物語の語り手は
小川の幅は、大の男が五人ほど腕を伸ばして寝転がれるほどのところもあれば、ミトが助走をつけて思い切り跳んだら、濡れずに向こう岸に辿り着ける距離の場所もあった。
今は、丁度その中間ほどある幅の小川で、小石をひたすら拾いながら、拾っても拾っても小石がなくならないのを不思議に感じていた。
それに、これだけ毎日拾って投げていたら、そろそろ深いところが浅くなってきても良いものなのに。
タリオとウダは、小川に足を浸けながら、大きな石を慎重に裏返しては何か生き物がいないか確認している。
サオロは浅瀬に仰向けに寝そべって、流れに背中を浸したまま目を閉じていた。
ミトはふと気になって、タリオに聞いた。
「オンじいの質問の答え、もう考えた?」
「うん。とっくにね」
タリオは石をひっくり返して何もいないのを確認し終えてからミトに言った。
川べりに座って二人のやり取りを見ていたナウラは、首元に張り付いた二つ結びを鬱陶しそうにはがして後ろで一つにまとめる。
「なんのこと?」
石をひっくり返すのをやめて、今度は小石を拾い集めはじめたウダが代わりに答える。
「タリオに勉強を教えてるおじいさんに宿題出されたんだって!」
「私塾がせっかく休みなのに宿題?」
私塾は通いが厳しい冬と、夏の間は休みだった。暑い時期、農家の子は家を手伝って、また暑さが落ち着いたら段々と私塾が始まる。
ウダが、ミトから受け取った小石を、小川の深い部分に投げ込んだ。
まだ、深い部分が浅くなることはないみたいだ。
ミトは、腰に手を当てて一息ついた後、小川の縁に座るためにふらふらと歩きだした。
「今タリオと一緒に字を習ってるって言ったでしょ? そこでおじいさんからいろいろ教えてもらってるんだけど――わ、わわ!」
ミトが、川の中に寝ていたサオロの足に躓いた。
盛大に転んで着物がずぶ濡れになる。サオロは、片目だけ開けてミトを見た後またすぐ目を閉じた。
ミトは、こぶしを握りしめてサオロのすねのあたりを思いっきり叩いた。
ふて寝をしていたサオロが起き上がってすねをさすりながらミトに言った。
「いってえなあ。なにするんだよ」
「あんたがこんな所で寝っ転がってるから躓いたじゃない!」
「ちゃんと足元を見てない方が悪いだろう?」
サオロのすねをもう一度殴ってから、川べりに腰かけるナウラのとなりに行く。濡れた着物の裾を絞りながらナウラに言った。
「本当に男の子って!」
「男の子って?」
「もうっ! ナウラ、あっちに行こう!」
「面倒くさいなあ……」
ミトは、無理やりナウラの手を引っ張って、川べりを歩く。村の家の群れが小さく見えて、もう三人の姿が見えなくなるくらい離れたところまで来ていた。
「ふう。ここまで来たら大丈夫」
「もう!」
ナウラは腕組みをして、また川べりに腰かけた。ここは家の近くの小川よりも少し深くなっているから魚を釣るにはいいけど、泳げない子は落ちると危ないくらいに注意が必要だった。
大きな柳の木が川に影を作って、そこに目をこらすと銀色の光が小さくきらきらと光っていた。
「ごめんねってば」
ナウラに謝りながらミトは川の水で濡れた着物を脱ぐ。硬く絞ったあとに柳の木にかけた。シワができないようにぴんと布を張った後、下着のままでナウラの隣に座る。
この天気ならすぐ着物は乾くはずだ。
「もういいよ。歩いて疲れちゃった……」
ナウラはそう言って短い草が生えた地面に寝転んだ。疲れるほどの距離でないのは分かっているけど、柳の木の下の木陰は家の前の川べりよりも涼しくてミトも一緒になって寝転んだ。
着物が乾くまでそうしていようと、しばらく黙って寝っ転がっていたら、ナウラが聞いてきた。
「さっき言ってた……宿題って?」
「ええと、ちょっと待ってね」
ナウラは、うん、と言った。
ミトはタリオに聞いた言葉を正確に思い出そうとする。オンじいが言ったことをいまいち理解できなくて何度もタリオに聞いたのだった。
「試したら駄目だって言われてることを試してしまった人がいます」
「はい」
「でね、試したことの中にはいいこともあるんだけど、それを勝手に人に教えたり試させたりしちゃ駄目だって、言われたの。駄目だって最初に言ってるからね?……じゃあ、そのいいことをどうやったら人に教えられるのか、考えてこいって」
ミトは上手く伝わったか不安になって、ナウラに確認する。ナウラは何度かミトに言い直させてやっと理解してくれた。
「で、どう思う?」
「――難しい。さっきタリオはもう分かったって言ってたけど、答えを聞いた?」
「ううん。自分で考えようと思って聞いてないの」
「じゃあなんでわたしに聞くの?」
ナウラはきょとんと目を丸くして横に寝転ぶミトを見た。ミトはくすと笑って答える。
「ナウラの答えが一番わたしが考えた答えに近そうで」
しばらく見つめ合って、それからナウラが笑い始めた。
二人の笑いがやっと収まった後はあれこれと案を出し合ったけど、結局答えがでないまま、すぐに服は乾いて夕方になった。
みんなと別れて、タリオと二人で小川からの短い距離を歩く。家の前に着くとご飯の良い匂いが辺りにただよっていた。
最近の夕飯づくりは自分の役目になっているはずだけど、と思っていたらタリオが駆けだした。
「母さんたちだ!」
ミトもすぐに駆けだして、ただいま、と言って戸を開けて中に入る。
「星の日は明日でしょう? なんで早く帰ってこれたの!?」
「二人とも! まずは外から帰ってきたら土を落として手を洗ってきなさい! でしょう?」
母さんが二人に、だけど特にミトの方を向いて言った。
ミトとタリオはお互いを見合ってから笑いだした。
二人は、外に置いてある汲み置きの水を使って手を洗う。
村の中心にある井戸から毎日汲んでくるものとは違って、飲み水や料理などの家の中で使う水とは別に手洗いや掃除に使うための水だ。
手を洗って、靴の泥をはらったら急いでうちの中に駆け込んだ。
「おかえりなさい! どうして星の日じゃないのに帰ってきたの!? それに父さんは?」
「ただいま――あんたたちの寝室にいるわ」
父さんが二人の寝室から頭をかがめて出て来た。
「おかえりなさい! なにしてたの?」
「寝るときに分かるさ」
父さんが母さんと目を合わせて軽く笑った。父さんは手に木を何本か持っていて、汗を着物で拭っていた。
寝室で何をしてたんだろう?
タリオがさっそく聞いていたけど二人に答えをはぐらかされていた。
「おれは汗を流してくるからな。――寝室には入るんじゃないぞ?」
父さんは戸を開けて川に向かいながら言った。それを、はあい、と言って見送りながら、タリオと一緒に食卓につく。
バル婆の姿を探していたら、バル婆が家の奥から出てきて母さんに言った。
「あいつもたまにはいい仕事をするね」
ミトとタリオの隣に座って二人に目くばせする。タリオがバル婆に小声で聞いた。
「なんなの? 父さんはぼくたちの部屋だけじゃなくてバル婆の部屋にも何かしたの?」
バル婆は一瞬台所にいる母さんを見てから小声で言った。
「寝るときのお楽しみさ」
ミトは早くご飯を食べ終わって寝室に行きたくなった。
「どうして母さんたちは早く帰ってこれたの?」
「まさか――やめさせられたの?」
タリオが不吉なことを言って、バル婆が人差し指を口元に立てた。不吉なことを言ったらその通りになるかもしれないから、言ってはいけないと言われているのに。
「馬鹿言うんじゃないよ。地主様が早く帰らせてくれたんだと」
「ふうん」
「母さん! 今日のご飯はなに?」
「ヴェルサリアの豚を入れたおかゆよ。――信じられないくらい安かったの」
粥と聞いて、ミトは伝えなければならないことを思い出す。母さんに急いで伝えようとして、食卓を立って台所に向かう。
「野菜の硬いところは……」
「心配しなくてもちゃんと分けたわよ。こうしたらいいんでしょう?」
母さんは、見なさい、というように鍋の前から体をずらした。そのままそこにミトが立つ。ちゃんと硬いところを小さな器に入れていた。
良かった。母さんは言わなくてもしっかりやってくれたみたいだ。
母さんはミトをちらりと見てから鍋を指した。
「来たならこげないように鍋を見てて」
ミトは、はあい、と言って、そのまま火の前に立つ。鍋をみるとおかゆで隠れてる部分もあるけど、器がいくつかあるみたいだった。
「母さん、この器の数はなに?」
「ああ、色々考えてたんだけどね、どうせなら火を通すものぜんぶを一度に作ったら楽だと思ったの。――あんたが分けろって言った硬い野菜でしょう。あとは卵、それから混ぜると崩れやすい蕪を入れてみたのよ」
ミトは感心した。元々を考えたのは自分だったけど、それを他のことに使うことは全く考えてなかった。
母さんは少し日が経ってしなびたシラックと、香りの強い青緑の葉を刻みながら鼻歌を歌っている。
ミトはおかゆが焦げ付かないように鍋の底を匙でかき混ぜる。
母さんはシラックと葉っぱを刻む手を止めて、器に入れると、今度はオリ油と塩をかけて一緒に混ぜ始めた。
ドルソタから来るオリ油は高級品だって言ってたけど。
母さんがまた慎重に瓶から少しだけ器にたらした。
前に中央に行く花嫁の家族からお祝いの品で貰ったのを大事に使ってるのだ。
母さんは指についた、シラックと葉っぱとオリ油のたれを少し舐めてから手を拭いて、更に塩を加えてまぜていく。
「母さん――うんと小さい頃なんだけど、いろんな人とか動物を助ける魔法使いのお話をしてくれたの、覚えてる?」
「うん。わたしが話したんだから当然覚えてるわよ。ドルソタのお姫様が出てきたり、言葉を話す動物が出てくるお話でしょう?」
「そう。あの魔法使いって、確か最初はわたしたちみたいな普通のひとだったよね」
「そうだった?」
「うん、そうよ。どうやって魔法使いになったか覚えてる?」
「ええとね。確か。――駄目ね、もう何年も前だもの。細かい内容までは思い出せない。あの頃は、お母さんや村の色んな人に小さい子に聞かせるお話を教えて貰ったから、ごっちゃになっちゃってる。――なんで急にその話?」
ミトはおかゆを混ぜていた匙が止まっていたのに気が付いてまた混ぜながら聞いた。
「また聞きたくなったの。――誰から聞いたお話か覚えてる?」
「そうねえ。沢山教えて貰ったのは、もう亡くなってるあなたのおじいさんと、それからお母さん。――あとは、今タリオとあなたが字を教えて貰ってるオンさんかしら」




