三十話:契約の値段
「脅しか?」
「そう取ってもらって結構だが、根はもっと深い。人間の精神という原理的な話さ」
俺の言葉を聞いて、隊長格の男は押し黙った。
怖い顔をしているが、俺が何を言うのか気にはなるらしい。
なら、お望み通り理屈屋としての本領を発揮してやろうじゃないか。
「人間なんてのは、命令されるだけじゃ駄目だ。自分の意思こそが成果を出すために重要であるのは、指揮を取るアンタには分かり切っているはずだ」
「それは同意してもいい。が、お前が本当に物になるかは誰にも分からん」
「しかし、わざわざ俺を確保するために騎士団を派遣している。すでに大きな金が動いている。その事実だけで十分だ」
金食い虫の軍隊を出している時点で、俺に期待しているのは確定だ。
つまり、財布の紐は最初から緩んでいる。
「俺という存在は安くない。隊長さん。アンタがここにいる時点で、それを証明しているんだ。そして、俺にとってはあいつらの存在も安くない。引き離されたら、アンタらに素直に従うことはないと確約できるぜ」
そう言ってやると、隊長格の男の目に苛立ちが宿る。
怒鳴りつけたい。そういう顔だ。
だが、安易な否定はできないだろう。
やる気のない人間を抱えた時の面倒さくらい、実感として分かっているはずだからな。
そこへ、ハリスが横から口を挟んだ。
「こいつは面倒なガキだが、筋は通っているでしょう? そして解決の手段も提示している。アレンとシエラの身柄を、我らから買い取るという手段を」
「破落戸に払う金などないと言ったはずだ」
「ええ。しかしその場合、ルシアは本当の意味で面倒なガキに成り果てますな。こいつをあまり舐めないほうがいい」
ハリスが俺の肩に手を置いた。
「気に食わないとなれば、平気で教会から逃げ出すでしょう。こいつは教会の権威を恐れてはいるが、神意についてはまるで無頓着だ。さらには裏の世界で食っていく方法だって知っている。それだけの投資を、こいつにはしたもんでね。あなた方でも手を焼くでしょうよ」
これはハリスのはったりだな。
魔法の訓練は受けたけど、別に裏の世界で食っていく方法を教えてもらったわけじゃない。
けれど、監禁されなければどうとでもなる。それもまた事実だ。
そこまで言って、ハリスは次の矛先をベアトリスに向けた。
「ベアトリス。お前なら分かるだろ」
ベアトリスの表情から穏やかさが消える。
何があったかは知らないが、ハリスとの過去が尾を引いている――そう思わせる空気だった。
だが、ハリスはそんなことはどうでもいいと言わんばかりに話を続ける。
「ルシアがどういうガキか知っているのは、この偉そうな隊長さんではなく、俺とお前だ」
「……」
ベアトリスは黙ってハリスの話を聞いている。
それは拒絶ではなく、実感を伴った沈黙に見えた。
「こいつはガキの癖に頭が回り、度胸もあり、戦う力もある。だが、根がひねくれていてな。綺麗な言葉や脅しを並べたくらいで素直に動くなら、俺だって苦労しちゃいねえ」
そう言って、ハリスは俺を親指で示した。
「俺はこいつに、ちゃんと褒美を与えていたぜ。仕事を終わらせたら、欲しがるものをくれてやった。だからこいつは働いた」
「それを教会でもやれと?」
「違うな」
ハリスは薄く笑う。
「教会は、俺よりこいつを高く買えって話だ」
隊長格の男が眉をひそめる。
だが、ハリスはそちらを気にしない。
まっすぐベアトリスだけを見る。
「ラザル派が貧乏所帯なのは知っている。俺もその場にいたからな。金はないし、口だって強くない。それでも施しだ救済だと泥臭く回してる。立派なことだ」
ハリスの口から出るのは誉め言葉だ。
しかし、それはそこまで。
次からは声の温度が明らかに落ちる。
「だが、貧乏だから金がねえって話じゃねえだろ。救貧の粥を一杯削って、孤児の寝床を一つ諦めて、それでも残してきた金がある。違うか、ベアトリス」
「ハリス。それは……」
「あの時は共に修道士だったから、内部のことまでは分からん。だが、今のお前は聖導師様だ。派閥の金の流れを知る立場にある」
ベアトリスは苦しい顔をしている。
まさに図星という表情だ。
ハリスはさらに強く口を開く。
「清貧だの現場主義だの、耳触りはいい。だが、帳簿なしじゃ回らねえ。いざという時のために握ってる金くらいあるはずだ――」
そこで一息置いてから、一気にまくしたてた。
「その金の切り時が今じゃないなら、いつなんだ? 聖法力持ちのガキを拾うんだ。どう考えてもラザル派の手札にする気なんだろう? だったらケチるな。こいつが気持ちよく働ける環境くらい作ってやれ」
部屋の中が、しんと静まる。
ペンを動かしていた書記官でさえ、どうするか迷っているようだった。
だが、それも一瞬――ベアトリスが静かに反論する。
「ラザル派の資金は、あなたが言うほど自由なものではありません」
「だろうな。スラムの組織に金を支払うって汚点を残したくないってのも分かるさ。だが、重要なのはこいつの価値だ。俺は価値を見出した。お前はどうなんだ、ベアトリス?」
ハリスはまるで説教をするように、ベアトリスに告げる。
「こいつを本気で働かせたいなら、アレンとシエラを抱え込んで人質にする。それ以外に手段はない」
そう言い切ったあと、ハリスは黙った。
誰も何も言えない。
隊長格の男の視線は、完全にベアトリスへ向いている。
今の焦点が、聖導師の判断へ移ったのが分かった。
となれば、あとは俺の意思こそが最後の一押しだ。
「ベアトリス聖導師」
俺は、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「俺はひねくれてるし、口答えするし、どんな話も盲信しないで疑ってかかるような人間だ。でも……守りたいものを守るためなら、なんだってする」
結局、俺の行動原理なんてそれだけだ。
寄る辺のない世界にやってきて、初めて大切だと思えたのはアレンとシエラの二人だった。
それ以外は、おまけみたいなもんだ。
多分、これは依存なんだろう。
でも、それを悪いことだとは思わない。
自分以外の何かを本当に大切に思えるということに、俺は納得している。
「俺がどういう人間か、アンタは知ってるだろ?」
前世と呼ぶべき記憶。
男だった時の認識。
雑談の中で話した、アレンとシエラへの想い。
その全部を、ベアトリスは知っている。
「俺の願いを叶えてくれるなら、俺にもアンタらの期待に応える義務が生まれる。そういう取引なら、俺は逃げない」
嫌だとか、面倒だとか、巻き込まれたくないとか。
そういうものは、まだある。
あるけれど、それより先に守るべきものができちまった。
「アレンとシエラを連れていけるなら、俺は本気で教会のために尽くそう。これはそういう契約だ」
至誠ってのは何で生まれるのか?
それは貸し借りの中にしか存在しないと俺は思う。
ひねくれ者の考え方なんだろう。でも、負債というものは財産でもある。
これは、その財産にどういう値付けをするかっていうゲームであり、決断だ。
「ベアトリス聖導師。俺の価値を決めてくれ。決して後悔はさせない」
そう言うと、部屋が静まり返った。
隊長格の男は何かを言いかけたが、ベアトリスが片手をわずかに上げる。
それだけで、言葉は止まった。
ベアトリスは、しばらく俺を見ていた。
今まで見たことのない真剣な目だ。
ハリスは簡単に言ったが、金ってのは軽くない。命より重い時だってある。しかも、裏組織への支払いというラベル付きだ。
だからこそ決断するのに勇気がいる。そして、俺もまた覚悟が必要だった。
沈黙の中で睨むように見つめ合う俺とベアトリス。
だが、それがいつまでも続くことはない――ついに、終わりが来た。
「分かりました」
ベアトリスが静かに言った。
「あなたの要求をのみましょう」
その瞬間、体の奥から力が抜けた。
指先に入っていた力まで、遅れてほどける。
気づかないうちに、ずっと握りしめていたらしい。
勝った、とは思わない。
これは孤児を引き取るとか、そんな綺麗な話じゃない。
面倒な責務を背負い、この先に何を求められるのかも分からない。
――それでも。アレンとシエラを、余計な孤児のまま置き去りにしなくて済む。
それが分かっただけで、固くなっていた息が、ようやく胸の奥から落ちていった。




