【第74話後編:静止する現場、潜伏する規律】
【Scene 4:61歳の防衛本能、再起動のトリガー】
佐藤が運転する軽トラックが、島田さんの自宅の庭先で静止した。エンジンを切り、助手席の木村さんと共に車を降りる。玄関から姿を現した島田さんは、その場に立ち尽くし、二人を無言で迎えた。その佇まいは、現場の喧騒を拒絶し、組織の論理から身を隠しているかのようだ。
佐藤は砂利を踏みしめ、島田さんの正面に立った。
「木村さん。隠居が連れ立って、何の用です」
島田さんの問いに対し、佐藤は迷いなく一歩前へ出た。
「島田さん。単刀直入に申し上げます。俺たちは今、海帆の23軒の農家から合計130tの米を買い入れる契約を締結しています。ですが、収穫を支える機械が死ねば、この130tという数字は一瞬で瓦解する。俺は、そのリスクを物理的に排除したいんです」
島田さんの視線が佐藤を射抜く。佐藤は言葉を止めない。
「20年経った機械が故障した時、農協は修理不能を盾に1500万円の新車を勧めるでしょう。農家は借金に沈むか、廃業を選ぶしかない。俺は、その一方的な因果律を叩き潰したい。木村さんの腕と、俺たちの技術があれば、2005年以前の機械は必ず蘇生できます」
「ですが、最初から保全にお金は出さないでしょう。何も壊れていない機械に金を出すほど、彼らの財布は軽くありません。だから、まずは友人の田中だけに、無理やり50000円の予防保全パックを受けさせ、規律を叩き込みます。あいつの機械を、完璧に保全された異常な状態に仕上げる。半年後の収穫期、他が故障で立ち止まる中、田中の機材だけが平然と走り続ける。その独り勝ちの光景を見れば、他の22軒は必ず別の目で田中を見るはずです」
島田さんは鼻で笑うような仕草を見せたが、その目は佐藤の言葉を拒絶しきれていなかった。
「修理依頼が来た時こそが教育の好機です。完全に壊れてからでは、連鎖的に他の部位もやられ、傷が深い。不調のうちに直せば、費用は10分の1で済む。その実利を、蘇生した機械と共に農家へ叩き込みます。妨害の懸念は法的に封鎖済みです。島田さん、あなたの懸念はもう存在しません」
木村さんが、軽トラックの脇から野太い声を飛ばした。
「島田。俺には技術はあるが、どの納屋にどの型式の死骸が眠っているか、今の農家の本音がどこにあるかまでは分からん。俺の足となり、23軒の地図になってくれ。今すぐにな」
島田さんは、自身の庭の静寂を見つめ、長い沈黙の末に息をついた。
「23軒で130t。50000円の価値を証明するために、まずは田中の機械を1分も止めない準備を始める。そういうことですね、佐藤さん。いいでしょう。まずはその田中の納屋が、どれほど悲惨な状態か確認させてもらいます」
島田さんの返答を聞き、佐藤は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。条件は木村さんと同じく、週に3回、1日4時間。時給は3000円でお願いしたいです。島田さんの持つ23軒の地図に、相応の対価を支払わせてください」
島田さんは、3000円という数字を噛み締めるように、一度だけ低く頷いた。
「3000円か。隠居の小遣いには過ぎた数字だが、その分、きっちり23軒の裏まで歩かせてもらうよ。佐藤さん、その代わり、田中のトラクターが直らなかったら、その時点で契約は破棄だ。いいな」
「了解しました。物理的な結果で証明します」
【Scene 5:80Wの閃光と、完璧な出力】
横長真空チャンバーの排気バルブを開くと、プシュッという乾いた音と共にアルコールの刺激臭が溢れ出した。佐藤はチャンバーから240mm × 560mmにカットされたシナノキの板を引き出し、作業台へ運ぶ。
事前にマキタのスライド丸ノコでミリ単位の狂いなく切り出された黄金比の板は、抽出液を吸い込んでずっしりと重い。佐藤は表面のアルコールを飛ばすため、工業用送風機を10分間当てた。
表面がわずかに乾いたのを確認し、佐藤は小型ポータブル自動カンナの電源を入れた。ポータブル機特有の、甲高く暴力的なモーター音が納屋に響き渡る。板をローラーに噛ませると、機械が自動で板を吸い込み、表面の1ミリを容赦なく削り飛ばした。吐き出された板は、アルコールの染みを削り落とされ、真新しい木目を露出させている。
佐藤はその板を、今度はルーターテーブルへと滑らせた。高速回転するビットに板の四辺を押し当て、角を落としていく。猫が顔を擦り付けても怪我をしないための面取り加工。98ドルの商品価値を担保するための、職人としての最低限の処置だ。
「ヴェル。重量データの照合を」
『完了していますわ。表面切削後も、細胞壁の深部まで液が到達している物理的証明ですわ。さて、次はマスターが集会所で撮影したあの毛玉の画像データですね。私の演算リソースに対する侮辱のようなノイズ写真でしたが、私が哺乳類骨格構造データベースと毛並みの流体力学モデルを同期させ、1200dpiの完璧なベクターデータへ再構築しておきましたわ』
佐藤は面取りを終えた板を、作業場の主役である大型筐体の中へ置いた。出力80Wを誇る、本格的なCO2レーザー加工機だ。
「原点設定よし。チラーの冷却水温度、18度で安定。いくぞ」
佐藤がスタートボタンを押すと、水冷ポンプの低い駆動音と、レンズを保護するエアーアシストの噴射音が重なった。 80Wの目に見えない赤外線レーザーが、板の表面を凄まじい速度で走り出す。木材が瞬時に気化し、深い焦げ跡と共に「WOOD & RAVAGE 99」の文字が刻まれていく。排気ファンが煙を即座に外へ吐き出す。
『レーザー出力80W、ヘッド走査速度ならびに照射タイミング、私が0.01ミリ単位で直接掌握していますわ。上部66%には、世界の主要な成猫の爪の幾何学構造データベースを解析し、最も古い爪の鞘を脱ぎ捨てるのに必要な「側面の抵抗」を発生させる精密なテクスチャを刻みますわ。そして下部34%にはTamaの肖像。こんなただの板切れにこれほどの高精度照射を行うのは非論理的の極みですが、やるからには網点の一つすら妥協しませんわよ』
ヴェルの冷徹な音声の裏で、レーザーヘッドは狂いなくTamaの肖像を描き出していく。集会所でお婆ちゃんたちの足元に寝転がっていたTamaが、今、1200dpiの精密さで工芸品へと昇華されていく。
わずか数分後。ヘッドが原点に戻り、加工完了の電子音が鳴った。 深く、鋭角に刻み込まれたヴィンテージロゴと、 Tamaの肖像。
佐藤は完成した「Wood」の初号機を手に取り、部屋の隅に設置された巨大な箱へ向かった。工業用除湿・強制乾燥システム。 板を庫内のラックに丁寧に並べ、密閉扉のハンドルをガチャンと押し下げる。
「よし。アルコール回収シーケンスに切り替えろ。40時間だ」
『了解ですわ、マスター。40時間のタイマーをセット。庫内温度および除湿サイクル、最適値で固定しました。私の電気代、きっちり稼いでくださいましね!』
佐藤は分電盤のブレーカー電圧を最後に確認し、乾燥システムが低い重低音を響かせ始めるのを静かに見届けた。
【第74話:収支報告】
【前回の資産:4,143,020円】
【収入:2,280,000円】
「SILK & RAVAGE 99」着金(190個分):2,280,000円
【支出:60,000円】
「SILK & RAVAGE 99」海外配送料(40個分):60,000円
【現在の資産(メイン口座):6,363,020円】
【納税・社保引等金(聖域):1,472,000円】
【税金防衛額(節税成功分):2,823,975円】
【個人資産(佐藤):11,100,000円】
【牧野氏の債権残高:14,811,800円】
【第74話:完】




