三十六話:教導院の門前
白い門は、近づくほどに大きく見えた。
遠くからはただ白い輪郭だったものが、石の継ぎ目や古い彫りの陰影を持ち始める。長い時間をそこに立ち続けてきたものの圧があった。
馬車が緩み、車輪が小石を踏んでがたりと鳴る。
「到着だ」
御者台のアルヴィンが淡々と告げる。
これから赴くのはある種の戦場であるというのに、その声に特別な色はない。
――あまり気負い過ぎるな。
ここ数日の間に幾度か聞いた言葉だ。
つまり、そういうことなんだろうな……。
俺は息を吐き、隣のアレンとシエラを見る。アレンは白い門を見上げ、シエラは俺の袖をつかんだまま動かない。
確かにこれでは先が思いやられる。となれば、俺が率先して手本にならないといけないが――。
「顔、硬いわよ」
リネットが釘を刺してくる。
「……思いのほか緊張しているようだ。値踏みされるのは慣れているけど、ここには貴人の類も集まるんだろ?」
王侯貴族からも聖人候補は出る。
割合からみれば、むしろ平民よりもそちらから輩出されることのほうが多いそうだ。
血統に関わる何かがあるのかもしれないが、権力者と接することになると分かれば、やはり身構えてしまう。
「だとしてもよ。上の身分の者から見れば平民仕草なんて丸わかり。アンタが抱いているそんな感情もね。でも――」
「最後まで言わなくていい。分かってるさ。だからこそ自然体でいる努力をしろってんだろ? 立ち振る舞いも査定の範囲なら、意識してでも押さえつけろって」
「分かっているならいいわ。最初からできなくてもいい。でも、努力する姿勢を見せるだけでも違う。アレンとシエラも覚えておいてね」
リネットの言葉に、アレンが頷く。シエラも小さく息を吸って、ぎこちなく頷いた。
「それに、虚勢でも胸を張らないとこれからやっていられないわ。見なさい」
リネットに言われるまま外を見れば、門前には数台の馬車が並んでいた。
綺麗なものから順に、案内役が近づいていく。何度かのやり取りのあとに馬車から降りる候補生には、職員が二人がかりで対応していた。
「もう始まっているのよ。そういう世界がね」
「……そのようだ」
気を抜けるのはここまで。アルヴィンは気負い過ぎるなとは言ったが、気合は入れ直すべきだろう。
深く深呼吸して、息を整えてその時を待つ――ついに俺たちの順番になるが、反応は先ほどとは違った。
門番の視線は一拍遅れ、さらに迷いのようなものがある。このボロ馬車を見て困惑しているのか?
「ベアトリス聖導師が推薦する方々だとお見受けするが……これで全員だろうか?」
「これで全員だ。私が護衛のアルヴィン・ヘイル。そしてリネットとルシアの候補生両名。加えて従士見習いと召使い見習いの二名だ。先んじて提出された書類には、その旨があるはずだが、いかがか?」
「……確かに、確認した。候補生とその付きの者は馬車を降り、こちらで案内を。ヘイル殿は馬車を指定の場所へ」
「承知した。それではシスター・リネット。あとはお任せする」
「ええ、では行きましょうか」
リネットは俺たちを先導するように馬車を降り、案内役と一言二言会話をする。
そこには緊張感などなかった。堂々とした態度ひとつで、馬車のボロさという現実が少しだけ遠のき、案内役の態度もこちらを低く見るようなものではなくなる。
内心でどう思っているかは知らない。だが、胸を張るってのはこういうことのようだな。
「ラザル派の皆さま方ですね。まずは入院の手続きです。こちらへ」
案内役が歩き出すと同時に、アルヴィンが馬車を指定の場所へ向かわせる。
離れる最後の一瞬だけ、俺と視線が合う。アルヴィンは小さく頷いた。
俺も頷き返し、リネットとともに案内役に付いていく。アレンとシエラもそれに続いた。
――門をくぐって数歩で、空気の質が変わる。
石畳は掃かれ、白い壁には煤も泥も見当たらない。
決して豪奢というわけではないが、五百年以上にわたり磨き続けてきた歴史が詰まった建物が見える。
数年とは言え、ここに住むわけか……自然体でいろと言われたが、それでも気後れしてしまうな。
石畳を歩く音だけが耳へ跳ね返る中、教導院の立派な扉を潜っていく。
受付にいた書記官らしき男とリネットがやり取りをして、書類にサインをする。
完全にリネット任せなのは、中身が大人としては情けなくも思うが、細々とした手続き関連は教えて貰っていないから仕方ない。
「手続きはこれで終わりです。従者の方はこちらへ。候補生は中庭へお願いします」
どうやらここでアレンたちとはお別れのようだ。
アレンはともかく、シエラは不安そうな顔で俺とリネットに視線を向ける。
「大丈夫。従者は先に部屋に通されるだけだから。私達候補生は候補生同士の面通しね。そうでしょう?」
「はい。すでに今年の入院予定者の大半が中庭におられますので、まずは候補生同士でお話でもされてはいかがかと存じます」
皆で仲良く談話談笑をするって場ではないだろう。そこもまた査定の一部か。
でもまあ、アレンとシエラが付いて来る必要がないってのは幸いだな。
「そうであれば、アレンとシエラは部屋を整えておいてください。あとで合流しましょう」
ここから先は言葉遣いに気を付けないとな。ラフな口調で話すわけにもいかない。
「分かりました。先に行って荷解きなどをしております。ではシエラ、行きましょうか」
アレンも俺の口調で察したのか、丁寧な言葉を返してくる。
「――頑張ってね」
シエラの声には、いくつもの意味が込められているようだった。
となると、やはりここはあまりいい場所ではないのだろう。色々な人たちの立場からくる思惑が錯綜している。
アレンとシエラは案内役に付いていき、部屋へと向かっていく。
それを見届け、俺とリネットは候補生が集まるという中庭への門を潜った。
「これは、ずいぶんとお金が掛かってそうですね」
完璧に手入れをされた庭園ってとこだろうか。
丁寧に管理された芝生や花壇、そして生垣。中庭の中央は盛り上がった丘のようになっていて、そこには一際大きな木が見える。
「俗っぽい言い方は止めなさい。誰に聞かれているか分からないんだから」
「確かに……迂闊でした。申し訳ない」
言葉遣いだけじゃなく、内容も吟味されるときたか。当たり前っちゃあ当たり前だが、窮屈だなこれは。
「分かればいいの。それに、私もルシアとは同意見。……もっとお金を掛けるべき場所が、あるはずだからね」
隣を歩くリネットが苦笑する。だが、その声にはわずかな虚しさが滲んでいた。
人の役に立ちたいと考えるリネットには、見事な庭園を見ても素直に心を動かせないのだろう。
それとも、見慣れているのか? 教導院に入ってからのリネットの立ち振る舞いは、あまりにも自然だった。実はやんごとなき身分の出身だったりしてな。
そんなことを考えながら、他の候補生が集まっている場所を目指す。
ベンチやテーブル、あとは東屋がある一角だ。談話やら談笑の場というわけらしい。
これからライバルになるとはいえ、だからこそ最初の挨拶は必要不可欠――ここはビシっと社会人で鍛えられた相応の態度というものを見せつけてやろう。
みたいな感じで、若干の気合を入れて歩いていると、その人の集まりから一人の男がこちらへやって来るのが見えた。
俺たちと同じ候補生だろうが、金に近い淡い髪と薄い青灰色の目をした、整いすぎた顔立ちの少年だった。
身なりは落ち着いているが、俺やリネットの着ている物と比べて布も仕立ても違う。明らかに別格なのが丸わかりだ。
で、一番気になるのがその目だった。
リネットに対するその視線……これは明らかに知り合いに向けるような、そんな目だ。
「久しいな、リネット。まさか共に教導院で学ぶことになるとは思いもよらなかった」
丁寧な口調ではあるが、上位者であるかのようなニュアンスを感じる。
その声を受けて、リネットの肩がわずかに強張ったのが見えた。
「……アウレリオ殿下」
殿下――と来たか。
これはまた、面倒な人間関係をリネットは持っているらしい。




