四十七話:講義の始まり
初日は思っていた以上のイベントが発生したが、それでもなんとかなった。
課題はありつつもラザル派としては悪い流れではない――そんな結論となり床についた。
翌日からが教導院での二日目だ。この日から拍子抜けするほど普通の日常が始まる。
朝は鐘の音で起こされ、決められた時間に身支度を整え、応接室で簡単な朝食を取る。
アレンはアルヴィンに連れられて従士見習いの訓練へ向かい、シエラは教導院の使用人に預けられて、礼儀作法や仕事などを仕込まれる。
何かするにせよアルヴィンの下に付くアレンは別として、シエラは緊張はしているようだ。しかし、一人で歩むその足に震えはない。
そのことに多少の安心をしつつも不安は残る。だけど、頑張ってもらうしかない。
シエラを見送ってから、俺とリネットは講義へ向かう。
石造りの廊下の朝の空気には静謐さが漂い、靴音が高く返ってくる。掃き清められた床に、壁に掛けられた聖人画、窓から差し込む光さえも整っているかのように見える。
これが観光であるならお気楽にいられるが、この中で過ごすことを思えば気を抜くことすら簡単ではないかもしれない。
「……見られているな」
「……あんたが撒いた種でしょうが」
講義室へ入ると、視線が俺たちに集中する。
候補生は派閥ごとに集まっているが、特にマテオ派からの視線が強い。
これも場の空気を引っ掻き回した結果と考えれば受け入れるしかないな。
席に座りしばしの間、居心地の悪い空気の中で待っていると教師が入って来る。
どうやら昨日の試験官が、そのまま担任のような役割を務めるようだ。
「講義の進め方について説明する。まずは――」
話の進め方はそう格式ばったものではなく、普通に学校やら大学と同じような感じだった。
だとするなら慣れたものだ。黙って話を聞く。
内容を簡単にまとめてしまえば午前は講義で、午後は基本的に自由時間となるらしい。
「教導院は自主性を重んじる。与えられた課題をこなすだけではなく、自ら学び、自ら問い、自らの責務へ近づきなさい」
言葉だけならご立派だが、自由に学ぶってのは最初から差があるってことだ。何を評価の対象にするか。そういう情報がマテオ派に流れていても不思議じゃない。アウレリオが王族だってのもあるしな。
まあ、だとしても腐ってはいられない。とりあえず授業を真面目に受けることにした。
現代日本の記憶と、こっちへ来てから詰め込んだ付け焼き刃の知識はあるけど、この世界の正式な教養となると穴が多い。初日ははっちゃけてしまったが、ここからは真面目モードでやっていく。
講義の特徴としては、教師が候補生に発言を促す場面が多かった。
そうなると、自然とアウレリオの独壇場だ。声の通し方、言葉の選び方、弁論についてよく訓練されている。かなりの優秀さだ。――分かってはいたけど、手強い以上のライバルだ。
バルタザール院長には空気をかき回す役を期待されているとはいえ、こりゃあ一筋縄ではいかないな。
そして問題なく講義そのものは終了したが、アウレリオどころかマテオ派の候補生と大きな差がついていることだけは理解できた。
とはいえ焦っても仕方ない。俺は俺にできることをするだけだ。
「予定通り図書館に行ってくる。利用の確認だけだから昼食前には部屋に戻るよ」
「午後は自習の時間にするわ。ルシアに教えてやれってベアトリス聖導師から言われているのよ」
「それは有難いですわ。リネット先生」
「馬鹿言ってないで、早く行きなさいな」
軽口を叩き合いつつも、さっそく図書館へ向かって廊下を進む。
図書館と書かれた札のある古い扉を開けると、乾いた紙と革の匂いが鼻に届いた。
高い棚が並び、梯子まで掛かっている。これだけの蔵書だ。龍殺しの聖人クラウディウスについて記述のある本は必ずあるはずだ。
受付の机には、細い眼鏡をかけた司書が座っている。
名乗って利用したい旨を伝えると、司書は手元の帳面へ視線を落とした。
「図書館利用の申請ですね」
「はい。歴代聖人について調べたいのですが」
「申請は受理できます。ただし、許可が下りるまで一週間程度かかります」
「一週間?」
おいおい! ずいぶんと待たされるじゃないか。
「候補生であっても、すべての書架へ自由に入れるわけではありません。閲覧範囲、同伴の有無、持ち出し不可資料の確認が必要です。さらに言えば、素行が悪ければ許可は取り消されます。承知しておいてください」
「……分かりました。申請をお願いします」
「では、こちらへ署名を」
差し出された紙へ名前を書く。
目の前に探している答えがあるはずなのに、お預けか……。
こりゃあ、大人しくしているほうが無難だな。
その日から、俺は大人しくした。
講義では必要な時だけ短く答え、気になっても口答えはしない。
午後の自由時間はリネット先生のもとでの自習だ。実に模範的学生生活である。
だが、何も起きなかったわけではない。
廊下で交わされる視線や、あえて聞かせるようなひそひそ話など、マテオ派候補生からのハラスメントもどきがある。真面目な学生の素振りをしているが、警戒を解かれることはないらしい。
その原因は俺だけではなく、リネットにもある。
講義の時間にアウレリオとたびたび意見を衝突させるからな……二人の論戦は講義が始まってからの恒例行事になっている。
今日の授業を乗り切れば、一週間が経つわけだが、またしても二人は意見をぶつけ合っていた。
――議題は、荒れ果てた国家をどう立て直すか、というもの。
「荒廃した国に必要なのは、第一に秩序です」
アウレリオは、よく通る声で言った。
「略奪が横行し、領主の命も届かず、民が互いを信じられない状態では救済も教化も続きません。時に厳罰をもってでも、まず秩序を回復させる必要があります」
何人かが頷くが、これには俺も同意する。
無実の人を巻き添えにしてでも治安維持に努めたほうが、結果として国家が安定してしまうケースを知っているからな。
だが、リネットも黙ってはいない。
「厳罰を先に置けば、人は秩序を信じる前に恐怖を覚えます。荒れた土地に必要なのはまず手を差し伸べる姿です。そうでなくば秩序はただの鎖になる」
「鎖を悪と断じる姿勢は、統治者の責務から目を逸らしているのではないか?」
「救済から目を逸らすのを問題であると言っています。教会を過度に政治的な立場で優越させるのは健全ではないわ」
元公爵令嬢という肩書きは飾りじゃない。
王国と教会は別物って理屈を無視できるものじゃないからな。これには俺も納得せざるをえない。
しかし、だからと言ってアウレリオも黙っていない。
「その救済を行うためにはまず、最低限の治安の回復が必要だと言っている。暴力が支配する荒野では配給の列を作ることもかなわない」
「武力を否定してはいないわ。その前に罪を認め許しを請う者を受け入れる態勢が必要だと言っているのよ。厳罰が最初にあれば必要以上の血が流れてしまう。これは民だけではなく武力を担う兵も含めた現実的な話よ」
北風と太陽ってか? このあたりは匙加減が難しいからな……。
「では、他に意見のある者は?」
教師の声に沈黙が落ちる。
当然ながら誰もが答えない。正解がないから当然だ。
そんな中で、アウレリオが突如として俺を見た。
「ルシア候補生はいかがでしょうか。大オークの下での問答と同じように、何か面白い観点を聞けるかもしれません」
視線が一斉に俺へ向く。
やれやれ。大人しくしていたら、向こうから挑発が飛んで来た。
まあ、答えがないなら楽とも言えるか。ここはまた好き勝手言ってやればいいさ。




