九話:利用し合う仲間
「あー、その、なんだ」
いざ話そうと思うと、少し言葉が詰まる。
ハリス相手に交渉するより、こっちの方がやりづらい。こいつらはもう、打算だけで済ませるには近すぎた。
「言ってみれば、俺が俺でいるためだ」
「俺でいるため?」
アレンが眉をひそめる。
自分で言っておいて何だが、我ながらひどい答えだと思う。
「本当の俺は、盗んだり殺したりする人間じゃない。今は環境がそうさせてるだけだ。意味は分かるか?」
言ったあとで、自分の手を見る。
さっきまで握っていた剣の重さが、まだ残っている気がした。
「分かるよ。ルシアは悪人じゃない。……善人とも思わないけどね」
「そうかなお兄ちゃん? ルシアは良い人だよ?」
シエラがきょとんとした顔でそんなことを言う。
まだ人間関係をそこまで複雑に見ていないんだろうな。
「アレンの言う通りさ。俺は善人じゃない。けど、元々はそこらにいる普通の人間だった」
日本にいた頃の俺は、酒も好きだし、女も好きだし、たまには博打も打つ、どこにでもいるサラリーマンだった。
立派でも高潔でもない。だが一応はまともに生きていた。腹が立っても殴らないし、金がなくても盗まないし、嫌いな相手がいても殺そうなんて考えない。
つまらなくて退屈で、それでもちゃんと人間側にいた。そんな奴だった。
――でも今は違う。
弱けりゃ食い物にされる世界だ。周り全部が敵に見える。
そういう場所で生きるには、適応するには、心の方を書き換えるしかなかった。
「でもな、どんどん心が荒れていく感じがあった」
その言葉は、自分で言っていても気分が悪い。
認めたくない話だからだ。
「だから最初、お前たちが来た時に考えたのは、配給が減るんじゃないかってことだった」
シエラのそばに歩み寄って、頭に手を置いた。
そして軽く撫でてやれば、目を細めて受け容れている。
「でも、お前たち二人は、スラムのガキほどすさんでなかった。まだ人としての何かを持ってた」
「……」
「それに、聞き分けもよかったし、俺を無駄にイラつかせなかった」
我ながらひどい言い方だ。
でも、これが正直な俺の感想ってやつだ。
「そこで気づいたんだ。このままじゃまずいってな」
「まずい?」
「何でも慣れて、何でも当たり前だと思い始めたら、俺は本当にそっち側へ行く。盗むのも、殺すのも、売られるガキを見て見ぬふりするのも、全部当然って顔でやるようになる」
アレンは何も言わない。ただ聞いているだけだ。
シエラも、分かってるのかどうかはともかく、じっとこっちを見ている。
「だから、お前たちには優しくしてやろうと思ったわけだ」
ここだけ聞けば、綺麗な話だ。
だが、当然それだけじゃない。スラムで生きる以上、実利だっている。
「あとは、アレンが思ったより使えるからってのもある。流石にお荷物だけ抱えて生きていける場所じゃないからな」
アレンの目が少し鋭くなった。
それは怒ったというより、この言葉がどこまで本音か測っている顔に思える。
「見張りはできるし、飲み込みも早い。指示を出せばその通りに動く。余計なことも喋らない。妹を抱えてるくせに、そのへんの大人よりよっぽど冷静だ。そりゃ使えると思うだろ」
「……それは褒めているんだろうけど、道具として利用もしているってことだよね?」
「まあな。でもそれはお前たちだってそうだろ? 俺が使えると思ったから頼った。違うか?」
そう返すと、アレンは一瞬だけ黙り、それから小さく息を吐いた。
「違わない。生き残るために、僕たちもルシアを利用していた」
「だろ? シエラを守るためだよな。別に怒っちゃいないさ。いい兄ちゃんを持ってよかったな、シエラ」
そう言ってもう一度シエラを撫でてやる。
シエラは嬉しそうに「うん」と頷いた。
その顔を見て、少し肩の力が抜けた。
多分、俺はこういう自己満足が欲しかったんだろうな。
「ルシア……ありがとう。そこまで話してくれて」
アレンは穏やかに笑っていた。
だが、その顔はすぐに真面目なものへ戻る。
「だから、僕たちのことも話しておこうと思う。僕たちは、フェルディア王国の東にあるフェンリスカ王国との交易を扱っていた商人の家の子供だ」
何が出るかと思いきや、いきなり重くなる感じがぷんぷんするな……。
「……やたらとお行儀がいいのはそれか。で、何でそんな家のガキがスラムに落ちる?」
「商売に失敗して、借金を抱えた。そこで家が……フェンリスカ王国に内通したらしい」
それだけで次は予想はできる。
「この国の――フェルディア王国の防諜に引っかかったってわけな?」
「その通りさ。それで両親は処分された。本当は――僕たちも殺されるはずだった。でも、処刑担当が僕たちだけは見逃すと決めた。たぶん独断だ」
「殺す代わりにスラムに捨てたってわけか」
「たぶんね。でも、だからこそ僕らは今も生きてる」
アレンの顔には、かつてない真剣さがあった。
本来なら誰にも言わないことを、今は俺に話している。
シエラも同じだ。
黙って座っているだけなのに、その目だけは違った。自分の運命を預ける何かを、ちゃんと見ている目だ。
「事情は大体分かった。だが、こんな場所で話すことじゃないな。誰が聞いてるかも分からん」
話してくれたことが嬉しくないわけじゃない。
俺にとってはアレンとシエラがどういう家の子だろうが、それほど関係ないしな。
でも、マフィアの懐で口にしていい話じゃないはずだ。
そう思っていたら、アレンは微笑しながらシエラを見た。
「それなら問題ないよ。なあ、シエラ」
「うん。近くには誰もいないよ」
「……どういう意味だ?」
聞き返すと、シエラが少し得意そうに笑う。
「私ね、人がいる気配が分かるの。あと、何を考えてるかも、少しだけ分かる時がある」
「それって……」
――これまでの話の、種明かしみたいなものじゃないか。
「そう。僕たちがルシアを頼ったのは、最初から目をつけていたからなんだ。自分たちを生かしてくれる人間かどうか、見定めてた」
そういうアレンの顔には、また緊張が走っていた。
つまり、最初から俺を利用するつもりで近づいたってことだ。
なるほど。俺だけが二人を値踏みしてたわけじゃない。こいつらもこいつらで、生き残るために俺を見ていたってわけだ。
「ははっ。なんだそれ。人を利用したのは、お前たちの方が先じゃねえか」
そう言うと、アレンの肩がぴくりと揺れた。
で、シエラを見れば、こっちは笑みを浮かべている。
どうやら本当のようだ。今の俺が怒ってないって、シエラには理解できているらしい。
シエラの頭を少し乱暴なくらいにわしゃわしゃ撫でる。
シエラは笑ったまま、それを受け容れていた。
「シエラの顔で分かったろ? 俺は気にしちゃいない。むしろ都合がいい。何でも読めるわけじゃなくても、疑心暗鬼だらけのスラムで生きるなら、かなり強い手札だ」
「……よかった」
アレンがようやく息を吐いた。
こいつもこいつで苦労の多い兄貴だな。
「まあ、手の内を明かしたぶん、三人で生き残る算段は立てやすくなった。こんなところで終われるかよ。なあ、アレン、シエラ」
「そうだね、ルシア。こんなところで終われない」
「うん! 私の力が役に立つなら、嬉しいな!」
綺麗な関係じゃない。
最初から、助け合いってより利用し合いだ。
でも、それでいい。
生き残るために手を組んで、その先で少しずつ本音が混ざるなら、それで十分だ。




