四日目 巻藁嫋木 (2)
「ぎゃあああああああああ!あかん……ああやめて…!助けて……殺される……ぐああああっ!?待って!まっ、負けたー!!!」
「……???」
大きな声で敗北宣言をする巻藁さん。
技をかけながら、困惑する髭根さん。
戦闘訓練の時だった。
ADFでは貪食獣との格闘を想定して、柔道やレスリングや柔術などの練習を通して、寝転がった状態のまま動き回れるように訓練する。
例えば静岡市の高層ビルでわたしが沢山の化け物に揉みくちゃにされた時、しっかり動いて抜け出すことができたのも、まさにこの訓練をしていたからである。この訓練の目的はあくまで、相手の攻めから脱出して逃げることだ。
さて、その訓練において、恐らくは寮で同室になったのだろう巻藁さんと髭根さんが練習試合をしていた。
巻藁さんは、恐らくADFの訓練とか関係なく腕に憶えのある髭根さんを相手に、苦戦していたことは確かだ。
ただし、苦戦という言葉は慣用句的な言葉であって、別に苦しんでいなくても用いられることが多い筈なのに……
「うああああ!待って…!あかん…!」
「…?」
巻藁さんは、髭根さんにまだ技を決められた訳でもないのに、髭根さんが技の仕掛けに入ろうとサイドポジションに入って横四方固めをしただけで、弱音というか、今にもタップしそうな苦しそうな声を上げるのだ。
そのまま地味に膠着状態になったが……
「たぁっ!」
「…っ」
と、少し経ってから巻藁さんが急に動いて、自分の首をロックしている髭根さんの左腕から頭を抜いて、身体を回転させた。
苦しそうな声を上げる割には元気である。
そして、寝技のやり取りにおいて圧倒的に有利なポジションであるノース・サウスポジション、柔道で言うところの上四方固めの体勢になった。
……髭根さんが、だ。
「むー!むー!」
「???」
自分から不利な体勢に変わってしまった巻藁さんは、髭根さんのお腹で顔を圧されて呼吸ができず、必死に頭を回して気道を確保しにかかる。
対する髭根さんは、上四方固めの体勢のまま疑問と困惑の表情だ。
しかし困惑しながらも、髭根さんは頭を回したのをお腹の感触で悟り、そこからニンジャチョーク(上下逆さまのスリーパーホールドみたいな技)を仕掛けた。
技の引き出しが多いなー……
「あぁぁやめてぇ……たすけ……」
と、やはり情けない声を上げながら抵抗するも、最後には首が絞まって、一本負けになる巻藁さんだった。
そう。
巻藁さんは、なぜかすぐにヘタレるのだ。
「えーと……巻藁さん?」
「おうなんや篠守、そないに恐る恐ると」
訓練が終わってすぐに、わたしは巻藁さんに声をかけてみる。
「その……大丈夫なんですか?訓練は」
「大丈夫って…なんや、えろう愚問やなぁ。普通に良い汗かいて訓練を終えただけのうちに、一体どないな意味で言うとるん?」
「いやいや、めっちゃキツそうな声を上げてたじゃないですか」
「んん?そりゃあ身体を勢いよく動かす時は、腹から声の一つくらい出るやろ?スポーツでも何でも」
「…………」
そういう意味じゃない。
ちょっと待ってくれ、なんで顔色一つ変えず、こんなに堂々としていられるんだ?
あんなに情けなくヘタレているところを皆に見られた上で、どうしてこうまですっきりとした態度でいられるんだ?
なんだこの人、怖いぞ?
「どうかしたん?誰か別の人とうちとの見分けが付かんくなってしもうたんか?ほなちょっと医務室の場所を教えてや。もしも今うちの目の前で急病人が出たら、その人になんもしてやれへんのは心苦しいわあ」
「えーと、もう良いです」
「……いやあの、良いとか悪いとかやなくて、医務室の位置を教えて欲しいって言うとるの」
「……あ、本当に教えたほうが良い感じですか?」
と、巻藁さんが露骨に自分の肩や首を揉んでいるのを見て察したが、てっきり皮肉かと思っていたその懇願は、どうやら切実な頼みだったようである。
巻藁さん、訓練中のどこかの場面で、首やら肩やらの筋肉を痛めてしまったのだろうか?
なるほどなるほど。
「大丈夫ですよ!骨折と出血さえしていなければ、我慢で解決しますから!それじゃ!」
「ちょっ…!ちょっと待ちいや、別に今怪我をしとるとは一言も言っとらんけど、医務室の位置を教えてくれるだけでも…!」
「……あっちの角を曲がった所にここの敷地全体の見取り図があるので、そこまで歩いて行ってください!それじゃ!」
「嘘やろそれ!さっきは全然ちゃう方向に見取り図がある言うとったやん!さては騙そうとしとるんやなおどれ!」
「いやいやそんなそんな!あっちにも別の見取り図があるんですよ!」
楽しいなあ。
「じゃかあしいんじゃアホ、おどれが嘘をついとることはもうわかっとんねん!うちは嘘に満ち満ちた環境で育った!だから嘘と真実の区別は『におい』で分かる!」
「スピー○ワゴンかよ」
「このにおいは!ウソをついてる『におい』だぜ……」
「それ違うキャラでしょ」
「いやもう、ほんまに教えて」
「えー?どうしよっかなー」
「別にええやろそれくらい」
「えぇ〜?人に対する物の頼み方が斬新どすなぁ?」
「ごめんごめんごめん!教えてほんまに!悪かった!いやほんとに、ねえちょっと!行かないでって!本当に痛くなってきたんだって!」
「本当ですかあ?じゃあちょっと試しに叩いてみましょうか」
「はあっ!?もっと痛くする必要性がどこに…待って!やめろ!助けて!うぎゃああああ!」
動揺と恐怖と焦りで、ついつい喋り方(キャラ付け)が乱れてしまった巻藁さんだったので、流石にわたしもそろそろ教えてあげることにした。
「わかりました、医務室の場所を教えてあげます。千円で」
わたしはにっこりと笑いながら左手を差し出し、その掌を上に向ける。
「え…?」
あれえ?どうしたのだろう?
わたしが教えてあげると言ったのに、巻藁さんの顔がどんどん青ざめて、あたかも恐怖を感じているかのような表情になっていく。
どこか具合でも悪いのだろうか?
じゃあ、早く医務室に行かないとねえ。
「お支払い方法はどうしますか?」
「いや、それは違うやん……」
「お支払いができないようであれば、教え…ぐあっ!?」
と、そんな悪徳商法を行おうとしていたわたしは、突然背後から口を塞がれ、そのまま頭を引きつけられて仰け反らせられた。
そして、差し出していた左手は掴まれて背中に回される。
「何をやっているのですか篠守さん。隊員同士でのお金のやり取りは禁止行為ですよ?」
「んむむむ…!」
やはり貴様か紫野梨乃!
「巻藁さん、医務室はこっち側を真っ直ぐ行った突き当たりで左に曲がって、更に少し行った所にありますよ」
「あらまあ、誰かと違って親切な子やわあ。おおきに」
「口調が戻った!?」
ほんの先程まて酷く動揺していた巻藁さんが、爆速でいつもの喋り方に戻ってしまった。
そして、わたしから逃げるようにという訳でもなく、ただ普通に身体が痛いからという感じで、焦っても急いでもいない風な、余裕を持った早歩きで立ち去っていくのだった。
彼女は、切り替えの早さと言うか、調子が崩れたり戻ったりする速度がADF最速なのかも知れなかった。
さておき、わたし達はわたし達で、そろそろ異能の訓練のための訓練場に移動しなければならないので、歩き出す。
「ところで、巻藁さんはどんな異能を持っているのでしょうか」
と、そこで横を歩いていた梨乃ちゃんが呟いた。
ただしその様子は、『ふと呟いた』というよりも、『考えた末に口に出した』という風だった。
「どうしたの梨乃ちゃん?そんな興味ありげな口調で」
「その、巻藁さんは名古屋からここまで来ましたけれど、徒歩だったそうですよ。あんな危険な状況で、徒歩でその距離を移動できますかね?」
「え、徒歩でここまで?なんだろう、隠密系の異能なのかな?」
「恐らくそうだと思うのですけれど、何となく、巻藁さんにはそういうイメージが湧かないと言うか……」
「ま、異能訓練でわかるでしょ。さっき医務室に行きはしたけれど、多分あの人、遅れて参加してくると思うから」




