三十五話:三大派閥
教会の門が背後に遠ざかっていく。
馬車は石畳の上をゆっくり進み、それから土の道へ入った。がたん、と車輪が跳ねるたびに、古い木枠が小さく軋む。幌の前は開いていて、御者台に座るアルヴィンの背中が見える。手綱を握る姿勢は崩れず、馬の首の揺れに合わせて肩だけが静かに動いていた。
「教導院までは数日かかるわ」
馬車が動き始めてから、最初に口を開いたのはリネットだった。
俺とアレンが並び、対面にはシエラとリネット。俺たち三人の視線が、自然と彼女へ向く。
「その間に、もう一度私から説明するわ。こういうのは何度でも話す意味があるからね」
「王都からそう離れていないとは聞いているが、それでも距離があるよな」
「元は修道院から始まったという歴史があるもの。俗世から離れて研鑽を積む場よ。昔は馬車も使えなくて、出身がどうあれ徒歩で向かったそうよ」
「道の整備を頑張ってくれて、王国に感謝ってわけだな」
「そんなところね。でも、慣れないと馬車に揺られるだけでも疲れるものよ」
リネットが心配そうに見つめるのはアレンとシエラだ。
子供にとって、この尻を叩く座席は確かにきついだろう。
俺もきついが、弱音を吐くのはださいので我慢する。
「それでも徒歩よりマシでしょう?」
アレンが苦笑する。その言葉にシエラもこくりと頷いた。
「辛くなったら気にせずに言いなさい。こういう時に使う治癒術があるの」
リネットの得意分野は治癒だからな。
俺も少しは使えるが、傷を癒すのが精々で、それ以上は無理だ。
日常生活で頼りになるのは、攻撃主体の聖法術よりも治癒の力なのかもしれない。
「その時は遠慮なく頼るさ。で、教導院ってのは、どう考えてもただ勉強する場所じゃないよな?」
「ええ。聖人候補を育てる場所という意味では学び舎ね。教理、読み書き、計算、礼法、施療、護身、実務。聖導師として必要なことを一通り学ぶ」
「ベアトリス聖導師も教導院を出たんだよな? 聖人になれなくても意味がないわけじゃない」
「その通り。聖人になれなくても、聖導師として信徒を導く役目を与えられる。だから候補生の大半にとっては、教導院に入れるだけでも十分ね」
教導院に入れるだけで、キャリアパスとしては十分ってわけだ。
「派閥を率いる人材になるって意味でもあるんだろうな。となると、選別も厳しいか」
「言ってしまえば査定ね。候補生本人だけじゃない。付きの騎士、従者、使用人、従士見習い、行儀見習い。誰を連れているのか、どれだけ支援を受けているのかも見られるわ」
「つまり、僕たちも見られるってことだね」
アレンの声が少し硬くなる。
「そうよ。アレンは従士見習い、シエラは行儀見習いとして登録されるわ。あなた達のような年頃の子は珍しいけど、前例がなくはない。そして幼さを言い訳にはできないことは肝に銘じなさい。役割を持った人間として教導院へ入るの」
「役割がないと、一緒にいられない?」
シエラが不安そうに聞く。
リネットは少しだけ考えてから、諭すように話し始めた。
「……一緒にいるためにも、役割が必要なの。ルシアという聖人候補のお付きであるからこそ、教導院の中に入ることができるわけだしね」
一緒にいたいってのは俺たちの我儘だ。そして、その我儘を押し通すには覚悟がいる。
でも、スラムよりマシと思えばなんとかなるかな?
「甘い世界じゃないのは分かっているさ。で、その派閥についてだ。ベアトリス聖導師からはリネットに聞けと言われている」
「あんたは詰め込み教育だから仕方ないか……。ラザル派、マテオ派、ステファノ派。この三派閥の名前くらいは聞いているわよね?」
「それくらいはな。あとラザル派は貧乏、マテオ派は金満、ステファノ派は教義に煩いとか、その程度なら知っている」
「それだけ知っていれば話が早いわ。私達の所属するラザル派は清貧を掲げ、持つべき者が持たざる者へ施しをするという派閥ね。それは下層への施しだけじゃなくて、前線に近い場所での野戦医療もある。困っている人がいるなら、必ず手を伸ばす」
リネットはどこか誇らしげだ。
目を見れば、自負のようなものが見て取れる。
「……ずいぶんとラザル派を誇るんだな。いや、思い入れ? まあ、そんな感じ」
「当然でしょ? 人は誰かの役に立つことで本当の意味で満たされるの。私はその欲求に従っているだけ」
リネットの視線には迷いがなかった。
これが若さか、と茶化すこともできない。何かにそこまで入れ込む経験のない俺には、その視線が少し眩しすぎた。
「でも、理想だけでは回らない。お金と政治力のなさが弱みね」
「この馬車を見れば分かるな。ガタガタ揺れて尻が痛い」
「分かっても言わないでよ。むなしくなってくるじゃない」
リネットの声には諦めと意地が混じっていた。
いくら誇りがあろうとも、貧乏は誇れないよな、そりゃ。
「まあいいや。それでマテオ派は?」
「王侯貴族との繋がりが太く、寄進もかなりの額よ。それに組織を動かすのがうまくて、見栄えもいい」
「いかにもな金持ち派閥だな。商人からの献金もありそうだ」
アレンに視線を向けると、こくりと頷いた。
「教会への献金だね。便宜を図ってもらうには神様が一番だってさ」
「やっぱそういうもんだよな」
実際にどの派閥へアレンたちの実家が献金していたかは知らないけど、たぶんマテオ派っぽいなこりゃ。
「……そういうのはこの場だけにしてよね。あまり詮索しないほうがいいでしょ?」
「仲間内でしかしないさ。そうだろアレン?」
「リネットさんなら大丈夫さ。シエラも信頼しているしね」
「うん! リネットおねーちゃんは大丈夫!」
シエラがリネットに懐いている時点で、問題ないのは確定だからな。
さらに言うなら、アルヴィンにもシエラは悪感情を抱いていない。それは俺たちにとって、ここが安心できる場所って意味でもある。
「そう? 信頼してくれるなら嬉しいわね。話を戻すけど、マテオ派は確かに金満派閥なんだけど、成金のようないやらしさは全くないわ。むしろ気品がある。そういうイメージも強みの一つね」
「想像はできるさ。成金趣味の連中に靡く連中はいても、頼りにはしないだろうからな。じゃあステファノ派は?」
リネットは少し考えてから話し出す。
「……あそこは少し変わっているわ。始祖セラフィナの言葉を、もっと直接実践すべきだと考える人たちね」
「原理主義的な感じか?」
「祈れ、施せ、民に安寧をもたらせ、傷ついた者の隣に立て、恐れる者の前に出よ――ラザル派なら施し、マテオ派なら民の安寧を重視する。でもステファノ派は、そういう言葉を儀礼や肩書きに閉じ込めず、実際にやれって考える。ある意味で一番熱心にセラフィナ教を信仰していると言えるけど……危うさもあると私は思う」
「どういうことだ?」
「自分が傷つくことまで美徳にしすぎるところがあるのよ。立派ではあるけどね」
なるほど。だいたい分かってきたな。
ラザル派は施し、マテオ派は統治、ステファノ派は宗教的な実践や探求に寄る。なるべくしてなった三大派閥というところか。
そんなことを考えていると、御者台の方からアルヴィンの声が届いた。
「派閥と聞けば対立や面倒事ばかり思い浮かぶが、それらの派閥による均衡があるからセラフィナ教が存続できているとも言える。最大派閥が一つしかなかった頃の腐敗は書物にしか記されていないが、それは酷かったらしい」
「競争相手がいることが健全ってわけですね」
「それもあるが、私が言いたいのは聖と邪は紙一重ということさ。それは悪所から教会へと移った君ならば理解できるとは思う」
「……実感しかありませんね」
「教導院はある種の聖域ではあるが、その中にさえ邪があると私は思っている。人が人である以上、逃れられぬ宿痾のようなものだ」
アルヴィンの話はそこで終わり、また御者としての仕事に集中するようだった。
思った以上に、この世界の宗教は成熟しているのかもしれない。現代人目線で裁定者気取りでいると、足をすくわれることになりそうだ。
それから数日、俺たちは馬車に揺られながら進むことになる。
宿場で身体を休め、道中ではリネットの講義を聞き、アルヴィンの短い補足を受ける。
やがて道の先に、白い門の輪郭が見えてきた。
それが次の、俺たちの戦いの場であるという自覚とともに。




