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清く正しい断罪を   作者: みき


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9/12

第9話 少女が黙っている理由

 ユイさんのおじいさんを訪ねる朝、村には細かな雨が降っていた。宿の窓から見える道はしっとりとぬれ、広場を行く人たちも、いつもより足早だった。私は朝食を済ませると、昨日の聞き取りを記した手帳をもう一度開いた。


 村の人たちはユイさんを助けてほしいと言っていた。でも、診療所で何が起きたのかを知る人はほとんどいない。


 そして昨日、トムさんが伝えてくれたおじいさんの言葉が気になっている。


『ユイが何も話さないなら、わしが話さなきゃいけないのかもしれない』


 何かを知っているのだろう。けれど、簡単に話せることではないのかもしれない。


「エマ嬢、おはようございます。今日は少し寒いですね」


 宿の入り口で待っていたノア様は、雨よけの外套を羽織っていた。隣にはトムさんもいる。おじいさんの家は広場から少し離れていて、足元の悪い道を歩くことになるらしい。


「おはようございます。お二人とも、ありがとうございます。おじいさんのお体に負担をかけないよう、長居はしないつもりです」


「そうしていただけると助かります。足が悪いだけでなく、最近は少し疲れやすいそうですから」


 トムさんが答えた。私はうなずき、昨夜用意しておいた質問を頭の中で確かめた。聞きたいことはたくさんある。でも、全部を一度に尋ねる必要はない。


 家へ向かう途中、昨日話を聞かせてくれたパン屋のベンさんとすれ違った。大きな布包みを抱えている。


「ユイのじいさんのところですか。だったら、これも持っていってもらえませんか。朝のパンなんですが、店に戻らなきゃいけなくてね」


「もちろんです。でも、いつも届けていらっしゃるんですか?」


「近所の者で順番にやってますよ。あの子がいないと、じいさんは一人だからね。普段はユイが、うちの売れ残りを買って帰るんですけど」


 ベンさんはそこまで言って、少し寂しそうに笑った。


「早く帰ってこられるといいんですがね。パンを渡したら、あの子がまた『お手伝いします』なんて言い出しそうで、こっちは困るんですよ」


 私もつられて笑った。助けてもらった人たちが、今度はユイさんを助けようとしている。


 畑沿いの小道を進んだ先に、小さな家があった。庭には薪がきれいに積まれている。


「カズさん、お客様をお連れしましたよ」


 トムさんが扉をたたくと、中から「開いてるよ」と声が返ってきた。


 室内では暖炉に火が入り、棚には食器が二人分並んでいた。窓のそばには、膝に毛布をかけ、使い古した杖を持つ白髪の男性が座っている。


「わざわざすまんね。立って挨拶もできなくて」


「どうか、そのままで。初めまして、エマ・ローランと申します。こちらはノア様です。今日はユイさんのことを少し教えていただきたくて、うかがいました」


「ええ。話せることなら、何でも話すつもりです」


 カズさんはそう言ったものの、膝の上で握った手は少し震えていた。私たちは椅子を借り、トムさんに同席してもらうことを説明してから話を始めた。


 最初に、ベンさんから預かったパンを渡した。カズさんは包みを開くと、思いがけず笑顔になった。


「またあいつ、こんなに入れおって。一人じゃ食べきれんと言ってるのに」


「おいしそうですね。私もこの村へ来てから、何度かいただきました」


「そうでしょう。ユイもあそこのパンが好きでね。特に、端が少し焦げたやつを喜んで食べるんだ。本人は、よく焼けていておいしいからだと言うけど、安くしてもらえるのを知ってるんでしょうな」


 そう言ってから、カズさんは棚の方を見た。棚には小さな布袋が置かれていて、横に『お昼の分』と書いた紙がある。丸みのある、少し子供っぽい字だった。


「ユイさんが書かれたんですか?」


「ああ。わしが薬の時間や食事を忘れないようにってね。世話ばかりかけて、情けないじいさんだよ」


「ユイさんは、きっとおじいさんのお世話をするのが嫌ではなかったと思いますよ。昨日お会いしたときも、ご自分のことより先に、おじいさんを心配していました」


 カズさんは顔を上げた。


「ユイに会ってくれたのかい。あの子は、ちゃんと食べているかね」


「はい。役所の方が食事を用意してくださっています。ただ、少し元気がありませんでした」


「そうか……。そりゃそうだろうな」


 カズさんは長く息を吐いた。安心したようでもあり、ますますつらくなったようでもあった。


「わしがもっとしっかりしていれば、あの子にあんな思いをさせずに済んだんだ」


「それは、どういうことでしょうか?」


 すぐに答えは返ってこなかった。私は急がず、おじいさんが話し始めるのを待った。暖炉の薪が小さくはぜ、窓には雨粒が落ちている。


「ユイの両親がいなくなってから、二人で暮らしてきたんです。あの子は小さい頃から、家のことをよく手伝ってくれた。わしの足が悪くなってからは、ますます頑張るようになったよ」


「診療所のお仕事も、その頃からですか?」


「ええ。薬代の足しにもなるからと、マーク先生が手伝わせてくれたんです。最初はありがたかった。わしも、いい先生だと思っていたしね」


 いい先生だと思っていた。その言い方に、私は少し引っかかった。


「今は、違うのですか?」


「……わからなくなってしまってね」


 カズさんは困ったように眉を寄せた。


「先生には何度も世話になった。足が痛くて動けない日も、薬を出してくれたし、夜遅くに熱が出たときは診てもらった。でも、最近は薬を飲むのが怖くなったんです」


「怖い、というのは?」


「飲んだあと、気分が悪くなることがあってね。前はそんなことはなかったんだが、年を取ったせいかと思っていた。ユイに話したら、あの子がずいぶん心配して……」


 昨日ハナさんからも似た話を聞いた。ただ、薬が原因かどうかはまだわからない。


「具合が悪くなった日のことを、覚えていらっしゃいますか?」


「何日だったかは、はっきりしないんだ。ユイなら覚えているかもしれん。わしは同じような日を過ごしているからね」


「大丈夫です。今は覚えていることだけで十分ですよ。薬を飲まなかった日もありましたか?」


「一度、あったかな。気持ち悪くなるのが嫌で、その日は飲まなかった。そしたらユイが心配して、先生に聞いてくると言ったんです」


「先生とは、お話しできたのでしょうか」


「それが……帰ってきたあの子、ひどく元気がなくてね。何があったか聞いても、『大丈夫。私が何とかするから』としか言わなかった」


 私は手を止めた。


「そのあと、ユイさんの様子は変わりましたか?」


「それまでは診療所であったことを、よく話してくれたんです。誰それの熱が下がったとか、マーク先生に字を褒められたとか。それが急に、仕事の話をしなくなった。わしが聞くと、疲れているだけだって笑うんです」


 カズさんは目を伏せた。


「そのうち、村で薬を飲んで具合が悪くなった人がいると聞いてね。わしはユイに、先生にちゃんと調べてもらった方がいいんじゃないかと言った。あの子はうなずいていたけれど……それから間もなく、こんなことになってしまった」


「カズさん。それで、ご自分のせいだと思っていらっしゃるんですか?」


「わしがあれこれ言わなければ、あの子は何もせずに済んだかもしれない。それに、先生を疑うようなことを言ったせいで、ユイが困ったのかもしれないからね」


 私は返事に迷った。薬を心配したことは悪くない。けれど、ユイさんが何をしたのかもわからないまま「おじいさんは悪くありません」と言い切るのは違う気がした。


「体の具合が悪くなったら、薬について確かめたいと思うのは自然なことです。ユイさんも、おじいさんに元気でいてほしかったのでしょう。ただ、そのあと何があったのかは、私たちにもまだわかりません。だから、もう少し調べさせてください」


 カズさんはうなずいた。


「……そうだね。その方が、あの子のためにもなる」


 それから少し話を聞いたところで、カズさんはせき込んだ。トムさんが水を渡し、私は休んでいただくよう勧めた。話の途中だったけれど、無理をさせるわけにはいかない。


「すみません。今日はこれくらいにいたしましょう。お話しいただいて、ありがとうございました」


「待っておくれ。まだ見せたいものがあるんだ」


 カズさんは杖を手に取ろうとした。私が立ち上がると、彼は棚の下にある木箱を指さした。


「その箱を、取ってくれんかね。ユイが薬の包みを入れていたんです。捨てるなと言われていたんだけど、どうしてなのか、わしにはわからなくて」


 許可を得て箱を持ってくると、中には小さな紙の包みが何枚も入っていた。開かれたものもあれば、まだ薬が残っているらしいものもある。横には、日にちを書き込んだ古い紙が一枚、折りたたまれていた。


「これは……ユイさんが残したものですか?」


「たぶんね。薬を飲んだ日は、忘れないように印をつけていたんだ。わしはこんなもの、何の役に立つのかと思っていたけど」


 私は思わず箱の中を見つめた。薬を飲んだ日がわかれば、具合が悪くなった日と比べられるかもしれない。何より、ユイさんは薬のことを以前から気にしていたようだ。


「カズさん。この包みと紙を、役所の方に調べていただいてもよろしいでしょうか。中身を確かめる必要がありますし、診療所の記録とも比べたいのです」


「もちろんだよ。ユイの役に立つなら、持っていっておくれ」


 私はトムさんに頼み、箱の中身と預かった日時を書き留めてもらった。薬の包みはその場で開けず、担当の職員に渡して保管してもらうことにする。勝手に中身を調べてしまえば、あとで何が残っていたのかわからなくなるからだ。


 家を出る前、カズさんが私を呼び止めた。


「エマさん。あの子に、伝えてもらえるかね」


「何でしょう?」


「わしのことは、もう心配しなくていいって。村の人たちが来てくれるし、ちゃんと食べているから。それから……わしを守るために、何もかも一人で背負うなって」


 最後の言葉だけ、かすれていた。


「はい。必ず伝えます」


 そう約束すると、カズさんはようやく小さく笑った。


 家を出る頃には雨が弱くなっていた。私たちは役所へ戻る道を歩きながら、今日聞いた話を整理した。ノア様はしばらく黙っていたが、広場が見え始めたところで口を開いた。


「ユイさんは、やはりおじいさんを守ろうとしていたのでしょうか」


「その気持ちはあったと思います。でも、それがどうして『毒を入れた』という言葉につながるのかは、まだわかりません」


「そうですね。今は、確かめられることからですね」


「はい。薬を飲んだ日がわかる紙が見つかったのは、大きいです。診療所にも薬の記録があるはずですから」


 私は手帳に、診療所でいつ、誰に、どの薬が渡されたのかを確かめると書いた。


 ただ、カズさんの言葉が頭から離れなかった。


『わしを守るために、何もかも一人で背負うな』


 あの少女は、自分が悪いことをしたのは本当だと言った。けれど、何をしたのかは教えてくれなかった。そして、自分の裁判よりも、診療所の薬が今も使われていないかを気にしていた。


 私は木箱の中にあった紙のことを思い出した。小さな文字で日にちを書き、薬の包みまで残していたユイさんは、いったい何を確かめようとしていたのだろう。


 役所に着くと、トムさんが箱を担当の職員に預けてくれた。私は診療所の記録を見せてもらう手続きがどうなっているか尋ねた。


「明日の朝には準備できるそうです。薬を渡した日付も、記録帳に書いてあるはずですよ」


「ありがとうございます。では、まずそこから確かめましょう」


 祖父の家で見つかった紙と、診療所に残された記録。二つを並べれば、今まで見えていなかったことがわかるかもしれない。


 私は手帳を閉じた。まだ誰かを疑うには早い。でも、ユイさんがずっと黙っていた理由に、ほんの少しだけ近づけた気がしていた。

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