、書いてもらった腹痛の記録を広げてからバル婆に渡す。
「薬師様ったら、わたしのお腹をあの気持ち悪い方法でまた見たあとは、この紙の質問ばっかりだったもの」
バル婆は、受け取った紙をひとしきり眺めたあと、折り目をつけてミトに返した。
「あの子は聡い子だからね。薬師様も、何か書かれてることで気になることでもあったんだろうさ」
「ふうん」
「お前、今日もオンさんの教えてくれるのをさぼってるけど、ちょっとは悪いと思わないのかい?」
「ちょっとは思うわよ? でもちゃんと文字も少しずつ読めるようになってるしオンじいにはタリオが教わってるから、わたしには期待してないわよ」
「そう言ったってねえ。教えてください、ってお願いしてるのはお前なんだから、次からはちゃんと出なけりゃいけないよ」
「分かってるって。今日は仕方ないんだから、次、次!」
バル婆はため息を吐いた。
ミトは、オンじいと言われて、薬師様のことを一つ思い出してしまった。
「わたしね――薬師様の目、苦手なの」
「見た目で人が変えられないことを悪く言わない」
「違うのよ、バル婆。わたしが言いたいのはそういうことじゃなくて」
「じゃあなんだって言うんだい」
「――オンじいとか、ルリばあちゃんとか、あとは薬師様もそうなんだけど。お年寄りの人って目の色が薄い人も多いじゃない? それが苦手って言ってるんじゃないの。うまく言えないんだけど、薬師様の目ってね、わたしのお腹を見たり、タリオの書いたものを見る時だけすごい怖くなるの」
「それだけ真剣なんだろう? じゃないと人の命を預かるような職には就いてほしくないもんさ」
「――すごい冷たい氷みたいな、怖いのよ。ただ話している時にはそんなこと無いのに」
「その時々で目の色が変わるとでも言いたいのかい?」
そういう訳ではないのだが。
「――上手く説明できない! 八月が来たら、今度はバル婆も良く目を見てみて! わたしの言ってることが分かるから」
「わかった、わかった」
森を抜けて、村へと続く道が見えてくる。今はお昼前でどの家も昼食の準備に忙しいのか、人気はまばらだった。煙突から上がる煙が、明るいそらに薄く漂っていて、色々ないい匂いがしてきてお腹が減ってくる。
「今日は何のおかゆ?」
「山菜だよ」
「やった。お肉はある?」
「乾燥させたのがあるけど、鶏は無いからあとで買いに行かなきゃね」
「わたしが行くわ」
「いらないもんを買うんじゃないよ」
「必要なものだけ買うから安心して」
「お前の必要は、あたしの不要だからね。やっぱりあたしが買い物に行くよ」
「そんな! ついでに他のお肉も買ってきてあげようと思ったのに。――もちろん安かったらね」
「やっぱりいらないことをするつもりじゃないか。あたしは鶏だけをお願いしてるんだから」
「そんなあ」
買い物にどっちが行くかのやり取りをしていると、うちが見えてきた。
ちょうど、オンじいがうちの戸を開けて、それをタリオが見送っている。バル婆は少しだけ駆けたけど、距離があったからか諦めて、またゆっくりと歩きだした。
「お前のことでお詫びをしなけりゃだったのに」
「次の朔の日にちゃんとわたしが謝るわ」
「頼んだからね」
「はあい」
うちに辿りつくと、タリオがいそいで粥を口に運んでいた。朝つくったからすでに冷めていて美味しくないだろうに、一生懸命食べているのがなんだかおかしい。米粒を机に落としながら食べるからいつもより器が空になるのが早い気がする。
タリオは、帰ってきたミトとバル婆を見上げてから、口に粥がつまったまま早口で言った。
「今日はウダと川に行くから」
「聞いてないけど」
「言ってないから当たり前でしょう?」
ミトは何となく腑に落ちなくて、タリオの器におかゆを勝手に継ぎ足した。タリオは何度か器とミトを見比べて無言で何かを訴えていたけどミトは無視した。
急いでおかゆを食べるタリオを横目に、ミトは窓の外へ目を向ける。
「もっと早く、わたしがお腹を壊していれば良かったよね」
――そうしたら、もっと早くあの紙が手に入っていたはず。
しばらくそんなことを思ってぼうっとしていたら、いつの間にか食べ終わったタリオが台所で器を洗っていた。何か言った?、と顔を上げる。
ミトは食卓を拭きながら返事をした。
「なんでも! 暗くなる前に帰ってきなよ」
タリオは大急ぎで、玄関から出て行った。ミトはそれを見送ってから台所に行って、残り物の粥の鍋に火をつけた。まずは残り物を処理して、それから昼の粥を作らないと。
バル婆は、隣であく抜きのために水にさらしていた朝採れの山菜を確認し終えると、肉を買いに行くと言って玄関に向かった。
「――ねえ、バル婆」
「なんだい?」
「どうして薬師様にお腹を見てもらってること、母さんたちに黙ってくれてるの?」
バル婆はかんざしを付けなおした。
「さてね――お前が黙っててくれって言ったんだろう?」
「それは、そうなんだけど」
「あの二人に言ったって、金が湧いて出るわけじゃないだろ。――それとも言ったほうが良かったかい」
ミトは急いで体ごと首を振る。
「ううん! 言わないでくれてありがとう! 買い物、いってらっしゃい!」
「――あいよ」




