六十八話:捨てられない拠点
昼食を済ませると、俺たちは補給所の一室へ集められた。
机の上にはこの辺りだけを大きく描いた地図が広げられている。昨日までの旅で使ったものとは違い竜哭峠の九十九折りの道だけでなく、見張り台や待避場所、山の向こうへ続く街道まで細かく書き込まれていた。
昨日から案内してくれている騎士と輸送隊長も席に着き、まずは騎士が峠の東側を指す。
「明日の第一便は竜哭峠を越え、こちらの前進拠点へ物資を届けます」
山が国境となり、峠には監視拠点が置かれている。勝手にそう思っていたけど、どうやらそこまで単純な話ではないらしい。
もともとフェルディアとフェンリスカは一つの王国だったが、内乱の末に二つの王国へ分かれた。まあ、それ自体は俺の世界でもよく聞く話だが、古い領主の権利や教会領まで綺麗に分けられたわけではない。
そのため、フェルディアもフェンリスカも前進拠点の周辺を自国領だと主張している。今は先に押さえたフェルディアが実効支配しているというわけだ。
「拠点の先に広い平地があるわけでもないのね」
リネットが東へ伸びる細い線を指でなぞる。
「はい。街道はこのまま続き、その先にフェンリスカ北部の街であるヴァルディナがあります。大軍も攻城兵器も動かしにくく、あちらは街道の出口で待ち構えられる。侵攻の足場としては、あまり価値がありません」
「となると、フェンリスカも無理に取り返す必要はないわけですね」
俺が言うと騎士は頷く。
「フェンリスカはヴァルディナで防備を固めればいい。むしろ、我々が前進拠点の維持に物資と人員を費やすなら、現状を保つほうが相手には都合がいいのです」
こりゃあ、かなりの不良物件だな。
維持費が高く、手放す時にも引っ越しが大変。軍事的な価値だけで判断するならリソースの無駄遣いもいいところだ。
でも、事情があるから維持される。
「拠点を捨てれば実際に支配している範囲が峠まで後退します。それは政治的な敗北となり中央には認めがたい。とはいえ、完全に不要なわけでもありません。ここは偵察や密輸、小規模な兵の移動を早く見つける監視点でもあります」
「取っても大きな得にはならない。でも、捨てれば確実な損で政治的には負けになる。だから維持するしかないと?」
「おおむねその理解で結構です」
俺の疑問に騎士が静かに答える。
そのやり取りを聞いたリネットは小さく息を吐いた。
「東部国境へ有力派閥の戦力が集められて、北部をラザル派が受け持つ理由がそれね。単純な嫌がらせというわけじゃない。弱小派閥に主戦場を任せられないのは事実だし、大戦力を送り込む価値はなくても政治的な後退は許されない。なら、私たちのような少人数を送るのが最適となる」
「適性を見た上で貧乏くじを押しつけられたわけですね」
「言い方はともかく、間違ってはいないでしょうね」
リネットと俺のやり取りを騎士も輸送隊長も否定しない。
誰かがやらねばならない仕事として俺たちにお鉢が回ってきたというだけだ。……納得できるかはともかく、筋は通っているよな。
「事情は分かりました。私たちは任された役目を果たします。明日の輸送計画についてご説明をお願いします」
リネットが話を切り替えると、輸送隊長は地図の西側へ木駒を並べ始めた。
簡単に言えば、荷車と駄馬を前後の護衛で挟んで進む形だ。荷を駄馬にも分けているが、輸送の中心は荷車で駄馬は補助であり保険にすぎない。荷車同士は護衛が行き来できる範囲で間隔を取る。詰めすぎれば一台の停止で全体が止まり、離しすぎれば各個に狙われるためらしい。
この陣形が戦術的に正しいかは分からない。それでも、一つだけはっきりしている。対空戦力の乏しさが最大の欠点だ。
というか、まともな対空攻撃ができるのは俺くらいしかいない。狩人上がりの弓手もいるが、低く来た飛竜を牽制するのが精いっぱいで、遠距離から有効打を与えられるわけではないそうだ。そのため、俺は先頭の護衛集団につくことになった。
上り坂では後方にいると前を歩く兵士が射線を塞いでしまう。俺みたいな女の子の身長だと兵の中に埋もれちまうからな。迎撃するなら周囲に人がいないほうが撃ちやすいが、遠距離攻撃の要として期待される俺に護衛をつけないという選択肢があるわけもない。
リネットは荷車と駄馬が集まる列の中央だ。治療役だから先頭と後方のどちらにも向かえる位置にいる必要がある。
残るアルヴィンは俺の護衛につくことになった。まあ、それも当然か。
「列全体の指揮はこちらで執る。何事もなければそのまま進み、角笛の回数によって対応を決める。特に覚えてほしいのが短く三度鳴った場合だ。その時は荷を捨ててでも、岩壁側へ寄ってくれ」
ガードレールなんて便利なものはない。となれば、岩肌へ貼り付いてなんとかやり過ごすことになる。滑落したら命に関わるからな。
「私は輸送隊長殿の指示に従うということでよろしいですか? 先頭を共に行くのですよね?」
「そうだ。飛竜は荷そのものよりも、人や馬を直接狙ってくる。これまでの輸送で奴らの習性はある程度分かっているため、まずは私の指示を待ってほしい。射撃を許可した後は、狙う個体と撃つ瞬間をシスター・ルシアに任せる」
「承知しました。許可を受けてから自分で判断するように致します」
「私の治癒も、指示を受けてからということでしょうか?」
リネットが自分を表す木駒を指で押さえる。それを見た輸送隊長は頷いた。
「仮に負傷者が出ても、自力で歩けるなら治療のために列を止める必要はない。冷たい言い方だが行軍が最優先だ。重傷者が出た場合にのみシスター・リネットの治療へ頼ることになる」
「治療もひとまず行軍を続けられる状態に戻すことを優先する、ということですか?」
「その通りだ。負傷者に無理を強いることになるがね」
話が進むにつれ俺たちの立ち位置も決まっていく。
あとは実際の道で予定通りに動けるかどうかだ。一番の懸念はやはり対空攻撃――俺の聖法術は本当に飛竜へ通用するのか? そればかりは実際に撃ってみないと分からない。
三次元的に動き回る相手が敵……か。どうなることやら、先が見えない。
翌朝。
空が白み始める前に補給所へ出ると、第一便の準備はすでに始まっている。
保存食、矢束、油瓶、薬草、包帯が荷車と駄馬へ分けて積まれ、輸送隊長は荷札を見ながら余分な箱を外させていた。
荷を積んだ荷車にはまだ余裕がありそうだが、山道では積めるだけ積めばいいという話でもない。重量を抑える余裕がそのまま立ち往生を避ける余裕になるのだろう。
アルヴィンは俺と組む護衛兵たちと最終確認をしている。リネットは列の中央へ入り、俺も指定された先頭へ立って空を見上げる。
絶好の登山日和――と言いたいところだが、空を飛ぶ飛竜が見事に目障りだ。
「輸送隊! 出発するぞ!」
輸送隊長が最終確認を終え、出発を命じる。
隊列は今の俺の足でも無理なくついていける速度で進む。麓を離れて山道へ入れば、昨日の地図だけでは見えなかったものが見えてくる。
――幅が思ったより狭い。
荷車が一台通れば余白はほとんど残らない。対向から何かが来れば途端に立ち往生だ。
それを避けるため一定の間隔で道幅を広げた待避場所が作られている。対向をやり過ごすだけなら役に立つが、今は立ち止まるほど飛竜に狙われる時間も増えてしまう。
上空を回る飛竜の位置が伝えられるたび、びくびくしながら空を見る。恐怖と戦いながらの行軍ってやつだが、これは思った以上に心へ来るぜ。
そんな緊張の中で、中腹へ差しかかる。
ここまで何事もないのは運がいいと言えるかもしれないが、空を見れば飛竜の影が麓よりも大きい。
まだ高いところを飛んでいるとはいえ、あれはどうだ? 俺たちを狙っているのか、ただ見ているだけなのか、それとも風に乗っているだけなのかまるで分からない。
指示がないから撃つつもりはないけど、恐怖で引き金を引いてしまう兵士の気持ちってのが、痛いほどよく分かる。
「シスター・ルシア! 群れの輪から外れた飛竜が一頭いる。目を逸らすな!」
輸送隊長の叫びに視線を走らせると、確かに一頭だけが群れの輪から外れている。
……錯覚じゃない! 翼を畳んだせいでシルエットが細く見えるが、あれは急降下だ! 黒い影は明らかに俺たちを狙っている!
「今だ! 一直線に向かってくる今が好機!」
輸送隊長から発射許可が下りた。
狙う個体も、撃つ瞬間も、ここから先は俺の判断だ。
有効打を与えるならレイライフル――狙い撃て!




