おかわり
二月八日の星の日に、モルトは、エダとその他の小作人仲間とともに送りの馬車を組み立てていた。
馬車と言っても、大きな板の台の上に、丈夫な木の棒と幌がかけられただけの簡素な代物は荷車と呼ぶ方がしっくりくる。
それに山登りが得意な数頭の山馬に運びを任せてるから、そもそも正式な馬車でもないのに馬車と呼んでいるのが考え出すとおかしかった。そんなおかしな馬車に乗り込みながら、エダが言った。
「やっと星の日ね」
この馬車に乗る時には疲れすぎていてみんな口数が少なくなる。だが、地主が変わってからは休みが二週に一度になったこともあって言葉の重みが感じられる。モルトは頷いて、黙って妻の肩を揉んでやる。
「地主一人で働き方がこうも変わるとは思ってなかったよなあ」
うちの右隣に居を構えるロタンが、エダの言葉に応えた。ロタン兄と呼んで、小さい時から遊んでもらっていたが、明るい茶の髪の中に少しずつ白いものが混ざり始めたのを見て、ロタン爺に改名しようかと悩む。
「一昨日その地主が挨拶に来ただろう?」
馬車に一緒に乗り込んだ女たちが泥に汚れた頬を少しだけ赤くした。エダの頬の色が変わるか観察していたが変わらないことにモルトは安堵する。
「ええ。急に来るからみんな驚いたの」
「おれたちの畑にも来たのか? ロタン兄」
「ああ。お前が必死で耕してるそのすぐ後ろに立ってた」
「モルト!? なにしてるのよ!」
まったく覚えが無かった。目の前のことに集中するとその他のことに目が行かなくなる自分の悪い癖だった。
「落ち着けよ、エダ。――お優しい地主様は構わないと言って下さったがよ」
ロタンが唾を馬車から外に吐き出して、気に入らないというように鼻を鳴らした。でも、それに気が付かないように、女たちが一斉に話し出す。
「また来てくれるのかしら」
「リシェル様って言ってたかい?」
「あんなにきらきらしい男の人なんてはじめて見たよ。ねえ、エダ!」
「ううん。そうねえ、でもあたしはあそこまで綺麗だと何だかちょっと……」
「旦那の手前だしね。あぁあ、村にもあんな男が居たら良いんだけどねえ」
「ふん。こっちゃあ週に一度の休みが二週に一度になったんだ。なのに、女どもときたら顔だけで許しやがって。みっともねえ。――なあ! モルト」
女たちの視線が痛い。答えようかどうか迷って結局寝たふりをする。たまりかねてエダが返事をしてくれるだろう。
「でも、前の地主様よりはいいでしょう? ロタン兄だって言ってたじゃない。お給金が減っていってるのに、拘束時間は長いって」
やっぱり。
「そりゃあ、文句が言えることが見つかれば言うさ。――おれはそういう人間だもの」
女たちがどっと笑った。
「だがよお、なんだって休みが二週に一度にならなくちゃならないってんだ? 不満を持ってんのはおれだけか?」
「そういう訳じゃないけど。これまでと違って、休憩だって、お昼の時間だってしっかりくれるって言ってるし、それに二週に一度の休みになるのは月ごとので持ち回りで変えてくださるって言ってたじゃない」
「そうそう。それに、あの綺麗な顔で謝られたら断れないじゃないか」
女たちのさっきよりも大きな笑い声が幌の中に満ちる。
「なんだ! 結局それじゃねえか!」
モルトとエダとロタンは馬車を降りて、御者に礼を言った。三人の住むこの窪山が一番ヴェルサリアからは遠かったからもう馬車の中に残っている者はいなかった。
朝に出発した馬車が、村にたどり着くまでに山馬の脚で急いで約一時。険しい山道を苦も無く駆けられるとは言え、通常の馬よりも小さな体で馬車を運ぶのは大変なはずだ。
エダが御者とロタンと話している隙に、モルトは畑から失敬してきたダルド豆を着物の内嚢から取り出して山馬にやる。山馬は嬉しそうに、モルトの手の平に鼻を突っ込んだ。
「モルト! 行くわよ」
「ああ」
山馬にも別れを告げて、うちへと向かう。
「タリオ、そろそろよね」
「ああ」
タリオは、七歳になるが全く体が丈夫じゃなかった。冬になると咳をして熱を出して、何度かもう危ないと思ったこともある。
この時期は、エダがなんとか仕事に行くのを遅らせようと、雪が降ることを願っていた。雪が降ったら、村からヴェルサリアには向かわなくていいから。
「こないだも熱で寝込んだし――それにミトまで腹痛って言われた時にはどうしようかと思ったわよ」
「ミトは良くなったんだろ?」
「まあね。お母さんの早とちりだったみたい」
会話をしながらうちの前につく。疲れた顔は見せない。二人でそう決めていたから、お互いに笑顔を作ったあとに玄関の戸を開けた。
台所には、子どもたちにバル婆と呼ばれている母さんと、ミト。食卓では、何かの紙を広げたタリオが居た。玄関を開けてすぐに、タリオが駆け寄ってくる。随分元気そうに見えた。
エダが、床に荷物を置きながら抱き着こうとするタリオに言った。
「タリオ――なんだか顔色が良くなったんじゃない?」
同じことを思っていたようだ。エダがタリオの顔をよく見ようと手を伸ばすと、台所からミトが飛んできてすかさずその手を止めた。
「外から帰ってきたら土を落として手を洗ってきて! 父さんもね! 外ってきったないんだから!」
「――今度はなに? また何かはじめたの?」
エダが渋々外に出て靴の泥を落とす。
自分も外に出て靴の泥を落とした後、玄関前に置かれていた水桶から水を掬って手を洗った。
こんなところに桶があっただろうか。
母さんが、エダに向かって呆れ顔で伝える。
「最近の二人はずっとこの調子さ、一体何を考えてるんだか。――でも、掃除が楽にはなってるけどね。靴の泥はそこに敷いた、布で落としておいで。ミトが作ったんだ」
桶のすぐ隣に、恐らく植物で編まれた、四角い布のような何かがあった。靴底を擦りつける。なるほど。よく泥が落ちる。
エダも頷いて、布の端で靴底を擦りはじめた。
モルトは、手のひらをミトに見せながらうちの中に入る。背筋を伸ばすと梁に届くから、戸を通るときはいつも屈んでいる。
「ほら、ちゃんと落としてきたぞ。これで良いよな?」
ミトと、タリオが何やら笑って自分を見ていた。
「ありがとう。でも、そうしてると何だか悪いことをした人みたい。――これから外から帰ってくるときは必ずそうしてね」
エダも外から戻って来て、あらためてタリオの顔をよく見る。そのあとミトに視線をうつした。
「急にきれい好きになって、一体どうしたってわけ?」
「秘密よ。でもきれいにしてたら、タリオが五日も熱を出してないんだからね!」
「あら、本当? お腹の調子はどうなの」
タリオが得意そうにエダに答えた。
「お腹も壊してないよ。最近はご飯をミトが作ってくれてるの」
ミトは食卓にお湯の入った湯呑を出しながら、気取ってタリオにお辞儀をした。
「どういたしまして」
「じゃあ、あんたたちはお母さんと別のものを食べてるってこと?」
「そうだよ。なんで怖い顔になるの?」
それまで笑顔だったエダが、急に真顔になってこめかみを揉むようにした。
「あんたたち。――うちはお金がないのよ。最近は炭だって馬鹿にならないんだからまとめてご飯を作って貰わないと困るのよ」
ミトは食卓に置いた湯呑をモルトのほうに差し出す。母さんが昼飯の粥が入った鍋を持ってきて言った。
「エダ、安心おしよ。ミトが、全員分つくったところにあたしだけ味付けを変えるぐらいで食べてるからさ。炭は無駄になっていないよ」
「それなら良いんですけど。お母さんもあまりこの子たちを甘やかさないでください。――あんたもわがまま言ったら駄目よ」
ミトは何かを言いたげに唇を尖らせたけど、それでも一応頷いて椅子に座った。
タリオがミトとエダの顔を何度か往復してから、慌てて言った。母さんが運んできた粥を指さす。
「あのね、今日もミトが作ってくれたの」
エダはまだ少しとげがある口調でミトに聞いた。
「普通のおかゆに見えるけど?」
「うん。普通のおかゆよ。ちゃんと節約して、裏山で採れた山菜でしょ。あとダルド、それに鳥肉を入れた普通のおかゆ」
「普段とどう違うのか全く分からないわ」
母さんが腰に手をあててミトに言った。
「ちゃんと説明しておやりよ」
ミトはタリオと顔を見合わせてにやっと笑った。それからミトは肩をすくめて、一杯だけタリオに粥をすくって渡した。
そのあと鍋をよくかき混ぜてから、みんなに分けていく。モルトには大きな器に並々と。
礼を言って器を受け取る。
母さんとエダには自分の器より一回り小さいものに普段の量をよそっていく。ミトは大食いなので、もちろんその縁まで並々とよそうのが常だった。
鍋の中には残った粥の中心に倒れた湯呑が一つ。
エダは、何か言いたげな顔でミトとタリオ、それから母さんを見回してから口をつける。そして何度か瞬きをしてから苛立たしそうに言った。
「お母さんも……あんたたちも! わたしをからかってる? いつもと全く変わらないじゃない!」
母さんは何かをこらえたように頷いて台所に戻っていった。
モルトは何度か粥を口に運んだ。
なにが違うか、わかった。
「シラックが入ってない。それに随分――やさしい味だ」
エダが、眉間にしわを寄せたまま粥を見てもう一度食べる。
「さっきお母さんが言ってたのはそういうこと? 味付けをしないのがあんたたちの工夫?」
「そう!」
二人は同時に言った。得意げに言われたその言葉に、モルトは口を覆った。
咳払いをして、二人とエダが睨みあっているのを見ていると、母さんがシラックを手にして戻ってきた。
母さんは、真っ赤で細長い、中指ほどの大きさの野菜を数本手にしている。自らの器と、モルト、そしてエダの器にその野菜をきざんだものを入れる。
それから赤い野菜の数本のうち小さい一本は口の中に放り込んで。もう何本かをモルトに渡した。
「シラックはあったほうがうまいからね」
モルトはシラックと粥を混ぜながら娘に聞いた。
「ミトはシラック好きだったろう?」
「今も好きよ。でも、最近はあんまり食べ過ぎないようにしてるの」
「五日ほど前から急にね。何があったか聞いても、答えちゃくれないんだよ」
母さんがカッとなった熱を逃がすように口元を手で扇ぐ。エダは考えるように鍋を見て言った。
「この鍋の湯呑はなんなの?」
「ああ、これね。これもなんでもないんだけど、野菜の硬いところと柔らかいところを分けるために、硬い野菜だけいれた湯呑なの。最初にタリオによそって、硬いところは後で混ぜてわたしたちで食べるの」
「なんのために?」
エダが首を振って本当に分からないという感じで聞いた。タリオが答える。
「病気にならないためにだよ」
「柔らかいものを食べると病気にならないの?」
ミトとタリオは目を見合わせた。
「大人は食べてもいいんだけど、タリオみたいに体の弱い子は柔らかいのがいいんだって。――でも、そうしてたら本当にお腹を壊してないんだよ?」
「――誰からそんなことを聞いたの?」
「聞いても無駄さ、エダ。あたしも何回も聞いたけどさ、急に料理を作りたくなったの一点張り」
ミトは何度か頷いた。
モルトも何かを聞いてみたくなったが、タリオが腹を壊さなくなったということ。その事実だけで充分だと思いなおした。
エダはまだ疑わしいようにミトを見ていたけど、そこにタリオが言った。
「おかわり!」
タリオの言葉にエダが目を見開いた。モルトは、粥を喉に詰まらせてげほげほとやって慌ててお湯を飲む。
――今、タリオはなんと言った?
ミトはタリオが差し出した器に鍋に残った残りの粥をよそった。先ほど言ってたように硬い部分をちゃんと避けて、柔らかい葉と肉の部分が器に入るように調節するのが見て取れた。
タリオが食べ始めるのをしっかり待って、やっとエダがタリオに聞いた。
「タリオ? ミトがおかわりするからって真似したり、無理しなくていいのよ? そりゃあおかわりしてくれるのは嬉しいけど、体を壊したら元も子もないんだから」
「ううん、無理してないよ。本当におかわりしたい」
「そう、なの」
「うん!」
エダは、空になっていくタリオの器を見ながら目じりに透明なものを浮かべていた。
「モルト」
エダと目が合う。モルトはタリオの器が空になるまで瞬きしなかった。そしてエダと同じように目を細めてただ静かに頷いた。
「ああ」
食生活改善の様子を父モルトの視点で書いてみたのですが、うまく伝わったでしょうか?
ミトとタリオのチャレンジは結果を出し始めているようですが、周りの大人はそれに振り回されるのが今後も続きます。次のお話からはまた、ミトの視点です。




