六日目 作戦の全容 (3)
「……でも、どこから入って来た?」
さっきの馬垣くんの説明だけでは、まだ判らない部分がある。謎はまだ残っている。
そこを明らかにしようと、もはや諦観に満ちた半笑いの表情で、近道は隆谷寺さんに力無く訊いた。
「え?裏口から」
対する隆谷寺さんはあっけらかんと答えたが、その答にはわたしも驚かされた。
「他の子たちが裏口から入るよりも、前にね」
「前に!?」
思わずわたしは声を上げる。
わたし達が入るよりも前からって、早すぎるだろ。いや、裏口から入るためには、そのタイミングしか無かったのだろうけれど。
わたし達を告発すると宣言して、逆方向に走り去って行ったかのように見せかけた上で、わたし達よりも先に工場跡に到着するって、一体どんだけ足が速くて持久力があれば……あ、そっか。
そう言えばこの人、体力が化け物なのだった。
「いや、でも見当たらなかった……僕も見張りはしっかりやっていたけど、それでもそんな侵入者は居なかった筈で……」
譫語のように言う近道だが……ああ、やっぱりか。
やっぱりそういうことだったか。
裏口から入ろうと迂回するわたし達を、当たり前のように捕捉した『工場内からの索敵』。
それはつまり、近道横斜による見張りだったのだ。
なんと組織のトップが見張り役なのだ。
近道はその異能で、人の周囲に色とりどりの矢印が大小様々に浮かび上がって見えるらしいので、森の中をそんなものが移動していたら、そりゃあ容易に発見できるだろう。
目立つ目立つ。
いくら草木に身を隠しても、その隙間からカラフルなでっかい矢印がチラ見えしただけでバレるだろう。
しかもその矢印は、『なるべく楽に赤団に勝ちたいな』というわたしの欲求を表してもいたのだろうから、敵対勢力だということも同時にバレる。
だから、わたし達第一班の接近は早々に察知され、余裕で待ち伏せられたのだ。
しかし。
ならばどうして、隆谷寺さんは……
「ふっ。近道くん、君は武術と武道を舐め過ぎだ」
と、しかし隆谷寺さんは柔らかな微笑のまま、持って回ったような言い方をする。
「言いたいことが何なのか、はっきり言ってもらえるかなあ?武術家だか何だか知らないけど」
その態度には、近道も苛立ちを隠せないようだった。
……割と共感できる苛立ちだった。
「さっき聞いたけど、君には人の欲求が矢印で見えるという異能があるんだってね?普通なら、それで発見できると」
「その通りだよ。それなのに……」
「でも俺は、一時的に自分の欲求を消せるんだよ」
当然のように。
当然のように嘯く、隆谷寺さん。
「んん?何を言っているのかわからないな。欲求を消すなんて、本質的にはできることじゃない。例え欲求を抑え込もうとしても、それはその欲求と、その欲求を抑え込みたいという欲求が同時に存在しているだけであって、むしろ矢印の本数は増えるよ。もしも本当に、完全に欲求を消してしまったら、それはもう意識が無くなるのと同じようなものだと思うけど?意識が朦朧としたまま、自分が誰なのか、何のためにここにいるのかもわからず、眠っているような状態になってしまう筈だよ?ははっ、そんな状態でここの周りの森林を移動して、裏口まで来たとでも言うのかな?」
「そうだよ」
当然のように。
当然のように嘯く、隆谷寺さん。
「……は?」
「修行したからね」
「え、いや……それは、でも……あり得な……え?」
「…………」
突然、隆谷寺さんの全身が脱力した。
ぐったりと項垂れた上体に、だらりと垂れ下がった腕。目は半目になって、生気すら感じられない容貌になり、まるで眠っているかのように、あるいは死んでいるかのように立っていて、それは弁慶の立ち往生のようで……
わたしは一瞬、遂に隆谷寺さんが突然の老衰を迎えたという展開かと思ったが、然るに隆谷寺さんは、そのままゆっくり歩き出した。
歩いて、近道に歩み寄って……
———何か、魂が抜けたかのような。
あるいは、悪霊にでも憑かれたかのような。
不穏で不気味な、歩く屍のような何かが、いつの間にかわたしの目の前にあって……ああ、でも、よく見てみると、よく考えてみると、それは隆谷寺愁弥さんなのだということに、わたしは気付く。
隆谷寺さんが今目の前に存在しているという事実を、忘れそうになっては思い出す。
彼は目の前に居る筈なのに、彼が目の前に居る気がしない。
彼がずっと昔に死んでしまったかのような、もしくは、今はどこか遠くに行っているかのような気分になってくる。
「ほらね?近道横斜くん」
近道の目の前まで歩いて行った隆谷寺さんは、そこで急に立ち止まって喋り出した。
雰囲気は忽然と、いつもの調子に戻っていた。
「はっ。あは、あはは、はっはっは」
……きっと、近道には見えたのだろう。
わたし達には雰囲気しかわからなかったが、しかし近道に対する回答としては、その実演で十分だったのだろう。
想定外で、あまりに現実離れしていて、突拍子も身も蓋も無い、そんなどうしようもない方法を見せつけられた近道は、笑うことしかできないようだった。
「あー気に食わねえ。ムカつく」
と、隆谷寺さんが一通りの説明を終えたところで、またもや馬垣くんがぼやき出す。
「まあまあ不良くん、落ち着いてよ。結果的には全員が無事だったんだし、隆…武術家さんに告発される心配も無くなったし、もう良いじゃん」
あんまり不機嫌な人がいるのも良くないので、わたしは彼を宥めようとして、適当に声をかけたのだが。
対して馬垣くんは、わたしの台詞が終わるのも待たずに、即座に言い返してきた。
「ムカつく対象はお前もだよ、クズ女」
———おっと。
おっとっと。
あらあらあら。
怖いなあ。
「お前さあ、本当はこの武術家のことを察していたのに、わざと気付いていない振りをしてやがっただろ?どいつもこいつも、報連相をわざと控えやがって」
「……バレたかぁ」
やっぱり、気付かれていたようだった。
そのやり取りを聞いて、協力者三人組が困惑している。隆谷寺さんすら、ちょっと驚いたような表情だ。
あーあ、もう言っちゃった。わたしの立場も目的も言っちゃった。もう良いや、全部言おう。
ああそうだよ、馬垣くんの言った通りだよ。
『敵を騙すために、まず味方から騙そうとした奴』というのは、わたしのことでもあるのだった。
わたしは隆谷寺さんの意図をいち早く察し、彼の侵入を成功させるために、わざと他のみんなが騙されるように仕向けた。
隆谷寺さんが告発を宣言して走り去った5分後に、わたしが車内でみんなに発したあれらの言葉は、説得目的での詭弁だった。
それこそ近道が使うような、詭弁だった。
恐らくあの時点で、馬垣くんはわたしの思惑を何となく察したのだろう。そして、察していながらそれを指摘しないことが、後ろめたかったのだろう。
だから、『死なせねえよ、仲間は』などと宣言したあの時も、眼光を鋭くしていながら、その視線を相手に向けるのではなく、余所見をするかのように逸らしていた。
ついさっき、わたしが不機嫌な馬垣くんに怯んだのも、馬垣くんに気付かれていることを直感したからである。多分わたしも怒られるのだろうなと直感したからこそ、逃げ出したくなったのだ。
『この状況で、俺がお前に怒る理由なんてあるか?』と訊かれたが、ありまくっていたのだ。
尚、且つ。
近道と遭遇した時のわたしは、『今頃どうせ隆谷寺さんが暴れ回っているんだろうな』と思っていたのに、近道にはそれが読めていなかった。
推測であって欲求ではなかったからだろう。わたしのその、梨乃ちゃんには当然のように読まれた考えを、近道に読まれた様子は無かった。
つまり、わざわざ味方を騙さなくても、隆谷寺さんの侵入は近道にはバレなかった可能性が高いのだ。
まあ、本当に隆谷寺さんが帰ってしまっている可能性も残っていたからこそ、わたしの気持ちからも、隆谷寺さんに頼りたいという欲求がうまく抜け落ちたのかも知れなかったが……言ってもそのくらいだ。
わたしと隆谷寺さんによる、こんな虚偽の情報共有には、そのくらいしか意味が無かったのだ。
ごめんねみんな、無駄に騙しちゃったかも。
悪い悪い、メンゴメンゴ!




