五十七話:懇親会前日の派閥会話
エレナと別れた後も、俺の機嫌は良いままだった。
なんていうのかな……本当の俺ってのが存在したとするのなら――今がその俺だ。
この状態は長くは続かないだろうが、この気分だけはいつまでも覚えておきたいもんだ。
しっかし、父親に似ているってのは少し引っかかる。
俺に子供はいないぜ……。まあ、仕事か何かをしている時の雰囲気が似ているってんなら別にいいけど。
でも、エレナのあの反応――異性として意識されたような感じもあったと思うし、あの顔を思い出せば勝手に口元がにやけてくる。
「……やめよう。あまりにも気持ち悪いな」
いくら少女の姿とはいえ限度がある。自制しなくては。
――さて、この気分が先払いの報酬だとするなら、仕事の準備に取り掛からねばな。
ラザル派の部屋へ戻ると、リネットがノートを開いてペンを動かしている。
今日の講義の復習だろう。一般教養として数学を学んだが、スラスラと問題を解けたのは俺とアウレリオの二人だけ。真面目なリネットでも苦戦していたようだからな。
「おかえりなさい。随分と機嫌が良さそうね」
俺に気づいたリネットが顔を上げるが、すぐに違いに気づいたようだ。
「分かるか?」
「ええ。気持ち悪いくらいにね」
「自覚はあるが、酷い言い草だな……」
空いている椅子に座り、机の上のノートを見る。
この世界の数式は俺の世界のものより洗練されていない。そのせいで理解が難しいってのもあるだろう。
せめて周囲の人間とは俺の持つ知識のすり合わせを行いたいところだが、ベアトリスと相談する必要があるな。
まあ、それは今はいい。本題に移ろう。
「リネット。懇親会で俺を挑発しようとしている連中がいるらしい」
「何それ? ……それに、誰から聞いたの?」
訝しげな顔のリネットだが、全てを話すわけにはいかないな。
「それは言えない。情報を持ってきた奴の立場が悪くなる」
「……そういうこともあるか。それで、信用できる相手なの?」
「さてな。でも、理由は教えて貰ったぜ。話せる範囲で説明するから、判断はそれからしてくれ」
そこで、エレナの名を伏せつつ、焦燥派と勝手に名付けられている連中のことを話す。
リネットは最初こそ真剣な表情で聞いていたが、最後の方では呆れたような顔つきになっていた。
「馬鹿なの?」
「馬鹿なんじゃないか?」
俺とリネットの間で意見が素直に一致することは稀だ。
なのに今回は完全なる一致。ということはこの世界の基準でも、やはりとんでもない馬鹿ってことになる。
「まあ、短気なあんたには効果があるかもしれないけどね」
「俺は悪口言われたくらいで手を出すなんてしないぞ」
「アレンやシエラに対してなら分からないでしょ」
懇親会は従者も出席するから、二人が標的になることもあるか。
狙われるとしたらシエラだろうが……うーむ、確かに自分の性格を考えたら自信がなくなってきた。
「お茶を持ってきたよ、リネットさん。ルシアの声も聞こえたから一緒に淹れておいたよ」
そんなところへシエラがやってきて、カップをテーブルに置いた。
「ありがとね、シエラ。話は聞いてた?」
「うん。少しだけ。ルシアが私の悪口を言われたら怒るとかってやつだよね?」
「あなたはどう思う?」
リネットに問われて、シエラは少しだけ考えてから話し出す。
「……怒るかも? ルシアは自分より周りの人を馬鹿にされるほうが嫌そうだから」
シエラは俺をそう認識しているのか。
俺もそういう自覚はある。自己認識って意外と間違っていたりはするけど、今回は同意できるかな。
「そうよね。私もそう思う。ってことは、シエラが標的になったらあんたはそいつらの思惑通りに動くんじゃないの?」
「……否定したいが、否定しきれない」
「今はマシになったけど、スラムのあんたを思い出せばね。それにマテオ派がそこまで調べていても不思議じゃないわ」
そう考えれば、まるっきり目のない作戦ってわけでもないかもな。俺が成長していないことに賭けるわけだ。
まあ、計画が漏れ出している時点でその賭けに意味はなくなっているが。
「勝算があるとしても、露見している以上すでに潰えたようなもんだよ。そこでリネット様に、助言を賜りたいと存じます」
「懇親会での対応よね?」
「そうだ。馬鹿な貴族相手のあしらい方くらいは教わっているよな?」
「一通りは教わっているわ。あまり得意な方じゃないけど、こうなったら本気で考えないとね」
こうして懇親会に向けての作戦会議がスタートする。
侮辱を受け流すだけなら簡単だが、一番スマートなのは優美に受け答えして相手に返すことらしい。そのための練習を重ねていく。
さらにはアレンとシエラが標的にならないように、上手く立ち回らないとならない。
それぞれの派閥の召使いを集めて指示を下すのは教導院側だが、その場でマテオ派の召使いたちに誘導される危険がある。
そこでエリアスとカシアンにも協力を要請する。
何かあればアレンやシエラを呼び止めてマテオ派候補生と接触させないために動いて貰う予定だ。
この借りは将来のツケにしておくと二人は言う。将来のツケってなんだよ……と思わなくもないが、そこは二人を信用しよう。
こうして準備や練習を重ねるうちに日々は過ぎていき、懇親会――候補生交誼演習の日がやってきた。
俺が会場へ通されたのは、かなり早い時間だった。
候補生は全員が同時に入るわけではない。家格や教会内での立場が低い者から先に入り、後から来る上位者を迎える。挨拶の順番まで含めて礼法の訓練ということらしいが、早い話が序列の確認である。
こういうところを見ると、建前は建前に過ぎないと思わされるよな。教導院ってのは結局現実世界の縮図ってわけだ。
その中で出自だけならぶっちぎりの最下層な俺が早く呼ばれるのも当然だろう。
会場へ通されると、まずアルヴィンたちの姿を探した。
アルヴィンとアレンは、護衛騎士とその従士として控えている。あちらは大丈夫そうだ。
問題はシエラだな。教導院の者から、他の召使いと一緒に給仕の説明を受けている。マテオ派の召使いたちにいいように誘導されないか、見張っていないと。
とはいえ、それはエリアスとカシアンに依頼したことだが、二人は俺よりも後の入場だ。いや――今エリアスが入って来た。
格として俺と同じのカテゴリーとなる。平民勢とでも言おうか。他にはエレナとあと数人いる。
エリアスの元に歩いていく。本来の懇親会としての点数稼ぎでもしておこうか。
「このような日でも普段通りの装いで、無駄に気負わず自然体でいられるのは質実剛健なエリアス候補生らしいですね」
「逆にルシア候補生は普段はしないおめかしをしているようだ。意気込みが見て取れるよ」
「……」
「……」
「エリアス。それは褒めているだけです」
「嫌味も込めたつもりなんだけど……」
「それは理解できますが、このような場で意気込むのは当然すぎて嫌味として弱すぎます」
エリアスは致命的に婉曲表現が苦手だった。事前練習はしていたが、駄目だこりゃ。
「それを言うならルシアも同じじゃないのか?」
「ちゃんと嫌味を言っていますよ。懇親会当日だというのに服装も普段と同じであまりにも能天気。これが重要なパーティーだと理解しているのか? って遠回しに言ったわけです」
「……あまりにもひどすぎる」
「本場の貴族はもっとひどいことを言ってくるらしいですよ。リネットに教わりました」
「彼女は公爵令嬢だっけ? 雲の上の人と一緒に勉学に励むってのも、今更ながらに変な気分になってくるよ」
そんな話をしながら雑談をしていると、すぐにエレナなどの残りの平民出身の候補生が入ってくる。
エレナは俺を一目見るなりそそくさと視線を外し、近くにいる者に話しかけ始めた。
今日は話す予定はないから、こんなもんだ。そして次は貴族や平民の中でも位が高いグループの入場となる。
その中に、例の連中がいる――俺の仕事は、奴らが入ってきてからだ。




