三話:残飯よりましな飯
レッドブレードの詰め所が見える所まで来ると、空気の匂いが一段きつくなった。
アルコールと小便の臭いが混じった悪臭に、乾ききらない血の臭いまで重なっている。そこらには食い残しを放ったままの生ゴミだってある。
スラムの路地なんてどこも似たようなもんだが、ここはその中でも暴力の臭いが特に濃い。
崩れかけた煉瓦造りの建物を、俺とアレンは物陰から覗き込んだ。
ウチの組に人が少ないなら、こっちも同じだな。いつもはいるはずの見張りがいない。
さて、どうやってかっぱらってくるか? ……なんて考える必要はない。やることはもう決まっている。
建物の中に残ってる連中はいるだろうが――そいつらを潰す手段が俺にはある。隙を作って、金目の物と食い物を掴んでとんずらするだけだ。
作戦なんてあってないようなものだが、それで十分。ガキ二人でできる事なんてたかがしれているからな。
「やっぱり数が少ない……何かあったみたいだね」
アレンが小声で話しかけてくる。
「予想していた通り、どこかで抗争でもやっているのかもな」
そう返しながら、俺は建物を見た。
あの中にいるのは何人だ? ……恐らく、三人か四人ってとこだろう。
もししくじったら、俺たちがガキだからって容赦はされない。間違いなく殺される。良くて半殺しで放置――そして死ぬ。
だがら、俺はついこの前に覚醒した能力を使う。
言ってみれば光の魔法か? 目を焼くほどの光を出すことができる。スタングレネードもびっくりだぜ。
まあ、逆に言えばそれだけとも言える。音は出ないし、ダメージもない。相手を選んで都合よく無力化なんてことができるわけでもない。
けど、十分に使える。
――思い出すのは、数週間ほど前のことだ。
レッドブレードの子飼いのガキどもに、一人で追い回された時のこと。袋小路へ追い詰められ、錆びたナイフを突きつけられて、わりと本気で終わったと思った。
スラムのガキの中でもレッドブレードはある意味で特別だ。遊び半分で殺しをやるような人間の屑ばかり好んで集めている。
あの時、もう駄目かと思った瞬間に――目の前が真っ白になった。
それは俺が出した光だった。だから真っ白になったと言っても、無意識に目を閉じてそれを瞼の裏で受けただけだ。
だが、その光に対処できなかったクソガキどもは揃いも揃って悲鳴を上げて目を押さえ、俺はその隙にそいつらを蹴り飛ばして逃げだした。
神様が与えてくれたチートってか? こんなゴミ溜めに送り込むくらいなら、能力なんていらなかった。
――なんて愚痴を言っても仕方ない。使える能力なら使うし、そのために努力をする。それだけだ。
「ルシア?」
「ん? ああ、すまん。少し考え事をな。――突入する。合図したら目を閉じろ」
「分かった」
こいつは話が早くて助かる。それに度胸もあるから使い勝手がいいってもんだ。
俺が先頭となり助走してから、一気に駆けだす。
そして詰め所に入ると同時にレッドブレードの構成員を視認する。
奴らも俺に気づいたようだが、このタイミングがベスト!
「光れ!」
そんな叫びとともに、詰め所の中に閃光が走る。
朝の薄汚れた空気を浄化せんばかりの極光で、大の大人が揃って変な声で悲鳴をあげる。
「がぁっ……!?」
「目、目が――!」
全員――潰せた!
「いくぞ!」
掛け声とともに、食料と金目のものを探す。
――中身のない酒瓶。
――ひっくり返った椅子。
――剥き出しの寝台。
――食いかけの皿、これだ!
皿の上に乗っかっていた黒パンと数切れの肉をむんずと掴む。
肉なんて何日ぶりだ! こりゃあ今日はご馳走だぜ!
「そっちはどうだ!?」
「これだよ!」
アレンへ声を掛ければ、その手には小袋を持っている。小気味いい音がすることから、さては金だな? よくやった!
「ずらかるぞ!」
「うん!」
この部屋にいる連中の目は潰しているが、奥の部屋にまだいるかもしれない。
となれば逃げの一択だ。悠長に物色する暇なんてあるわけない!
俺たちは来た時と同じように一気に外へ抜け、それから回り道をするように路地を二つ三つ曲がってようやく足を止めた。
戦利品は、小銭が少々と、食いかけのパン数個。さらには塩漬け肉の切れはしだ。
上等な朝食じゃねーか! 残飯よりはよっぽどいい。
「今日の飯は豪華だな」
「シエラも喜ぶよ。肉なんていつぶりかな?」
「俺の記憶だと二週間ぶりだな。あの時の屑肉とは比べ物にならないぜ」
俺たちを囲っている組織――グレイクロウの溜め場へ戻る。
飯はこのまま喰えばいいが、金ともなればそうもいかない。下手にスラムの市で買い物をしたら、どこの誰から報告が行くか分かったもんじゃないからな。
だから小銭は俺たちを監理している上役の男に渡すしかない。
奴は――いた。中庭のような場所で、手下の男たちに怒鳴りながら色々と指示を出している。
なんか露骨に機嫌が悪いな……普段から感じのいい男じゃないが、今日は輪をかけて顔つきが悪い。
まあいい。こっちは仕事をしてきたんだ。俺はアレンにパンと肉を渡して、代わりに小銭の袋を受け取り、上役の男の元へと向かう。
「これと飲み物を交換してくれ」
「……クソ忙しくしているのが目に入らねぇのか?」
「金は俺に持ってこいと言ったのはアンタだろ?」
そう言って上役の目の前に小銭が入った袋を突きつける。
この男は決して優しくなんてないが、自分が言ったことを曲げた姿を見たことがない。
露骨に舌打ちしながらも袋を受け取り、それを振って見せた。小銭の音が鳴り響く。
「そこそこってところだな。で、どこで盗んできた?」
「それ、言う必要ある?」
「……まあいい。そこで待ってろ」
上役は建物に入ると、飲み物が入った大きな木のジョッキを持って来る。
これは水で薄めた麦酒だな。
「昨日なんかあった? 今日は忙しそうだね?」
ジョッキを受け取り、ついでに聞くと、上役は即座に怒鳴った。
「ガキがそんなこと知る必要はねえ!」
はいはい、そうでしょうね。
けど、その反応だけで十分だ。何かあったし、それはまだ終わっていないらしい。
まっ、いいさ。今は飯を食うのが先決だ。
とは言っても、飯を持ってガキのいる天幕には入れない。
どうせ取り合いになるだけだ。命を張って手に入れた飯を他のガキにやるなんて冗談じゃない。
「シエラ、来い」
酒をアレンに預け、天幕には入らずに隙間から呼ぶと、シエラはぱっと顔を上げて、すぐにこっちへ来た。
俺はその手を引き、アレンと三人で少し離れた路地裏へ移動する。
「ほら、食え。肉は仲良く三等分だ。パンは俺とアレンが多めだぞ?」
「……お肉!? 食べていいの?」
ちらちらと塩漬け肉を見るシエラの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
「いいぜ。さっ、みんなで喰おう」
シエラに黒パンと肉をちぎって渡してやる。
小さい口で一生懸命に齧りつく姿を見ると、今日の無茶も一応の元が取れた気がした。
アレンには気持ち多めに渡してやれば、ゆっくりと食いつき始める。
俺も肉と一緒に黒パンを食い破りながら、薄い酒を口に含んだ。
……そこそこ上等な酒だな。水の質も悪くない。小銭ぶんだけの価値がある。
味さえ気にしなければこのスラムでは一級品だ。それを俺たち三人で回し飲みする。
そうして食事が終わればやることもない。
次の飯の配給がいつになるか分からないからな。無駄に動いて腹を減らすのは損でしかない。
天幕に戻り、そこで三人で一塊になりながら、ただ何もせずに時間が過ぎるのを待つ。
できることと言えば考えることだけ。
俺たちを飼っているグレイクロウも、盗みに入ったレッドブレードの建物も人の姿が少なかった。それに上役のあの反応――きな臭くなってきやがった。
どっちにしろ、こういう時に一番先に踏み潰されるのは、俺たちみたいな力のないガキだ。
俺たちはどうなる? いくら考えてもその答えは出ない。
今できるのは、ただ守ると決めたこの兄妹の体温を感じ取ることだけだった。




