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美味しい毒



 その日、ミトとナウラは村から歩いてすぐのモロ山に入った。森と畑が一緒になっているようなところで、普段から子どもたちの遊び場になっている。


 森を歩いていると、誰の畑であるのか分からない、皆が適当にものを植えている共用の畑があったり、耕そうとして途中で放置されて森と同化し出した畑なんかもあってすごく面白い。


 今回の目当ては、洗浄に使う若いモタンの実。実がなる木は、モロ山からナロ谷に向かうその間にある。


 こないだ、体を洗うために使い切ったことが、バル婆に知られてしまったので、遊ぶついでに行こうとナウラに声をかけてみた。


 ナウラは面倒がったけど、モタンの洗浄液に入れるために良い匂いの草を探してと頼み込んだら一緒に付いてきてくれた。


 でも今、ミトは一人で、山道を歩く。歩きながら思い切り鼻から息を吸い込む。みずみずしい葉の香りが森いっぱいに広がっていた。上を見上げると、何重にも重なった若葉の隙間から、強い光が差し込み、苔むした地面を照らしている。


 もう春と言ってもいいのかもしれない。


 耳を澄ましているとカサカサという葉擦れにまじって、虫や小さな生き物の音が聞こえた。


「ミト!」


 良い匂いの草花を探しに、別行動をしていたナウラが、急に茂みから現れた。その手には、見たことのない草が握られている。


 ナウラが差し出した草は、見慣れた雑草とは明らかに違っていた。茎が不思議なうねりを描いて伸びていて、その先には小さな水の粒を集めたような不思議な集まりがあった。それは花なのか、実なのかも分からない。


 その草は透明とも白ともつかない、どこか深みのある色合いをしていた。


「なにこれ?」


 指先で水の粒の集まりに触れてみると、粒はすぐにはじけてしまった。そして、微かにはちみつや牛乳のような、少し甘くてすっきりとした香りが鼻をくすぐる。


「どこで見つけたの?」


「あっち」


 ナウラが指さした方向に二人で向かう。普段は迷ったらいけないと大人たちに口酸っぱく言われているから山道からそれることはない。


 でも今、道のない場所に踏み込んでいた。自覚しながら、それでも立ち止まることが何故かできなかった。


 ナウラが背の高い草をかき分けて、木の根に気をつけるように言ったその時、ミトは、あ、と声をあげたまま、息が止まってしまった。 


 目の前に広がっていたのは、見たこともない景色。


 まるで、天の川や、白い雲がそのまま地面に落ちてきたみたいだった。


 不思議な草がみっしりと並んで揺れてる小さな草原。森の窪みのその中に、雲の草原があった。


「こんなの――見たことない」


「すごいでしょう」


 ナウラは、自分が作ったとでも言うように得意げに言った。


 そしてただ、その光景に二人で見とれていた。


 ぼうっと二人で佇んでいると、強い風がふきぬけて草原全体から、ぷつぷつ、とにぎやかな音が聞こえてくる。


 何万もの水の粒の集まりが、いっせいにはじけた音。はじけた粒は、きらきら光る冷たい緑の霧になって、二人のまわりを包みこんでいく。


 日の光を浴びた霧が、まるで森の中に巨大な緑の薄衣を垂らしたようで、それを風がさらっていく。


 同時に、先ほどとは比べ物にならないくらい濃厚であまい匂いがまわりに広がる。そのいい匂いが体じゅうを包みこむように、いっきに押し寄せてくる。


 二人で顔を見合わせてから、口を目一杯広げてはじめての甘さを味わう。


 本当に甘かったのだ。


 しばらく、不思議な甘味を楽しんだあとは、まだ水の粒が残っている不思議な草を袋いっぱいに摘んだ。


 摘むときも不思議な粒を潰さないように慎重に摘む。


 指で直接粒を触るとはじけてしまったけど、触らないでそのまま布の袋に入れてしまえば意外と丈夫なその草は、袋の中にぎゅうぎゅうに詰まっている。


「なんていう草なんだろう?」


「見たことないよね」


「バル婆も見たことなかったらどうしよう」


 知らないものを食べるな、とは言われているけれど。


 あの草がはじけた時、あんなに美味しかったのだから、摘んだ草を絞って飲み物やお菓子を作って食べてみたかった。


「絶対知ってるよ」


「そうだよね! ――ナウラはなんであそこにあの草があるって気づいたの」


「だって、ずっと美味しそうな匂いがしてたもん」


 ナウラがうっとりとした顔をして眩しそうに上を見上げた。その日焼けした顔には小さな汗が光っている。


「この草、あんなに遠くにいかないと見つからないのかな」


「どうだろう……。あんなに良い匂いがしたらすぐに分かるとは思うけど」


「ナウラは鼻が良いもの。わたしが、良い匂いがしたのは、不思議な草原に近づいてからだった」


「そうだった?」


 二人はしばらく先ほどの甘さを思い出しながら歩を進めた。


「早くうちに帰ってこれでお菓子をつくってもらおう!」


「そうね! もし、バル婆が作ってくれるならあたしが摘んだやつも渡していい? 母さんよりもバル婆の方がお菓子を作るのは上手でしょ?」


 バル婆は山菜がゆだけでなくて、お菓子作りも得意だった。材料が中々手に入らないから食べる機会にはあまり恵まれないけれど。


「もちろん」


「楽しみだね。――そういえば、こないだタリオとウダが魚釣りに行ったみたいだけど聞いた?」


「聞いたわ。大きい魚が釣れそうだったって言ってたけど、どうかしらね」


「――最近は、体調いいの?」


 気遣うように話したナウラの意図が分かって、ミトは苦笑する。


「すごくいいよ。このまま健康になってくれると良いんだけどね」


「やっと、丈夫になってきたんだね」


 ナウラは手で汗を拭いながら嬉しそうに言った。ナウラが一緒になって喜んでくれることがミトは嬉しかった。


 胸がいっぱいになって、そして、お腹の奥が、じり、と疼いた。


 ――まただ。


 ミトは立ち止まって深呼吸する。


 一回、二回とゆっくり深く息を吸って吐く。違和感がおさまらなくてこぶしを支えにミトは木に寄り掛かった。


 おしゃべりが急に止まったことに、ナウラが気づいた。


「――ミト?」


「なんでもない。もしあれだったら先に帰って……」


「休んでいこ」


 二人で大きな木の根元に座る。木陰になっていて地面は冷たかった。ナウラはただ隣に座って、何も言わずにミトの隣で近くの草をちぎっては嗅いでいた。


 ミトも、同じように草をちぎりながら、気持ち悪さが収まるのをまっていた。


 ナウラが周りの草をあらかたちぎり終わったところでミトは言った。


「もう、大丈夫」


「行きますか」


 ミトは頷いて慎重に立ち上がった。随分、あの不思議な草を摘むのに時間をかけたから、森は薄暗くなっていた。






 夕日が沈んで暗くなりかけた頃、やっと村と山道の境目まで帰り着くと、バル婆とヌイおばさんが急に目の前に現れた。


 二人とも恐ろしい顔をしていたけど、バル婆に、不思議な草が森で採れたことを伝えて、籠を見せると眉根に更に皺を寄せられた。


「まさか蜜を飲んでないだろうね?」


「もちろん我慢したよ! でも、途中すごい強い風が吹いてね、蜜が勝手に口に入ってきたの」


 バル婆とおばさんがそろって顔を見合わせて嫌そうな顔をした。


「ネリーの花だね。――多分この様子じゃ大丈夫だとは思うけど、一応毒が残ってる可能性もあるから、すぐに体を流さないと」


 毒!?


 ミトとナウラは、すぐに小川に向かって駆けだす。


「お前たち! 一体この季節に水浴びできると思うのかい」


「でも、毒って、わたしとナウラは大丈夫なの!?」


 ヌイおばさんが、ナウラをよく調べるように近くに来て顔を観察した。


「ネリーの花の蜜はね、火を入れたら熱さましの薬になるけど、生のままじゃ毒なんだよ。――うん。バル婆、多分大丈夫だと思うわ。念のため、お湯も沢山飲ませたほうが良いね?」


「ああ。体を洗う時もモタンの実を煮出してしっかり流しておやり」


 モタンの実。そういえば、今日はモタンの実を取りに行ったんだった。


 すっかり本来の目的を忘れていた。


「バル婆――モタンの実、取り忘れた」


「――ヌイ。悪いけど、うちのばかも一緒に洗ってもらえるかい?」


「任せて」






 ミトは夜、布団に入ってから小声で文句を言った。


「あんなに美味しいのになんで毒があるの」


 体を洗ったらすぐに、毒が残っているかもしれないからと、ヌイおばさんに大量のお湯を飲まされた。


 おかげでうちにもどっても夕飯はちっともお腹に入らなかった。


「お腹が、ちゃぽんちゃぽんだよ」


 文句を言いながら目を閉じて布団で横になっていると、夕方、久しぶりに感じた気持ち悪さを思い出す。


 あの、冬の日に薬師様に言われた言葉がまた頭の中で繰り返される。


 そして、その日薬師様が忘れて行った汚い紙。


「――あんなのが、タリオを元気にするなんてね」


 なんとなく口さみしくて唇を噛んだ。そしてふと気が付いて目を見開いた。


 ――そうなのだ。


 あの紙は、”誰か”が書いたものなのだ。


 自分の腹痛や、気持ち悪さも、”病気の書”にでもして残しておけばいい。そうしたら、いつか役に立つかもしれない!


 そう思って、体を起こしかけて、止まる。


「――わたし、字が書けないんだわ」


 隣で静かな寝息を立てる弟を見つめて、なんて頼もうか、考えながら眠りについた。



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