ダルド、完成?
オンじいの許しのおかげで、ミトはその後、言い訳に困ることなく健康の書を使うことができるようになった。
でもそれは、同時にとてつもなく面倒なことのはじまりにもなっていたのだから、良いことばかりとは言えなかったけど。
村には、本格的に暑い時期が来て、小川の周りで遊んでいても、森の中で散歩をしていても、どこにいても知らない間に額に汗が浮かぶようになっていた。
今は、戸という戸を全て開け放して、風通しを良くしていたけど、ミトは目の前の紙に汗を垂らしてしまって舌打ちをする。
目の前には、タリオとオンじい。
そして隣には、前回の朔の日から参加しているナウラがいた。
ミトは、タリオが書いたお手本と自分の書いたものとを照らし合わせて、正しい文字がかけているか確認する。
ナウラは、間違いを早速発見してなんとかごまかそうと、線を上から重ねている。重ねた線が太すぎて、元の文字がほぼ潰れそうになるのをなんとか阻止してから小声でミトに抗議した。
「ねえ! 聞いてた話と違うんだけど?」
「なんのこと?」
「わたしは、食べ物も食べられるし面白いから一緒にやろう、ってあんたに言われたから来たのに! 字を勉強させられるなんて聞いてないよ!」
「わたしは――」
「――お二人さんは終わったかね?」
オンじいが、ミトの言葉をにこやかに遮った。顔は笑っているのに何故だかちっとも優しそうには見えなかった。
二人してもごもごしていたら、タリオが言った。
「おじいさん! 二人は放っておこうよ! ここの文字はなんて読むの?」
タリオは、あの日以来取りつかれたようにセドラムを学んでいる。
オンじいから、何冊も本を貸してもらって、分からない字を洗い出しては、徹底的に覚えこんでいるみたいだった。
オンじいは、また楽しそうにタリオの隣にすぐまた戻っていく。
文字に狂ったこの二人には、もうついていけない。
話していいと許可をもらった三枚六面について、ミトはすぐに母さんやバル婆、それからナウラやサオロ、あとはご近所さんにやり方を伝えると、みんな、タリオを例に出して、やっと合点がいったと頷いていた。
ご近所さんからご近所へと噂は広まって、最近は井戸や洗濯小屋の近くをミトが通ると待っていたと言わんばかりにおばさんたちに話しかけられる。
「もう、うんざり」
ミトのつぶやいた言葉にナウラが反応した。
「なんのこと?」
「わたしに聞いたって、節々の痛みや火傷の跡が治るわけないじゃない。骨折に、目のかすみ、それから眠れないのにも、あの食事や方法は効くのかって! わたしに聞かれても分からないって言うのに。もういい加減疲れてきちゃうわよ」
「あれはね、諦めなよ……。目の前にタリオっていう健康になっちゃった見本がいるもんだから、みんながあんたに聞きたくなる気持ちも分からないでもないんだから。みんなより、わたしの母さんこそ、うるさかったでしょう? 最近父さんが肩を痛めたみたいで色々試してるのよね」
「おばさんはナウラの母さんだから良いのよ! わたしがうんざりしちゃうのは、今まで話したこともない大人が急に聞いてくるから、それに参ってるだけなんだから」
「なら良かった。でも、あんたのこと母さんが褒めてたよ? そのおかげでわたしは今ここに居させられてるんだけど」
おばさんはどこからかオンじいがミトとタリオに字を教えてることを聞いて来て、ナウラとウダにも習うように言ったのだ。
ミトは、ナウラに言い返そうとして、タリオに、うるさい、と言われる。
「もう! 集中してるからおしゃべりするなら出て行って!」
オンじいが何かをこらえたようにタリオを見てから、ミトとナウラをあっちに行けというように手で払った。
ナウラが、食卓の上にあるダルドの記録紙を手に取った。
ミトはナウラのあとに付いて一緒に玄関を出て、大きく伸びをした。
「肩ががちがちだよ」
「やっと解放された!」
「本当に。タリオってば最近すごい怒りっぽいのよね」
「でも、すごいじゃない。ウダなんて一日で脱落したんだから」
「サオロもね」
「最初から分かってたことだけどね。サオロもウダもダルドの料理がまだ出来てないって分かった途端に出て行ったんだから、まだ頭がよかったかもしれないと思ってるわよ。わたしはあんたが居るからまだ続けられるけど、正直な話、字には全然興味ないもの」
「わたしも興味ないわよ」
――そのはずだったんだけど。
でも、最近読めない文字があると気になってタリオに聞いてしまう自分がいた。
そしてそれが何だかナウラとは違うみたいで少し嫌だと思っていた。
ミトはナウラから記録の紙を奪って、並んでいる包みを順番に開いていく。ナウラに聞きながら、オンじいが書いた色々な項目を埋めていく。
以前、バル婆に藁苞を燃やされたから、今回は事前にオンじいの教えで使うと言っていた。怪訝そうにしていたけど、なんとか灰になることなく目の前にダルドが残っていて安心した。
「これが、一番煮込んだダルド豆。匂いはどう?」
ナウラはダルドに鼻を近づけて口元をすぼめた。
「おえって感じ」
「もっとちゃんと教えて! またタリオに叱られたいの?」
「そうね、叱られたくはないけど。――本当に吐き気がする感じ」
ナウラが一番鼻が利くので、匂いの確認をさせていた。
オンじいは、吐き気を催さない匂いになるまで食べては駄目だと言ったから、しっかり確認させる。
オンじいは、あれから更に古い書を読み込んで、煮るだけではなく、ダルドを水に晒したり、晒してから煮たり、焼いたりしたものなど、色々なものを藁に包んでそれを全部記録させていた。
ナウラが次々と匂いを嗅いだ感想を言っていく。
「昔の人は、よっぽどお腹が強かったんじゃないかしら」
ミトは強く頷いた。
あの時、お腹が痛いと苦しみながら、そもそもお腹のつくりが違っていたらどうしようと思っていたのだ。
ナウラの言葉に従って、記録にある匂いの欄を埋めていく。
一番最後、水に晒して、程よく柔らかく煮たものを二日ほど置いたものが残った。
「これが最後、と」
「これだけ――臭いは臭いけど、吐き気はしないかも」
ナウラがぽつりとつぶやいた。
二人はすぐにオンじいとタリオに知らせにいった。
知らせを受けた二人はすぐに教えを中断して、軒下へと我先に向かった。
そして、ずらりと並ぶダルドたちを観察してから、どれが問題のダルド豆か聞いた。
ナウラが指で示したあと、オンじいが念入りに匂いを確認して、頷く。
「まずはわしが食べるからな。その後しばらくたっても腹を下さなかったらお前さんたちも食べる……。それでいいな?」
ミトは渋々頷いた。
ナウラとタリオは心配そうにオンじいを見つめていた。
「まずは、塩をかける、だな。タリオ、塩を……」
タリオが塩を手の平に載せて持ってきたのをオンじいが少しだけつまんで、藁の上に乗ったダルドに振りかけた。そして少しだけ箸でかき混ぜるとやっぱり糸が引いた。
「いただこう」
オンじいは少しだけ鼻をしかめたあと、一口食べて、何度か口を動かした。
ダルドを噛みながら、記録の紙に何かを素早く書き込んで行く。
一口、また一口と食べて、ダルドが少なくなってきたのをミトは心配そうに眺めていた。
「わたしたちの分は?」
オンじいが驚いたように咳ばらいをした。
「ああ、うん、これなら恐らく問題ない」
「じゃあ、オンじいが一刻お腹を壊さなかったらわたしたちも食べていいのよね?」
「よかろう」




