四話:抗争の始まり
数日で、空気はさらに悪くなった。
前より怒鳴り声が増えたとか、見張りの数が減ったとか、そういう可愛い変化じゃない。路地を歩けばどこかで殴る音がして、夜になれば悲鳴が上がる。朝になれば、死体がそのへんに転がったままになっていることすらあった。
スラムなんてもともとこんなもんだが、最近のは質が違う。本格的に火が付いたって感じだ。
当然、配給もさらに悪くなる。
今日回ってきたのは、残飯の粥ですらない。ただのぬるい液体に、パン屑が少しだけ溶けこんでいる貧相な飯だった。
ガキの小さい胃袋とはいえ、それで腹が膨れるはずもない。
「……また盗みにいくのかい?」
アレンがそう訊いて来る。
「このままコレが続くなら行くしかないだろ。でもな――」
俺は天幕の隙間から外を見た。
連中の足音が多く、しかも妙にせわしない。走る音、怒鳴る声、何かを引きずる音。
前みたいに、隙を見て敵対組織の巣を漁るような段階は、もう越えかけている。あまりにも危険だろう。
「明らかに抗争になってる中で、それは……さすがに危ないよな」
「うん。危ないね」
「分かってるなら、もう少し考えてものを言え」
「ルシアは危ない橋を渡ることも多いだろ? そうであるなら止めないとだからね」
「はん! ガキがいっちょ前に諫言ってか?」
「君もガキだろ?」
「まあな」
こういうやり取りをできるから、アレンを気に入っているってのもある。
それに諫言なんて言葉をこいつは知っている……この時点でいいとこのお坊ちゃん確定ってわけだ。
まあ、詮索はしないがな。腹が据わって度胸がある。それに教養もそこそこ。スラムのガキとして考えれば高度人材確定ってもんだぜ。
そんな馬鹿なことを考えている時だった。外の騒ぎが、急に大きくなる。
怒鳴り声が一つ二つじゃない。何人もの足音が地面を叩き、金属のぶつかる音が近づいてくる。
何が起きた? と天幕の隙間を押し広げれば、通りの向こうからレッドブレードの連中が雪崩れ込んできていた。
「……おいおい。マジかよ」
手にしているのは、いつもの棍棒やチャチなナイフなんかじゃない。――剣だ。
しかも、護身用の短剣なんて可愛いもんじゃない。明らかに軍用の剣が混じっている。刃渡りも造りも、そこらのゴロツキが気軽に持つには上等すぎた。
「奴ら本気かよ!」
「槍を持ってこないだけ、まだ本気とは言えないよ」
アレンが冷静にそう返してくる。
いや、そりゃあそうなんだが……軍用の剣と言っても、補助兵装の域を出ることはないからな。
でもそれは、戦争の中での話だろ? こんなスラムじゃあ、十分に攻撃的だ。
「槍じゃなくても、威力は圧倒的だ。見ろ」
こちらの組の構成員の武装に大したものはない。角材を握っているような奴までいるくらいだ。
当然、そんなのが武装した奴らに勝てるはずがなく、次々とやられていく。
怒鳴り声は断末魔に変わり、血の臭いが風に乗って天幕の中まで入り込んでくる。
――まずいな。これは脅し合いの延長じゃない。本気の潰し合いだ。
「……こっちに来る」
アレンが囁いた。
レッドブレードの男たちが、浮浪児を集めた天幕の前まで来ていた。
俺たちは奥で縮こまり、息を殺す。シエラが震えて、俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「ガキどもか。汚く臭い。まるで使い物にはならないな」
天幕を覗いた男が、吐き捨てるように言った。
「でも兄貴、貴族の中にはクソみてえな趣味の連中もいまっせ。上が言うには、そろそろ殺しを売りに出すかもしれないって前に聞いたことあります」
「そういやそうだったな。数人さらって、そっちに送るか。ウチのガキどもを使うよりいいだろ」
背筋が冷たくなった。
これはまずい、で済む話じゃない。捕まったら終わりだ。しかも、ただ死ぬより最悪な終わり方まである。
天幕の布が乱暴に捲られた。
朝の光と一緒に、血と汗の臭いを纏った男たちがずかずかと入り込んでくる。足元にいたガキが蹴飛ばされ、壁際へ転がった。泣き声が上がるが、誰も助けに出られない。
「うわ、くせぇ! こんなの売り物になりますかい?」
「だから選んで持っていけって話だろ」
男たちの視線が、怯えたガキどもを値踏みするみたいに滑っていく。
その視線が、奥に固まっていた俺たちへ止まった。
「……おい。そこの二匹、顔を上げろ」
クソっ! 目を付けられた! これは俺とシエラに対する指示だ。
反射的にシエラの肩が跳ねる。男はその反応を見て、薄く笑った。
「汚いが、そこそこ見れるな。こいつらにするか?」
「いいんじゃないですか? 犯して殺すのが好きな幼女趣味の貴族の相手にちょうどいい。特に金髪の方はどうです?」
「……確かにな。スラムには似合わない混じりっけなしの金髪だ。高値で売れそうだ」
金髪ってのは俺だ! 畜生が!
TS転生して美少女になったのは、せめてもの救いだな――そんなことをドブ川の水面を覗きながら考えたことがあるが、まるでそんなことない。獲物になるだけじゃないか!
男たちはそのまま、こっちへ近づいてきた。ゆっくり、品定めするみたいにだ。
革靴がベッド代わりの藁を踏み潰し、一歩一歩こちらに男たちが近づいてくる。
――どうする? どうすればいい?
焦りが思考の余白を奪う中で、時間的な猶予はすぐに消費されていく。
ついに奴らが俺たちの前まで来た。先頭の男がしゃがみ込み、シエラの顔に手を伸ばそうとする。
もう一人は俺の髪を掴む気らしく、下卑た笑いを浮かべて指を開いた。
シエラが息を呑んだ。
アレンも前に出ようとして、けれど動けない。
相手は大人で、しかも剣を持った二人組だ。誰だってこんな状況で動けるはずがない。
だが、受け身のままじゃいられない――頭の奥で何かが切り替わったのを自覚する。
俺は覚悟を決めた。シエラを庇うように一歩前へ出て、アレンに告げる。
「二人とも、目を瞑れ!」
言い終わるより先に、男の手がこちらへ伸びてくる。
その汚い指先を無視して――俺は閃光を男たちの顔面に叩きつけた。




