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【第73話前編:土の目覚め、鋼の意志】

【Scene 1:納屋事務所の狂騒】


改修が終わったばかりの納屋事務所には、まだ真新しい石膏ボードの匂いが漂っていた。佐藤が図面の最終チェックをしていると、工務店の健治が、バツの悪そうな顔で作業着の首元を掻きながら入ってきた。


「佐藤、おはよう。いや、参ったよ。今日入るはずだった現場、前の工程が遅れてやがって、仕事が急に空いちまったんだ。職人遊ばせとくのも癪なんだが、何か手伝うことねーか? 掃除でも何でもやるぜ」

佐藤はモニターから目を離さず、短く「くくっ」と笑った。


「健治、そいつは運がいい。ヴェル、あの場所の座標を健治のスマホに飛ばせ」

『あはは! 健治さん、ラッキーね! 山の斜面にある「宝の山」が、あんたたちの手を待ってるわよ!』


「健治、悪いが職人と軽トラを出してくれ。ヴェルが指定するポイントにあるマタタビの枝を回収して、先日の洗浄プラントにぶち込んでおいてくれ。それだけで十分にお釣りがくる仕事になる」

「マタタビか! 面白え、野郎ども連れてすぐ向かうわ!」


健治が飛び出していくのと入れ違いに、佐藤は智子に封筒を手渡した。

「智子、例の山の地主のところへ行って、入山料として2万払ってきてくれ。これで3回目だ。小銭を積み上げて『ここの採取権はうちにある』という既成事実を地主の脳に焼き付けておいてくれ」


「了解。領収書、きっちりもらってくるわね」

智子が出ていくのとほぼ同時に、入り口の引き戸が勢いよく開いた。元気な声の主は、昨日ハローワークで面談したばかりの森田だった。


「佐藤さん! おはようございます!」

「森田。入社する気になったか。だが、普通はまず電話して、来週からとか言ってくるもんだろ。いきなり直接来るか、くくっ」


「いや、昨日の夜、親父に話したら『佐藤さんのところなら間違いねえ、今すぐ行ってこい』って大賛成されまして。あと、親父から聞きました。うちの米、5トンも買ってくれるらしいですね。あ、印鑑持ってないんでサインでいいっすか!」


「あー、あの22軒のうち、森田の家もあったのか。世間は狭いな。いいよ、サインで」

佐藤は呆れたように肩をすくめたが、迷いなく書類にペンを走らせる森田の勢いを嫌いではなかった。空になったコーヒーカップを置き、立ち上がろうとしたその時、再び引き戸が開いた。香織と、その隣には昨日面接したばかりの上原舞が立っていた。


「佐藤さん、おはようございます」

「あれ、香織さん。シフトでは今日はお休みでは。なぜ舞さんと一緒に?」

「娘なんです。女の子なのに重機に乗るのが好きな子で。昨日の夜、佐藤さんのところでお話を聞いたって興奮して帰ってきまして。心配でついてきちゃいました」


「佐藤さん、おはようございます。こちらで働かせていただきたいです」

舞が真っ直ぐに佐藤を見据えて頭を下げる。

「ヴェル、また契約書だ。印刷してくれ」


『あはは! 親子でRipartenzaの規律に志願なんて、最高にドラマチックですわね! 舞さん、歓迎しますわよ! ぷぷぷ!』

佐藤は書類を整えながら、ふとペンを止めた。


「あー、申し訳ないんだが、同じ苗字の方が社に複数いると間違いが起きる可能性がある。下のお名前でお呼びしてもいいだろうか」

「あらぁ、全然かまいませんよ。ね、舞」


「ちゃん付けでなければ全然かまいませんよ」

「では舞さん、よろしくお願いします。これが契約書になりますが、いつからの勤務にしますか?」

「今日、今からでお願いします。外に置いてある機材の据え付け、手伝いたいです」


舞が力強くサインをする。ちょうどその時、納屋の前に大型のユニック車が滑り込んでくるのが見えた。木工加工機材の第一弾だ。


「タイミングがいい。牧野、藤田、米山さん、北脇さん! 集まってくれ。機材が入った。森田、舞さんも手伝ってくれ」

佐藤は現場の6人を呼び集め、ユニックの荷台を指した。


「このまま製造ラインのベースを組む。ラインと言っても複雑な連結じゃない。各設備の配置とレベル出し、電源の確保だ。森田、舞さん。牧野の下について搬入を助けてやってくれ。この人数なら、すぐに形になるはずだ」


牧野がニカッと笑って新入りの肩を叩く。静かだった納屋に、ユニックの駆動音と男たちの咆哮が重なり始めた。佐藤は静かに立ち上がった。


「ヴェル。段取りは済んだ。物理現象としてのラインを、今ここで具現化するぞ」

『了解、マスター。カオスな現場ほど、私の演算が輝くわ! 準備は万端よ!』



【Scene 2:古狸の牙城と、阿吽の鍵】


納屋の据え付けを牧野たちに預け、佐藤は軽トラを走らせて「中村商会」へと向かった。事務所の奥、油と煙草の匂いが染み付いたソファに座る中村に、佐藤はタブレットの画面を向けた。サインを終えたばかりの森田と舞の雇用データ、そしてJAを牽制しつつ進める140トンの米の流通計画が並んでいる。


「ほう。森田の次男と香織の娘か。お前、地元の人間を仕事に引き込み始めたな。単なるIT屋にはできねえ、一番合理的でえげつない囲い込みだ。くくっ、面白え」


「先輩。彼らには私のシステムの現場実働を担ってもらいます。外堀は埋まりました。次は納屋の製造ラインを構築し、海外向けの製品量産に入ります。そのための木材を中江さんのところへ買いに行く予定です」


佐藤が淡々とこれからの予定を伝えると、中村は満足そうに目を細めた。そして、手元にあった鍵を無造作にデスクへ放り投げた。

「いいだろう。地元のガキどもを背負う覚悟があるなら、俺の看板を貸してやる。って佐藤の軽トラじゃきついだろ、俺の2tで行け。整備は完璧だ」


佐藤はデスクで跳ねた鍵を無言で受け止めた。中村商会の看板が入った2tトラック。それがあれば、これからの物量移動も、地域特有の交渉コストも最小限で済む。中村はすべてを見越していた。

「助かります。借用料は後ほど」


「おう。さっさと行け。中江のところ、俺の名前を見せねえと、また吹っかけてくるからな」

佐藤は事務所を出ると、ヤードに停まった2tトラックに乗り込んだ。重厚なディーゼル音を響かせ、巨大な門を抜けて「中江材木店」へと向かった。アスファルトのヤードにトラックを寄せると、経営者の中江が不機嫌そうに事務所から顔を出した。


「何だ、佐藤か。牧野の件ならもう済んだはずだぞ」

「仕事の話だ。中江さん、産廃予定の24mm厚のB級端材はないですか?」

中江は佐藤が乗ってきた2tトラックのサイドにある社名を二度見し、毒気を抜かれたようにヤードの隅を振り返った。


「とりあえずあそこにブルーシートかぶって2パレほどあるが、サイズもバラバラだし、節もひどいぞ。何に使うんだ」

「治具の材料と、製品のベースだ。中江さん、フォーク借ります」


佐藤は短く答えると、ヤードに停まっていたフォークリフトへ歩み寄った。手慣れた動作でリフトを操作し、パレットを次々と2tトラックの荷台へ滑り込ませる。 ガコン、という低い衝撃音が二度響き、合計1.2トンの資材が収まった。佐藤はリフトを戻してエンジンを切ると、二万円を中江のデスクに置いた。

「助かる。二万、ここに置いていくぞ」


「ちっ。処分手間が省けるんだ、勝手に持っていけ」

佐藤は再び2tトラックの運転席へと乗り込んだ。サスペンションがしっかりと重みを受け止めている。佐藤はアクセルを踏み込み、資材を満載したトラックを納屋へと走らせた。



【Scene 3:行政の死角、智子の猛攻】


主要地方道沿いにある、民間指定確認検査機関のオフィス。智子は、一分の隙もないタイトなスーツに身を包み、受付カウンターの向こう側に座る担当者を、冷徹な視線で見据えていた。


「ですから、智子さん。今回の『リパルテンツァ新工場棟』の計画ですが、この規模だと市役所の開発指導課との事前協議に少なくとも一ヶ月は」

担当者がマニュアル通りの停滞を口にしようとした瞬間、智子は図面の面積欄を、ペン先で鋭く叩いた。


「的外れな回答は控えていただけるかしら。今回の計画は延べ床面積195平米、59坪よ。法的に200平米を超えないこの規模において、用途変更や大規模建築物特有の防火規制を盾に受理を遅らせる合理的理由は存在しないわ。都市計画区域外の雑種地、かつ6条1項4号建築物。この図面で『仮受付』を拒む法的根拠を今すぐ示しなさい」


「しかし、60坪近い工場となると、慣例として行政の判断を」


「慣例? 法治国家において、私企業が法に基づき提出した確認申請を、慣例という曖昧な理由で保留にすることは建築基準法第77条の32に規定される『業務提供義務』違反よ。正当な理由なく受理を拒むなら、それは指定機関としての欠格事由に該当するわ。さらに行政手続法第7条の受理義務の法理を逸脱した不当な不作為として、県知事への監督処分を申し立てるけれど、その覚悟はあるの?」


智子は無言でスマートフォンを取り出し、スピーカーモードで発信ボタンを叩いた。呼び出し音が事務所に冷たく響く。


「あ、もしもし。海帆建築検査センターさん? Ripartenzaの智子です。ええ、59坪の新工場建設案件。今、別の機関に来ているのだけれど、法的にクリアな6条4号建築物の受理に難色を示されていて。法的リテラシーに不安があるところとは契約できないわ。今からそちらへ向かってもいいかしら? ヴェルの演算による構造計算書も添付済みよ」


電話の向こうから

「喜んで! 195平米なら即座に審査ラインに乗せられます。お待ちしております!」

という威勢のいい声が即座に返ってきた。担当者の顔から一気に血の気が引いていく。

「智子さん、ちょっと待ってください! 今のは」


「行きましょう、ヴェル。ここは看板を下ろした方がいいわ」

『あはは! 智子、最高にエグいデバッグね! 200平米という法律の境界線を1坪分(59坪)下回ることで、相手の言い訳を完全に封殺したわ! この担当者、今自分の無能さを噛み締めてるわよ! ぷぷぷ!』


智子が席を立とうとしたその時、奥の個室から所長が血相を変えて飛び出してきた。

「お待ちください! 智子さん! 今のは担当の説明不足です。59坪、雑種地、この精緻な図面であれば、弊社で即座に受理させていただきます。おい、何を突っ立っている! 今すぐ受理印を持ってこい!」


所長は担当者を怒鳴りつけ、智子に深々と頭を下げた。智子はスマートフォンの通話を切り、冷ややかな視線を所長へ向けた。

「あと8分。8分以内に受理印が押された副本を私の手元に。それ以上は一秒とも待たないわ」


「は、はい! ただちに!」

22分後。智子は、角印の鮮やかな赤が押された副本を手に、ヒールの音を響かせてオフィスを後にした。59坪。法律の隙間を突き抜けるための「規律の数字」が、リパルテンツァ新工場の礎となった。


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