五十六話:本当の自分
エレナから聞いた話をまとめると、焦燥派と言われる連中の焦りは確かに本物だった。
アウレリオが聖人となれば、その配下たるマテオ派の聖導師たちには強い権限が付与される。あくまでも予定とはいえ、マテオ派に属する候補生たちに忠誠を誓わせる報酬としては実にうま味がある。
だが、人は先走る。
アウレリオが聖人になる前提で金を動かした家があるらしい。寄進や社交費を増やす程度ならまだ手痛い出費で済む。だが、縁談、借金、販路拡大を見込んだ設備投資となれば話は別だ。聖人候補の筆頭に近づいたという看板で、すでに借り、使い、約束してしまった。
勝てば莫大な利を生む投資となるが、負ければ回収不能の不良債権である。
「金持ち派閥は金持ち派閥で苦労があるんですね」
「私の実家は金持ちじゃないわ……」
「だとしても本を読む習慣があるんでしょう? それなりの教育を受けているように見受けられます」
「写本業を営んでいるだけの家よ。幼少期からたくさんの本に触れて来たから、読書が好きなだけ」
「なるほど。それなら納得です」
「私も実家では家業の手伝いをしていてね。将来的には婿をとって家を継ごうと考えていたわ。……でも聖法力が発現した」
エレナの顔に陰が差す。
「寄進をしていた教会がマテオ派の管轄でね。その教会預かりとなったの……家族は名誉なことだと喜んでいたわ」
そこから先は俺と似たようなものかもな。
派閥のために働くようになり、派閥も忠誠を買うために配下へ対価を与える。ただ、他の候補生の実家よりは堅実らしい。借金などはせず、忙しく家業を回しているだけだという。
しかし、そうなると疑問が湧いてくる。俺にこんなことを話す必要があるのか?
「あなたは焦燥派とやらではないんですよね? ならアウレリオ様に言えばいいじゃないですか。本人が止めれば終わる話でしょう」
「……たまたま聞いてしまったのよ。そこで強く口止めされているの」
「無視でいいのでは? そんな連中よりもアウレリオ様の指導力に疑義が付くほうが問題です」
「それは分かっているけど……殿下にばらしたと知られたら、どんな報復をされるか分からない」
「報復って……候補生同士だってのに、何かあるんですか?」
「焦燥派には貴族の子弟や商人の息子がいる。私の実家と取引がある家もあるから……」
……杞憂じゃね?
そこまで本当に波及するかと言えば、正直かなり怪しい。アウレリオが一言釘を刺せば済む話だと思うしな。
でも、教導院の中にいるエレナにとっては、今見えている人間関係が世界のほとんどなのだろう。この子は中学生くらいか……学校が世界の全てだと思い込んでいた年頃を思い出せば、気持ちは察することができる。
しかしなぁ――。
「だからって、敵対する私に上手く納めて貰おうと? どう考えても筋違いじゃないでしょうか?」
エレナの出した結論は、俺が上手く対処すれば焦燥派の馬鹿な連中だけが恥をかいて済むというものだった。
理屈は分からなくもない。無知や能力の欠如を装って俺を侮辱する計画なら、大人の対応をしてやれば終わる。アウレリオの派閥の長としての評判への傷も最低限だろう。
だが、ラザル派にとってはマテオ派の自爆は好都合だ。助けてやる筋合いがないどころの話ではない。
「それは……あなたがただの女の子には見えなかったから」
「……聖法力に目覚めたスラムの女ですよ私は。普通であるはずありません」
俺が今までどれだけ教導院の空気を荒らしてきたと思っているんだ? ――というか理由になってねぇ。何が言いたいんだこいつ。
「違う! 違うの……そんなことじゃなくて、普通じゃないってのは、もっと違うこと」
「何ですかそれは?」
「失礼なことを言うと思う……だから怒らないで聞いてほしい」
「怒るかどうかは聞かないと分からないですが……そうなっても、とりあえずは我慢します。言ってみてください」
とにかく言いたいことを言わせてから、ラザル派の利を聞けばいい。
しかし、一体何を言われるんだ? エレナの不安げな顔つきを見るに、言葉に出すのに勇気がいることらしいが。
「それはあなたが……――に見えたから」
「んん? 声が小さいです。何に見えたんです」
「……お」
「お?」
「大人の男の人のように見えたから……」
「はっ……? ……男?」
こいつは何を言っているんだ?
問いただすように確認すると、エレナは申し訳なさそうにこくりと頷いた。
「この私が男ですか、それも大人の、ねぇ……」
こいつは何が見えたんだ? 俺の何を見て、どんな判断でそんなことになった?
分からない。分からないが……知る必要がある。
「ご、ごめんなさい……やっぱり、失礼だったかな? 女の子に男の人だなんて」
俺の態度を勘違いしたのか、エレナはすっかり委縮してしまった。
だが、俺は怒っているわけじゃない。それを伝えなければ。
「怒ってない。ただ、知りたいだけだ。俺の何が男なんだ? 大人の男と何故判断した?」
「……私は見ていた。図書館で調べものをするあなたをずっと見ていた」
クラウディウスを調べている時の話だな。
「やはり、俺の監視をしていたんだな」
「……ごめんなさい」
ちっ……いちいち謝られるのは面倒だな。
「怒っていないと言っている。君は君の務めを果たしているだけだと理解しているよ。あとは本が好きなんだろう? それもあったから図書館に籠る俺の監視役になった。違うか?」
「違わないわ……本を読めるから自分で志願したの。そして、あなたを見続けていた……そこで思った」
「俺が……男だと?」
「……うん。真剣な表情で、何かを調べていた。ただの勉強とか、そんな感じじゃない。真剣な表情で本を読みふけるのが、お父さんにそっくりだった。だから、今回の件を相談したら解決してくれるんじゃないかって……」
訳の分からない理屈だ。こいつの父親に似ているとか、解決してくれるかもとか、俺の求める答えじゃない。
――でも、そんなのは些事だ。
少女であるこの姿を見ながら、中身が大人の男であると看破した奴なんて一人もいない。
不気味なガキだとか、変な奴だと評した奴はこれまでにもいたけど、俺が正体を明かさなければ俺の本質を知る者は誰もいなかった。
だとするなら――。
「そう……か。なら、今の俺はどう見える?」
席を立ち、そのままエレナの隣に向かう。
今の俺の低い身長では、座ったエレナよりはわずかに目線が高いくらい。
でも、これでいい。今の俺の態度の中に、こいつは何を見るんだ?
「男の……人みたい。何故だか分からないけど……そう、感じる」
何か理由があるんだろう。本人でも分からない無自覚な何かがあるんだろう。
でも、どうだっていい。大切なことを思い出した。
――そうだ。俺は男だ。こんな体になったのだとしても、心はまだ男のままなんだ。
不安になっていた……だから、エリアスとカシアンと一緒にした訓練を尊い時間だと思っていたんだ。無意識のうちに、俺はルシアという存在にしかなれないと思い込んでいた。
でも、そうじゃない。少なくとも、エレナはルシアという外面ではなく内面の俺を見つめていた。
「……となると、君は男と連れ立ってこんな個室に入ったということになるな」
「えっ!? ……そ、そうかも?」
「なら、こうされるのも覚悟の上だよな?」
不思議がるエレナの顎に指をかけ、そのまま持ちあげてやる。至近距離からその顔がよく見えた。
これまで意識していなかったが、可愛い子じゃないか――亜麻色の髪とそれなりに整った顔立ち。そして丸眼鏡。俺の好きな地味な眼鏡っ子は、こういうタイプなんだよな。
「な、なにを……?」
「こうするのさ」
ゆっくりと顔を近づけると、エレナの瞳が激しく揺れるのがよく分かる。
こりゃあ、何も分からずに混乱しているな。こんな展開になるとは夢にも思うまい。
でも、十分だ――十分に俺は思い出せた。
「すまん、からかってみた。乙女の唇を無理やり奪いはしないさ――というような話が好きそうだよな、君って子は」
そう言ってやると、エレナは顔を真っ赤にしながら反論してくる。
「私はそんな恋愛話じゃなくて! もっと伝記とか歴史が好きなんです! 少しはそういうのも読むけど……馬鹿にしないでください!」
「そうか? 悪い、悪い。でも、此度の件については承知した」
「承知……ですか?」
「その馬鹿な連中も含めて、角が立たないようにしてやるさ。マテオ派がさらに荒れると、下手な実力行使を可愛い妹分にしてくるかもしれないからな」
「え、あ、はい。ありがとうございます……でも、何故?」
何故って、それは簡単だ。
「俺が一番思い出したかったことを思い出せたからさ。報酬の先払いとして貰っておく。なら次は俺の番だろう?」
そんなことを言ったところで、エレナには何が何だか分からんだろうけどな。
実際エレナの顔にはたくさんのハテナが浮かんでいるようにも見えるが、全てを話してやる筋合いはない。
「とにかくだ。任せておけエレナ。俺がなんとかしてやるよ」
「えっと、その、はい……ありがとうございます?」
この世界にやってきて、今が一番――機嫌がいい。
ラザル派とか、院長の依頼も今は脇に置く。こんな晴れやかな気持ちにしてくれたエレナに報いないと、俺の気が済まない。
そうであるなら、完遂して見せよう。その馬鹿な連中の馬鹿な企みを程よいところに着地して見せるさ。
――なんたって俺は、大人の男なんだからな。




