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【第71話後編:再起動の旋律】

【Scene 4:米山さんの庭先、司令官への就任依頼】


理事長宅を後にした佐藤の軽トラは、春の夕闇が深まり始めた米山さんの自宅へと滑り込んだ。庭先では、米山さんが古びた納屋の明かりの下で、使い込まれた農具の点検をしていた。

「お疲れ様です、米山さん」


米山さんは腰を上げ、佐藤一人であることを確認すると、少し意外そうに目を細めた。 「佐藤さんか。……ほう、今日は一人かい。例の連中はまだか」

「昨日今日で四名ほど面談しました。一度持ち帰って親御さんと相談するよう伝えてあります。明日には返事が来るでしょう。合流したら、交代でここに一、二名ずつ寄越します」


「ほう。農業の専属か?」

「いえ、専属にはしません。やることが山積みでして。工場の設備作りや発送業務をローテーションで回ってもらいます。その一環として、米山さんに土の読み方を叩き込んでほしいんです」


米山さんは、少し意外そうに眉を上げた。

「専属じゃないのか。それで米が作れるんかい」

「基本、全員がこのインカムを装着し、すべての会話がAIに保存されます」


佐藤は首にかけていたデバイスを指し示した。

「米山さんの指示、現場の音、すべてログ化してシステムが学習します。苗は俺が作るプラントで24時間管理し、工程を徹底的にIT化して省人化する。ですが、その設定値の根拠になるのは、米山さんの50年の経験です」


「……わしの勘を、その機械に覚え込ませるってのか」

「ええ。米山さんには、家の中からモニターで現場を見守る司令官になっていただきたい。あなたの勘をデータ化し、若者たちに継承するのが、このプロジェクトの核心です」


米山さんは、少し照れくさそうに鼻を鳴らしながらも、深く頷いた。

「司令官、ね。……分かった。苗が喉が渇いたと言っている時の顔は、わしが教えてやる。その代わり、来る連中には根性があるんだろうな」


「規律のない現場に絶望してきた連中を選びました。ここには、彼らが求めていた真っ当な仕事があります」

佐藤はさらに、今後の拡張計画についても言葉を添えた。


「4月20日に特別肥料を届けます。代金は秋の収穫時に原価で相殺します。米山さんは土作りにだけ集中してください。それと……ここから車で9分の中古納屋の周りに放置畑がありまして」

「ああ、あの辺か。あそこはもう、ただの草むらだぞ」


「理事長に頼んで20ヘクタールほど借りる予定です。1年から2年かけて、すべて水田に戻したい。その再生についても、力を貸してください。この町の農業を、もう一度なりたい職業に戻したいんです」


米山さんは手に持っていた鍬を落としそうになり、そのまま絶句した。20ヘクタールの荒れ地。それを、たった一、二年で。狂気の沙汰だ。米山さんは佐藤の瞳を覗き込み、そこに一ミリの揺らぎもないことを確認すると、喉の奥で絞り出すように笑った。


「20ヘクタール……。あんた、正気か。用水路も、畦も、全部死んでるんだぞ。わしが死ぬまでに終わる計算か?」

「ええ。だからこそ最後に一つ。前は25年と言いましたが、訂正です。あと26年。あなたが97歳になるまで、現場の指揮をお願いしますよ。死んでる暇なんてありません」


米山さんは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、やがて全身で震えるように笑い始めた。

「……ハハッ、26年だと! 97までか! 20ヘクタールの泥を喰らえってのか、この大馬鹿野郎が。いいだろう、そこまで言うなら、わしの骨の髄まで全部持っていけ。その代わり、世界一の米、作らせてもらうぞ」


米山さんの咆哮に近い笑い声が、静かな夕闇を切り裂いた。佐藤は短くクラクションを鳴らし、力強くアクセルを踏んだ。

止まりかけていた老夫婦の時間が、今、佐藤の狂気と、明日やってくるであろう若者たちの鼓動によって、かつてない激流へと変わり始めていた。



【Scene 5:面接】

ハローワークの一室。窓から差し込む午後の光には、細かな埃が舞っている。 対面に座る若い女性――大橋は、落ち着かない様子でパイプ椅子の端に腰掛け、伏せ目がちに膝の上で指を組んでいた。指先がわずかに震え、組んだ膝が小さく揺れている。


佐藤はゆっくりと腰を下ろすと、まずは自分の名刺を一枚、机の上に丁寧に置いた。

「初めまして。佐藤と申します。急なお呼び立てをして、驚かせてしまったかもしれません。統括官から、あなたという方がいると聞きまして。無理を言って時間をいただきました」


威圧感を与えぬよう、だが背筋を伸ばし、仕事の現場で培った落ち着いたトーンで名乗りを上げる。大橋は、机の上に置かれた名刺をじっと見つめたまま、蚊の鳴くような声で応えた。

「……大橋、です」


彼女は一度、深呼吸をするように肩を上下させると、視線を床に落としたまま言葉を絞り出した。

「高専では、情報工学を専攻していました。……3年の11月までは、普通に通っていたんです。成績も、悪くはなかったと思います。でも、急に……全部が砂みたいに感じて。自分が何のためにコードを書いて、何のために回路を組んでいるのか、分からなくなりました。……どうしても、あの門をくぐることができなくなったんです」


彼女は自嘲気味に口角を上げたが、目は笑っていなかった。

「この1年は、何もしていません。家で、ただ時間が過ぎるのを待っていました。……こんな人間、普通は雇いませんよね。統括官の方も、何を考えて私をこんな場に呼んだのか」


彼女はそこで言葉を切り、初めて佐藤の目を真っ直ぐに見た。その瞳には、拒絶されることを予期したような、鋭い光が宿っていた。佐藤は、その視線を正面から受け止めた。否定も、安易な同情もしない。

「ふむ。約4年間、他人より走りまくったんですね。お疲れさまです」


佐藤の口から出たのは、彼女の積み上げた時間を労う言葉だった。大橋は、意外な言葉を投げかけられたかのように、わずかに目を見開いた。


「で、1年休んで、何か変わりましたか? 世間はそれを空白と呼ぶかもしれませんが、立ち止まって景色を見ていた時間は、決して無駄ではないはずです。その1年を経て、今、大橋さんの中に何か新しい感覚は芽生えましたか。それとも、まだ霧の中にいるような状態でしょうか。今の正直な気持ちを聞かせてください」


大橋は、組んだ指にぐっと力を込めた。

「……変わった、のかどうか。自分でもよく分からないんです。ただ……。走っていた時は、周りのみんなと同じように『スペック』を上げることばかり考えていました。でも、この1年、何もしないで部屋にいたら、動いている世の中が前よりもずっと怖く見えるようになったんです。……でも、その一方で、自分の指先が、何かを触りたがっているというか。何かを組み立てたりしていた時の『あの感覚』だけは、まだ死んでいないのかも……って」


「ふむ、では、少し私の話をしましょう」

佐藤は机の上で組んでいた手を解き、少しだけ背もたれに体を預けた。


「実は私、去年まで本州の大きな企業にいました。もうすぐ50になりますが 。でも、さまざまな今の社会の当たり前が、当たり前と理解できず退職いたしました。地元海帆に帰ってきて、経験を活かし、農業・漁業の方を中心に様々な機械を修理し、AIを用いた倉庫管理保守、ちょっと特殊な猫のおもちゃ海外販売、そして来年度からはお米のビジネスに手を出し始めるところです」


大橋が驚いたように顔を上げた。

「そうですね、20代の方が入社されたときにまずお願いしたいのが、この多角事業のローテーションですべての場所を経験していただきたい。さすがに力仕事はお願いしませんが。大橋さんには今日、今、初めてお会いしました。あなたのことはさっぱりわかりません。ですが、今ここでお話していてなんとなくの勘で申し訳ないんですが、どこかハマれるものがあると思います」


佐藤は淡々と、だが澱みのない口調で条件を並べた。

「今は統括官にお話聞いてすぐ出てきたので、正式な書類は手元に用意できていませんが。条件は、月給25万、ボーナス年2回基本1ヶ月分、昇給20代は年2回、有給は入社日から15日付与、体調不良でのお休みは会社半分、有給半分で年14日までは理由不要でOKです」


「25万? それに、休みも、そんな……」

大橋の声が震える。佐藤はゆっくりと言葉を継いだ。


「まず、21歳での就職という大事なお話です。十二分に検討していただきたい。もし、親御さんが出来立ての当社をご心配なされるなら、私の知人に私の身分証明をさせていただきますよ。えっと、銀行の支店長さんと、ここの統括官と、スクラップの中村会長、水利組合の理事長など…。彼らなら、私がどんな仕事をしているか、隠さず話してくれるはずです」


佐藤は少し口角を上げ、彼女に圧迫感を与えないよう、自然な動作で立ち上がった。

「今日はこれくらいにしましょう。急いで答えを出す必要はありません。統括官に連絡先は預けておきます。気が向いたら、一度現場を覗きに来てください。機械の油の匂いや、AIが動いている様子を実際に見てから決めてくれればいい」


大橋は、机の上に置かれた名刺を、両手でそっと引き寄せた。



【Scene 6:180万の死骸】


軽トラを走らせること7分。ヴェルが指し示した場所は、主要地方道から一本入った、耕作放棄地が目立つ一角だった。 目の前に現れたのは、鉄骨造の大きな納屋だ。 佐藤は軽トラを降りると、先に到着していた不動産業者の若い男に軽く会釈をした。男は「足元、泥がひどいので気をつけてください」と言いながら、錆びついた南京錠を鍵で開け、重い引き戸を半分だけスライドさせた。


北側のトタン屋根が一角だけ完全に腐り落ち、そこから差し込む光の柱に細かな埃が舞っている。 壁の波板は錆びて剥がれ、風が吹くたびにガタン、ガタンと、乾いた音を立てていた。

「佐藤さん、建物は見ての通りですが、骨組みは1989年製の鉄骨です。登記上の雑種地としての評価で180万、現状渡しでいかがでしょうか」


業者が手短に条件を述べる。佐藤は答えず、剥き出しになった鉄骨の柱に歩み寄った。持参したハンマーで、柱の根元を軽く叩く。カン、カンと、澄んだ高い音が響いた。

「骨は生きている」


佐藤は懐中電灯を取り出して奥の電気引き込み盤を照らした。

「動力付きか。担当さん、ここ、俺が買います。振込先を教えてくれ。今から全額叩き込む」

「ぜ、全額、即金ですか。承知いたしました。すぐに手配します」


不動産業者の若い男が、安堵と困惑が混ざったような顔で頭を下げ、去っていった。 あとに残されたのは、佐藤と、錆びついた鍵の束。そして、春先の湿った風に吹かれてガタンと鳴る、巨大な鉄の死骸だ。

佐藤は引き戸の隙間から、納屋の中をもう一度見渡した。 腐った屋根から落ちた雨水が、コンクリートの床に黒いシミを作っている。1989年製の鉄骨は、埃を被りながらも、ただそこに沈黙して立っていた。


「……ヴェル。買ったぞ」

『あはは! 本当に買っちゃったわね、この粗大ゴミ。180万、メイン口座から今、羽が生えて飛んでいったわよ。あんた、ここをどうするつもり? 掃除するだけでも1週間はかかりそうだけど?』


佐藤は答えず、ポケットから錆びた鍵を取り出し、自分の手の中でその重さを確かめた。 納屋の扉から外へ視線を向ける。 そこには、かつては誰かが耕していたであろう、今は枯れ草と藪に支配された荒れた畑が、どこまでも不格好に広がっているだけだった。


佐藤は何も言わず、軽トラのドアを開けた。ただ、自分の所有物となった「ボロ納屋」と、目の前に広がる「使われていない畑」が、そこにあるだけだった。


【第71話:収支報告】

【前回の資産:10,633,020円】

収入なし:0円】

【支出:6,020,000円】

水門用PLC・IoT部材一式:220,000円

アトラス セーフティローダー:3,040,000円

バッテリーフォークリフト:900,000円

中古納屋・土地(660坪):1,800,000円

まり海外配送料(40個分):60,000円

【現在の資産(メイン口座):4,613,020円】

【納税・社保引当金(聖域):1,472,000円】

【税金防衛額(節税成功分):2,823,975円】

【個人資産(佐藤):11,100,000円】

【牧野氏の債権残高:14,811,800円】

【第71話:完】

【偉人の言葉】 「若者の夢を大切にする。そんなこと、あたりまえじゃないか。会社は、個人の夢を実現する場所なんだから。」


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