六十二話:ゆるやかな日々
マテオ派の応接室を出た俺とリネットは、菓子の包みを持ってラザル派の部屋へ戻った。
戦利品はかなりの高級菓子だ。食べればすぐなくなるものだから、後腐れもない。
懇親会の片付けを終えた三人が戻ってくると、そのまま今回の話し合いについての報告会が始まった。
「とりあえず、これが今日の戦利品だ」
俺は机の上に置いていた箱を開いてみせる。
砂糖をふんだんに使った焼き菓子を前に、アレンとシエラが揃って目を見開き、アレンが恐る恐る尋ねてくる。
「ルシア。これは?」
「リネットがマテオ派から絞り取ってきた菓子だ。遠慮せず食え」
「人聞きの悪い言い方をしないでちょうだい」
リネットは俺を睨みながら、皆の取り皿に菓子を並べていく。
ただし、俺とリネットは会談で食ったので今回はなしだ。
「あちらから手打ちにしたいって言ってきたのよ。これくらい貰ってきて当然だわ」
「ほう? マテオ派から折れるとは、なかなか面白そうな話が聞けそうじゃないか」
「そうでもないですよ。私が気味悪すぎてもう干渉したくないとか、そういう話です」
「いや、楽しみだよ。君が外からどう見えていたのか興味がある」
アルヴィンが珍しく笑みを浮かべながら、そんなことを言ってくる。
「何か含みがある言い方じゃないですか?」
「内側から見ても得体の知れない人物なんだ。マテオ派から見れば、さぞや薄気味悪く見えただろうと思ってね」
「……否定できないですが、そんな目で見てたんですか」
アルヴィンという仲間からの視点がこれである。となれば、敵対者にとってはなおさらか。
「はいはい! 雑談はそこまで! せっかくのお菓子なんだから、まずは味わいましょう。これは王族が贔屓にしている店の品でね。昔の私ならいざ知らず、ラザル派の候補生となった今では気軽に買えるものじゃないんだから」
「そんなに高いの?」
シエラの疑問に、リネットが首を横に振る。
「値段だけの話ではないの。店との付き合い、誰の紹介か、王都からここまで傷めずに運ぶ手間、いつ入荷するか。その全部を含めて価値があるのよ」
贈答品の類でもあるなら、そうなるか。
なら、もっと味わって食べればよかった……。
最初の一口は感動するくらい美味かったけど、次第に日本の菓子と比べればまあまあってところに落ち着いていったからな。
「そんな凄いものを食べられるのか……」
「アレンだってシエラほどじゃないにしろ嫌なことはあったでしょ? 遠慮せず食べなさい」
「そうだね。なら遠慮なく」
アレンとシエラが菓子を食べ始めた。アルヴィンもそれを見届けてから、自分の分を口へ運ぶ。
「おいしいよ、これ」
「うん! すごい美味しい」
二人が満足そうで大変結構!
アルヴィンも無言で頷きながら食べているあたり、味としてはやはりトップクラスってところだな。
そうしてお茶とともに菓子を食べ終え、一息ついたところで――ここからが本題だ。
「マテオ派の連中からの嫌がらせは止まるだろう。当然、俺たちだけでなく、付き人に手を出すのも禁止だ。これからは候補生同士で純粋に競い合うってよ」
「教導院本来の形に戻るだけ。それでも、一応の警戒はしてね。アウレリオが釘を刺したと思うけど、違反者が出てこないとも限らないし」
懸念点としてはリネットの言った通り。さすがにもう暴走はないと思うが……最低限の警戒は必要なはずだ。
「マテオ派全体と親しくなったわけではないですからね。しかし、曖昧な口約束ではなく、代表者同士の取り決めになった意味はあります」
アルヴィンの視線がリネットに向く。
「ええ。私とアウレリオのサインが入った書類がある。教導院の中に限った話だけど、かなりの重さがあるわ」
「仕事の邪魔をされなければ僕は何でもいいけどね。シエラは特にそうだろ?」
「うん。嫌がらせは無視すればいいけど、お仕事の邪魔をされないなら嬉しいな」
アレンとシエラに害がなければ問題はないな。
となれば、これまでの面倒からは解放されて万事解決だ。
そこで――俺は昼間から気になっていたことを思い出した。
「そういえば、マテオ派が中央と連絡していたって話があっただろ。あれはなんだ?」
「教導院は定期便を出しているわ。派閥にかかわらず、普段はそれを使う。でも、急ぐ書類もあるからね。それはそれぞれの派閥が自分たちでお金を出して運ぶのよ」
「教導院は山奥にあるんだぜ? 金がかかりそうだな」
「マテオ派の強みはそこね。フェルディア王国に留まらない情報通信網を構築しているのよ」
ただの金満派閥ってわけじゃない。金の使い方を分かっているじゃないか。
「マテオ派一強ってのも理解できる話だ」
「……まーね。認めたくないけど」
リネットが若干ふて腐れたような顔をする。
それを見て、アルヴィンは苦笑しながら補足した。
「潤沢な資金を持っていても、使い方を間違える派閥はあります。敵対派閥としては厄介ですが、セラフィナ教会にとっては心強い味方でもある」
「アルヴィンはマテオ派を敵とは思っていないんですね。……理屈では分かるけど、今までの印象が邪魔をしてますよ」
「頭で分かっているなら問題ないさ。私もマテオ派は好きじゃないからね。必要な時に感情と判断を切り離せれば、問題ないと私は考えているよ」
「……ですね」
アルヴィンの言葉に、俺は頷いた。
感情を否定する必要もない。判断さえ間違えなければ、それでいい。
「というわけで結論ね。一応の警戒はしながらマテオ派とは距離を置く。そして何かあったら遠慮せずに文句は言う。いいわね?」
話が脱線しそうなところで、リネットがそう結論づけた。
皆でそれに頷き、これで今回の件は一件落着だ。
まだ様子を見る必要はあるけど……少しでも教導院での生活が穏やかになってほしいものだ。
取り決めは守られ、そのまま半年ほどが過ぎた。
講義と訓練と課題をこなす毎日が続く。――そんなある日、ベアトリスから一通の手紙が届いた。
それはいつもの連絡より厚い封筒だった。内容を確かめたリネットの顔が変わり、俺たちは再び五人で机を囲むことになる。
手紙の最初には、俺たちの学びが順調であることを願う短い言葉があった。
だが、その後に続いていたのは近況報告ではない――。
『フェンリスカ王国との間で、再び戦端が開かれました。現時点での衝突は局地的であり、いずれも小規模です。しかし、国境沿いの複数地点へ広がり始めています。私は近く、施療と教会側の調整のため動員されることになるでしょう。さらに、派閥を跨いだ会議において、聖法術を扱える候補生を暫定的な聖導師として認め、前線へ送るべきだという特例案が出ています。反対は多く、ただちに実施される状況ではありません。候補生を戦場へ出す危険、教育を終えていない者へ責務を負わせること、各派閥の思惑。簡単に決まる話ではないでしょう。それでも、準備はしておきなさい。聖人の座が空いたままのフェルディアは、これから試されます』
――そこで手紙は終わっていた。
「候補生を前線へ、ですか。まさかそんなことが……」
アルヴィンの声に驚きが宿っている。
無理もない。俺だって驚く。きな臭い国際情勢だとは思っていたが、まさかこれほどとは……。
「まだ決まったわけではないわ」
リネットはすぐに言ったが、安心させるような口調ではなかった。
反対があることと、話そのものが消えることは別だ。ベアトリスがわざわざ手紙で警告してきた以上、実現する可能性がある。
「いつ行くことになるの? あとは派閥ごとの移動になるのかな?」
アレンがリネットを見て尋ねた。
「分からない。今すぐじゃないのは確かだけど……こんなの異例も異例よ」
「でも、準備するんだよね? いつになるか分からないとしても」
シエラの問いに、リネットは力なく首を縦に振った。
状況がひっ迫しているから、こういう話が出てくるわけだしな……。俺は机の上の手紙へ目を戻す。
教導院の派閥争いは終わったが、代わりに、今度は本物の戦争が始まっていた。




