四十九話:龍殺しの聖人
講義室の沈黙が深くなったところで、教師が小さく息を吐く。
机に置かれた手がゆっくりと上がる。それだけで、候補生たちの視線が俺から教師へと戻る。
「ここまでとしよう。これ以上は今日の講義内で結論を出せるものではない。秩序を先に置くのか、救済を先に置くのか。どちらにも理があり、どちらにも危うさがある」
教師はそこで一度、候補生たちを見渡す。
「ただし、方法を問う立場となる君たちは、決して考え続けることを止めてはならない。綺麗な理念だけでは人は救えず、力だけでも国は保てない。今日の議論はそのことを示したはずだ」
議論の実態としては俺が汚物をぶちまけたようなものだ。
内心ではそう思うが、綺麗な言い方で着地させてくれるなら文句はない。
だが、当然のように教師の視線が俺で止まる。
「しかし、ルシア候補生」
「はい」
「君の思考はあまりにも過激すぎる。その自覚はあるか?」
「あります。極論であると自覚しながら、あえて提示しました」
「ならばよい」
いいのかよ。お叱りを受けないならありがたいけどな。
「自覚をもってしての議論ならば、極論を突き詰めることにも価値がある。その点は皆も覚えておいてほしい。実際、今回の講義で何か得るものがあったはずだ」
得るもの……ね。まあ、俺みたいな王族に楯突く屁理屈屋がいると分かっただけでも収穫じゃないか?
俺としては好きであんな話をしたわけではないが、アウレリオが喧嘩を吹っ掛けてきたからああなった。教導院は建前上平等だから許される。許される範囲ならいくらでも反撃をする。
もっとも、秩序を綺麗な顔で語るから、その下にある汚泥を掘り返しただけだがな。
講義終了の合図が出ると、ようやく重苦しい空気から解放される――と思っているのはどうやら俺だけのようで、今日は妙に静かだ。
その原因はやはりアウレリオのようだ。いつもの余裕のある笑みが消え去り、苛立ちを隠せてはいない。それがマテオ派の候補生たちを委縮させている。
まあ、俺には関係ないからどうでもいいが。
講義室から出ようとするとリネットが無言で付いて来る。そして少し廊下を歩いたところで口を開いた。
「……あんたのへそ曲がりは筋金入りね」
腹立たしさと、少しだけ心配が混じった顔のように見える。
「考えていても、普通あそこまで言う?」
「あれはアウレリオ様が喧嘩を吹っ掛けてきたからだろう? 現実的な方法ってのはどうしたって穴がある。反論してきたらそこを突くためにああ言ったんだ」
「なるほどね……その方法は否定しないけど、でもやっぱり、あんたってほんと嫌な奴。今回ばかりはあいつに同情するわ」
「そうしろそうしろ。元婚約者のよしみで慰めてやれ」
揶揄うように言ってやるとリネットが怒りだした。
「馬鹿言わないで! ああ、もう……腹立つわね」
そう口では言うが、仕切り直すための冗談であると分かっているのだろう。
すぐに心を切り替えて、俺に問いかけてくる。
「それで、午後はどうするの? 私はこれまでの講義の復習をする予定だけど」
「図書館へ行く。申請から一週間経ったからな」
「龍殺しの聖人、クラウディウス……私も詳しくは知らないのよね」
「勉強熱心なリネットが知らないってのは何かがあるってことだ。俺の聖法術と関わりがあるなら調べておきたい」
「そうね。何か分かったら教えてもらうわ」
「おう。任せておけ」
リネットと別れて、図書館に向かう。
扉を開いて入ると、静かな教導院の中でも特に違う静けさに包まれている。
受付の司書に名を告げると、帳面を確認したうえで利用許可の札を渡された。
「閲覧範囲は、この札の色で示された区画までです。写しを取る場合は申請を。書架から出した本は、必ず返却台へ」
「分かりました」
「なお、禁書架への接近は禁止です。鍵がかかっていますが、こじ開けて入らないように」
「そんなことしませんよ」
何言ってんだ?
そんな視線で司書を見てやれば、一拍置いて眼鏡の奥からこちらを見てきた。
「あなたの噂は図書館にも届きます。初日と比べて最近は大人しくしていたようですが、何かしでかすのではないかと懸念をされています」
「初日って……聖人を人間兵器扱いしただけで偏見が過ぎるのでは?」
「平然とそのようなことを口にするのですね……今まさに確信しました。あなたは危険思想の持ち主です」
「そうっすか」
うーむ……やっぱり言い過ぎだったか。
おそらくだけど、バルタザール院長に庇われているから好き放題やれているのだろう。
俺は駒であるかもしれないけど、この感じだと院長には気苦労をかけているかもしれないな。
「ええ。なので規則に従い図書館をお使いください。いいですね?」
「承知しておりますよ。では調べものがあるのでこれにて失礼」
自分の行動を少しは顧みつつ、歴代聖人に関する棚へ向かう。
クラウディウス。龍殺しの聖人――名だけは分かっているが、肝心の中身が分からない。
聖法術が俺のレイガンに似ているというなら、知っておかないわけにはいかないよな。
棚には、分厚い列伝や年代記が並んでいた。
他の聖人の項目は、だいたい生誕から死までが書かれている。どこの生まれで、どのように信仰へ入り、何を救い、どんな奇跡を起こし、最後にどこで祀られたか。誇張はあるだろうが、物語としては整っている。
それに比べて、クラウディウスの項目は奇妙なほど薄い。
「……これだけか?」
思わず小声が漏れた。
聖人に関する記述の中には、確かに名前がある。龍殺しの聖人クラウディウス。北方の地に現れた龍を討ち、民を救った。以後、その名は災厄を退ける聖人として語られる。
それだけなら立派だ。立派なのだが……他の聖人と比べると明らかに情報が足りない。
複数の資料を当たっても、他の聖人のような詳細説明がないのだ。
生まれた土地は曖昧で、師の名も曖昧。教会内での役職もぼかされている。龍を討った場面だけが妙に強く残り、それ以外が霧の中に沈んでいるようだった。
英雄の話は盛られるものだ。
だが、盛るなら普通はもっと盛る。生まれから死まで、いくらでも美談を足せるはずだ。それをしていない。できないのか、したくないのか……。
ページをめくる指先に、少しだけ力が入った。ようやく探していた単語らしきものに触れたからだ。
――ヘブンズレイ。
クラウディウスが龍を討った聖法術の名だという。
説明は短い。天より射す聖光を一点へ集め、邪なるものを貫く。儀礼的な文言が多く、技術的なことはほとんど書かれていない。
だが、その技法の基礎形についての記述だけは妙に引っかかった。
指先、あるいは視線の先に聖光を細く集める。
広げるのではなく絞り、祈りを面ではなく線にする。
俺はしばらく、その一文を見つめていた。
「……レイガンじゃねえか」
もちろん、完全に同じとは限らない。俺のレイガンは現代の知識を使ったイメージとして、光を細く撃つ方法にそう名付けたに過ぎない。
だが、ヘブンズレイのもっとも基本的な始まりは、俺のレイガンとあまりにも近い。
問題があるとするなら、やはりクラウディウスの記録が曖昧なことだ。
ページの続きを追うが、天の裁き、聖なる光、龍の影を裂く一条。そういう飾り言葉ばかりで、肝心なところになるほど文章は曖昧になる。
――隠されている。それだけははっきりと理解できた。
この龍にしたって、本当に龍なのか分かったもんじゃない。何かの比喩の可能性だってある。
でも一つ言えることは、記録の上では何かの危機から民を救ったことになっている。だから祀られ、記録が残っている。
そして――ヘブンズレイに繋がる何かが、俺の聖法術にあるのかもしれない。
教会が秘匿するクラウディウスという聖人……ヘブンズレイ……俺というこの世界における異物……。
これらを偶然と切って捨てることが、俺にはできそうになかった。




