三日目 想定外の事態
国栖穴宅で大乱闘を繰り広げているうちに日が暮れたため、残念ながら巻藁さんの家には行かないことになった。
期せずして、一人だけしっかりした家があるのに紹介させてもらえずに終わるといういじめのような状況になってしまったが、当の巻藁さんは、
「まあええて別に、明日にでも来たらええ……ん?紫野と左門は、明日用事が入っとるんか?いや……えと、まあ、その……来れないなら来れないで、別に……ええし……」
と、快く、すっきりさっぱり許してくれた。
そして暗くなってからは、適当に解散したりしなかったりして、わたしは梨乃ちゃんの家で寝泊まりする……筈だった。
しかし、事故というか、事件が起こったのである。
「ただいまー」
「私の家ですけれどね……えっ?」
「うわっ!?ゴキブリ!?」
「嘘!?そんな馬鹿な!?」
梨乃ちゃんの家にゴキブリが発生した。
「どうして…!?昨日までいなかったのに…!」
「梨乃ちゃん、本当にいなかったの?」
「はい、昨日初めてここに帰って来た時にはいたのですが、業者を呼んでしっかり駆除していただいて、その後の対策も万全だった筈です」
「じゃあもう、誰かが持ち込んだんじゃないの?」
「おい、まさか持ち込んだ奴ってのは……」
「〜〜〜、〜〜〜♪」
「……〜〜〜♪」
馬垣くんがドスの効いた声とともに振り返ると、国栖穴さんと左門さんが息を合わせたかのように口笛を吹き始めた。
……なぜ『展覧会の絵』の第三プロムナードを奏でているのだろう。
高音のパートを国栖穴さんが、低音のパートを左門さんが担当していて、文字通り息を合わせて口笛を吹いている。
何なんだ、この無駄に洗練されたハモりは。
ADFが結成されてからもう1年くらい経つけれど、その一年で身に付いた連係技術がこれなのだとしたら、悲しすぎる。
「でも、言ってもこの一匹だけだろ?とっとと駆除すんぞ」
「た、確かにそうですね。誰かさんが連れて来たのであれば、別に1匹見かけたからと言って10匹いると思う必要は……あ」
「……」
「……」
「……」
「……おい、どういうことだ?今、もう1匹いたぞ?通り過ぎて行ったぞ?」
「わ、わたしもう外に出るっ!」
そんな訳で、結局わたしは梨乃ちゃんの家に泊まるのをやめにして、その晩は近くのホテルにでも泊まろうかという話になった。
例え寝袋に身を包まれていようと、ゴキブリがいる家の床で寝るのは無理。
「ほんとに無いわ……マジで無理……」
「すみません篠守さん、私の警戒不足でした」
「〜〜〜〜♪」
「〜〜♪」
「お前らの口笛はいつまで続くんだよ。なんで次の曲に行くんだよ」
「おどれら一体なにもんや。どうして口笛でテュイルリーを演奏できるんや」
外に出てからも頭を抱えて譫言を呟くわたしの横で、国栖穴さんと左門さんが別の曲の演奏を始めたようだった。
「もう何なのほんとにあり得ないって……わたしはあんな虫がいる家でリラックスしてお喋りしちゃってたっていうの?ねえ梨乃ちゃん、もっと早く気付けなかったの?」
「篠守さん、せめてものお詫びに、宿泊代を渡しておきますね」
そう言って梨乃ちゃんは、いつの間にか持っていた財布から紙幣を取り出す。
それは複数枚の万札であり……万札!?
「ええ!?わたくしめのために、このような万単位のお施しをいただけると言うのですか!?」
「突然へりくだったなこいつ……、っておい!?紫野も紫野で、随分な額を渡すもんだな!?」
これは嬉しい予想外である。計算外と言うべきか。
梨乃ちゃんから渡された宿泊代は、掛け値なくF万円くらいあった。
そうして十分な費用も手にしたことだし、わたしは遠慮なく、最寄りのちょっと良いホテルに泊まることにした。
ただし、そのホテルも通常通りには営業していない。サービスの大部分が無期限で休止されていて、食事も必要最低限の質素な内容になっているから、その分だけ宿泊料金も安くなっているような状況だ。だからちょっと良いホテルでも、あれだけの費用で十分なのである。
ただし、部屋が広くて清潔なことに変わりはないだろうし、質素な食事と言っても美味しいものではあるだろうから、ちょっとした贅沢はできることだろう。
いやはや、これはこれは。塞翁が馬とはよく言ったものだよまったく……へっへっへ。
とにかくわたしは、そのホテルの近くまで馬垣くんの車で送ってもらって、そこから歩いてホテルに到着し、浮かれた足取りでロビーの床を踏んだ。
「あら篠守ちゃん。ご挨拶ね」
ロビーに、荻原さんが居た。
「あれ?今日は他の人と集まっていたんじゃないの?」
「ああ、集まりはしたんですけれど、泊まろうとしていた家にちょっと…いや大分、かなりまずいものが発生したもので」
「ふぅん……よくわからないけども」
「真鈴さんは来ていないんですか?」
「あの子とは今日は別行動よ。普段は仲良く一緒に行動してるって言っても、たまには特に理由も無く別行動をしてみたいねっていう話になって、何となくね」
荻原萩原さん。
大体黄金色っぽい髪(黄土色と表現すると本人に怒られる)が整えられているのはいつものことだとしても、特別休暇の最中だというのに、ワイシャツにスラックスというややフォーマルな服装で、さながら営業OLの休憩時間中のような風になっているのはちょっと珍しい。
ファッションの引き出しが多いなあ。
「そ、そうなんですね。あ、わたしはチェックインがまだなので、そろそろ受付のところに行…」
「待ちなさい、篠守ちゃん」
そそくさと立ち去ろうとするわたしを呼び止める荻原さんの声は、何か強い意志を感じさせるものがあって、わたしの身体をぎくりと硬直させた。
「私もまだチェックインしていないから、二人で同じ部屋に泊まるわよ」




