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ノロイコウモノノ哀歌  作者: 七節曲
第六夜
38/45

37 河川敷にて 4

 カメラのシャッターを切っては、モニターで写った物を確認して、その度ボタンを弄り、またシャッターを切る。

 光史(みつじ)燈弥(とうや)はそんな作業を繰り返している。

 刀川(たちかわ)美空(みそら)にはその作業に意味があるのかわからない。

 もしかしたら、居た堪れないのをごまかしているのかもしれない。

 あるいは、単に手持ち無沙汰なのかもしれない。


 二人は相変わらず、河川敷のベンチに並んで座っている。

 光史の話を聞いてから、沈黙が続いていた。


「ね、光史。」と彼女が呼ぶと、「なんだ?」と彼はカメラを弄りながら答える。


「昨晩、遠吠えを聞いた?」

「だいぶ騒いでたな。」


 たぶん彼は、犬が町中で遠吠えをしていたことの話をしている。

 それしか聞こえていなかったのだろうかと、彼女は不安に思う。


「ね、光史。」と彼女がもう一度呼ぶと「なんだよ?」と、彼は同じ調子で返す。

 相変わらず、カメラをいじって彼女に視線を向けない。


「黒い犬が、ウチの前で叫んでたんだ。」


「黒い犬?」と光史は呟くように復唱した。


 ようやくカメラをいじる手を止めて、彼は刀川の方を向く。


 彼の視線は彼女に説明を求めていた。

 彼女は少したじろぐ。

 話て良いものか、未だ迷いがある様だった。


 そして、それの名を、口にすることを恐れている様だった。


 迷った末、刀川はベンチの上に「童」と一文字だけ綴る。

 雨垂れの水を指先で広げたその文字は、やがて点々と並ぶただの雨粒に変ずる。

 それでも文字を見て、「ああ」と光史はうなづく。

 彼女が何を呼ばんとしているかを察したのだろう。


 彼は納得した様子で、またカメラのモニターに視線を戻した。


「母さんは、雷の音だって……。」と、刀川。

「そう聞こえる人もいるだろうな。」と、光史。


 彼の声は、彼女にはどこか素っ気なく聞こえた。


「でも私は、黒い犬を見たんだ。アレが叫ぶのを聞いたんだ。」

「わかってるよ。」と光史。「さっき聞いた。」


 彼女の顔は、どこか不満げだった。


 光史は、刀川の見たもの、聞いたものを否定しなかった。

 しかしまた、彼女の母の言葉も否定しなかった。

 そこに、不安を感じたのかもしれない。

 どこか突き放されているような、不安。

 そしてそれが、彼に寄り掛かかる気を失くさせたようだった。

 失望した様に、彼女は視線をそらした。


「あの黒い犬は、何を怒ってたんだろう?」


 口にしたのは設問であったが、彼女は回答を期待していたわけではなかった。

 独り言のようなものだ。


 彼はきっと無視する。

 あるいは、適当な空返事をする。

 そう思っていた。


 だからとても意外だった。


「怒ってるわけじゃないよ。」

 

 彼から返ってきたのは明確な否定だった。


「怒っていない?」


 少し驚いた様子で、彼女は光史の顔をみる。

 彼はカメラをいじりながら、彼女の言葉に「うん」と小さくうなづく。


「あれは牽制だ。」


 カメラから視線を外し、彼は河の方を見やる。

 ごうごうと唸る水の音は今も聞こえている。


「牽制? 何を牽制してるのさ?」

「お前を追いかけた様な連中だよ。」


 その回答もまた、彼女にとって意外な物だった。

 あの黒い獣が、彼女を追ってきた物を殺すのを見た。

 あの黒い獣が、清水春香の「友達」を食い殺したと聞いた。


 しかし彼女は、それは狩猟の様なものだと思っていた。


 あの獣が、その狩猟対象に、示威を必要とするとは思えなかった。

 狩猟対象に萎縮する様に、その動きを封じる様に、牽制を加える必要があるとは思えなかった。


「どうして牽制なんてするのさ?」

「放っておくと、溢れて来るんだよ。」


 実に、不愉快そうな顔をして、彼は続ける。


「とてもたくさん、湧いてくるんだ。止めどなく、這いずり出てくるんだ。」


 そういって、彼は肩をすくめた。


「だから、牽制するのさ。」


 あの獣は、それを防ごうとしている。

 彼はそう言っている。


「前、住んでたところでは、そんなのいなかった……。」

 訥々とした調子で、彼女は呟く様に言う。

「化け物じみた何かが、化け物じみた何かを潰して回らないといけないなんて話、聞いた事ないよ。」


「そうだろうね。」と、光史の返答はまたどこか素っ気ない調子に戻っていた。

 そして溜息を吐くと、「この街も昔はそういうことはなかったらしい」と続けた。


「昔?」と刀川が訊くと、「ああ」と光史が応じる。


「神様がいた頃の話だけど。」

「神様?」


 突然出てきた「神様」という単語に、彼女は面食らった様子である。


「山の上の神社の話?」

「いんや。中洲の街に昔いた神様の話。」

「神社があったの?」

「ああ。龍を祀っていたそうだ。」

「いなくなったの?」

「死んでしまったんだと。」


 神とは死ぬものなのだろうか?

 彼の言わんとする事を図りかねて、彼女は首をひねる。


 初詣や七五三、夏や秋にあるお祭り、そういった時に神社に詣でた事はある。

 しかしながらそれは、そう言う場所と施設を訪れるというだけで、実体としての神様を感じたことなどない。

 神前で祈ったこともあるし、かしわ手を打って願い事をしたこともある。

 だが神様の存在を実感したことなどない。


 だから、普通の生物の様に、「神様が死んだ」と言われても、彼女はすぐさま理解することができなかった。

 おそらく、何かの比喩なのだろうと、彼女は彼の顔をまじまじ眺めて考える。


「……神社がなくなったって話?」

「そうだね。神社も無くなった。ご神体は粉々になった。」

「建て直さないの?」

「いろいろ条件がややこしいんだと。他から神様は来てくれないという話だし。」

「そうなんだ。」

「まあ、再来年くらいには、再建できそうだって聞いたけど。」

「へぇー。」


 たぶん、詳しく聴いても自分には理解できないと判断をつけたのか、彼女の返事はいくらか興味なさげであった。

 彼女はそれ以上何か訊こうとは考えなかった。

 彼も、それ以上何かを付け足す様子もなかった。


「しかし、『黒い犬』か……。」

 しばらくして、そう呟くと、くつくつと光史は笑う。


「可笑しい?」と彼女。

 バカにされた気がしたのか、声が少し苛立たしげだ。


「いや、言い得て妙だと思ってね。」

「どういうこと?」

「ブラック・ドッグって知ってるか?」

「英語で黒い犬ね。それが?」

「まあ、妖怪の類だよ。」


 ブラック・ドッグとは、妖異である。

 主に欧州の、イギリスの全土で伝承される。

 文字通り、黒い犬の姿をした物である。

 しかしながらそれは黒い犬の姿をした妖異の総称のようなもので、実際の呼び名は様々なようだ。

 そしてその呼び名が様々であるように、その性質も様々である。

 所により人に禍なす存在であり、所により人を守護する存在である。


 共通しているのは、巨大な黒い犬の様なその姿と、そして幽明の境をさまよう、特に「死」と関わり深い妖異であるということだ。


 十字路の黒犬は悪魔の使いと言われたり、あるいは悪魔そのものと言われる。

 出会った者、襲われた者、噛まれた者は時として病に倒れ、あるいは死んでしまうという。


 また別の話もある。

 森で道に迷った時に現れて、森の出口まで案内してくれるという。

 あるいは戯れる子供を見守るという。


「特にまあ、墓守犬と呼ばれる手合が近いかね。」


 教会を建てる時、最初に置かれる石の下、黒い犬を生きたまま埋めると言う。

 やがて死ぬその犬は、教会の守り手となるそうな。

 墓盗人、墓荒らし、そういう輩から墓場を守るという。

 また墓参りに訪れる者を守り導くと言う。


「アレは、墓守なの?」

「似たようなモノだよ。」

「墓場に現れてよ、それなら。」

「似た様なものさ、どこだって。」


 それもまた何かの比喩だろうか?

 刀川は彼の言葉を頭の中で反芻する。


「まあ、アレは犬じゃなくて、狼の頭らしいけど。」

「狼?」


 聞き返した言葉に返事はなかった。


 彼は立ち上がっり、どこか遠くに向かって手を振る。


 彼の視線の先を追うと、彼女の目に二つの人影が見えた。

 街と河川敷を分かつ土手の上から、階段を降りてこちらに歩いて来る様子である。

 葉沼千秋と、塚森仄香だった。

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