四十五話:駒としての責務
試験が終わり、今日はこれで解散になる。
リネットに小言を食らいながら部屋へ戻って反省会。そう考えたところで、職員が俺の前に立った。
「ルシア候補生。院長がお呼びです」
問答の時に言っていたな。あとで対話を行いたいと。
「……行ってくる」
「分かっているとは思うけど、言葉には気を付けなさい」
リネットからの忠告はそれだけだ。
初日からやらかした俺だが、それでも大きな問題にはなっていない。俺みたいな奴を受け入れられる土壌がこの教導院にはあるということだろう。
「ああ。気を付けるさ」
リネットと別れ、職員の後について廊下を進む。石の廊下は冷たく、足音だけが妙に響いた。
「バルタザール院長。ルシアを連れて参りました」
「入れ」
職員に連れられて院長室に入ると、古い紙と乾いたインクの匂いがした。派手な部屋ではないが、机も書棚も、何もかも品の良い高級品に見える。
「ご苦労。下がって良し」
「畏まりました」
職員が下がり、部屋に残るのは俺と院長だけになった。
「ルシア候補生、前へ」
「はい」
言われるまま机の前まで歩いていく。バルタザール院長は引き出しから一通の手紙を取り出し、目を通してから口を開いた。
「ベアトリスも難物を送ってくれたものだ」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だ。まずは、これを読みたまえ」
差し出された手紙を受け取る。差出人の名はベアトリス。視線を落とすと、俺についての言葉が丁寧に並んでいた。
『悪所出身故の歪みあり。しかし、その歪みの中に光るものもまた、確かにあり』
まさに俺のことだな。自分でも、自分が歪んでいることは理解しているさ。
さらに読み進める。
『成熟と未熟の狭間に揺れておりますが、だからこそ教導院を良くも悪くも騒がせるでしょう。院長の目的に沿うならば、ルシアという駒をどのように用いるかは自由に判断してください』
俺は駒か。まあ、それは別にいい。実際駒だからな。
その後には、何かしでかしてもできるだけ大目に見てくれ、というようなことが書いてあった。
「読み終えたか」
「はい」
手紙を返すと、院長は折り目を整えて机へ置いた。
「ラザル派のベアトリス聖導師とこのようなやり取りをしている。疑問はあるか」
「疑問しかありません。教導院の院長とは中立の存在であると聞いています」
「中立ではない。教会組織の推薦にて教導院院長の地位は決まる。そこでの多数派はどの派閥だ?」
「マテオ派……つまり、院長は?」
「そうだ。わしはマテオ派の人間だ」
なおさら疑問だ。なぜ自派閥に対して内通まがいのことをする?
「ラザル派の聖導師とここまで深く通じる理由とは?」
「……マテオ派の未来を憂いておる。と言えば意味は分かるか?」
いきなり言われても分かるわけがない。だが、これもテストか何かか? そうであるなら、せめて回答だけはしておく。
「ひとつの派閥が強くなりすぎれば教会組織は歪みます。詳しくは知りませんが、そのような歴史があると聞き及んでいます」
「ほう? よく学んでいるではないか。マテオ派が強いこと自体は悪ではない。しかし強すぎるのは困る」
アルヴィンとの話で出てきた話題だが、どうやら正解だったみたいだ。
「金も人も集められる力は必要だ。だが、それだけで教会を満たせば、別のものになる」
「……院長の憂いは理解できました。しかし何故ラザル派なのです? 第二派閥のステファノ派でよいのでは?」
「あれも危うい。信念と実践の熱は尊いが、それ故にマテオ派に第一派閥の地位を明け渡している」
セラフィナ教は世俗化しているらしい。なら、原理主義めいた熱から人心が離れるのも当然か。
「だから、ラザル派ですか」
「そうだ。しかし手を結んだわけではない。弱った派閥であるからこそ、過度な伸張を抑えられる」
「派閥間力学を均衡させるには、確かにそれが最善ですね」
弱小派閥を伸ばしても多数派にはなれない。だから均衡を取る重りに使える。
スラムの縄張り争いと理屈は変わらないな。強すぎる組織の横に、ほどほどに噛みつく相手を置く。それだけで、一方的な支配はしにくくなる。
でもそうか……与えられた材料から、だんだん話が見えてきた。
「一番の憂いはアウレリオ殿下ですか?」
「……何故そう思う?」
「王族である彼が聖人となってしまえば、さらにマテオ派は勢いづくからです」
ここは断言してしまってもいい。
どうやら大正解だったようで、バルタザール院長の顔の皺がさらに深くなった。
「血筋という札だけではない。統率力と聖法術……どれを取ってもマテオ派に優位に働くだろう。――強すぎるほどに」
本来なら喜ばしいことだろう。しかし、それが勢力均衡という物差しで見た場合に反転しているのは皮肉としか言いようがない。
「そこで、何をしでかすか分からない私という駒の出番ですか?」
「自覚があるなら話が早い。理解が早くて助かるというものだな」
褒められるのは悪い気分じゃない。だけど――。
「その話を、私にして大丈夫なのですか?」
どう考えても話しすぎだ。もし俺がこれを漏らせば、院長の立場にも傷がつく。そんなリスクを負う理由が分からない。
「問答だけなら、ここまで話すつもりはなかった。存念を聞いた後に厳重注意を与え、公の場での発言に気をつけよと釘を刺して終えるつもりだった」
「でしょうね。それが穏当です」
「だが、聖法術の試験内容を見て話が変わった」
院長の目が、まっすぐ俺を捉える。
「聖法術は、もとより適性に応じたものしか宿らぬと言われている。精神性によって形作られるもの、という理解だ。歴史に名を残す聖人の秘跡を真似ようにも、精神性が離れていれば模倣することすら難しい」
言われてみれば、試験で候補生の大半が使った聖法術は似通っていた。アウレリオでさえ光の弾を放つという点では同じで、ただ出力と見せ方が抜きんでているだけと言える。
その点で言えば、俺とカシアン、あとエリアスだったか、彼も少し変わっていた。治癒に全振りのリネットも大枠から外れた候補生となる。
「……試験官が驚いていたのを思い出しました。院長までが私の聖法術を特別であるかのように言う。私の技に何かあるのですか?」
「教導院の図書館で歴代の聖人を調べたまえ。候補生であるなら申請すれば利用できる。教会内部でも入手が困難な書籍が置いてある」
自分で調べろ、というわけか。それは、自分の聖法術に強い自覚を持てと言っているのと同義だ。
「鍵となる言葉は――龍殺しの聖人」
龍殺し……ね。勉強している時に出てきてはいた。
だが、龍とは何か。どんな聖法術を使っていたのか。そういう肝心なところが、すっぽり抜け落ちていた。
「今はそれ以上は言わぬ。自分で調べ、自分の頭で考えたまえ。借り物の答えではなく、自らで理解することを心掛けなさい」
ふーん……放任するってのは、それだけ期待されているってことだ。
さらに言うなら、教導院院長とパイプができたのは悪くない。ラザル派のために動く責務を持っている以上、それは優位に働く。
でもなぁ……。
「期待されているのは分かります。しかし、それだけで院長がここまで話すのは不自然です」
結局、この質問の答えを貰ってはいない。
おそらく、何か確信があってこの話をしたと考える方が自然だ。
「――ベアトリス聖導師とのやり取りで、お前が連れてきた兄妹を大切に思っていることも知っている」
……駄目だ。これだけで俺に選択肢はなくなった。
つーか、ベアトリスもグルだろこれ。
「分かりやすい顔をするな。内面の成熟はこれまでの会話で見て取れたが、場数はまだ踏めていない。その点は未熟だな」
「……はい。ですが――」
「安心しろとは言わん。しかし、教導院として預かった手前もある。教育を施し、確かな教養を身に着けさせるのもまた、我々の責務である」
「その責務を信じろと?」
「信じられないことでも信じるしかない。これもまた、我々が生きる世界の飲み込むしかない不条理と思わんかね?」
同意したくなくとも、同意せざるを得ない。
現代日本を生きて来た俺には、痛いほどそれが分かっているさ。
「……はい。駒として、微力を尽くしましょう」
「それでいい。お互いに責務を果たそうではないか。――話は終わりだ。下がりたまえ」
いいように扱われるかもしれない。でも、だからこそ安心を買えると思うしかない。
分かってはいたさ……スラムの組織から教会に移って来た時と何も変わらない。縄張りと看板、そして言葉面が綺麗になっただけだ。
院長室を出ると、廊下の空気に肌寒さを感じた。
それが本当の肌寒さなのか、心の中から来るものなのか、今の俺には分からなかった。




