三日目 家宅訪問 (3)
さあ、二軒目は左門さんの家である。
今更語るが、左門さんは誰に対しても敬語を使う人なのだ。歳下であろうと後輩であろうと敬語で接し、ルームメイトの馬垣くんでさえも左門さんのタメ口を聞いたことが無いらしい。
例えば梨乃ちゃんとかは、長野県支部では最年少だから(地味に意外)、誰に対しても敬語になるのは仕方ないのだけれど、そういう訳でもないのに敬語しか使わない左門さんは、特徴の無い容姿に反して、実は何気なくキャラが立っているのだった。
敬語を嫌う馬垣くんとは、およそ反りが合わないらしい。
「良いのかよ凍?お前からはあたしと同じにおいがするが、その……そういう家に行っちまって」
「大丈夫ですよ」
「……は?」
「え?」
国栖穴さんが不穏なことを言い出して、車内の空気が変わった。
左門さんは何か問題のある人だという話も聞かないので、変な家かも知れないという心配は、全然していなかったのだが。
ただしそう言えば、抵抗者の異能は、その抵抗者の性格や特技などに影響されるという説がある。
確かに左門さんの《月下湖面》は中々に凶悪で凶暴な異能だが、それでも別に左門さん自体は大人しいし、偏見を持つものではないよなと思っていたのだけれど……
「片付けてありますから」
「なるほどな」
「ちょ、ちょっと待て。何の話だ…?」
「国栖穴さんと左門さんって、そんなに接点ありました…?」
「無かった筈だ……」
国栖穴さんと左門さんが通じ合っているという謎の状況に、他の全員が困惑する。
そんなわたし達の動揺を余所に、当の二人は、
「何の話かなんて、あたしも知らねーよ。今のは適当に言ったんだ」
「ええはい、そうだと助かります」
などと言うばかりで、微笑ではぐらかすのだった。
不穏すぎる。
「実を言うと、貪食獣が現れるまではアパートに住んでいたんですけど、そこはもう壊されてしまっているので、今向かっているのは実家なんですよ……と言っても、もうすぐそこなんですけどね」
と、あるT字路の信号機前で停まった車の中で、いつもより饒舌な左門さんである。何だか浮かれているようだ。
古そうな住宅街の大きなT字交差点で、正面には一軒家があるから直進できないが、さて右に曲がろうか左に曲がろうかというところで、運転手の馬垣くんは左門さんからの指示を待ちつつ、相槌を打つ。
「あー、お前も貪食獣によって家が壊さ…」
「はいそこですー、着きましたー」
正面にあった一軒家の駐車場に、左門さんは駐車の指示を出した。
「本当にすぐそこじゃねーか!」
そんな風に、左門さんの家に到着した。
長野県を出てはいないと思うけれど、車でも(馬垣くんの荒めの運転でも)結構な時間がかかったように思う。
「さあ入ってください……ふふっ」
不穏な笑みと共に言う左門さんに、誰も足を動かせない。
「…………」
「入ろうぜ」
「…………」
「どうぞどうぞ、遠慮なく上がってください」
「ほら、入れよ」
「……お邪魔します」
左門さんと国栖穴さんに促されて、渋々と言うよりは恐る恐る、入ってみた。
……玄関は普通だ。何も変わったところは無い。
居間も普通だ。普通にソファとテレビが向かい合わせに置かれていて、その間に低いテーブルがあって、何も、何もおかしなところは無い……無い筈だ。
いや、強いて言うなら、独特なにおいがあるけれども……
「やっぱりこういうにおいか」
ほ、ほら!国栖穴さんが反応してる!
移動中に言っていた『におい』とは意味が違うと思うけれど、それでも国栖穴さんの『やっぱり』は、やばいんじゃないのか…!?
「なぁに萎縮しとるんや。なんも別にそんな、不安も心配もあらへんやろ」
「へー、良いテレビですねこれー」
巻藁さんと髭根さんは特に何も気にせずに入って行くが、わたしはまだ警戒を解けない。
馬垣くんは馬垣くんで、ルームメイトが自分の宿敵と心を通わせていたということもあってか、疑心暗鬼になったように辺りを見回し、冷や汗を垂らしている。
「いやぁ特にもてなせるような何かがある訳でもないんですが、お茶くらいなら」
「……それは良いんだけど、左門、なんか……虫とか飼ってたりすんのか?この家」
みんながそれぞれ適当な位置に座った直後に、馬垣くんが切り出した。
「そういうにおいが、さっきからずっと……」
「普通に哺乳類のペットを飼っているようなにおいもありません?」
「うちはあんまり鼻が効かんわ」
と、一定数の面々が感じていたらしいそのにおいについて、左門さんは、
「はい、色々飼うのが趣味で」
と言って、あっさり答えたけれど。
ただ、その飼われている生き物がどこにも見当たらない。
恐らく事前に片付けて、どこかに隠し…いやいや、もとい、しまい込んでいるのだろうけれども、そのしまっている生き物が何なのかが、まるでわからない。左門さんも、『見せましょうか?』などとは一言も言い出さない。
だが、わたし達は知っている。ここにいる全員が、左門さんの異能の内容を知っている。
もし、もしも左門さんの異能の内容が、元々の性格や得意分野、はたまた趣味などと関係しているとするなら、それはつまり……
その『ペット』達が、左門さんにされていることは、まさか……
「まあいいや。左門、テレビ点けて良いか?」
「え?付けたところで、今の状況で受信できる電波は無いんじゃないですかね…」
「いや、適当にCDとかで映画でも観たら良いだろ。前に、映画が好きだからCDを何枚も持ってるって言ってたよな?それ、どこにあるんだよ?」
「………いやーどこだったか」
左門さんが、なぜか言い淀む。
「お、あるじゃん」
「あっ」
しかし馬垣くんが、部屋の隅にさりげなく佇んでいたカーテン付きの棚を、見つけてしまった。
そして、勝手にカーテンを開けて、中を覗き見る。
「こんなカーテンで隠しただけじゃ、埃を被らなくなるとは思えないけどなあ。箪笥の中にでもしまっとかなきゃ……ん?」
勝手に覗き見た馬垣くんは、そのまま動かなくなった。
動かなく、なった。
「閉じてくださいよ、馬垣くん」
左門さんは、笑顔で言う。
対してこちらに背を向け、誰からも顔が見えない状態で、無言でそっとカーテンを閉める馬垣くん。
静まり返る居間。
にやけている国栖穴さん。
……とりあえず、馬垣くんはまた元の位置に座った。
「……まああれだよな、左門はその、サメ系の映画とか好きな感じなんだろ?ジ○ーズとか……」
「あー、ああいうのも好きですね」
「な、なるほど!そういう……まああの……ああいうね」
「確かにジョ○ズは有名やしな……別に変やないし……」
「あははー」
「あ、あはは……」
「……ふっ」
微笑の左門さん。
失笑の国栖穴さん。
他は全員が苦笑である。
実はわたしには、馬垣くんの脇越しに棚の中が見えていた。
そこには何本ものCDケースがパッケージとともに並んでいて、中には知らないタイトルも見えたが、パッと目に留まった文字は、血飛沫のような赤模様とともに印刷された、『デスローラー』というタイトルだった。
わたしは偶然、その映画を知っていた。
その映画の最大の特徴は、怪物に人間が喰い殺される場面を、非常に非情に、写実的に表現しているという……って、おい。
嘘だろ左門さん…?
まさか、あの異能は……
……いや、見なかったことにしよう。
忘れよう。
わたしは何も見てないし、何も知らない。
何もわからない。
「えーと、左門さん、何の虫を飼っているんですか?」
と、今度は梨乃ちゃんの話題提起。
自然で、絶妙に上手い話の切り替え方だ。
「ああ、虫ですか……それは色々飼っていまして。ヒヨケムシとかアシダカグモとかスズメバチとかオオゲジとかムカデとか、ダンゴムシとかアリとかゴキ…いやまあその、甲虫だったり」
左門さんは、笑顔で言う。
「……え、えと、今、ご、ゴキ…」
「まあ色々ですよあははー」
「色々ですか!そうですよね!あ、あは」
おや?
なぜ不穏な空気になっているのだろう?
「さあ、そんなことより皆さんどうぞ、こんなお茶でも試しに飲んでみてください」
と、左門さんは、笑顔で言う。
「ち、因みにこのお茶って、どんな材料が入ってるのかな…?」
「それは飲んでからのお楽しみですよ。さあどうぞどうぞ」
「で、でも、もしかしたら体質に合わないかも知れないし…」
「いえいえ、このお茶は体質に合わなかったとしても問題ないので、安心してください」
「それってどういう…」
左門さんは、笑顔で言う。
「しっかり効果は出ますから」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
………………。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さあ、二軒目は国栖穴さんの家だ。
え?ああ、さっきのは忘れて。
無かったことにしよう。
何も起こらなかった。いいね?
さて、これから国栖穴さんの家に向かおうという話なのだったが、それもまた一戸建ての実家らしい。
ただ、この家に関しては、本当に思い出したくない。
一つの地獄を、ここで見た。
「あたしの話をしてやろう」
誰にともなく、移動中の車内で国栖穴さんが語り出した。
「いや、医学の話でもしとけ」
「酒カスヤニカスなんは知っとるけど?」
「自分の話をしても、恥の上塗りになるだけでは?」
そんな周囲の野次を気にも留めず、国栖穴さんは語る。
「実はあたしは、実家から逃げ出してんだよな。今回の帰省は、逃げ出してから初めての帰宅になる」
「お、おう」
「へ、へえー」
「そうなんですね……」
「家出の理由はまあ、親が学業や就職にうるさくてな。あれだ、いわゆる教育虐待ってやつだ。あたしも医大を卒業するところまでは行ったんだけど、そっから就職しようってなった時に、なんかもう面倒になっちまって」
「…………」
「…………」
「…………」
え?
重いぞ?
「そんでさ、当時はあたしも家から逃げ出すような精神状態だったけど、あたしのシングルマザーだった女もそいつはそいつで精神的に参ってたみたいでさあ……あたしが家出して上手いこと逃げてコソコソ隠居してた時に、今はあたしが相続したその家の中でな、その女は首を吊…」
「ちょっ、ちょっと待て。その話、今するか…?」
流石に耐えられなくなった馬垣くんが、国栖穴さんの話を遮った。
対して、相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、国栖穴さんは言う。
「けけっ、そりゃあするなら今だろ。お前らは今から、その家に行くんだからな!」
「……ひっ」
「そ、それは……」
「き、今日はもう暗くなり始めましたし、もうやめに…」
「いやいや最後まで付き合ってもらうぜ?さあ馬垣、そこを左折だ!」
「よ、よせ馬垣…!こないな女の言うことなんて聞かんでも…!」
「……くっ!」
「待って…!」
流石にここまで来て引き返せないと思ったのか、それとも一人だけ家があるのに紹介させてもらえないといういじめのような状況を嫌ったのか、馬垣くんは巻藁さんの制止を無視して、国栖穴さんの道案内に従った。
そうして、国栖穴宅に到着した。
到着してしまった。
「着いたけど、家に入るのはまだ待て。おい待て、待てって」
「誰かが喜び勇んでお前の家に入りたがってるみたいに言うな」
「今からあたしのこの家には、一人ずつ入ってきてもらうぜ」
「あぁん?なんで?」
「勿論、楽しんでもらうためだよーん」
「お化け屋敷かよ」
一人ずつ。つまり、もしも最初の一人に選ばれたのなら……
これは嫌な予感しかしない。
「順番もあたしが決める。久凪→嫋木→馬垣→梨乃→まい→左門の順だからな」
死刑宣告をされた。
「ど、どうしてうちが二番手なん?規則性がわからへんわ……」
「左門が最後だっつー辺りに、悪意を感じるな……」
「まあ行ってみりゃわかるよ。それじゃあ久凪、ついて来い」
「…………」
ここか?
ここが、この局面こそが、逃走術の本番か?
「逃げようとしたら容赦なく硬化させるからな」
「死刑囚かよ」
そんな訳で、連行されて来た。
家の横にあるガレージに駐車したところから、国栖穴さんに連れられるままに、玄関で靴を脱いで、上がり込んだ。
『なぁに緊張すんなよ、何も危険は無いから』などという国栖穴さんの発言は、それを言っていた時のにやけ顔からして、嘘だ。
「そう、そのまま真っ直ぐ行け」
家の内装については、まだ普通だ。
わたしは複雑な気分で、国栖穴さんよりも前を歩く。気分はさながら、背後から銃口を突きつけられて道案内をさせられているかのようだけれど、国栖穴さんの異能を考えるとそれも強ち間違いではない。
しかし、大丈夫なのか?
ここ、要するに事故物件でしょ…?
「よし、そこの正面の部屋だ。そこに……あっ」
「え?どうかしました?」
「ちょ、ちょっと待ってろ」
わたしが突き当たったドアを開けようとすると、背後からそんな声が聞こえた。
「ちょっとそこで待ってろ。こっちには入ってくんなよ?」
「はあ」
そう言いながら、国栖穴さんは彼女の斜め横後ろにあったドアを素早く開けて、わたしからは部屋の中が見えないようにして這入り、ドアを閉めた。
何か想定外のことというか、どちらかと言えばついうっかり忘れていたことに思い至ったような国栖穴さんを見送って、わたしは急に一人になった。
「……へへへ」
国栖穴さん。
わたしが、やられてばかりだと思うのか?
「国栖穴さーん?開けますねー?」
「はぁ!?開けるなって言ったのに…!」
「無理です開けまーす」
わたしは遠慮なく、勢いに任せてドアを開けた。
「うきゃあ!?」
ドアを開けて、わたしは悲鳴を上げた。
残念ながらわたしの悲鳴である。
ドアが開くや否や、中から大きな蜘蛛が這い出てきたのだ。
誤解の無いよう言っておくと貪食獣ではないのだけれども、体長4cm、足も含めると9cm程の、大きな蜘蛛であった。
「おっと。逃げられると思ったのかよ、全く……」
情けない悲鳴を上げて後退りするわたしを余所に、部屋から国栖穴さんが出てきて、その蜘蛛を手で掴む。蜘蛛は暴れて国栖穴さんの手を咬むが、国栖穴さんは気にしていないようだ。
「え、えーと、くっ、国栖穴さ…ぎぇっ!?」
「やっぱり、やったな久凪?」
わたしは突然の腹痛に身を屈め、顔を顰める。
言うまでもなくこれは国栖穴さんの《硬化》による攻撃だが、一方でその国栖穴さんは、けらけらと邪悪な笑みを浮かべながら言った。
わたしに勝手にドアを開けられたことに、全く動揺していないような様子で。
「あたしはなぁ、お前があたしの指示を聞かず、想定外の行動を取ってくることを、想定していたぜ。まあ、あたしの奴隷が一匹脱走しかけたのは想定外だったがよ」
「痛い!痛いです国栖穴さん!って言うか、ど、『奴隷』…!?」
「入るなら入れ。もうどうせお前はしばらくここから出られねえんだから、さっさと入れ」
「お腹が…!お腹が痛いから入れないですって!」
「入らねえなら更に痛くするぞ」
「入ります入ります!」
と、脅迫に折れてわたしは部屋に入ったのだが……
入ってから気づいた。
部屋の中には、何匹もの大蜘蛛が放し飼いされていたのだ。
「ここにはな、あたしのペットがこんな感じで沢山…」
「お邪魔しましたあああ!」
「おい帰るな!まだ来たばっかりじゃんか!おい止まれって、出て行こうとするその足を止めろ!」
国栖穴さんが何か言っているが、そんなことはどうでも良い。わたしは逃げるように部屋の外に出る。
「だから逃さねえって」
「ぎぃやあああああ!!!」
瞬間、わたしの身体は、四肢から内臓まであらゆる部分に激痛が走り、脚の動きが鈍くなった。
それでもわたしは走る。この地獄から脱出するために。
脚は痛いし動きにくいけれど、少しは動くのならば逃げられる。
「ぐぅあっ!?ぬああああっ!」
「あっ、ミスった」
今度はわたしの足首辺り、アキレス腱に痛みが走る。
しかし、アキレス腱が硬化したところで、切れさえしなければ走るのには問題無いのだ。
これは国栖穴さん、やらかしたな?
勿論、そんな1回や2回の無駄があったところで、それで国栖穴さんに生じるロスタイムは精々0.3秒ってところだろうが、しかしその0.3秒が勝敗を分けるのだ。
わたしは素早く曲がり角を曲がって、国栖穴さんの視線を切った。これならば彼女の異能はわたしに効果を及ぼせな…
「ぃぎっ!?」
「お、当たった」
な、なぜだ。
わたしの心臓辺りが、突然激しく痛み始める。
これは状況的に、高確率で国栖穴さんの異能の仕業だろうけれど、しかしわたしを視認できていない状態から、一体どうやって…!?
「うぐっ…」
心臓まで硬化させられて血液循環を妨害され、ついに力尽きたわたしは、玄関口は目前という所まで行った辺りで、惜しくも倒れ伏した。
国栖穴さんの足音は、背後から悠々と近づいてくる。
「馬鹿たれが。あたしの異能は視界に映ってない物にも効果があるんだよ、忘れたのか?大体、そうじゃなきゃ体内を硬化させることなんてできねえだろ」
「……!」
普通に忘れてたあああああ!!!
そんな……
元から、わたしには希望など無かったと言うのか…?
「もう諦めろ久凪。お前の声帯をちょうど良いタイミングで硬化させたから、もう助けを呼ぶための声も出せねえ筈だぞ」
「ー!ー!」
「やっぱり出せねえよな。ついでに四肢の筋肉をガチガチにしといたからな、身動きも取れやしねえだろ?大人しくこの辺のクローゼットの中にでも入っとけ」
わたしは国栖穴さんに足を引っ張られ、そのまま引きずられながら運ばれて、暗いクローゼットの中にぶち込まれた。
そうしてわたしはその暗黒の中で、次に招かれた巻藁さんの悲鳴を聴き、その次に招かれた馬垣くんに返り討ちに遭う国栖穴さんの断末魔を聴くまでの間、全身の痛みに耐え続けるだけの地獄を味わったのだった。
……怖すぎるだろ、この人達。




