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【第71話前編:再起動の旋律】

【Scene 1:回路の再起動と、先行する「実弾」の調達】


佐藤は、第4水門から回収した制御盤の中身を北脇さんの前に置いた。昭和51年(1976年)製。半世紀もの間、潮風に晒され続けた鉄と銅の塊だ。拡大鏡を覗き込むまでもなく、配線は硬化してボロボロと崩れ、接点部は緑青を通り越して真っ黒に変色している。


「……北脇さん。昭和51年製です。50年も前の設計を追うのは時間の無駄だ。ロジックごと現行の汎用シーケンサへ積み替える。箱だけ流用して、中身は完全に新規で作り直したい。これ、北脇さんにメインで組んでもらえませんか」


北脇さんは佐藤の手元を凝視し、50年の歳月が刻んだ凄まじい腐食を指でなぞった。 「半世紀ですか。PLCへのリプレイスは賢明ですな。図面さえあれば、盤の組み上げと配線は私の領分です。この手の古い盤は、今の規格に合わせるのが一番の供養になります」


「助かります。そういえば、北脇さんは電気関係の資格は何かお持ちで?」

「電験2種と、電工1種があります。メーカー時代、工場の受変電設備の保守も見ていましたから」

佐藤はわずかに口角を上げた。


「奇遇ですね。俺も同じセットを持ってます。……十分すぎます。なら、この水門の心臓部、北脇さんの規律で完璧に仕上げてください」

耳元のV-LINKから、ヴェルの涼やかな声が重なる。


『匠の共鳴ですわね、マスター! 電工1種が2人もいれば、この納屋の動力配線デバッグも完璧ですわ。半世紀前のゴミ同然の回路を、最新の産業グレードへアップデートする……リストアップ、同期完了しましたわよ』


佐藤はヴェルの演算によって弾き出された日本製PLC、IoTゲートウェイ、そして雷保護用のSPDを含む部材一式を確認し、発注ボタンを叩いた。 初期導入部材原価、合計で220,000円。 メーカーの「全交換・300万円」という怠慢な見積もりを、本物の「技術」と「信頼」で上書きするための投資だった。


続けて、佐藤は智子がデスクに置いた一束の資料に目を移した。

「智子。このセーフティローダー、支払総額3,040,000円で即決だ。平成15年式だが、フラトップに3t積載、しかもワイドの超超ロングは出物だ。すぐに押さえを頼む。あと、2.0トンバッテリーカウンター90万298時間 も押さえてくれ」


「了解。今すぐ手配するわ。それと、肥料の方はどうするの?」

「特殊肥料メーカーへ、この内容で製造依頼をかけてくれ。130t収穫に向けた特別配合だ。全量20kg袋、パレット積み、シュリンクラップ(荷崩れ防止)有りで、予想見積額は3百ちょっとを見込んでいる。4月20日納入の強行軍だが、こいつが9月の実になる。一切の妥協は無しだ」


智子が手帳に鋭いペン先を走らせる中、佐藤は現場を仕切る牧野を呼んだ。

「牧野、進捗はどうだ」

「断熱材は今日で終わる。午後からは予定通り石膏ボードを回していくぞ」


佐藤は頷き、隣の北脇さんに視線を向けた。

「分かりました。北脇さんには引き続きボードを手伝ってもらいますが、さっきの配電盤の材料が届き次第、一回現場を抜けて盤の組み上げに専念してもらいます。牧野、その段取りでいいか」


「ああ、分かった。盤の方は北脇さんに任せて、こっちは俺と藤田、米田で進めておくさ」

牧野の快い返事を聞き、智子が事務所を後にする。

「私、これから自治会と近隣への挨拶回りに行ってくるわね。隣とは100m以上離れているけれど、智子の笑顔で余計な摩擦をパージしておいてあげるわ」


真っ白なボードが壁を覆い、古い納屋が「要塞」へと姿を変えていく様を、佐藤はモニター越しに静かに見つめていた。



【Scene 2:聖域の果実と、世界からの返信】


集会所の空気は、新設されたエアコンの微かな駆動音と、14名のおばあちゃんたちが交わす穏やかな笑い声で満たされていた。 作業台の上には、パートの友美が町から運び込んだ2万円分の「お裾分け」が広げられている。


「あら、今日のお刺身、脂が乗ってて美味しそうね」

「このアスパラも太いわ。直江さん、これ半分持って帰ってちょうだい」


朝獲れの立派なさくや、泥付きの野菜、そして大袋の砂糖や醤油。おばあちゃんたちは少女のように声を弾ませ、それらを公平に、かつ賑やかに分け合っていく。時給1,900円という通帳の数字も大切だが、この「現物の報酬」こそが、彼女たちの日常を潤す確かな手応えだった。


一段落したところで、壁の60インチモニターがヴェルの操作によって鮮やかに起動した。

『皆様、お待たせしましたわ! 230個の「毬」が世界中のお客さんに着弾完了。YouTubeにアップされた最新のフィードバックを共有しますわよ!』


画面には、ニューヨークの洗練されたリビングが映し出された。飼い主が銀色の袋から「毬」を取り出した瞬間、画面の向こうのロシアンブルーが野生を剥き出しにして飛びつく。0.2mlの配合液が封じ込められた絹の塊に、猫は顔を埋めて転がり、狂ったように陶酔していた。


「見てよ、あの子。あんなに大事そうに抱えて……。私が前に縫ったのと同じ、藍色の生地だわ」

直江さんが針を止め、モニターを食い入るように見つめる。自分が一針一針、指先に規律を込めて縫い上げた一点物が、海を越え、異国の生命を熱狂させている。その圧倒的な事実が、彼女たちの誇りを高く、そして指先をさらに加速させていく。


『あはは! マスター、見てください! このマンチカンの後ろ足蹴り! 私の演算した報酬系ハックが、物理限界を突破していますわ! 最高に可愛いパケットですわね!』


ヴェルの歓喜に満ちた声が集会所に響く。おばあちゃんたちは

「次はあの子のために、もっと丈夫に、もっと綺麗に縫ってあげなきゃね」

と笑い合い、再び慣れた手つきで針を動かし始めた。 世界からの返信レスポンスを糧に、Ripartenzaの聖域は、より強固な規律と慈愛に包まれていった。



【Scene 3 外堀の完成】


JA海帆、営農販売課のカウンター。智子は、自ら作成し持参した「乾燥保管業務委託契約書(特約付)」の二部を、音もなく置いた。そこには既に、Ripartenzaの代表印と4,000円の収入印紙が、非の打ち所のない規律で並んでいる。


「……智子さん。乾燥調整を1kgあたり30円で。うちの規定では通常40円は下りませんし、燃料代も高騰しています。そもそも各農家さんの委託署名がないことには、受理はできません」

職員がマニュアル通りの壁を築こうとした瞬間、智子が静かに、だが明晰な声で介入した。


「常務からは、25円でいいと伺っています。ですが、生籾から玄米フレコン保管までの手間を考慮して、30円という条件をこちらから提示しているの。現場の皆さんへの配慮だと思ってください」

窓口の奥から、事態を察知した係長が慌てて飛び出してくる。


「じょ、常務が25円と。ですが、その単価で生籾から受けるとなると、現場の採算が……」

「ですから、30円にしています。もし、この条件を事務手続きという名目で保留にするというなら、今すぐこの足で隣町のJAへ向かいます。あちらの部長さんからは、この契約書の内容を精査した上で、喜んで受諾すると回答をいただいています。ま、あなたに確認することではありませんが」


智子は無造作にスマートフォンをカウンターに置き、無言で通話画面を表示させた。隣町のJAという実弾を突きつけられた係長は、智子が持参した契約書に目を落とした。そこには、現場の怠慢による不当な滞留を許さない、極めて真っ当な規律が刻まれていた。



【乾燥保管業務に関する特約条項】


受入体制の維持: 収穫期の搬入に対し、JA側は施設の最大能力に基づいた適正な荷受ラインを常に維持し、合理的な理由のない受入制限を行わないこと。


不当遅延の禁止: 設備故障等のやむを得ない事由を除き、車両到着から2時間を超える待機はJA側の善管注意義務違反とみなす。当該遅延により生じた品質劣化、および車両待機費用の損害については、JA側がその責を負うものとする。


サンプリングの同時立会い: 等級判定のためのサンプリング抽出時、Ripartenza側の担当者の立会いを拒んではならない。


責任の所在: 本業務に関する現場責任者を、収穫開始の1ヶ月前までに書面で通知すること。


「智子さん。30円という単価はともかく、この遅延責任の特約までとなると、私の権限では…」

「ええ。係長クラスの印鑑で責任が取れる内容ではないわ。だから、常務のところへ行って公印をもらってきなさい。常務が経営判断としてどちらを選ぶか、聞いてくればいい。30分。それ以上は待たないわよ」


係長は契約書の束をひったくるように抱え込むと、血相を変えて奥の階段へ駆け出していった。智子はカウンターの椅子に深く腰を下ろした。

28分後。ネクタイを乱し、肩で息をする係長が戻ってきた。その手にある契約書の副本には、JA海帆の重厚な「代表理事印」が、朱々と、そして確かに押されていた。


智子は副本を鞄に仕舞うことなく、係長へ穏やかに、だが釘を刺すように告げた。

「係長。最後にもう一点。この契約書の第8条にある守秘義務条項についてですが、当然、現場の営農指導員の方々にも徹底していただけますわね?」


「え、あ、はい。もちろんですが…」

「現場の指導員が農家さんを回る際、余計な憶測や数字を流布して私たちの集荷を妨害するようなことがあれば、それは明白な契約違反です。現場の世間話一つで、せっかくの30円の利益が賠償金に変わるのは、常務の本意ではないはずよ。指導員には『常務の特別案件につき不干渉』と、責任を持って周知をお願いね」


「……っ。承知いたしました! 営農サイドには厳重に口を封じさせます!」

智子は、一分の隙もなくなった契約書の副本を手に、一度も振り返ることなくJAを後にした。外堀は、今この瞬間に鋼鉄で固められた。



【Scene 4:事務所。佐藤、独り。】


事務所の外では、工務店が石膏ボードを打ち付ける乾いた音が鳴り響いている。 佐藤は図面から目を上げ、温くなったコーヒーを啜りながら、独りごちた。

「米山さんのところの苗。あれを安定させるには、専用の育苗プラントを自前で組むべきか。いや、場所だな。古くていい、この辺りに納屋が転がっていないか」


佐藤がマウスを動かそうとした瞬間、モニターの中でヴェルダンディが嘲笑うように跳ねた。

『何寝ぼけたこと言ってんのよ、マスター。ちょうどあんたの欲の皮に適合するエラー物件が、ネットワークのゴミ箱に落ちてたわよ。ここから車で7分。面積660坪。納屋は70坪。1989年製の骨組みだけど、屋根の一部が死んでるわ。価格は180万円。登記上は雑種地だから農地法はパス。でも屋根が死んでる以上、現物を見るまでは数字を信じないことね。それを叩き直すのは、他でもないあんたの仕事よ! ぷぷぷ!』


佐藤はコーヒーを置き、モニターを睨む。180万。660坪。しかも雑種地。 その時、デスクの上でスマートフォンが激しく振動した。表示された名前は、ハローワークの統括官。

「はい、佐藤です」


『佐藤さん。例の、クローズドで預かっていた件ですがね。私の手元にあるリストから、佐藤さんの求める規律に適合しうる4名を絞り込みました。実はそのうちの一人が、今、ちょうどこちらに来ていましてね』

統括官の、喧騒を背景にした、実務的な響き。


『残りの3名とは明日、こちらのお部屋で話せるよう手配しますが、もしよろしければ、今、この一人だけでも話しをしてみますか。提示した条件への理解は極めて早い。佐藤さんがすぐ動けるなら、別室を用意しますが。いかがかな?』


佐藤は外の工事の音を聞きながら、モニターの時計に目をやる。今この瞬間に目の前に適格者がいるなら、迷う理由はない。

「今ですか。いいですよ。今すぐ向かいます。その一人、繋ぎ止めておいてください」


『助かります。では、当所 で。お待ちしていますよ』

通話が切れると、ヴェルダンディがモニターの中で肩をすくめた。


『あはは! 明日を待たずに今動く。これこそがマスターの最短最適ルートね! さあ、ハローワークでその一人をデバッグして、その帰りにさっきの180万の死にかけの納屋を拝みに行きなさいよ。現物を見れば、あんたの職人魂がまた疼きだすに決まってるわ! ぷぷぷ!』


佐藤はスマートフォンの画面を消し、静かに立ち上がった。

「まずは面談だな。ヴェル、留守番を頼むぞ」

事務所の外では、石膏ボードを打つ音がさらに激しく続いていた。


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