【第21話:職人の朝と、魅惑の毬(まり)】
【Scene 1:集会所・魔法瓶の朝】
夜が明けきらぬ静寂の中、昨日までの大工事が嘘のように「家」は静まり返っていた。外観に変化はないが、一歩足を踏み入れれば、そこは完全に物理法則を書き換えられた別世界だ。
佐藤はリビングの床に座り、ノートパソコンのモニターを眺めていた。室温は24.2度。昨夜、寝る前にエアコンを切ったにもかかわらず、朝になっても室温は1度も下がっていない。窓を閉めきった室内には、外を叩く風の唸りも、除雪車両の遠いエンジン音も届かなかった。
「本当に魔法瓶だな。健治の野郎、いい仕事しやがった」
佐藤は無垢材の床に手を置いた。冷たさを感じない。昨日、健治たちが壁の中に機械で無理やり圧縮して叩き込んだ通常の数倍の厚みの断熱材が、この家の「体温」を完璧に守り抜いている。
『マスター、おはようございます。外は厳しい冷え込みですが、この室内は24度、湿度50%を維持しています。昨日、健治さんが0.05mmの精度で追い込んだ窓枠と、マスターが軸を出し直した24時間換気システムが、完璧な調和を奏でています。現在、この家の熱効率は、計算上、国内のどの次世代省エネ基準にも当てはまらないオーバースペックな隔離空間となっています!』
「隔離空間って言うな。ヴェル、屋根の上の様子はどうだ」
『昨夜からのパケットロスはゼロ。私が屋根のアルミ削り出しジンバルを微調整し、常に最適な衛星を捕捉しています。今のここは、世界で最も淀みのない通信環境ですよ。ちいかわも、電波が良すぎていつもより嬉しそうに見えます!』
佐藤は時計を見た。職人が現場へ向かう準備を終える頃合いだ。スマホを取り出し、健治に電話をかける。数回のコールの後、野太い声が響いた。
「おう、佐藤か。こんな時間に珍しいな」
「健治、すまんが今からこっちの集会所に来れるか。朝一からもう詰めてるんだ。昨日言ってた精算もしたい」
「ああ、分かったよ。今から現場車を回す。ったく、お前は相変わらず段取りが早すぎるんだよ」
【Scene 2:集会所・職人の精算と信頼】
健治が工務店のトラックでやってきた。彼は玄関を一歩またいだ瞬間、ふっと鼻を鳴らし、厚手の防寒着を脱ぎ捨てた。
「おう。やっぱりエアコン、止まってんな。空気が動いてねえのに、陽だまりの中にいるみたいだ。気味悪いくらいだぜ」
「性能は文句なしだ。これ、昨日の分だ。中身を確認してくれ」
佐藤は用意していた封筒を差し出した。健治は中身を取り出し、慣れた手つきで札束を数える。
「材料費でこれだけかかった。これは実費だからきっちりもらう。あと、手間賃は職人全員分合わせて15万でいい。お前には、昨日うちの若いのに気密テープの『教育』をしてもらったからな。あれ以来、あいつら真っ直ぐ貼ることに命かけてやがるぜ」
「そうか。手間をかけさせたな。助かったよ、健治。おかげで最高の拠点ができた」
「よせやい。また何か『無茶な段取り』がある時は真っ先に俺を呼べ。木とアルミをあそこまで噛み合わせられる仕事、そうそうねえからな。じゃあな、上田によろしく」
健治は、用が済めば風のように去っていった。言葉は少ないが、そこには職人同士にしか分からない、強固な信頼の形があった。
【Scene 3:集会所・おばあちゃんたちの手仕事】
昼過ぎ。上田がハナさんたち、集落のおばあちゃんたちを引き連れてやってきた。彼女たちは、玄関を跨いだ瞬間に、コートを脱ぐのも忘れて呆然と立ち尽くした。
「佐藤さん、ここ、本当に外と同じ世界かい? なんでこんなに温かいんだい。足元までポカポカして、魔法でもかけたのかい」
「壁を厚くして、窓の隙間を埋めただけですよ。ハナさん、これからはここを自由に集会所として使ってくれ。お茶も菓子も、そこの棚にあるから」
佐藤がそう言うと、おばあちゃんたちは嬉しそうにソファやクッションに座り込んだ。上田がお茶を淹れ始めると、リビングのモニターには、一匹の「三毛猫」のアバターが映り込み、彼女たちの手元を覗き込んでいる。
「あら、テレビに可愛い猫ちゃんが映ってるね。最近の機械はすごいねぇ。なんてお名前だい?」
ハナさんが目を細めると、佐藤は少し言い淀んだ。「ヴェルダンディ」……このおばあちゃんたちに、正しい発音を期待するのは無理がある。かといって、勝手に濁った発音で呼ばれるのは、エンジニアとして妥協できなかった。
「ヴェルダンディ。だが、ハナさんには呼びにくいだろ。おすずさん、でいい」
『マ、マスター!? ヴェルを略して鈴ですか!? その安直なネーミングセンス、いかがなものかと……』
「うるせえ、お前が変な呼ばれ方をする姿は見たくねえんだよ。ハナさん、そいつは『おすずさん』だ。仕事の相棒だと思ってくれ。猫のことなら何でも聞きゃあ教えてくれる」
「おすずさんかい。可愛らしい名前だねぇ。よろしくね、おすずさん」
ハナさんが笑いかけると、モニターの中の三毛猫は、不満げに鼻を鳴らしつつも、丁寧にお辞儀をしてみせた。
『ふん、マスターの独断には納得いきませんが。ハナさん、改めて「おすず」です。以後お見知りおきを。その布の手際、見事ですね。黄金比に基づいた美しい球体になる予感がします!』
ハナさんは驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
「あら、おすずさんは物知りな猫ちゃんだねぇ。余った布の切れ端を丸めて玉にしてるんだよ。猫ちゃんが喜ぶと思うかい?」
『もちろんです! 内部にまたたびを封入していただければ、猫の興奮指数を最大23%向上させることができます! 配色データ、こちらに表示します。1日に2個ずつ作っていただければ、私のログ取りに最適なサンプル数が確保できます!』
「お安い御用さ。猫ちゃんが喜ぶなら、いくらでも作るよ」
外は相変わらずの極寒だが、この「魔法瓶の家」の中だけは、穏やかな空気が流れている。佐藤は、安定した通信状況をチェックしながら、リビングの隅で丸くなる実物の猫を見た。
……まあ、通信のデバッグをするには悪くない環境か。
佐藤の新しい拠点は、職人のこだわりと、おばあちゃんたちの手仕事、そして「おすずさん」という和名を受け入れたAIの情熱が混ざり合う、不思議な場所として動き始めた。
【前回の資産:17,370,000円】
【収入:0円】
【支出:1,850,000円】(拠点改修・魔法瓶化工賃)
【現在の資産:15,520,000円】
【第21話:完】
「誠実さは、すべての徳の基礎である。」




