五十九話:借金の値段
入口に立つアウレリオは、黙ったままこちらを見ていた。
となればリネットもすでに会場内にいるはずだが――いた。いつの間にか俺とレイフに視線を向ける一団の中に混ざっている。
口元を手で隠しているが……あいつはアウレリオの渋面と俺を見比べながら笑いを堪えてやがる。普段は性格も面倒見もいい、できた奴って感じだが、アウレリオが絡むと性格が悪くなるよな。
まっ、これでチェックメイトだ。この茶番を終わりにしてやろう。
「レイフ候補生。私を締め上げている場合ではないのでは?」
レイフの手は俺の襟首を掴んだまま。もう片方の腕はカシアンに止められている。
この状態で一番困るのは誰かと考えれば、俺でもレイフでもない。最後に入場して俺たちと同じく視線を集めているアウレリオだ。
「……それは」
「アウレリオ様へこの状況に至った経緯をご説明する方が先かと存じます。私との親睦を深めるのは、それからでも遅くはないでしょう」
親睦という言葉に、レイフの頬が引きつった。
だが、ここでさらに怒るほど馬鹿ではなかったらしい。俺の襟首を掴んでいた手が離れ、首元の布がようやく緩む。
「助かりましたカシアン候補生。ですが、もう離してもいいのではないでしょうか?」
「そうだな。本人も冷静さを取り戻したようだ」
カシアンが手首を放すと、自由になったレイフは顔を引きつらせながらアウレリオの元へ向かっていく。さて、どうなる?
「レイフ。君は会場より退出しろ」
「しかし、殿下――」
「二度は言わない」
声を荒らげたわけではない。
それでもレイフは口を閉じ、とぼとぼと会場を去って行った。
入場は決まっているが、退場は自由にしてもいいというルールだったか? となればこうもなるか。
レイフが退出したのを確認して、アウレリオが俺の元へと歩いて来る。さて、何を言われる?
「ルシア候補生。我が派閥の者が非礼を働いた。代表して詫びよう。怪我はないか?」
「少々襟元が苦しかった程度です。カシアン候補生に止めて頂きましたので」
「そうか。ならば、今は演習を続けてもらいたい。君の貴重な時間を奪ってしまった謝罪も含めて、後に改めて話す場をこちらで用意する」
「承知いたしました。ですが、私も強い言葉を返しました。その点は、裁定においてご考慮いただければと存じます」
「……ご配慮痛み入る。では続けてくれたまえ」
俺が頭を下げると、アウレリオもわずかに頷いた。
それから近くにいたマテオ派の候補生たちへ声をかけ、何事もなかったように挨拶を始めている。周囲もそれに合わせ、止まっていた会話が少しずつ戻ってきた。
空気が完全に入れ替わったとは言わないが、アウレリオは場を取り仕切ることができているようだ。
「随分と上手くやったじゃない」
声の方へ振り向くと、リネットが近づいてきている。
さっきまで口元を手で隠していたが、今はもう普通の顔だ。――いや、よく見るとまだ少しだけ笑っているな。
「笑う場面か?」
「笑ってないわよ」
「嘘をつけ。ずっとにやにやしていただろ」
「だって、あんたの襟首を掴んでいる本人より、あんたの方が余裕のある顔をしていたんだもの」
確かに、殴られても得になると考えていたからな。
だが、痛いのが好きなわけではない。カシアンが止めてくれてよかったよ。
「それで何を言ったの? 私が入った時には、もうあんたは掴まれていたけど」
「大したことは言ってない。お前のその育ちの良さは、スラムの有力者に師事したから身についたのか、と訊いただけだ」
「……想像以上に酷いことを言っているわね」
この世界の人間――特に下級貴族とかの連中にとっての地雷であることは理解できた。あまりに効果覿面で驚いたけどな。
「ルシアに言葉遣いを仕込んだのはリネットだと聞いているが、なぜその君が眉をひそめているんだい?」
カシアンから疑問の声が出た。
リネットは苦笑いをしながらそれに応える。
「言い方を教えたのは私でも、中身の意地悪さは元からね。相手が一番嫌がるところを見抜いて的確に突くのはルシアの性格よ」
「気の合う友人だと思ってはいるが、迂闊な発言はルシアの前ではできないな。何を言われたものか分かったもんじゃない」
「私も嫌味を言われたことがあるもの。精々注意することね」
「ああ。肝に銘じよう」
リネットとカシアンは俺を出汁にして楽しそうに談笑している。
馬鹿な連中の思惑を粉砕した功労者を脇に置いて語り合うには酷い会話だ。
……まあ、自覚があるから言い返せないけどな。
「ルシア」
少し遅れてエリアスもやってきた。
「あれで良かったか? シエラを君とレイフのいる場に向かわせるような動きがあったから、給仕を依頼して止めておいたが」
「助かりました。私だけならともかく、シエラにあんな言葉を吐かれたら本気で手を出していたかもしれません」
「レイショットは当たり所によっては失明くらいはする。そうなったら流石に言い訳できないな」
反射的に手を出すならおそらくそうなる。エリアスとカシアンには本当に世話になったぜ。
「カシアン、そしてエリアス。この借りは後で必ず返します」
「期待している。この程度で借り一つとは、実に良い買い物だったと思わないかエリアス?」
「同感だが、あまりに吹っ掛けるなよカシアン? ルシアと喧嘩するのは分が悪そうだ」
「ははは! まったくだな!」
――なんて、実に明るく楽しい空気のまま、その後の懇親会はつつがなく進んだ。
正確には、俺の周りだけが妙に平和になっただけだがな。レイフの失敗を見た他の候補生たちは、俺との会話になるとやたらと警戒しているようだった。
とはいえ、ミッションは完遂でいいだろう。マテオ派の連中もなんだかんだでお上品な悪口大会である懇親会を続けられているようだ。
シエラも何事もなく給仕ができているようだし、アルヴィンとアレンにも問題は起きていない。それだけ確認できれば、今日の目的は十分に果たしたと言えるだろう。
やがて演習の終了が告げられ、候補生たちが順番に会場を出始めた。
俺とリネットもそれに続き会場を出た廊下にて――マテオ派の従者が近づいてくる。
「ルシア候補生。アウレリオ殿下より伝言を預かっております」
「何でしょう?」
「この後、応接室にてお話をしたいとのことです。リネット候補生にも同席を願いたいと」
俺とリネットは思わず顔を見合わせた。対応が早い。早すぎる。冷却期間くらいあってもいいはずだ。
だとしても、アウレリオが決断したというのなら悪いことにはならないだろう。リネットも一緒ってのは派閥としての話し合いをするって意味でもあるはずだ。
「……承知しました。リネット候補生もそれでよろしいでしょうか?」
「ええ。少しばかり休憩をしたあとにお伺いするわ。アウレリオ殿下にはそのようにお伝えしてくださいな」
「かしこまりました。お待ちしております」
従者は最後に深くお辞儀をしてから去って行った。
さて、エレナの話が正しければマテオ派では静観派が多数だったはずだ。
となれば一時休戦も考えられるが……さてどうなる?




