七十一話:空の主
次の輸送任務では、空が妙に静かだった。
麓の町を出てから飛竜の姿を一度も見ていない。いつもなら遠くに浮かぶ黒い点へ目を凝らすところだが、それが今日は雲と岩山しか見当たらない。
補給列を狙えば俺に撃たれる。飛竜もその事実を学習したのかもしれないな。
「今日は静かですね」
駄馬の背で揺られながら空を見回す。
馬に乗るのも慣れ始めてきたところだ。もう股も尻もそれほど痛くはならない。
「こちらを伺う飛竜もいないとは……吉兆なのか、凶兆なのか。どちらか分からんな」
手綱を引くアルヴィンがそんなことを言ってきた。
「縁起でもないですよ。でも、おかしいと言えばおかしいのか……」
「杞憂なら良いがな。実際に上りが楽で助かっている」
飛竜の襲撃がなければ行軍速度も速くなる。
峠の上で昼休憩を取り、東側に降りるのもスムーズだ。
そしてしばらくの間歩き続けていると、空を舞う何かが視界に映る。
「飛竜? でも一頭か」
「群れない飛竜など珍しいな……」
アルヴィンの言う通りだ。となれば警戒を強めたほうがいいな。
もっとも、慣れたとはいえ尻の痛さは残る。だから自分の足で歩くのがマシって理由もあるけど。
「下ろしてください。警戒を強めます」
「承知」
アルヴィンに抱きかかえられて馬を降りる。恥ずかしいと思っていたけどやっていれば慣れるものだ。
地面へ着いた足の裏へ固い感触が返ってきた。靴先で地面を叩きつつ、歩いて感覚を確かめる。
――これで良し。さて、上空警戒だ。
駄馬を他の護衛の兵に預けて、俺とアルヴィンは空に浮かぶ飛竜を睨みながら山道を下っていく。
その間にも飛竜の影はどんどん大きくなっていく。やはり狙いは俺たちなのか?
ついには飛竜が上空を旋回し始めた。
「上空、一頭!」
「総員! 警戒しろ」
護衛兵の声と、輸送隊長の命令が飛ぶ。一頭とはいえ、俺たちを狙っているのは明らかだ。
それにいつもの飛竜と少し違う。色合いと……あとは大きさか?
翼を広げた姿は見慣れたものより一回り大きいように見える。しかも速い。激しく羽ばたいているようには見えないのに、旋回するスピードがいつもの飛竜とは段違いだ。
――警戒態勢を取って正解だったな。
指先を空に向ける。いつでもレイライフルを放てる体勢を取った。
いつもより早くて大きくてもやることは変わらない。獲物を決めて降下する瞬間を狙うだけだ。
前に見た高度を下げながらの旋回じゃないからな。これなら中てる自信はある。
頭の中で攻撃手順を思い返していると、そいつは一瞬だけ大きく羽ばたいてから翼を閉じた。
急降下だ! 狙いは列の中央か!?
奴の位置は俺から見て東側。対面する形で急降下を仕掛けてきたことで狙いをつけやすい。
これならいくら速くても命中させることができるはずだ!
――レイライフル! どうだ!
白い光が指先から伸びるが、一射目は外れ、二射目は惜しい! なら、三度目の正直だ!
狙いすました一撃が今度こそ奴の図体に風穴を開けるという確信は――。
「なっ! 避けた!?」
光が空を抜け、虚空に吸いこまれるように消えていく。
飛竜は翼を広げ直し、横へ滑るように射線から逃れていた。
「ルシア!」
アルヴィンがとっさに俺を抱えて岩肌に向けて飛んだ。
同時に激しい風圧が身体を叩き、一瞬だけ鉤爪が視界の隅に見えた。
――列の中央じゃない。俺から攻撃を受けて標的を変えた? 横滑りは攻撃機動の修正のためでもあったのか!
「シスター・ルシア! 聖法術を使え! 命中しなくてもいい、とにかく牽制射撃だ!」
輸送隊長の声に焦燥が滲んでいる。
こんな声は輸送任務についてから初めてだ。それだけ切羽詰まっているということ!
「承知しました! 撃ちます!」
旋回する飛竜はすでに俺から見て横方向の動きになっている。
猟師出身だという弓手も矢を放っているが、まるで中る気配はない。
というか、弓矢はほぼ無視して俺を中心とした旋回機動を取っている!
畜生が! 数発レイライフルを放つが命中なんて無理だこんなの! いくら牽制射撃とはいえ飛竜は怖がる素振りを見せることはない。
それどころか旋回半径を縮めつつ、その動きの中で二度目の急降下! それによって隊列中央にいた兵と駄馬が襲撃された!
荷車は無事か!? ――無事だ。リネットに怪我はなし。しかし、馬と幾人かの兵が横たわっている。輸送任務についてから、初めて被害を出してしまった!
でも、そんなことを嘆いている暇はない! 輸送隊は完全にこの道の中で釘付けになっている。次の襲撃がきたらどうしようもできない。
「駄目だ! 退避と防御を優先しろ! 荷は捨ててもよい!」
さらなる輸送隊長の声が響き、指示に従い皆は荷を気にせずに退避をする。
道の脇や、崖となっていない林の中、そして岩肌に貼り付いた。
天災をやり過ごすようなそんな気持ちで飛竜を見ていれば、三度目の襲撃によって右往左往する駄馬がその爪の餌食となる。
しかも完全に俺からみて横方向からの機動であり、完全な見越し射撃じゃないと攻撃は中らない。牽制射撃だけじゃなく、さらに数発を撃っているけどかすりもしない。
「終わった……のか?」
誰かがそう言ったのを皮切りに、皆で空を見つめる。
すると、上空で駄馬を掴んだ飛竜が俺たちを嘲笑うかのように旋回していた。
再度の攻撃をする素振りはない。でも、その旋回は俺たちが隊列を立て直して下山を始めるまで続いていた。
東側の前進拠点へ着くと、輸送隊の全ての人員は疲労困憊だった。
当然俺もそうだし、アルヴィンも動きに疲れが見て取れる。あとはリネットか。
「気に病むな。軽症な人たちはすぐに復帰できたじゃないか」
地べたに座りながらうなだれるリネットに声をかける。
「……そうね。でも、それだけよ。私の力なら助けられる人はいた。いつもの私ならもっと手際よく傷を塞ぐことができた。なのに、私は……」
襲撃の後、リネットは上空に飛竜が旋回する中で治癒の聖法術を使っている。
その光は軽症者の傷を癒すことは確かにできた。しかし、重傷を負った者の命を救うことはできずに、二人が命を落とした。
リネットは手際が悪かったからだとはいうが、あの状況でそこまでできれば上等だとは思う。でも、本人がそう思いはしない……か。
なんと言えばいいか迷っていると、アルヴィンが俺たちのもとにやってきた。
「ルシア。基地司令と、それに輸送隊長から呼ばれている。そろそろ行かねばな」
アルヴィンは俺とリネットを見比べつつも、それだけを口に出す。
「はい。今行きます。……というわけで俺は行くぞ。リネットは休息を命じられているだろう? こんなところで座り込んでないで、休むなら部屋に戻って休むんだ。分かったな?」
「……ええ。そうするわ」
リネットに背を向けて、アルヴィンとともに司令部のある建屋の中に入って行く。
作戦室に通され、ここからは事情聴取だ。何が起こったのかつぶさに話すことになった。
飛竜の色合いや大きさ、動きや速さ、どこから現れ、俺が撃った時にどう反応したのか。そしてどのように隊列を襲撃したかだ。
「もう一度確認する。飛竜より一回り大きいのに、動きは速かったのだな?」
「はい。さらには攻撃を察知して横滑りによって回避。その動きのまま私を狙ってきました。そのあとも私を旋回半径の中央に置くことで、攻撃を中てさせない工夫をしているようでした」
自分で言っていて無茶苦茶だ。下手な人間よりも賢いぜ。
「教会騎士殿はどう見る?」
基地司令に問われ、アルヴィンが答える。
「ただの飛竜ではないと、誰もが感じたことでしょう。……より高位の龍であると考えられます」
「アークドラゴン……か。そうなると、風龍であると考えるのが妥当だろうか?」
「同意します。話に聞くアークドラゴンと比べれば小さくはありますが、ただの飛竜の上位個体であると言い張るのは無理があるかと……」
アークドラゴン――ただの竜じゃなく、さらに高位に位置する龍。
魔法まで使いこなすというヤバイ奴らであるらしい。魔法は使っていないように思えたけど、あの横滑り――姿勢制御に魔法を使っていても不思議じゃないか。
「……人前に姿を現すことは稀であると言われているが、まさかこのような時に現れるとはな」
基地司令が視線を落として作戦地図を見つめる。
誰もが何も言えずにいると、輸送隊長が確認を取るようにして司令に尋ねた。
「今後の補給はどういたしましょう? アークドラゴンに狙われるようなら、今まで通りの物資輸送は不可能です。かなりの損害を覚悟しなければならないかと……」
「最低限の監視要員だけ残して……撤退も視野に入れるべきだろうな」
沈黙が作戦室に満ちる。
司令の判断は合理的だとは思う。ただでさえ出費の多いこの前進拠点の維持費がさらに増えるなら、今までと同じようにはいかない。
だとしても、政治的な意味で保持されているような拠点だ。そうなると責任問題に発展してしまうだろう。
しかし、司令の目はそれすらも覚悟しているように見えた。
「この基地を放棄するにしても、しないにしても、一つだけ事実として確定したものがある。それだけは共有したい」
司令が皆を見渡しながら、告げる。
「飛竜がいなくなったのではない。アークドラゴンによって、この峠から追い出されたのだ」




