第8話 誰も彼女を責めない村
翌朝、役所の前には、すでに何人もの村人が集まっていた。私たちが昨日ユイさんと話したことを聞き、今度は自分たちの話も聞いてほしいとやってきたらしい。窓から外を見ると、買い物かごを抱えた女性もいれば、畑仕事の途中らしく、靴に土をつけた男性もいる。
「こんなに集まるとは思いませんでした」
私が言うと、役所のトムさんは困った顔で頭をかいた。
「朝から皆さんに、一度に話しかけられましてね。順番にお話しくださいと言ったのですが、なかなか聞いてもらえませんでした」
「それだけ心配しているのでしょうね。場所を用意してくださって、ありがとうございます」
話を聞くのは、昨日ユイさんと会った部屋にした。何人も一緒だと、ほかの人の話に合わせてしまうことがある。だから、希望する人に一人ずつ入ってもらい、話したくないことは無理に聞かないことにした。トムさんには順番を案内してもらい、私は同席する職員と手帳を開いた。
その前に、昨日頼んでいたことも確認した。
「診療所の薬は、どうなりましたか?」
「今ある薬は、いったん使わないようにしてあります。担当の職員が保管場所を確認し、先生にも伝えました。ほかの町から医者を呼ぶ手配も進めています」
「よかったです。薬が使えなくなって、困っている方はいませんか?」
「もちろん、います。けれど今は、安全かどうかわからない薬を使わせるわけにもいきませんから」
トムさんは疲れた顔で答えた。診療所が一つしかない村では、薬を止めるだけでも大きな問題になる。昨日のユイさんの言葉が、あらためて胸に残った。
最初に部屋へ入ってきたのは、ハナと名乗る女性だった。三十代くらいで、手には買い物かごを持っている。私が席を勧めると、彼女は腰を下ろすより先に口を開いた。
「お願いします。あの子を助けてやってください。ユイは、人に毒を飲ませるような子じゃありません」
「お話を聞かせてください。ハナさんは、今回の事件で体調を崩された方でしょうか?」
「はい。熱が出たので診療所で薬をもらったんです。飲んだあと、気分が悪くなって、二日ほど寝込んでいました」
彼女はかごを膝に置き、両手を重ねた。私は具合が悪くなった日のことと、飲んだ薬について、覚えている範囲で教えてもらった。薬の名前はわからないらしいが、包み紙なら家に残っているそうだ。
「その包み紙を、職員の方に見せていただくことはできますか? どんな薬だったのか確かめたいんです」
「ええ、もちろん。帰ったら持ってきます」
「ありがとうございます。それから、どうしてユイさんを助けたいと思われたのかも教えてください」
ハナさんは少し驚いた顔をした。
「どうしてって……あの子には、何度も助けてもらっていますから。うちの娘が小さいとき、夜中に熱を出したことがあったんです。夫は仕事で家にいないし、私はどうしていいかわからなくて。そうしたらユイが、先生を呼びに走ってくれたんですよ」
「そのときから、お付き合いがあるのですね」
「それだけじゃありません。薬を飲めない娘に、苦くないように飲む方法を一緒に考えてくれたり、私が寝込んだときには水を運んでくれたり。あの子は自分の家だって大変なのに、ほかの人のことばかり気にするんです」
ハナさんはそこで言葉を切り、かごの持ち手を握り直した。
「でも、私が見ていないところで何をしていたかまでは、わかりません。毒を入れたはずがないって言ってやりたいけど……そこは、嘘をつけないんです」
「それで十分ですよ。見たことと、見ていないことを分けて話してくださって、助かります」
私は手帳に書き込んだ。ハナさんが知っているユイさんは、困っている人を放っておけない少女だった。だから助けたいという気持ちには、きちんと理由がある。ただ、それだけで事件の日に何もしていないと証明できるわけではない。
二人目は、村でパン屋を営むベンさんだった。白い粉が残った上着のままやってきて、私を見るなり「店を閉めてきました」と申し訳なさそうに言う。
「お忙しいところ、ありがとうございます。お店の方は大丈夫ですか?」
「昼の分は息子が焼いています。私が残っていても、口を出して邪魔にされるだけですからな」
そんな話をしてから、ベンさんは表情を改めた。
「ユイがうちに来るときは、たいてい売れ残りのパンを買いに来るんです。おじいさんと二人暮らしで、余裕がないんでしょう。それでも、余ったパンをただで持っていけと言うと、必ず掃除でも何でも手伝おうとする」
「真面目な方なんですね」
「ええ。だから私は、あの子が罪を認めたと聞いても、どうにも納得できないんです」
「何か、事件に関係することをご存じですか?」
ベンさんはしばらく考えてから、首を横に振った。
「いや。薬のことは何も。ただ、診療所で問題が起きてから、あの子がずいぶん元気をなくしていたのは見ました。私が声をかけても、すぐに帰ってしまってね。いつもなら、うちの孫と立ち話をしていくんですが」
「それは、いつ頃のことでしょう?」
「正確な日は覚えていません。薬で寝込む人が出たと、皆が話し始めた頃です」
私はその言葉に印をつけた。事件の日付を確かめる必要はあるけれど、今の段階では思い出話の一つとして受け取るしかない。
それからも村人たちの話を聞いた。重い薪を運んでもらったという老人。字が読めない自分の代わりに、役所からの知らせを読んでもらったという女性。小さな弟の面倒を見てくれたと話す若い母親。話の内容は違っていても、皆、最後には同じことを言った。
「あの子は悪い子じゃありません」
けれど、誰も「ユイが薬に何かを入れるところは見ていないから、絶対に無実だ」とは言わなかった。見ていない以上、断言できないのだ。村人たちはそれをわかっていながら、それでもユイさんを見捨てたくなかったのだと思う。
昼を過ぎた頃、私はようやく手帳を閉じた。
「皆さん、本当にユイさんのことが大切なのですね」
向かいに座っていたノア様が、集めた記録を見ながら言った。ノア様は私の聞き取りには口を挟まず、隣の部屋で届いた書類を整理してくださっていた。
「はい。今日のお話で、その理由は少しわかりました。でも、皆さんがユイさんを好きだということと、ユイさんが何をしたのかは、分けて考えなくてはいけません」
「わかっています。彼女が本当に危ないことをしたのなら、それも調べなければなりませんね」
「ええ。ただ、気になることもあります」
私は手帳の同じ言葉に、何度も丸をつけていた。
「どなたも、ユイさんが診療所で働き始めた頃のことを話してくださいました。でも、問題が起きた日の様子を詳しく知っている方は、まだいらっしゃいませんでした」
「皆、診療所の中までは見ていなかったのでしょうか」
「そうかもしれません。だからこそ、実際にそこで何が起きたのかを調べたいです」
私たちはトムさんに相談し、診療所へ向かうことにした。
診療所は、広場から少し歩いたところにあった。小さな庭には薬草が植えられ、白い壁の前には木の長椅子が置いてある。普段なら患者が座っているのだろうけれど、今日は誰もいなかった。
中へ入ると、灰色の髪をした男性が出迎えた。診療所を任されているマーク先生だという。
「遠いところを、わざわざありがとうございます。事情は役所の方から聞いております」
「初めまして。エマ・ローランと申します。調査の許可をいただいていますが、今日はまず、先生からお話を聞ければと思いまして」
「私にわかることなら何でも。ただ、薬が使えなくなってしまって、村の人たちが困っているんですよ。なるべく早く片づけていただけると助かります」
口調は丁寧だった。けれど、先生は何度も奥の薬棚に目を向けている。棚には布がかけられ、役所の職員が貼った札が下がっていた。中の薬を勝手に動かさないようにするためのものらしい。
「村の方々が困っていらっしゃるのは、私も心配しています。ほかの町から来るお医者様にも、早く診ていただけるといいですね」
「……そうですな」
「一つ、ユイさんについてお聞きしてもよろしいでしょうか。普段はどんなお仕事を任せていましたか?」
「掃除や水くみ、それから薬を包む手伝いです。あの子は手先が器用で、よく働いてくれましたよ」
「事件の日も、薬に触れることはできたのでしょうか?」
「ええ。仕事を手伝っていたのですから、できたでしょう。ただ、私も一日中あの子を見ていたわけではありません」
先生はそこでため息をついた。
「正直なところ、私も信じられないんです。ユイがそんなことをしたなんて。けれど、本人が認めていると聞いていますからね」
「そうですね。だからこそ、何をしたと認めているのか、確かめたいと思っています」
私は薬棚の方を見た。昨日、ユイさんが何より心配していた薬が、あの中にあるのかもしれない。
「薬の記録や、使われた薬そのものを確認したいのですが、担当の職員を通してお願いできますか?」
「もちろんです。私の方でも、できる限り協力しましょう」
マーク先生はそう答えた。ただ、その笑顔は少し硬かったように見えた。けれど、調査に来た私たちが突然、薬を見せてほしいと言えば、誰だって落ち着かないかもしれない。表情だけで何かを決めつけるつもりはなかった。
診療所を出ると、ノア様が隣に並んだ。
「先生は、協力してくださりそうですね」
「はい。今度は職員の方と一緒に、薬の記録を見せてもらいましょう。それから、実際に薬を飲んだ方が、いつ体調を崩したのかも整理したいです」
「思ったより、やることが多いですね」
「私も驚いています。けれど、何が大切な手がかりになるのか、まだわかりませんから」
そう答えたところで、後ろから名前を呼ばれた。
「エマ様!」
振り返ると、トムさんが小走りで近づいてくる。
「ユイのおじいさんに、明日お会いできることになりました。先ほど近所の人に頼んで、ご本人の返事を聞いてもらったんです」
「ありがとうございます。お体の具合はいかがでしたか?」
「足が悪いのは前からですが、今は家で休んでいるそうです。それと……」
トムさんは少し言いにくそうに口ごもった。
「何かありましたか?」
「おじいさんが、こんなことをおっしゃったそうです。『ユイが何も話さないなら、わしが話さなきゃいけないのかもしれない』と」
私はノア様と顔を見合わせた。
昨日、ユイさんは自分のことより、おじいさんの体を心配していた。村の人たちは、そんな彼女を守ろうとしている。そして今度は、おじいさんの方が何かを話そうとしている。
「では、明日、お話を聞かせていただきましょう」
そう答えると、トムさんは安心したようにうなずいた。
村人たちが口をそろえて言う「あの子は悪い子じゃない」という言葉は、きっと本心なのだと思う。けれど、それだけではユイさんを助けることはできない。彼女が何をしたのか、どうして罪を認めたのか。まだ、確かめなくてはいけないことがたくさんある。
帰り道、診療所の窓を振り返った。白い布をかけられた薬棚が、窓の奥に小さく見えた。
私は手帳を開き、明日聞きたいことの一番上に、こう書いた。
『ユイさんは、誰を心配していたのか。』
少なくとも今は、彼女自身のことよりも、誰かの体を気にしていたように思える。その理由を、私はまだ知らない。




