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三日目 荻原萩原 (2)

 前々から、勘付いていたことではあった。

 ただ、する理由は無くてもしない理由はあるので、確認しなかっただけだ。それで先延ばしに、うやむやにしていただけなのだった。

 ずっと前からである。

 だって、確認した結果として、もしも荻原さんが『そう』であったならば、今度はそれを知ってしまった自分が狙われかねないじゃないか。


「あ、あの、荻原さん。わたし、女ですよ?」

「そうね。私も女だし」

「つまり、それは……」

「もうわかるでしょう?私の趣味はこっち側よ」


 そう。

 荻原萩原は、レズビアンである。


「そ、それは、でも、わたしをターゲットにする理由にはならないんじゃないんですか!?あ、そうだ、真鈴(ますず)さん!真鈴さんとはどういう関係だっていうことになるんですか!?」

「ターゲット言うな。まあ、あの子ともよくやるけど」

「え…?」

「そう緊張しないの。こんなのは遊びよ?確かに私の本命は真鈴(まれい)ちゃんだけれど、それは私が勝手にそう思っているってだけの話であって、事実としては別に本格的な交際関係ではないの。っていうか、私はこう見えても家柄が堅いから、同性との本格的な交際はそもそも許されないんだけどね。だから、相手が女の子であれば、私は誰とでも遊ぶのよ」

「わたしのルームメイトとも既に関係を持っている可能性を暗示しないでください!」

「あらやだ、まさかまさか、そんなことをする訳が無いじゃないの。まあ私にとっては紫野ちゃんを手籠(てご)めにすることなんて買い物をするより簡単だけれど、あんたが私と仲(・)良(・)く(・)し(・)て(・)くれるのなら、私にそんなことをする理由は無いわよ?」

「くっ…!この人、暗に脅しを…!」

 誰か!倫理観が!倫理観があ!

 しっかりして倫理観!落ち着いて呼吸をして!止血帯を使うから痛いけど我慢して!誰か鎮痛剤を!倫理観、わたしの目を見て!大丈夫、あなたは生きて帰るのよ!さあ息をして!


 ……いや真面目に、これは変だ。

 荻原さんには、異様なまでに仲間想いと言うか、病的なまでに仲間を見捨てることを嫌うという性格がある。

 訓練中や課業中、上官に『こういう場合には、仲間を見捨てざるを得ないかも知れない。それでも任務を遂行(すいこう)する覚悟が無ければ駄目だ』などと言われる度に、いちいちそれに突っ掛かるくらいだ。

 上官の間でも、『荻原の前で講義をする時は、自分の発言を推敲(すいこう)する覚悟が無ければ駄目だ』などと言われるくらいだ……って、上官が折れるなよ。

 とにかく、だから上官からの印象は良くないらしいし、なんなら宇都宮(うつのみや)の大型デパートの時なんかは、そのせいで壊滅しそうになったとさえ言えるのだけれど……

 まさか。

 まさかそれは、狙っている女の子を見捨てて失うのが、残念で嫌だからという理由でのことなのか…?

 ルパ○三世やその他のダークヒーローみたいな感じで、女好きだから女を見捨てられないっていう……

 いや、流石にそこまで考えたら邪推だろう。

 邪推の筈だ。

 頼む、邪推であってくれ。


「あんただって、ちょっと堅く考えすぎじゃないのかしら?別に、これだったら妊娠の恐れがある訳でもないんだし」

「貞操という概念は無いんですか!?」

「こんなのは遊びよ。良いじゃないの、所詮は一夜限りの関係よ?軽く考えれば良いじゃない。篠守ちゃんは経験無いっていう話だけれど、そんなことだから日本の童貞処女率は世界トップクラスになってしまったのではなくて?」

「何だかなあ!倫理と道徳って、何なんだろうなあ!」

 わたしは鈍感ではないのだ、貞操の危機に対して。

 これまでにも、荻原さんのこういう内面の片鱗(へんりん)が見え隠れするようなことはあった。

 しかし、わたしは踏み入らなかったのだ。詮索(せんさく)しなかったのだ、それが良かれと思って。

 釈明めいたことを言わせてもらうと、それはわからないことをわからないままに放置する勇気を出したからだ(釈明以外の何物でもない)。とは言っても、その勇気の使い所を一つ、間違えてしまった。

 この人の危険度くらいは、把握しておくべきだった…!

「まあまあまあまあ、優しくするから。まずそこに座りなさいな」

「い、嫌です!」

「大丈夫大丈夫、痛いのは最初だけだから」

「いかんでしょその台詞は!?」

「そんなに怯えられたら、心に一物ある気分だわ」

「もうそういう意味にしか聞こえない!」

「そんなに逃げようとしなくても良いのに……それとも、そういう猟奇的なプレイがお好みかしら?」

「駄目だこいつ、もう性衝動だけの獣だ…!」


 わたしはじりじりとにじり寄ってくる貪食獣に、部屋の奥のほうへ追い詰められていく。

 逃走するためには、貪食獣の向こうにあるドアから廊下に出なければならない。

 貪食獣の右には広々としたベッドがあり、がら空きではあるものの、柔らかいベッドの上では素早く動けないかも知れない。

 貪食獣の左には最下段の引き出しが開きっぱなしにされた箪笥があり、そこを飛び越えることさえできれば素早く逃げられるが、そこに足が引っかかって転ぶ不安は残る。

「でも、冷静に考えたらアンフェアじゃない?私が下着とバスローブだけで、あんただけ普通に服を着ているのは」

「荻原さんも着れば良いでしょ!」

「……それもそうね。えーと、服はどこに置いたっけ」

 やけにあっさりと引き下がる貪食獣さん、もとい荻原さん。

 この隙に逃げられるだろうか…?

「あ、そんなところにあったか。取ってよ」

「え?」

 と、荻原さんがわたしの後ろを指差して言うので、わたしは振り返った。

 そこには、綺麗に小さく折り畳まれた荻原さんの衣服が、籠(かご)の中に収まってあった。こういう辺り、育ちだけは確かに良いのだろうけれども……

 なんて思いつつ、わたしがそれを手に取ろうとした瞬間。


「馬鹿ね!」

「っ!?」


 荻原さんが間合いを詰めてきていた。

 わたしもすぐ振り返ろうとしたが、それより先に荻原さんが羽交い締めのように両脇を掬(すく)い上げてきたため、わたしは振り返りきれず、バックポジションを取られてしまった。

 しかしその悶着の過程で、位置関係で言うなら、わたしのほうがドア側に立つ形になった。これなら、ドアとの距離はまだあるが、後は荻原さんのホールドから抜け出せば逃げられる。

 ホールドから抜け出せば、だ。

「バックの体勢って、どう?」

「いや意味がわからないです!」

 耳元で変な言葉を囁いてくんな。

 背後からわたしの腹部を抱え込んで、わたしを後方に引っ張り倒そうとしてくる荻原さんに対して、わたしは前のめりになって堪(こら)えつつ、右に身体を回転させて荻原さんのほうを向こうと試みる。

 そうしてわたしが右腕を荻原さんの首に巻いた瞬間、しかし荻原さんは逆に押してきたため、わたしはそのままベッドの上に押し倒された。

 荻原さんは右手でわたしの左手首を押さえつけ、わたしは右手で荻原さんの首を押さえつける。

「さて篠守ちゃん、この体勢からどう…うあっ!?」

 わたしは黙って目潰しを繰り出した。

 首を押さえていた右手を外し、荻原さんの顔面を鷲(わし)掴みにするように、ソフトテニスのバックハンドショットのような形で、右手の指の腹で荻原さんの目を擦った。

 その右手で今度は耳捕(と)り(自分の手の親指以外の全ての指で、相手の耳を握る技。ここから投げや崩しに繋げる)を仕掛けて、荻原さんの首を捻(ひね)り、掴まれている左手首も同時に上にずらして荻原さんのバランスを崩しつつ、開いた足を支えにして荻原さんを横に転ばせた。

「このっ…!」

 遠慮なく急所攻撃を繰り出すわたしに、さしもの荻原さんもその気になったらしく、かなり強い力でわたしの左手首を掴んだまま離さない。なんならそのまま、ベッドの上で膝立ちをしていたわたしを全力で引っ張り下ろしてきたため、次は指捕りでも仕掛けてやろうかと思っていたわたしは体勢を崩し、ベッドに突っ伏した。

 慌てて亀の甲の姿勢を取るわたしだったが、そのまま荻原さんは素早くアグレッシブな動きでまたバックポジションを取ってきて、あっという間に首を絞めてきた。

「篠守ちゃん、今夜は寝かさないわよ」

 ……スリーパーホールドの最中に言うか?

「さあ大人しく…痛っ!?」

 わたしは両手で指捕り(相手の親指や人差し指などを握って投げたり崩したりする技)を仕掛けて荻原さんの腕を強引に首から外しながら、思い切って勢いよくベッドの上から跳(と)んで、荻原さんを下敷きにするように、後ろ向きに激しく転落した。

 台詞は疎(おろ)か、声を出す余裕も無い。わたしは今、普通に無言で、ガチで闘っているのである。

「危なっ…!?」

「はあ……はあ……!」

「なんて奴……あ!待ちなさい!」

「はあ、はあ!」

 わたしは走り出す。

 荻原さんは受け身を取るために反射的に手を離したため、わたしは荻原さんのスリーパーホールドからの脱出に成功したのだ。

 更に、わたしに下敷きにされるのを嫌った荻原さんが反射的にわたしを横に突き離してくれたので、距離も生じた。


「《黄金剣(クリューサーオール)》……は無理か!」

 背後から荻原さんが追いかけて来ようとしたけれども、こんなところで異能は使えないし、最初から靴を履いていたわたしに対して、スリッパも脱げて裸足だった荻原さんは靴を履き直すために時間がかかったようだし、そもそもわたしのほうが荻原さんよりも足が速いので、こうなればこっちのものである。

「荻原さん!お会計と後始末よろしくお願いします!」

「この状況で言う!?やるけれども!」

 もはや遥遠(ようえん)とまで言える距離から追いかけて来る、妖艶(ようえん)で扇情的な格好の荻原さんに、わたしはそう叫んだ。

 そして、ホテルから脱走した。

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