五十三話:知るための資格
クラウディウスの調査は暗礁に乗り上げていた。
エリアスやカシアンとの訓練とは別に続けてはいたが、芳しい成果は得られていない。
そこへ、シエラの件が重なった。
アレンはまだいい。アルヴィンに従士見習いとして仕込まれているから、外部との接点は必要最低限となる。
しかしシエラはそうじゃない。付き人の礼法や仕事の回し方を習い、他の候補生の召使いとともに職務に当たることもある。問題はそこにあった。
直接的な言葉を投げかけられているわけじゃないらしい。だが、言葉になる前の悪意やあからさまな態度は、少しずつ心を削る。
――俺がシエラを可愛がっていることはマテオ派の連中に知られている。そこを弱点として見ているのか?
……その狙いは正しい。なんたって俺はイラついているのだからな。
薄々感づいてはいたけど、俺がしゃしゃり出ると問題を複雑にするかもしれない。だからリネットと当人たちに任せきりにしていた。
リネットはよくやってくれている。彼女には感謝しかないし、挫けずに頑張るシエラを応援する気持ちもある。だが、このイラつきは、それとこれとは別だ。
――俺の妹分を攻撃するだと? ならば、反撃をされる覚悟は当然あるんだろうな?
「……いや、駄目だ。この思考は良くない。ガキどもの政治ごっこにここまで心を乱されるとはな」
仮に俺が連中の使用人相手に怒鳴り込んだとする。そこに意味はあるのか?
スラム出身のガキだと甘くみられるだけ。それどころか、シエラが俺の弱点であることを改めて教えてやるようなものだ。
この感情には意味がある。だが、直情で動けば害悪となって、より不利な立場に追いやられる。それだけは避けなければならない。
「はぁ……ふぅ……」
深呼吸して、それから改めて廊下を歩きだす。
今日の目的を思い出せ。今はそちらだけでいい。院長への面会を申し込み、許可を得ることのできた日が今日だ。
扉の前に立ち、ノックを数回。そして名前を続けて待つこと数秒――。
「入れ」
中へ入ると、院長は書類から顔を上げた。
「召使いの顔色は戻ったようだが、無理はさせんようにな」
院長からの、最初がそれだった。
「……院長の耳は、ずいぶん広いですね」
「教導院の中で起きていることだ。広い耳でなくとも入って来る」
「……どこまで把握していますか?」
「マテオ派の召使いがラザル派の召使いに褒められるべきではない態度を取っている。言ってしまえばそれくらいだな」
これは……ほぼすべてを把握していると言っているようなものだ。
「釘を刺すことはできる。事実、そのように指示をした。だが、わしにできることには限界がある」
「経典にそうあるから……ですか?」
「そうだ。全てを統制して思いのままにするなど不可能だ。さらに言えば、わしはマテオ派の人間でもある。表向き中立を表明するのが限界だと分かるであろう?」
セラフィナの教えには、上からの押し付けは物事を解決しないという考えがある。
それに加えて、侮辱は高くつくという言葉だ。これは禁止ではなく、するべきではないというカテゴリーに分類される。人間は感情を持った生き物だから、禁止しても口を縫い止めることはできない。だから口を開く前によく考え、感情に呑まれるなと戒める。
そこに院長の立場が合わされば……最大限、出来得る限りはしているということになる。
「召使い同士というのが問題……ですか。候補生が関わっているのであれば――」
「無論。その時は強い言葉で警告を発する。だが、そうはなっていない」
候補生が教えを公然と踏みにじるのは問題になる。だからアウレリオ陣営は、俺相手に汚い言葉を使うことを控えているのだろう。
だが、召使い同士であればルールの範囲外――それが実際の指示なのか、それとも配下に対して良きに計らえと言っているだけなのかは知らんがな。
「……配慮してくださり感謝します。本題の前に話すには少し重かったですけどね」
ここに来たのはシエラのことを相談するためじゃない。
心を切り替えて、調べた結果の写しを机に置いた。
「クラウディウスについてです。今分かる限界がこれです」
「……良く調べておる」
「龍殺しという逸話、ヘブンズレイという聖法術、その武威への賞賛――たったこれだけでその評価ですか? 私としては、気持ち悪いくらい何も出てこないとしか言えませんね」
俺の疑念を聞いても院長は顔色一つ変えず、大したことが書かれていない写しに目を通している。
「人物史、聖法術の技法、教会内での立ち位置など……他の聖人を調べれば当然出てくるはずの記述が出てこない。古いから失われた欠け方ではありません。同時期の聖人は詳しく記載がありました。こうなると考えられることは一つです」
ここから先は少し勇気がいるが……だとしても結論は変わらない。
「残す部分と隠す部分を分けている。詳細を出すには危険な聖人だった――そう読めます」
院長は写しから視線を離して、一度窓の方を見た。
黙り込みながら何かを考え……それから俺に向き直る。
「そこまで辿り着いたなら、本気で調べているわけだな」
「暇つぶしで図書館浸りをするほど暇ではありません」
「他に感想はあるか?」
「……教会にとって記録を抹消できない功績がある。しかし、本人の思想や行動まで広げると都合が悪い。だから聖人として祀りながら、触れる範囲を狭めた」
「筋は通っている。合格点をくれてやってもいい」
院長は椅子の背にもたれた。
しかしリラックスしているわけじゃない。これまで見た中で最も厳しい表情だ。
「……その先を知るには資格がいる」
「聖人候補では無理、ということですか?」
「無理だ。候補生に読ませられる記録ではない」
「聖導師なら?」
「聖導師は現場から人々を導く者だ。聖域領の文書庫を開ける者ではない」
聖導師でも足りないか。
というか聖域領って……最高権威が関わるレベルじゃないか。
「機密に触れたければ、ベアトリス聖導師より偉くなれってことですか?」
「偉く、では雑に過ぎる。ベアトリスはラザル派の中核だが、聖導師になった当初、あれは教会中枢への道を選ばなかった。その選択で、最高秘匿へ触れる鍵からは外れている。現在は政治と無縁の清い聖導師などではないが、歩んだ道の違いは容易には変えられん」
あのベアトリスが清い心の持ち主だとはとても思えないが、若いときは理想に燃えていたのかもな。
……いや、そこはどうでもいい。重要なのは、単純な地位と鍵とやらは別枠ということだ。
聖導師になるだけじゃ駄目。さらに教会中枢に近づく道を歩まねば触れられない知識だって?
「私は聖人を目指してはいますが、心から本気で目指しているわけではありません。院長もラザル派についてはお知りのはずです」
結局のところ俺の意思はそれだ。全ては契約のためで、本心から目指しているわけじゃない。
めんどくさい政治にどっぷり漬かってまで、知りたいと言えるものなのか?
「そうらしいな。しかし、お前の聖法術はクラウディウスの技に酷似している」
「……だとして、それが何か?」
「心の底から無関心でいるのかと訊いている」
穏やかだが、逃げ道を塞ぐ声だった。
「聖法術は術者の精神性が表へ出ると言ったはずだ。祈り、意思、恐れ、執着、守りたいもの……形はそれらと無関係ではいられない」
「私がクラウディウスに魅入られていると言わんばかりですね」
「違うのか? クラウディウスの名を見つけ、ヘブンズレイの断片を拾い、自分の術をその方向へ磨き始めた。足跡を辿る者は、いつか足跡の主へ近づくだろう」
……当然だが、訓練内容も把握されているか。
でも、これは本当に俺だけの問題か? 院長も何か期待があるから、こんなことを言うんじゃないのか?
「まるで私をクラウディウスに誘導したいかのような言い方に聞こえます」
「否定はせんよ。もし二度目が起きるなら無碍にはできない」
二度目、そして無碍という言葉――そこに込められた感情は何なんだ?
院長の形容し難い真剣な表情に、気圧されているのを自覚する。
その圧に呑まれるまま、院長はさらに続きを話す。
「……特に、君がラザル派によって見出されたという事実がある。運命があるとするならば信じたくもなるというもの」
「その運命とやらを知るには、上を目指す必要があると?」
「知りたいと強く願うのであれば、目指す道はそう多くはない。ルシア候補生……選択するのはベアトリスでも、わしでもない。お前自身だ」




