六日目 近道横斜 (1)
「やあ。君らは、どんな人間なのかな?」
———不意に、その男は単独で現れた。
わたしはまず、彼が一体何者なのか、赤団員なのかどうかも判らないという印象を抱いた。
赤団員が集中しているらしいエリアから遠ざかりつつ、正面玄関に少しだけ近付きもするような絶妙な角度で移動していたわたし達の前に、正面から普通に歩いてきて、何の造作もなく現れたのが彼だった。
これまた初めて見る顔だが、どうしてなのかただの赤団員だとも思えず、わたし達とは別に偶然ここに侵入していた第三勢力なのかな、あるいは赤団側の裏切り者とかだろうか……などと、変に思考を巡らせてしまった。
不自然なくらいに、感じの悪くない男だった。
「どちら様ですかぁ?」
わたしは故意に、そんな丁寧な言葉遣いとは裏腹にぞんざいなトーンで、慇懃無礼な喋り方でもって訊いてみる。
それは警戒心の表明だが、そんな威嚇めいた喋り方とはそれこそ裏腹に、なぜかあまり警戒する気にはなれないというのが本音だった。
どうしてだ?
わたしはこの状況で、どうしてこの程度しか、警戒心が呼び起こされない?
「僕のことは近道とでも呼ぶと良い。近道横斜という者だよ。近道という熟語を音読みして『近道』、横着の『横』に、斜に構えるの『斜』で、近道横斜だ」
そう答える彼は、服装に変哲は無いが、表情はどこか静かで、涼やかで柔らかで、何と言うか……慈愛…?と似た、希望のような感情に満ちているかのようだ。
警戒しにくいのも、そのせいなのだろうか?
「……いや、名前だけじゃなくて」
「まあわかっている。僕がどこに帰属するどういう立場の人間で、どういうつもりでここにいるのかということを訊きたいんだろう?でも、それはもう少し後だ。君らがそれを訊いてしまったら、僕からも訊き返さなければならない。君らは、まだその質問には答えたくないだろう?」
「いや別に、答えろと言われたら、答えますけれ…」
「嘘だね。言わずに済むなら、ひとまず黙っておきたいと、君は本心では思っている筈だ」
と。
わたしの言葉を遮って、近道は不意に、そんな見透かしたようなことを言った。
「または、言うにしても嘘を言いたいと思っている」
「……何を根拠にそう思ったのかわかりませんが、じゃあ、一体あなたは何をするために話しかけてきたんですか?」
わたしは適当に誤魔化しつつ、違う路線で話を進めにかかった。
これは自然なことだと思うかも知れないが、しかしわたしが適当に誤魔化した理由は、図星を突かれたことにあった。
わたし達が誰で、何のためにここに来たのかということを、この怪しい男に言ってしまうというのは、かなりの抵抗があるのだ。
もしも敵対関係だとしたら、それがバレてしまえばいつ争いが始まるかわからなくなり、そうなると対話が難しくなるかも知れない……という以前に、そもそもこの男と敵対するということ自体に、何か悪い予感がするのだ。
「何をするためと言ったら、まあ、とりあえず挨拶するためだよね。君らの名前は?」
「……」
「……」
わたしも梨乃ちゃんも、黙る。
無論、今回はADFにも警察組織にも秘密の極秘作戦だから、敵であるこの男にも名前を教えるのはまずいという理由はある。
仮にこの男が赤団員だとして、ならば警察に捕まってもらうことになる訳だが、その後の取り調べで『ADFの篠守久凪や紫野梨乃に制圧された』などと供述されては、堪ったもんじゃない。
ただ、その都合を差し引いたとしても、この怪しい男には何一つ個人情報を教えたくないのだ。
「……答えませんよ、そんなの」
「おや残念。君らのような見どころのある人間の名前は、知っておきたかったんだけどなあ。と言うかさあ、ねえ、君らは人として実によく出来ている傑物だと思うんだけど、自覚ある?」
「はい?」
出し抜けに誉められて、わたしは気の抜けたような声で聞き返してしまった。
お世辞か何かかと思ったのだが、しかし『自覚ある?』なんて責めるような口調で言われると、単にそうだとも思えなくなってくる。
「二人ともだよ。君らはさ、強い信念と感情に基づいてここに来ているみたいだけれど、他方で様々な自制もかけているよね。自分のことと仲間のこと、自分の行動で喜ぶ人と困る人と怒る人、何なら敵である赤団側の人間のことさえも、バランスよく思慮を巡らせている。それは実に結構だ、実に立派だ。けれども、自分を縛るものがあると、人は動きにくくなるものだよ?」
「話が抽象的で、何のことなのか見えてきませんね。コールドリーディングでも企んでいるのですか?」
と、ここで痺れを切らした梨乃ちゃんが指摘を入れた。
これについては本当にその通りで、わたしもいつ言ってやろうかと思っていたところだったが、しかし言われた近道は、
「ははっ、そうかもね」
と、軽く流すだけだった。
「流石に抽象的すぎても良くないか。じゃあ僕の立場だけ言っておくけども、僕はね、君らを手伝うためにここに立っているんだよ」
「手伝う?まさか、この赤団のアジトに侵入した、わたし達以外の侵入者だとでも言うんですか?」
「いや、赤団側の人間だ」
「…!?」
「っ!」
あっさりと、近道はそう言った。
それ自体は予想通りではあったけれど、ここであっさり平然とそれを明かす意図がわからず、わたし達は臨戦体勢に入った。
しかし近道はどこ吹く風という態度で、わたし達の警戒を気にも留めず、喋り続ける。
「しかし、『赤団』ねぇ……誰が名付けたんだか。元ネタはあれかな、日本赤軍とかかな?まあ短くて呼びやすいし、僕としてもちょっと気に入ってるけどね。ああ因みに、そんなに身構える必要は無い。言ってるだろう?僕は君らを手伝いに来たんだって」
「言ってることがわかりませんね。手伝うとは?」
「赤団は、君らを全面的に応援し、支持するよ」
……意味がわからない。
意図もわからない。目的もわからない。
そんな不気味で不穏な男が、わたし達の前に立っている。
「あーあ、もう言っちゃった。僕の立場も目的も言っちゃった。もう良いや、全部言おう。僕は人にね、やりたいことをやらせるのが好きなんだ。例えばそこの、淡くて暗い赤紫っぽい色の髪の、君」
と、近道はわたしを指差して言う。
わたしの髪の色を言いながら。
「君は今、この赤団を壊滅させて解体して、一人残らずお縄につかせたいと思っているよね?でも、今隣にいるその子や他の人のことを考えて、自分達側に誰一人として犠牲を出したくないとも思っているし、なんなら赤団側の人間をも殺したくないと思っているよね。と言うか、君はこんな時に呑気だなあ、そんなに漫画を読むのが好きなのかい?今でも頭の片隅に、漫画のことを思っているじゃないか」
「な、なっ…!?」
堰を切ったように喋くり出した近道に、わたしはコールドリーディングなどの話術を警戒してはいたが、あまりにピンポイント過ぎる指摘を受けて、思わずたじろいでしまう。
「ご両親のことやお爺さんのことと同列に漫画のことを思っているなんて、変わった子だね。でも、僕はそんな君の欲求を、できる限り満たしてあげたいと思っている」
「…………」
「先輩、どうしたのですか…?」
「…………」
いや、おかしい。
無論、おかしいというのは、梨乃ちゃんがわたしを『先輩』と呼んできたことではない。それは本名を言わずに呼ぶためのコードネームのようなものだ。
おかしいのは、近道の発言である。
読心術の使い手かとも思ったが、わたしが全く考えていなかったことまで、しかも無自覚だったことまで言い当ててきやがった。
でも、下調べも何もしようが無い情報である筈なのだ、家族のことや漫画のことなんかは。
「そっちの黒髪の子も、並々ならぬ、もはや変態的なまでの欲求を持っているみたいだけれど、とにもかくにも、僕は君らの欲求を応援するよ」
「……だったら何をするというのですか」
と、ムキになったように梨乃ちゃんが問う。
ムキになったと言うか、何か図星でも突かれたかのような、今風の言い方をするなら『地雷を踏まれた』ような、荒い声色で。
対する近道は、
「君らを啓蒙するのだよ」
などと、相変わらず飄々とした態度で、訳のわからない抽象的なことを言うのだった。
そして弁論を始める。
それは、弁論というよりは演説で、演説というよりは説得で、説得というよりは……
そう、啓蒙であり、啓発だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「人は弱い。人は未熟だ。
「世間ではそんなことをよく言われがちで思われがちだけれど、実際どうかな、この世界が理不尽なだけなんじゃないのかな?
「無論、ここで言う『弱い』とは、単純な体力や戦闘能力の話だけじゃない。困難と逆境に対抗し、そういったものを除去して排除して問題を解決する能力だったり、したいことでもすべきでないなら我慢したり、したくないことでもすべきならする能力の話だ。普遍的な、問題解決能力のことだ。そして、そんなことよりも何よりも、そういうことを平然と悪びれずやってのける、図太さと無神経さのことだ。
「それらが不足している人間からは、幸せが遠ざかって行くのだと言われている。鬱病にかかりやすかったりとかね……でも、それっておかしいとは思わないか?この世は何故、そんなものが無いと幸せになれないように出来ているんだ?
「大体、強くなったところで、それは他者に思慮や共感の無い、図太くて無神経な人間になるだけではないか。
「強いことも弱いことも同じようなものだ。
「自分の幸福だけ考えるか、他者の幸福も考えるかという問題は、自分と他者のどちらを抑圧し、どちらを不幸にして、代わりに他方を恥知らずにするのかという問題に等しいじゃないか。
「強さ故に幸福になれた人間とは、ただ他者を犠牲にしているだけの人間だ。でも、それじゃあ強くたって弱くたって、結局どっちでも同じことだろう。
「元々不幸な人間にとっては、強くなろうと弱くなろうと、意味は無いのだよ。それで幸せになる訳じゃないし、良い人間になれる訳でもない。
「生きているだけなのに、生まれてきただけなのに、どうして皆がそんな不幸を、もしくは汚点を抱かなきゃならないんだ?
「決まっている。この世界が、最初っから不完全で間違っているからだ。
「そもそも結局、弱いとか強いとかっていうのは個性や属性に過ぎなくて、互いに軋轢を生んで嫌い合う原因になるという点では、特に意味が無い。
「強いも弱いも、意味は無い。
「だったらもう、どちら側に立とうが関係ないよね。
「人から蔑まれ、憎まれ、恐れられる覚悟があるのならば、いくらでも私利私欲のためだけに生きれば良い。
「私利私欲を抑え込んでいても耐えられる自信があるのならば、いくらでも献身的で善良な人間として自らを抑圧し続ければ良い。
「強くなりたきゃ強くなれば良いし、弱くなりたきゃ弱くなれば良いし、その上で、貪欲に幸福を求めれば良い。
「強くなるのも弱くなるのも、どちらにも貴賤は無いけれど、しかしその真理自体に辿り着けるかどうかという点で人の優劣は左右するのだと、僕は考える。
「そこにまだ気付いていない者は、愚かな者なのだと。
「因みに、中庸的な生き方をしようとすると破綻するものだよ。あえて中庸的たろうと強く決心する人なんてそうそういないけれど、いるとしてもだ。最初はバランスの良い思考と判断で生きていても、何か一つの些細なきっかけで、どんどんメッキが剥がれて馬脚を現し、すぐに自分のあるべき姿、自分のするべき生き方に戻って行ってしまうものだ。その中庸を下手に維持しようとし始めたら、それはとうとう本当の愚か者だよ。そんなところに自分の本来あるべき姿などある訳が無いし、そんなところに落ち着く訳が無いんだよ。何故ならさっきも言ったように、幸福だと言えるような状態にある者は皆、他者を犠牲にしているだけなんだからね。
「ほら考えてみて、小動物って可哀想だよねえ?僕らの生活と幸福のために、家畜化されて、食材や素材として良いように利用されて、殺されたり愛玩動物という名の玩具にされたりしているんだからさ……でも、それは仕方ないじゃないか。犠牲にしてしまうのは、仕方ないじゃないか。僕らが生きて、幸せになるためなんだから、仕方ないじゃないか。
「仕方ないと考えるのが、最も正しく合理的なんじゃないか。
「それがこの世界なんだよ。
「このことを受け入れられずに自殺するヴィーガンもいるらしいけれど、そんな人間が少数派だという事実からも、大抵の人間は心の底ではそう考えているということが判るだろう?
「僕が今している話は、その考え方からの発展だ。せめて愚かでも蒙昧でもない者だけでも幸せにすることを目論む、主義思想だ。
「だから僕は、あらゆる人間に選択の機会を与えたいんだよ。それが万人の幸福に繋がると信じて、質問をするのだよ。
「さあ答えてもらおう。君らはどんな人間なのか。
「奪う側と奪われる側、抑圧する側と抑圧される側、どちらに立つことを選ぶのか」




