七十八話:帰り着いた温もり
風龍は倒れたまま動かない。
首の付け根から胸元へ走った傷から暗い赤色の血が流れ、乾いた地面へ広がっていく。
あれだけ吹き荒れていた風も止まり、残っているのは自分の荒い呼吸と、耳の奥にこびりついた轟音だけだ。
――倒したのか?
そう思っても、すぐには近づけない。
起き上がって最後の一撃を放つんじゃないか。あの長い首が動き食らい付いて来るんじゃないか、そんな考えが抜けてくれなかった。
「ルシア、下がれ」
アルヴィンが剣を構えたまま風龍へ近づいていく。
俺の代わりに確認をしてくれるようだが、爪を受け止めた腕は震え、足取りも普段とは比べものにならないほど重い。
それでも俺より先に立つのは、聖人候補の護衛である守護騎士という自負からくるものだろう。
アルヴィンが剣先で風龍の身体をつつきながら、ついに首元のある場所へ立つ。
そこからさらに剣を突き立てていくが、それに反応をすることはない。体は動かず、傷口から流れる血の勢いも次第に弱くなっていく。
「……死んでいる」
その言葉を聞いた瞬間、膝から力が抜けた。尻餅をつくように地面へ座り込み、両手を後ろにつく。
さらには全身に残っていた痛みが一斉にぶり返してきた。激痛が走るが、もう俺の聖法力は空っぽだ、治癒を使って誤魔化すことすらできなくなっている。
「ルシア!」
聞き慣れた声が近づいてくる。
顔を上げれば、リネットが導師服の裾を押さえながら走ってきていた。裂けた布も、土と血で汚れた顔も見える。だが、自分の足で走り、俺の名を呼んでいる。
「怪我は? どこをやられたの?」
俺の前へ膝をついたリネットが、肩や腕へ慌ただしく触れてくる。
「いてぇよ……」
「何を言っているの! 触らないと治癒できないでしょ!」
「だとしても、俺よりも先に気にするべきことがあるだろ」
「何よ!?」
「お前は……無事なのか?」
そう言ってやると、リネットの手が止まった。
「……見れば分かるでしょう」
「体は痛むが、見た目だけなら俺だって無事だ。それに龍を打倒した美少女聖人候補が俺だろう? 何の心配をするって言うんだ」
「それだけ減らず口を叩けるなら、少しは安心したわ」
大きく息を吐きながら、リネットが俺を抱きしめる。
こんなことされるのは初めてだ。何か言おうとして、言葉が詰まり出てこない。――結局その背中へ手を回すことになった。
でも、だからこそ実感がある。助けられた――リネットを取り戻したんだ。
だとしても、心温まる時間はすぐに消え去っていく。
「まだ動ける者はいるか!」
アルヴィンの声で我に返る。
そうだ。こんなことをしている場合じゃない。状況を確認しないと!
台地には護衛の兵三人と猟師が倒れている。暴風で飛ばされ、全員が土と傷だらけだ。呼びかけに反応する者はいるが、自分から立ち上がれる者はいない。
「リネット、俺はいいからあっちを頼む。俺の聖法力はもう空っぽだ」
「ええ。あなたはここで座っていなさい」
リネットはまず倒れた者たちの意識と呼吸を確かめ、出血の多い者から傷を塞いでいく。
風龍に攫われる直前まで治療を続け、さらには子龍にも聖法力を使っていたはずなのに、その手から出る白い光はいつもと変わらず輝いている。
聖法術の持久力ならリネットは俺よりも数段上だな。治癒専門とはいえまるで底が見えないのは、リネットが聖人候補として送り出された理由を見せつけられるかのようだった。
こうして治療が終わり、俺を除く全員が立って歩ける程度に回復するころ、小さな鳴き声が聞こえた。
子龍が傷ついた身体を引きずりながら、倒れた親龍へ近づいてくる。
首元へ鼻先を押しつけ、何度も喉を鳴らしているが、当然ながら返事はない。やがて子龍は親龍の脇へ身体を伏せ、こちらへ灰青の頭を向けた。
――俺を見ている。親を殺した人間だと理解しているのか?
……何を考えているのか、そこまでは分からない。だけど、怯えと警戒が混ざった視線であることくらいは見れば分かる。
「あいつをどうする?」
俺が口にすると、治療を終えたリネットが子龍の前へ立った。
「……連れて帰るわ」
「馬鹿言うな! 体は小さいがアークドラゴンに変わりないんだろ! もし魔法を使われたらどうする!? リネットだってあの暴風は見ていたはずだ!」
「だからといって、傷ついて戦うこともできない子を今ここで殺すの?」
俺は答えず、子龍を見る。
危険性の排除だけを考えるなら今のうちに始末するのが一番確実だ。
今の俺には無理だが、聖法力が戻ればとどめをさせる。というか、アルヴィンが剣を振るえば殺せるだろう。
だが、アルヴィンはその選択を選ばないようだ。
「処遇は基地司令へ委ねる」
アルヴィンが俺とリネットの間に割って入った。
「アークドラゴンの子供を捕らえるなど、歴史上あるかないかの偉業となる。それをラザル派の聖人候補がもたらしたとなれば、派閥間競争でも優位に立てるかもしれない」
「ここにきて政治ですか?」
「ここまで来たからこそだ。ルシアならこの意味がわかるだろう?」
「……理解はできます」
アークドラゴンが出現したとはいえ、北部での任務を失敗したとなればラザル派にとってはダメージだ。
しかし、その補填どころかおつりがくるとなれば、アルヴィンの言い分が正しいのが分かる。
「翼と口を拘束し、歩かせるんだ。従わない場合は殺すしかないが……今の我々だけで龍の処分まで決めるべきではない」
「……それでいいわ。私が面倒を見る」
リネットは即座に頷く。
俺としては不安しかないが、ここで話し合いを続けても日が暮れるだけだな。
「俺から離して歩かせたほうがいいな。その方がこいつも大人しくするかもしれない」
「あなたは本当に嫌われるのが得意ね」
「親の仇だから当然だろ? 好かれる方がおかしい」
護衛の兵が荷縄を使い、子龍の翼と口へ慎重に縄を回す。子龍は低く唸ったものの、リネットが首筋へ触れると抵抗を止めた。
親龍の遺体は運べない。場所を記録し、灰青の鱗と角の欠片だけを討伐の証拠として持ち帰ることになった。
山を下りる足取りは遅い。
先頭を猟師が歩き、護衛の兵三人がそれに続く。リネットが縄を持って子龍を歩かせているが、傷が残っているため治癒の聖法術を使いながらつきっきりだ。
俺はおんぶ紐でまたアルヴィンの世話になっている。体が痛くて歩くことすら困難だ。リネットから治療は受けたけど、体力までは戻らない。だから結局はアルヴィンに背負われることになったというわけだ。
「……軽すぎて不安になる。よくぞこれで風龍を倒せたな」
「それが聖法力で、聖法術ってものでしょう。ただ、体力のなさはいかんともしがたいですね。少女の身体では限界があります」
「体力は全ての基本だろう。歴代聖人に男が多いのもそのためなのかもしれないな」
アルヴィンの背中へ頬を預けながら雑談を重ねる。
体には力が入らず、揺れるたびに痛みが走る。眠ることもできないのなら、話すことがせめてもの気休めだ。
一度山中で夜を明かし、翌日の午後になって補給路へ出た。
そこから先は足場がましになり、遠くに西側の麓の町が見え始める。
見張り台から鐘が鳴った。ただし、俺たちの帰還を喜ぶだけではなく警戒も込みだ。縄を掛けられた子龍が同行しているからな。門の上へ兵が並び、弓がこちらへ向けられる。
「救出隊だ! この龍は捕獲したものだ。弓を下ろせ!」
アルヴィンが声を張る。
それを聞いた門番がこちらを見回し、リネットの姿を見つけたようだ。
「シスター・リネットがいるぞ!」
「生きて戻った! 救出隊が連れ帰ったぞ!」
その声は門の内側へ一気に広がっていく。
俺たちが町へ入る頃には兵も人足も集まり、道の両側を埋めていた。
「やり遂げたぞ!」
「全員、帰ってきた!」
歓声が身体へぶつかってくる。
なぜ子龍がいるのか? その疑問の視線も混じってはいるけど、この場ではそのことを咎めるつもりはないようだ。
とにかく司令の元へ通せという声が大半となっている。
そうなれば話は早い。治癒を受けたとはいえ負傷が残る護衛兵と猟師はすぐに治療所へ運ばれ、子龍は縄に繋がれて周囲には武装した兵が配置される。
リネットが頭を撫でて抱きしめてやり、それで大人しくなったからいいものの、リネットなしで制御ができるのか不安になってくる。
まあ、その判断も基地司令がするから俺が考えることじゃないか。
報告のために基地司令と輸送隊長がいる部屋へ通されるのはアルヴィンだけだ。
俺は身体が動かず、リネットにも衰弱が見られたため、二人とも用意された部屋へ通された。
俺たちに与えられた二人部屋だ。個室じゃないのか? そう思ったけど。俺の身体に急変があったらリネットが治癒をするためだという。
すでに俺はベッドに入り、リネットは椅子を持ってきて俺の横に腰かけている。
「ずいぶんと過保護だな。傷は治してもらったし、あとは寝てれば治ると思うぞ?」
「そうかもね。でも、そうじゃなかったら?」
「……リネットにいてもらったほうが安心ではあるな」
「その自覚があるなら、こういう時くらいは甘えなさいな。手を握ってあげるくらいはできるから」
リネットが布団をかき分け、俺の左手を両手で握った。
――温かい。ただ、そう感じて安心できる。
「……たまにはこういうのもいいかもな。それじゃあ俺は寝る。おやすみ……リネット」
「ええ、おやすみなさいルシア」
リネットから声を掛けられると、急激な眠気が襲ってくる。
今はその眠気に全てを委ねよう。左手から伝わる温もりと一緒に――。




