糸引くダルド豆
いっかな文字を書くのは上達しなかったけど、好きこそもののなんとかで、健康の書の、ある一部分だけはようやく読めるようになってきた。
ミトは、布団に寝転がってきれいに書き直された文字を眺めている。部屋の中は蒸し暑くて、小川に足だけでも浸かりたくなった。
でも、今度もそれをやって、また川に紙を流されたらタリオはもう書き直してはくれないだろう。
だから、仕方なく薄い木の板を加工した団扇で着物の隙間から風を送る。紙に書いてある文字に目をこらしながらタリオの口の形と文字が一致するようにひとつずつ読む。
手にしているのは、タリオがミトでも読めるように易しい文字で書き直した健康の書だ。お金のこともムルグのことも、相変わらず何一つ解決していない。
でも、どちらもすぐにどうにかできる問題じゃないことはすでに分かり始めていた。
「だるどまめ」
書の一番上に書かれた言葉を読み上げる。
「わら、で、にたまめ、をつつんだら、いちにちか、ふつか、ねかせます」
ゆっくりと書いてあることを読み上げてミトは満足した。そのあとに続く細かい文字にはなんとなく目を通しながら、布団から起き上がって台所に向かう。
「ダルドがそんなに昔から食べられてたなんてね。――昔から安かったのかしら」
腕は、すでに棚の中のダルドを探していた。ダルド豆はたっぷりある。貧乏なうちでも買えるし、豆を植えたら畑にいくらでもなった。
棚にあるダルドを触りながら、やっぱり、と戻すことにした。バル婆に気が付かれないように貯蔵庫のものを使おう。
――そう言えば、昔の暦が今とは違うかもってタリオは言ってた。
それでも六月から八月にしか作れないって健康の書には書いてあるんだから試してみる価値はあるはずだ。
鍋を火にかけて、貯蔵庫からとってきたダルドを一握り入れる。
「どのくらい煮たらいいのかしら」
とりあえずぐつぐつと煮て、噛めるくらいの柔らかさになるまで時間をかけてみた。煮込んだダルドを熱いまま藁にひろげようとしたら、藁がふやけてとてもまとめることができなかった。だから、焦れる気持ちを抑え込みながら、少し冷ましたものを丁寧に包んでいく。
こんなもの、食べられるのかしら。
でもきっと、これまでと同じようにタリオを病気から遠ざけてくれるはずだ。ついでに、ムルグも治してくれることと、出来上がった料理が美味しいことを決めつけて、家の裏の軒下にダルドの藁包みを置く。
次の日、昨日と同じくらいの時間にダルドを確認したらなぜかきれいさっぱり消えていた。
「うそ……」
誰かが盗っていくとも思えない。けれども、一応ご近所の人に誰か怪しい人が居なかったか確認をする。
ナウラの母さんであるヌイおばさんにはこの間、ネリーの花の件で叱られたばかりだったから、左隣のナウラ宅ではなく、反対隣に夫婦で住んでいるロタンおじさんに聞くことにした。
「いんや、だれも見てねえな。――そんなに大事なもんなら抱えて持っとくしかねえだろうなあ」
いくら大事でも藁をずっと抱えているなんてできないから、ミトは忠告をやんわりと拒絶した。
なんとなくもやもやとした気持ちになりながら、もう一度同じものを作って今度も同じところに置いておく。
誰か、怪しい人が来たらすぐに動けるように耳を澄ませながらその日は一日家で掃除をしたり、字の勉強をしていた。
夕方、畑から帰ってきたバル婆の腕に、見覚えのある藁の包みが抱えられていて、ミトは思わず指さした。
「その藁……」
「うちの軒下にだれかが丁寧に置いていったと思っていたけど――まさか、お前かい?」
丁寧に置いたのは自分だ。
「昨日のをどこかにやったのもバル婆?」
「燃やしたよ」
「燃やした?」
バル婆は、手にした藁をミトの目の前で竈の薪に放り込んだ。ぼうっと炎が燃え上がって、藁がダルドごと縮れて黒くなっていく。ミトは両手のこぶしを握って、震えながら目を閉じた。
――隠れてやることにしよう。
今度は台所の奥の、バル婆が滅多に開けない棚の隅に、藁の包みを置いた。きっとここなら見つからない。
バル婆の目を盗んで何度も棚をのぞいて見たけど翌朝までしっかり残っていた。
次の日、バル婆が畑に出た後を見計らってすぐに藁を開けようとした。けれども、思いついてタリオも呼んであげることにする。
タリオは日によって起きる時間がばらばらだったから、結局昼前まで待つことになってしまった。
タリオは相変わらず健康の書とのにらめっこが続いていて、ウダと遊んでいない日は一日中紙の上に向かっていたから少しくらいは別のことに注意を向けさせたほうがいいのだ。
「おじいさんが試すなって言ってたの、これのことじゃない?」
タリオが鼻をつまんで藁を遠ざけながら言う。
棚の中で一日置かれたダルドは強い臭気を放っていて、藁を開けた瞬間は糞小屋の匂いといい勝負だったと思う。顔を近づけて、思わずえずいた。
「でも、オンじいが読み間違えてるかもしれないじゃない」
「そんなはずないよ。だっておじいさん、読めなかったところはちゃんと読めないままで、教えてくれなかったでしょう?」
「それはそうだけど……」
タリオは考え込むように黒ずんだダルドを見つめる。
「おじいさんは間違ってないと思うけど、これは絶対に食べたら駄目だと思う。分かった?」
一口だけ食べてみて駄目そうだったら吐き出そうと思っていた。でも、タリオがあまりにも止めるから今回はあきらめることにした。
懲りずに作りなおしたダルドの藁包みを、次の日はもう少しだけ早めに取り出してみることにした。
タリオは今日はウダとまた遊びに行っているから止められることもない。
また棚の奥から藁を引っ張ってきて、腕を限界まで伸ばして包みを開ける。その距離では匂いを感じなかったから徐々に顔を近づけた。
ミトは、少しだけ嫌な顔をした。
「でも、これくらいなら大丈夫かな……」
鼻から息を吸うのを止めて、口の近くに藁の包みを持っていきかけて慌てて止める。
「――お塩!」
健康の書には、出来上がったら塩をかけると書いてあったはずだ。確かに、何も味付けのない豆より美味しいだろう。
塩をかけて、何となく箸で混ぜた。でもすぐに、混ぜたことを後悔させられる。
混ぜた豆は糸を引いて、とても美味しそうには見えなかった。
「げえ」
粘るダルドを見て、バル婆の言葉を嫌でも思いだす。繰り返し繰り返し、食べ過ぎたり悪くなったものを食べる度に言われてきたから、本人が居なくてもバル婆の声が聞こえてくる。
腐ったら食べない、腐ってるか分からないなら糸を引かないか、匂いがしないか確かめろ。
”あれほど言っただろう?”
ミトは、首を振ってその声をはらう。
「――酸っぱい匂いはしてないし大丈夫」
食べてからしばらくして、ミトは強烈な腹痛に襲われた。何もしていなくてもお腹がしびれるようで、痛すぎて震えがとまらなかった。
それなのに、最近はムルグの痛みもあの気持ち悪さもなくなっていたから、普通の腹痛であることに、逆に安心すらしていた。
そして、布団に入る頃には既に原因は出切ったようで痛みも落ち着いたことにさらに安堵する。
布団に入ったあと、健康の書を眺めるタリオに聞いてみた。
「ウダと最近はなにしてるの?」
「魚釣り」
「サオロも一緒に?」
「そう! 今日は、こおんなに大きなやつが釣れたんだから!」
タリオは体を起こして、ミトが寝る右端から自分が寝ている左端の辺りまで体を行き来させた。ミトは、その大きさを確認したあと、握りこぶしをつくってタリオに見せつけた。
「夕食に出てきた魚はこおんなに小さかったのはどうして?」
「大きいのは、三人で頑張ったんだけど糸が切れて逃げたの」
「それじゃ、そんなに大きいか分からないし、釣ったっても言わないわ」
「じゃあ、ミトは今日はなにしてたの?」
「わたしは――健康の書に書いてるダルド豆をまた試してみたんだけど」
皆まで言わなかったのに、死ぬほど呆れられてしまった。諦めたような声でタリオが言った。
「――絶対食べないって約束したじゃない」
「大丈夫そうだったんだもん!」
ミトは、口元に人差し指を当ててタリオを睨みつけた。




